[番外編]ブラック関羽、一芝居うつ
後漢の皇室の特殊性。
それは、初代光武帝の嫡系は断絶し、現皇帝の劉協(=献帝)は傍系の出ということだ。その上、黄巾の乱・董卓の暴政で数少ない親族も殺され、また曹操へのクーデターが失敗して二妃とその皇子が刑死した事件も重なり、皇族の籍を有するのは献帝の二皇子と一皇女しか残っていない。しかも兄皇子は病弱で死の淵をさまよっていると聞くし、弟皇子は乳飲み児だ。
「その辺りの事情を踏まえて、今手に入れた密勅を盾に献帝にご退位を迫るのです。陛下が譲位を望んだのですよ、と。それでも肯じないようなら、献帝はある日、後継者の名前を口にしないまま不慮の死を遂げてしまうかもしれません。怖いですねぇ。その場合、次の皇帝に即位するのはいったい誰でしょうか?」
そう。兄皇子が即位したとしても日を置かずして死ぬと分かっているから、兄皇子は推しづらい。かと言って、危急存亡の秋に乳飲み児を帝位に擁するのは、現在進行形で簒奪を狙っている曹操に、国を奪って下さいと差し出すようなものだ。
「とすれば廷臣は、皇女に有能な婿を取らせ、彼を皇位に即ける他ないと考えるでしょう。もっとも、最終的に次期皇帝を指名する権限を持つのは亡き献帝の皇后なのですが、その皇后陛下は、実はオレと親しい曹麗様なのです。
そこで父上の立てた作戦どおり、オレが献帝の皇女を娶れば、曹麗様はそれがベストな選択だと評価して、必ずやオレを次期皇帝に指名してくれるに違いありません」
あれっ?!嫌だ嫌だと言ってたくせに、いつの間にかオレ自身が皇帝になる方法を思いついてしまった。ま、いっか。どうせ関羽のおっさんに献帝弑逆を諦めてもらうための方便だ。多少の自惚れや希望的観測が含まれるのは否めないが、この際いくらでも盛ってやる。
「オレたちは、昔、献帝が直筆で《朕に代わりそなたに帝位を譲りたい》と記した密勅を手に入れた。彼の意志を尊重すべきと称せば、反対する廷臣はおりますまい。
こうして献帝は不本意ながら退位を余儀なくされ、しかもモブ平民にすぎないオレごときに帝位を乗っ取られるのです!漢の皇室の権威を己の手に取り戻し、高祖劉邦・光武帝に次ぐ中興の祖として歴史に名を残したい野心に取り憑かれた献帝にとっては、この上ない屈辱ではありませんか?!あんな密勅を残したばかりにね。
もちろん、曹操にはその座を決して渡すつもりはありませんし、荊州から中華全土に領地が広がっても、オレは領民の安寧と平和な暮らしを実現するために全力を尽くすつもりです」
「ふぅむ。ほざいたな」
関羽のおっさんが唸る。
「だが良いのか?献帝の皇女と言えば、帝立九品中正学園で甄洛を貶め、おまえをモブと馬鹿にし、曹公に断罪されたピンク頭の女の正体がそうだったと思うが?」
ぎゃああぁーっ!そうだった!
この世界で献帝の皇女とは、鴻杏ちゃんが言ってた乙女ゲーム『@恋の三国志~乙女の野望』の性悪ヒロイン・董桃なのだ。
史実では献帝の娘は他にもいただろうが(注:曹丕の妃となった二皇女がいる)、この世界では董桃がその役を奪ったせいか、一切登場しない。
オレが思いつきで口走った作戦にもしもGOサインが出ちゃったら、オレはアイツを嫁にしなければならんのか?!自業自得とはいえ、甘寧の口グセじゃないがオレのチ〇コがむせび泣きそうだわ。
「や、やっぱりこの策はお蔵入りということで……」
と前言撤回したいオレの言葉を遮るように、
「うむ。非常に無念この上ないが、俺はおまえの決意を尊重し献帝の弑逆は諦めよう。いやぁ、なんとも残念だ」
と関羽のおっさんは悔やみながら、しかしニヤリと笑って、
「なれど、おまえが皇帝を目指すという言質は確かに取ったからなっ!仮におまえの立てた策どおり事を運ぶ気がないにしても、別の実効性ある作戦を考えておけよ!」
………………。
やられた。ブラック関羽め、オレを皇帝に祭り上げたいがために一芝居うちやがったなっ!
