149.関羽、劉和の墓参りに行く
裴元紹は蛇矛をかざして「やあっ」と気合を発しながら突進して来る。オレは正面から難なく受け留めると、ジャキンと鋭い音を立てて互いの刃から火花が散る。鉄の灼ける焦げ臭いにおいが周囲にまき散らされた。
【鑑定】によると裴元紹の武力は68、ヤツは「こんな年端も行かぬ少年」とバカにしてたけれど、オレの武力ステータスは87なんだ。これだけ圧倒的な差があれば、オレが負けるはずがない。
五,六合もわたり合わぬうちに、裴元紹は「こんなはずでは…」とばかり呼吸を乱し始める。次の一撃でオレは蛇矛を叩き落し、裴元紹の右腕に斬りつけた。右腕から血を飛散させつつ、裴元紹は懐からナイフを取り出して左手に構える。
「裴元紹よ。すでに勝負はついた。もう諦めろ」
「まだだ!あいつらは悪くねえ!もとはと言えば、お上が淮河の航行税を増税したせいで仕事が激減し、水運業が廃れて食い詰めた者たちが河賊になり果てたんだ。あいつらをもとの真っ当な暮らしに戻すためにも、俺はあんたに勝つまで挑むしかねぇっ!」
と叫び、めちゃくちゃにナイフを振り回しながらオレに迫る。危ないな、そんな無鉄砲な攻撃を仕掛けられれば、自分の身を守るために裴元紹の奴を本当に斬殺しなければならない。オレは短戟を上段に構えて威圧した。
と、その時。
「もうやめて下せぇ、お頭!」
「なぁ大将!おいら達も神妙にお縄になるから、お頭の命までは取らねえで下せぇ」
と河賊の部下どもが間に割って入り、泣きながら懇願する。
「……どうする、裴元紹?部下の哀願に耳を塞ぎ、このままオレと勝ち目のない一騎討ちを続けるか?それとも、部下とともにおとなしく官軍の縛につくか?」
「おまえたち……」
裴元紹は手に持ったナイフを捨てて棒立ちになった。「確保!」と叫んだ張遼の兵は、雄叫びを上げて裴元紹に駆け寄りお縄にすると、河賊は皆投降し討伐は完了した。
-◇-
オレたちは寿春に凱旋し、捕らえた河賊どもの処遇は張遼に任せた。
「おい、興。こんな決着は、討伐を任された大将が取るべきやり方ではないぞ!」
張遼は苦言を呈したが、根は優しいあいつのことだ、裴元紹の一味は処刑されず、なんとかうまい処分を考えてくれるだろう。
そして艦隊と錦帆賊ら水軍兵は参謀の劉靖に預け、オレは関羽のおっさんとともに徐州の広陵城へと向かうことにした。
ちなみに劉靖は、もと寿春を治めた揚州刺史・劉馥の息子である。そんな彼が今まで散々苦しめられて来た河賊を討伐して凱旋したものだから、寿春の城民は熱狂し大歓声で迎え入れた。
面白くないのは、現・揚州刺史の温恢である。彼が賈逵と組んで淮河の航行税を上げたせいで、河賊が跋扈するようになったのだ。温恢は劉靖の人気と名声を妬み、無理難題をふっかけて任務を失敗させようと企む。
と、その前に。
◇◆◇◆◇
広陵へ向かう途中、関羽のおっさんは「ちょっと立ち寄りたい所がある」と言い出した。
はは~ん、荊州を出る時から何か様子がおかしいと思っていたが、さては愛妾の所に行きたいんだな。元服したオレはオトナの気遣いをして、
「分かってますって、義母上には黙っていますから!オレは2,3日その辺をぶらぶらしていますので、ごゆるりとお楽しみを。ウヒヒ」
と言ったらゲンコツを食らった。なんでだ?
「馬鹿者、何を勘違いしておる?墓参りだ、昔世話になった人のな。いや、俺が真っ当な道を歩むきっかけを作ってくださった恩人なのだ。おまえもついて来い」
そうして徐州東海郡にある劉和の墓の前で、おっさんとオレは手を合わせた。
「劉和様、長らく墓に参ることもできず申し訳ありません。俺は今、荊州で鎮南将軍・州刺史を拝命しています。
お別れして早二十年、俺にも愛おしい三人の子供が生まれました。ここに連れて来た者は興と言います。劉和様の悲願であった、乱世を終わらせ人々を塗炭の苦しみから救い出す理想を叶えるべく、俺なりに方法を考え、興をはじめ頼れる仲間たちとともに一歩ずつ歩んでいます。どうかこれからも活躍を見守って下さい」
と告げた関羽のおっさんはオレの方へ向き直り、
「どうだ、興。何か感じなかったか?」
そんなこと言われてもなぁ。オレは首を傾げ、
「いえ、べつに。ただ、父上がお世話になった御方ならば、息子であるオレも敬わなければならない御方と思い、ご冥福をお祈りしたところです」
「……そうか。俺はもしかしたら、おまえは劉和様の生まれ変わりではないかと訝っていたのだが、違ったか」
関羽のおっさんの口から“生まれ変わり”という単語を聞いたオレは、一瞬ドキリとした。まさか転生者だと疑われている?いや、そんなわけないか。オレは平静を装い、
「あいにく霊感にはとんと弱くて。劉和様の霊魂はまったく見えませんし、お告げも聞こえません」
これならおっさんの疑いも解消されるだろう。と思いきや、
「そうか、なら問題あるまい。興、手伝え!」
と言って、劉和が眠る墓石を持ち上げ鍬で地面を掘り起こしやがった!おい、なんてことしやがる?!大丈夫か?
