150.関興、献帝に失望する
149話までのあらすじ
関羽は秘かに、将来関興を皇帝に担ぎたいと思っている。軍師・龐統によれば、昔仕えていた劉和から預かった献帝の密勅には、「この密勅を手に入れた者に帝位を譲りたい」と記されているはずだ、という。そこで関羽は関興とともに劉和の墓を訪れ、件の密勅を手に入れた。
「やはり献帝の密勅でも、興をその気にさせることはできぬか……鄧艾の見立てどおりだな」
と関羽のおっさんはつぶやく。
「何の話ですか?」
「なぁに、先日酒宴の席で盛り上がったんだよ。故劉表殿から受け継いだ荊州を今さら戦乱に巻き込むことなく、天下一統を果たすにはどんな作戦があるか?とな。
曹丞相の後釜には曹沖の代わりに曹林を即け、暗殺…いや彼が不慮の死を遂げた後、曹林と瓜二つのおまえが皇帝になりすますとか、曹沖と親しいおまえが彼を籠絡して惑わせ、共同統治の“摂皇帝”の座を任せてもらうとか」
……くだらねぇ。オレには天下統一を果たしたいとか、皇帝に即位して酒池肉林を楽しみたいとかいう大それた野望は一切ないんだが(汗)。まあ、酒の席での戯れ言だもんな。オレをネタにいろいろ好き勝手語り合って楽しむくらい、いちいち目くじらを立てることもあるまい。
「父上の立てた作戦は?」
「俺か?うーんまあ、平が劉表殿の娘の舞殿を娶って荊州の行く末を託された時と同じように、武勇に優れ知略に長けたおまえが漢の天子様の娘を娶れば、次期皇帝の座を譲ってもらえるんじゃないかと漠然と考えていたんだが……」
えー。関羽のおっさんまでオレを皇帝に立てるという前提で話を進めるなんて、勘弁してくれよ!だからオレは皇帝になる気はないんだってば!
「そんなことより、献帝の密勅に何と書かれてあるのか気になります」
オレは慌てて話題を逸らした。
「おう、そうだな。劉和様に見てはならぬと禁じられていたが、もう二十年も経つ。すでに時効だろう」
と言って、おっさんは密勅を開け広げた。
――朕は洛陽の都を追われ、逆臣に捕らわれの身となり幾星霜。朕に代わりそなたに帝位を譲りたい。朕を哀れと思しめさば、請う、辞退する勿れ。
「おいたわしや……」
関羽のおっさんが声を詰まらせ嘆息する。
うん、献帝を憐れむ気持ちは分からんでもない。が、オレは別の感情を抱いた。
献帝の記した密勅をどう思うかは人それぞれだろうが、正直オレは失望した。皇帝だった兄(弁皇子)を殺された後、まだ年端も行かぬ少年時代に逆臣の董卓に擁立され、即位当初からいずれ禅譲させられることが運命づけられていた献帝は、確かに気の毒だとは思う。
《朕だって、皇帝になりたくてなったわけじゃないっ!》
その屈折した感情が間違っていると非難するつもりもない。
オレが気に入らないのは、献帝が終始一貫して「皇帝を辞めたい」と漏らして続けていたならば、確かに同情に値しよう。しかし、彼が自分の意に添わぬ権臣に対して「逆賊を討て!」と頻繁に密勅を出しているのも事実なのだ。董卓・李傕・楊奉・曹操。
せっかく皇帝になったんだ、自由に権力を振るいたい。だが権臣その①は手強い。「もう皇帝なんて辞めたい」って駄々をこねれば、ちょっとは朕の意志を尊重してくれるかな?チラッ
→くそっ駄目か。そうだ、逆賊討伐の密勅を出してやれ。
→フッフッ、成功した。これで朕は自由だ。
→と思ったら、権臣その②が台頭してしまった。密勅のおかげで権臣その③がその②を、その④がその③を倒してくれたけど、その④は朕を傀儡にして漢を滅ぼそうとしやがる。再び伝家の宝刀である密勅を…
→くそっ、失敗したか。朕はクーデターには一切関わってないもん。あいつらが勝手に忖度して、朕のためにその④を排除しようとしただけだもん。ゲッ、首謀者は三族皆殺し?妃だけは見逃してくれない?無理?じゃあ、妃を差し出すから朕のことはお咎めなしで許してね。
→あー面白くない。もう皇帝なんて辞めたい!
