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三国志の関興に転生してしまった  作者: タツノスケ
第六部・哀惜師友編
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152.馬超、仇討ちに立つ

●建安十五年(210)十一月 涼州


「帝の密勅か……」


馬超は柳行李の中にしまってある(ふみ)の束に目をやった。

伏完から届けられた(ふみ)は五通ある。最初は時候の挨拶に始まり、いかに献帝が秀でた天子であるかを述べ、逆賊の董卓を討ち果たすために決起した父・馬騰の功績を賛美し、曹操が漢の朝廷を(ないがし)ろにして天下を牛耳る現状への悲憤、そうして最後に届いた(ふみ)には、献帝自ら筆を取り、ともに曹操を討たんと記してあった。


これが本物かどうか、自分には判断がつかぬ。

しかし、帝の寵臣として側に侍る大物貴族の伏完から頼られるのも鼻が高かったし、大丈夫として生まれたからには、こんな辺境の地でくすぶるのではなく天下を舞台に己が腕を存分に奮ってみたい気持ちもある。

都に凱旋する俺の姿を見た都人が口々に(たた)えるのだ。


《大功の誉れ高い馬超殿が先陣を切って、天子様への忠節を尽くしたそうだ》

《曹操の(きたな)き野望を阻む勇者は馬超殿をおいて他におらぬ》


――なんと甘美な響きだろう!

涼州を発って怒涛の進軍を開始し、長安・洛陽の城を抜いて天子様のおわす許都に迫れば、伏完が城内から内応して開門するに違いない。許都には父・馬騰もいる。宮中を制圧し、天子様を擁して天下に号令を掛けるのも容易だろう。

一も二もなく伏完の誘いを承諾し、いざ出陣!と準備を整えた時、父から“待った”が掛かった。


「荀彧殿からの忠告じゃ。決起はならんぞ!伏完のクーデター計画はすでに曹公の耳に入っておる。関わり合いになれば三族皆殺しとなろう。おまえは都に隠居しておるこの父を殺す気か?

 火遊びはやめ、伏完からの(ふみ)はすべて燃やせ。証拠を残すでないぞ!」


果たして、先手を打った曹操は伏完を誅殺しクーデターは潰された。伏完が俺とのやりとりを残していなければよいが…と心配した。

この密勅はどうするか?燃やすには惜しい気もする。馬超は柳行李の中に(ふみ)を片づけた。


 -◇-


それから一年間は何事もなく過ぎた。

ほとぼりが冷めたと胸をなでおろす馬超のもとに、許都から一人逃げ延びた馬岱が早馬を駆って現れ、


「先月、大殿が曹操の凶刃に害され、鉄・休の二人も謀叛の罪を着せられ殺されてしまいました。自分は曹操の屋敷の外で侍従していたため難を逃れ、いち早く(かき)を跳び越え、事の次第を伝えるべく涼州まで逃げ帰って来た次第。無念でなりません」


と涙ながらに語った。


「ま、まさか……」


絶句する馬超であったが、馬岱を追うように都から変わり果てた姿の馬騰の首が届いた。

父・馬騰の死が事実であったと分かった馬超は、うぬっと呻いて血涙を流し、


「おのれ、曹操!奴こそは不倶戴天の仇敵、父を殺された恨みを晴らすまでは復讐の鬼と化し、奴に地獄を見せん!」


と天に誓った。そこへ。


「よくぞ申した!それでこそ西涼の猛虎の御曹司!」


と、弔問に訪れた韓遂が馬超を誉めそやす。韓遂は、涼州牧であった父・馬騰とは時には盟友・時には怨敵に分かれ、三十年もの長きにわたって涼州の片隅に割拠し続けた不屈の闘士。利に敏く乱を好む性分で、それだけに何を考えているか分からぬ不気味な男というのが、韓遂に対する馬超の評であった。


「かたじけない。韓遂殿、ご助力願えるか?」


「もちろんだ。我らが涼州兵の強さを曹操めに見せつけてやろうぞ!」


馬超は漢中の張魯からありったけの米を買い付け、数万の兵が半年の間食うに困らぬだけの兵糧を貯えた。


「……しかし御曹司。韓遂は信用できますかな?」


決起の準備のために韓遂が退出した後、己が右腕と頼む龐徳が馬超にささやく。


「かつて韓遂が放った刺客の閻行(えんこう)の手で、御曹司は危うく闇討ちされそうになった事件をお忘れなく。あわよくば、涼州牧の座を御曹司から奪わんと企んでおるやもしれぬ」