「心配するな。棺の中は空、劉和様のご遺体は入っておらぬ。バチは当たるまい」
実は、袁術によって斬殺された劉和の遺骸は行方が分からず、早使の者が劉虞の元にもたらした遺髪を分けてもらい、関羽は本貫地の東海郡に劉和の“墓”を建てたそうだ。やがて露わになった棺の蓋を開け、関羽のおっさんは中から一枚の文を取り出した。
「何ですか、それ?」
「これはな、昔俺が劉和様から託された天子様の密勅。鳳雛軍師の推理によれば、この密勅を手に入れた者に帝位を譲りたいと記されてあるはずだ、という。これさえあれば、いずれ……」
と語った関羽はオレの顔をじっと見つめる。
??
オレに何か言えとでも?
まあ、関羽のおっさんが帝位を狙うと望むのなら止めはしないし、応援することもやぶさかではないが、密勅を根拠に献帝に禅譲を迫るというのはいただけない。
オレの考えはこうだ。
もはや漢の皇帝の権威が衰え、献帝ひとりの力ではすでに天下を治めることができないのは明白だから、乱世に平和をもたらし領民に安寧な暮らしを約束する者が、新たな皇帝に立つことに異論はない。
だが、献帝から禅譲してもらう手段として密勅を利用するのは、献帝が記した密勅になんらかの「価値」、つまり「漢の皇帝の権威」を認めることになってしまい、自己矛盾に陥ってしまうのではないか?
というか、もはや漢の衰亡は明らかにもかかわらず、献帝自身はいまだに皇帝の権威を保ち続けていると勘違いしているのか、天下に一応の安定をもたらした丞相の曹操を敵視し、董承・劉備や伏完・馬超らに逆賊討伐の密勅を送り続けている。そのことが逆に、乱世の終焉を阻む元凶となり得ることに気づいていない。
オレだって荀彧を殺めようとした曹操は気に入らないが、今、曹操がいなくなれば、せっかく復興途上の天下が再び大乱に逆戻りしてしまう。それだけは何としても避けなければならない。
彼は生まれた時代が悪かった。
正直言って、オレは献帝は気の毒な人だと思う。平時であれば、章帝(後漢第3代)・和帝(後漢第4代)のように、そこそこの名君として歴史に名を残せただろう。あっ、平時であれば兄の弁皇子が即位するから、協皇子(献帝)の出番はなくなるか。
それはともかく、失政の桓・霊の二帝に比べれば、献帝には皇帝としての素質をはるかに有していた。が、君側の奸を排除するために、春秋の五覇の一人・楚の荘王は三年間「鳴かず飛ばず」を擬態したし、北周の武帝は敵が隙を見せるまでなんと十二年もの間、無能なフリをし続けて耐えた。献帝にはそういう覚悟と忍耐力が足りなかった。
またブレーンにも恵まれなかった。曹操という巨大な壁を打ち倒すために、外戚の董承や伏完という小物に頼らざるを得なかった。なにより非難されるべきは、彼らのクーデターが失敗した後、我が身可愛さのあまり、董妃・伏后の二人を見殺しにしたことだ。皇帝は権力の頂点にあるべきだと自惚れるならば、玉体を張って二人を守るべきだった。それを放棄した時点で、皇帝の権威は失墜したのだとオレは思う。
要するに、曹操の傀儡に甘んじるには野心があり過ぎ、漢の権威を復活しようと逆賊討伐をたくらむ割には勇敢さに欠けた。
そんな献帝にできたことと言えば、残る群雄に「逆賊を討て!」と密勅をバラ撒いて、天下に君臨する皇帝としての己のプライドを満足させることのみだった。まるで、室町最後の将軍・足利義昭のように。もうとっくに「終わった人」であるのに、いまだ己は天下の中心に君臨すべき人物だと勘違いしているに違いない。
だからオレは、献帝の密勅と関わり合いになることには反対だ。皮肉なことに、オレの意見に賛同してくれるのは、大嫌いな曹操だけだろう。