穿った見方と言われるかもしれないが、オレには献帝の内心がそう読めてしまうのだ。
後漢書伏后伝によれば、献帝は曹操に対して、
――朕を大事に思うならよく補佐して欲しい。そうでなければ情けをかけて退位させよ。
と忠義か譲位のどちらを取るか迫り、曹操は恐懼のあまり冷や汗を流したとあるが、このエピソードだって《朕は天下に君臨する唯一無二の存在だぞ。どうせ退位させることなんかできまい》と、ようやく兗州を平定したばかりの曹操に対して高をくくっていると読めなくもない。
つまり彼には、乱れた国家を立て直し、塗炭の苦しみに喘ぐ民衆を救いたいという慈悲の気持ちよりも、漢の皇帝の権威を復活させ中興の祖として歴史に名を刻みたいという功名心の方が勝っているように思われるのである。
そんな不敬なことを言ったら、《秦朗サイテーだな。おまえ絶対性格悪いだろ?》と非難されそうだが、「ああ、そのとおりさ☆」と開き直ってやる。
「……劉和様がおいたわしい!
俺は鳳雛軍師の推理に感心はしたが、正直疑っていた。さすがに漢の天子はそこまで愚かではないだろう、と。
当時評価の高かった劉虞殿に帝位を譲りたいと言ったのなら、俺も納得はする。だが宛て先を記さず漠然と“そなた”と言うからには、特定の相手を想定しているわけではない。つまり本心で譲る気はないのだろう。なんだ、それは?!
《朕を哀れと思うなら、誰でもいいから代わってくれ》なんて言い草は、皇帝の責務を放棄したただの駄々っ子ではないか!
こんなくだらない天子の密勅を預かったばかりに命を落とす羽目になるとは、劉和様が浮かばれぬ!」
!!
期せずして、関羽のおっさんもオレと同じ感想を抱いたようだ。
そもそも塩賊だった関羽は、民衆を苦しめる塩の専売制を敷いた漢の皇室に良い感情を持っていない。追い討ちをかけるように、皇帝の責務を果たそうとしない献帝の身勝手な言い分に、ついに怒りが爆発してしまった。
「うぬ……劉和様がお亡くなりになったのは、董卓のせいでも袁術のせいでもない、元凶は献帝自身ではないか!絶対に許せん、俺がこの手で仇討ちしてくれようぞっ!」
青龍偃月刀を握り締めて振り回し、怒りを露わにする関羽のおっさんをオレは必死に押し留め、
「父上、ひとまず冷静に!主上を手に掛ける行為は忠義に反します」
「放せっ、興!」
「放しませぬ。劉和様に代わって復讐する手段は、なにも献帝のお命を奪うことだけではありますまい!」
咄嗟に口を衝いたオレの言葉に、ようやく我に返った関羽のおっさんは、
「どういうことだ?」
……やべえ、何も考えてないや。とりあえず、献帝を弑逆せんといきり立つおっさんの怒りを鎮めるために、何かそれらしい策を言わなければ。
「父上が看破されたように、献帝は天下の大乱を鎮め平和と安寧な暮らしをもたらすという皇帝の責務を放棄しており、もはやその地位に留まることがふさわしいとは申せません。おそらく本心では譲位する気はさらさらなく、古の皇帝のように権力を振るいたいがために泣き落としにかかったまで。
ここは献帝自ら口にしたとおり、意志に反してご退位いただくことで亡き劉和様の復讐が果たされるのではないでしょうか?」
「フン、俺は誤魔化されんぞ。このまま黙ってたって、いずれ曹公が漢の天子に禅譲を迫るんだ。それで仇討ちは済んだとお茶を濁そうとする、おまえの魂胆などお見通しだ」
チッ、バレたか。今回ばかりはおっさんのご立腹も相当根が深いようだな。
「まさか!そのような当然の結末で父上のお怒りを鎮められるとは思っておりません。それにオレには、荀彧を害した曹操に対して含む気持ちがありますからね。献帝・曹操、二人にギャフンと言わせてやりましょう!
それには、後漢の皇室の特殊性を利用しない手はありません」
一話で収まらなかった。もう一話続きます。