「分かっておる。なれど、韓遂とその配下武将の程銀・李堪・成宜らが味方に付くのは心強い。我らと合わせれば十万もの兵で曹操に対峙できる。

 もちろん俺は死を恐れてはおらん。だが、父上の仇を討つためには兵の数が多いほど成功する確率が高まるのは事実であろう」


「分かりました。御曹司がその覚悟なら自分は最後まで従います」


龐徳はそう告げた。


 -◇-


馬超は韓遂や龐徳とともに決起すると、十万と号す騎兵・長槍兵を率いて一路長安へ向かった。

(史書に見える十万の兵数が本当かどうかは筆者には分からない。しかし大軍であったことは事実であろう)

曹操の股肱(ここう)の臣の一人でもある夏侯淵は、涼州の馬超の蜂起を事前に知らされていたから、三万の兵とともに長安を守る彼は、馬超軍の突然の来襲に驚愕することもなく、むしろ「想定どおり」とほくそ笑む。


彼は曹操に救援の早馬を出すと、曹操から「涼州の兵は精強であり、わしが長安に到着するまで戦いを交えてはならぬ」と返書があった。夏侯淵は命じられるまま城の堅固さを頼みとして長安に籠城を決め込んだ。

馬超は手始めに騎兵隊に命じて、無理押しに城門へ殺到させたが、城壁の上から雨のように降る矢と落石の餌食となってたちまち千の死傷者を出し、攻撃は失敗に終わった。謀臣の皇甫(こうほ)(れき)は馬超に進言し、


「夏侯淵は勇猛剛直な名将ですが、衝動的な性格が玉に(きず)。我らは昼夜を問わず四方から軍鼓を打ち鳴らして城内の者に恐怖を与え、武勇に優れる御曹司と龐徳殿が代わる代わる夏侯淵に一騎討ちを挑んで下さい」


「だが奴が城に籠って戦おうとしないのは、曹操に固く命じられておるからではないのか?易々と一騎討ちに応じるとは思えぬが」


「ならば、武勇に自信のない意気地なしと奴を嘲笑するまで。夏侯淵は必ずや憤り、軍を出撃させて来るでしょう。我らが天下一の騎兵隊の破壊力ならば、曹魏の弱兵ごとき一戦で斥けるのは容易(たやす)きこと。逃げる弱兵を追って長安の城内に潜り込めば、内側から簡単に城門を開けることができます。その後一斉に突撃すれば、長安攻略も成りましょう」


皇甫(こうほ)(れき)の策どおり馬超と龐徳が何度も挑発を続けると、堪忍袋の緒が切れたのか、果たして夏侯淵は怒りにまかせて撃って出た。しめた、とばかりに馬超が三千の騎兵で突撃させたところ、その圧倒的な勢いに押された夏侯淵はとても敵わず、慌てて(きびす)を返し城内へ逃げ戻る。大将と味方の兵が戻らぬ前に城門を閉めるわけにもいかず、馬超率いる騎兵隊は彼らに紛れてついに城門を突破し、次々に長安の城内へ駆け入った。


やがて内側から東西南北すべての城門が開け放たれ、城を囲んだ涼州兵は一斉に長安城の中へと殺到した。阿鼻叫喚のなか逃げ惑う敵兵・住民を無差別に殺戮し、略奪した家屋敷に火を点け無残に蹂躙する涼州兵。それはさながら火焔地獄のごとき光景であった。


夏侯淵は辛くも単身一騎で城を抜け出すと、謀叛人の馬超を討つべく許都を発った曹操の大軍に弘農で出会い、ようやく助けられた。

曹操は、夏侯淵を軍法会議にかけて敗戦の原因を糾問した。


「わしが長安に到着するまでは、必ず籠城して迂闊に戦うなと命じておいたのに、なぜ軽率にも敵に乗ぜられたか?歴戦の勇将たるおまえが、何たる不覚か!」


「申し訳もありませぬ。血気に(はや)り、つい奴らの挑発に乗ってしまいました。なれど涼州の騎馬は思った以上に精強。奴らは十万の兵と号しており、甘く見ては足を(すく)われますぞ」


言い訳がましい弁明に怒り心頭の曹操は、「軍法を正さん」とばかりに剣を抜いて夏侯淵を斬ろうとした。曹操が許都から率いて来た将軍の徐晃や朱霊は、夏侯淵のために頭を下げて必死に命乞いをする。さらに参謀の賈詡(かく)が進み出ると、


「こたびの長安落城時に起こした涼州軍の悪逆非道な振る舞いのせいで、残る荊州・益州・揚州の群雄が奴らに味方することはありますまい。

 我らは援軍の存在を気にかけることなく、馬超一軍のみを相手にすればよくなりました。これで用兵に余裕が生まれ、我が軍の勝利は間違いなしと言えるでしょう。怪我の功名とはいえ、夏侯淵殿のおかげとは申せませぬか?」


と弁護してやった。曹操は賈詡(かく)の言にふうむと(うな)るとわずかに気色を直し、夏侯淵に将功贖罪(功を上げれば罪を許す)を告げた。


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