◇◆◇◆◇
いいもん。広陵に行ったらオレ、鴻杏ちゃんに慰めてもらうんだ。
……と、思っていたら。
鴻杏ちゃんの方がなんだか元気がないみたい。
「どうしたの?溜め息なんかついちゃって」
「秦朗君、どうしよう?私、大変なことに気づいちゃった」
「!?」
まさかオレが思いついた漢の皇室を乗っ取る作戦で、ヒロインちゃんの董桃を娶るという話を耳にしてしまったとか?!浮気は許しません!みたいな。
「な、なな…何のこと?鴻杏ちゃんが言ってた乙女ゲーム『@恋の三国志~乙女の野望』がらみの話とか?」
「ううん、曹沖殿下と甄洛副会長の間にできた赤ちゃんのこと」
な~んだ、めでたい話じゃないか。
「もー思い悩んでる私の気も知らないで。あのね、去年の12月にプロポーズして1月に結婚式を挙げた二人の子が、8月に生まれたのよ。おかしいと思わない?」
「まぁなんだ、爽やか好青年と思われてた曹沖殿下がああ見えて実はムッツリスケベで、甄洛副会長に手を出すのが早かったんだろ。それとたまたま早産が重なって……」
「違うの。遺伝って分かる?
私さ、前世の記憶がある転生者だって前に話したじゃない?元の世界にはDNA鑑定という技術があって、生まれた子の父親が誰なのか正確に調べることができるわ。でも、こちらの世界にはそんな物は存在しないから、血液型で簡易的に遺伝のことを調べてみたの。
そしたら、曹沖殿下は几帳面なA型。甄洛副会長は大らかなO型。だとすると、生まれて来る赤ん坊はA型かO型しかあり得ない。でも、実際に生まれた赤ちゃん(=曹叡/のちの魏の明帝)はB型なのよ!」
うわ……やっぱりか。
史実でも、甄洛から生まれた曹叡の実の父親は誰だ?という疑問が持たれていて、正史『三国志』に記された曹叡の死去時の年齢から逆算すると、曹操が鄴を陥とした年以前に誕生したことになるのだ。曹丕が甄洛を手籠めにしたのが鄴陥落後だから、必然的に曹叡の父親は曹丕のはずがないと仄めかされている(甄洛はもともと袁煕の妃であった。ということは、曹叡の実の父親は……言わなくても分かるな?)。
この世界では、曹沖が妃に迎える前の甄洛副会長は曹丕の妃だったわけで、妊娠の期間が医学的に十月十日だと信じれば、八月に生まれた曹叡の胤が仕込まれたのは前年の11月以前ということになる。つまり、曹沖と結婚する以前に甄洛副会長のお腹の中にはすでに曹丕との間にできた赤ん坊が宿っていたのだ。
「曹麗様にそれとなく探りを入れたら、曹丕殿下の血液型は変人のAB型らしいわ。ってことはやっぱり、赤ちゃんの父親は……。ねぇ秦朗君、私どうしたらいい?」
まあ、気づいちゃった物は仕方ないよね、でも一生黙っているしかあるまい。どちらにしても甄洛の子、曹操の孫には違いないんだ。それに、たぶん甄洛自身がその事実に気づいて、誰にも言い出せずに思い悩んでいると思うし。何も知らない曹沖だって、きっと曹叡を可愛がってくれるさ。
「もう忘れなよ。鴻杏ちゃんは何も気づかなかった」
「でも……」
「鴻杏ちゃんの気持ちは分かるよ、秘密を黙っているのはつらいもんね。だけどそんな重大な秘密をうっかり他人前で話しちゃうと、不敬罪で牢屋に入れられるかもしれないよ。
オレはさ、曹沖殿下と甄洛副会長の二人が幸せならそれでいいじゃないかと思うんだ」
鴻杏はブルッと身震いすると、
「うん、忘れることにする。ありがと、相談に乗ってくれて」
とお礼を述べた。いい娘だな。
「ところで、秦朗君ってわがままで自分勝手なB型でしょう?」
「えっ?なんで知ってるの?」
見れば分かるわよ、と言いたげな顔をした鴻杏は、
「そう言えば聞いたわよ、秦朗君のファーストキスの相手って甄洛副会長なんだってね!
だからかなぁ、秦朗君ってときどき甄洛副会長に甘いわよね?実はファーストキスどころか初体験も奪われちゃってたり……。もしや甄洛副会長ってば、悪役令嬢から魔性の女に闇落ちしたりするのかしら?
やだ、もしかして曹叡様の父親って……」
そんなわけあるか!!
オレは12歳の今世どころか24歳で死んだ前世ですら童貞のまんまで……言わせんな、恥ずかしい!
「ふふっ、冗談よ。私、秦朗君のこと信じてるもん」
よせよ、照れるじゃないか!
けれどこの時、オレは人生を左右する重大なフラグが立っていることに気づかなかった。
>皇族の籍を有するのは献帝の二皇子と一皇女しか残っていない。
現在アラサーの献帝には、将来的に新たに子供が生まれる可能性は十分あります(史実では、山陽公・劉協が死んだ時、四皇子に爵位を継がせたらしい)。
次回は再び156話の続きに戻ります。お楽しみに!




