151.馬騰、無念の歯軋りをする
第150話はあまり出来が良くなく自分の中で気に入らなかったため、もう一度書き直します。
1回飛ばして第151話から続けます。ごめんなさい。m(_ _)m
●建安十六年(210)十月 許都・馬騰の屋敷
――馬騰殿の命が狙われている。気をつけられたし。 文若
「また文若とやらから文が来ている!しつこい野郎だな」
と馬鉄は怒りをぶち撒けた。先日は「董承や伏完との密約をすべて始末しろ」だとか「貴公の首を斬って涼州を守る馬超殿に送り、曹魏に叛逆させるつもりだ」とか「それゆえ曹公から酒宴に誘われても、出席してはならぬ」とか、偉そうに指示を与える文が届いたのだった。
「休、どう思う?」
「フン、くだらん。ただの悪戯だろう。わざわざ父上に知らせるまでもない」
と馬休が答える。父上というのは、前涼州牧であり今は引退して許都に居を構える馬騰のことである。
「しかし、文若とは曹公の懐刀であった荀彧殿の字ではありませんか?彼が大殿に対して警告を発しているとすれば、どうにも気になります……」
と従弟の馬岱が懸念を伝える。
「馬鹿馬鹿しい。仮にそうだとしても、今は荀彧の方がお尋ね者ではないか!我らを政争に巻き込むなと言いたいわ」
と馬鉄が吐き捨てる。そうして彼らは結局届けられた文を握りつぶし、馬騰に知らせようとはしなかった。
◇◆◇◆◇
晩秋。日が暮れると途端に冷え込み、夜明けには薄っすらと霜が降りる季節になった。
その日の夕刻、魏公となった曹操から、漢中に割拠する張魯討伐の相談を兼ねた酒宴の誘いがあって、馬騰は二人の息子とともに出席することになった。馬岱が手綱を引く馬車に揺られて曹操の屋敷に向かう途中、ガタンと大きな音がして車が大きく傾いた。
「どうしたのじゃ?」
「すみません、大殿。馬車の車軸が折れてしまったようです」
「おい、岱!“すみません”じゃすまないぞ!あれほど吾が事前に点検しろと言っておいたのに」
馬車から下ろされ、寒さに震える馬鉄が馬岱を叱りつける。
「お言葉ですが、自分は朝のうちに馬車を点検し、油を差して準備万端整えておりました。整備不良であるはずがありません!何か嫌な予感がします」
馬騰は柔和に微笑むと、
「よいよい。曹公の屋敷まではあとわずか。徒歩で向かうとしよう」
その時、夕暮れの空に白一色の虹が架かっているのが見えた。馬岱は青ざめて、
「あれは……大殿、不吉です!白虹は主君の身が傷つけられる凶兆とも言います。本日の酒宴はご辞退された方がよろしいのでは?」
「なあに。白虹は凶兆との迷信が事実なら、わしの上役である曹公や漢の天子様の御身こそ心配せねばなるまいぞ。それにわしは老いたとはいえ、武にはいささか自信がある。常に剣を手放さねば心配あるまい」
と気にも留めず、馬騰は曹操の屋敷に入って行った。
奥に通されると、王子服・呉子蘭・种輯ら漢の廷臣も呼ばれており、すでに賑やかな酒宴が始まっていた。
はて?曹公からは、漢中に割拠する張魯討伐の相談としてお招きいただいたはず。それに忘れもしない、王子服・呉子蘭・种輯らは十数年前に董承・劉備らとともに漢の天子様から密勅を授かり、ともに曹操を排撃しようと誓った面子ではないか!董承が蜂起に失敗し誅殺されて以来、我らはあの密勅を「無かったこと」にし、お互いに関係を絶っていたはず。それが今頃になって何故…?と馬騰は不審をおぼえる。
「馬騰殿、お久しゅうございますな」
赤ら顔の王子服が挨拶もそこそこに酌を進める。
「お久しぶりにございます。今日の集いは如何様な?」
「さぁて?私や种輯殿は魏公就任のお祝いとして招かれましたがね。呉子蘭殿は漢詩の添削を依頼されたとか」
「しかし曹公の魏公就任は昨年のこと。今さらお祝いと申されましても戸惑ってしまいますな。まさか昔の話を蒸し返されたりは……」
と疑う馬騰の背後から、ぬうっと曹操が現れる。
「これはこれは馬騰殿、ようこそ拙宅へおいで下さった。酒宴の場にそのような無粋な勘繰りは野暮ですぞ。昔懐かしい顔ぶれで共に酒を酌み交わすのはめでたいこと。ほれ、一献いかがですかな?」
馬騰は用心を重ねて鄭重に断り、
「ありがたき幸せ。なれど某、実は今朝から体の具合がどうにもすぐれず、これにて辞去いたそうかと」
「ならぬ、ならぬ!引退なさって許都に寂しく隠居暮らしをしておる馬騰殿を励ますつもりで今日は招いたのじゃ。ははーん。わしが酒に毒でも混ぜとりゃせんか疑うておるのじゃな?
よろしい。馬騰殿の病いは未だ平癒しておらぬとのこと。常に服用しておる薬酒があるのじゃろ。従者に頼んで取り寄せてはいかがかな?」
漢帝国一の権力者である曹操にそこまで譲歩されては断るわけにもいかず、馬騰は馬岱に告げて我が家へ酒を取りに行かせた。一刻もの間、王子服・呉子蘭・种輯らの客と酒を幾度も酌み交わしたせいか、馬騰がいささか酔いを感じた頃、曹操はそっと席を立ち屋敷の奥に下がる。
それを見計らったかのように、鎧をまとった兵を伴い許褚が酒宴の場へ乱入すると、
「魏公を暗殺せんと企てたおまえらの謀叛、明らかなり!全員この場で誅する。覚悟しろ!」
と告げた。
「待て。曹公暗殺の企てなど、某は何も知らん!」
馬騰の声は兵の雄叫びと酔客の悲鳴に掻き消され、王子服・呉子蘭・种輯、それに彼の息子の馬鉄・馬休はたちまち乱入した兵に斬り捨てられた。
「くそっ!謀ったな!」
馬騰は剣を抜きざま躍りかかったが、酒に酔って動きが鈍ったせいだろう、腕は同程度のはずの許褚に素早く身をかわされ、あっけなく取り押さえられてしまった。
「西涼の猛虎と綽名された馬騰ともあろう者が無様な最期よのう。何か言い残すことはあるか?」
再び奥から現れた曹操が薄ら笑いしながら問うと、馬騰は大声で、
「某は無実だ!仮に王子服・呉子蘭・种輯らが貴公に対して謀叛を企てたのが事実だとしても、今の某は奴らとは顔見知り程度にすぎぬ。某が共に謀叛を謀ったなど言い掛かりも甚だしい!」
「フン。十二年前の出来事をよもや忘れたとは言わせぬぞ!
されど、おまえが謀叛に荷担したか否かなど今は些末なこと。おまえの首を斬って涼州の馬超に送りつけ、逆上した奴が曹魏に叛逆するのを討ち滅ぼすまでが、わしの真の狙いよ。
おまえだって、わしに謀叛を起こし、滅びゆく漢の忠臣として歴史に名を残せるのじゃ。悪い話ではあるまいに」
うぬぬと無念の歯軋りをした馬騰は、
「きさまは国を乱し、漢の天子様の位を奪わんと悪逆の限りを尽くしておる。今日がわしの死ぬ日だろう。残念なのは、きさまを車裂きの刑に処し天下の民に謝罪させられぬことだ!」
と叫んだ。
「斬れ」
曹操の命令とともに剣が振り下ろされ、馬騰の首が血飛沫とともに転がった。




