147.密勅騒動
鳳雛こと軍師の龐統が挙手し、
「ここは正攻法で参りましょう。昔、関羽の大殿は劉和様に漢の天子様の密勅を託され、幽州の劉虞殿に届けられたと聞きました。間違いありませんか?」
と関羽に訊ねる。
「ああ、そのとおりだ。だが劉和様が無念の死を遂げられた後、徐州東海郡に立てた墓に一緒に埋葬した」
「今、大殿の手元には無い、と。まあ、それも想定の範囲内です。ところで大殿は、中身に何が書かれてあったかご存じですか?」
「いや、知らん。劉和様に開けてはならぬと厳命されたのでな」
「ということは、密勅の中身についてご存じなのは天子様と今は亡き劉虞・劉和様のみ、というわけか……」
龐統はしばらく考え込んだ後やおら口を開いて、
「古来、天子様が臣下に密勅を授ける場合には二種類あります。一つは秘かに逆賊の討伐を命じる場合。例えば、献帝が董承や劉備に与えて失敗した「曹操を討て」という密勅がそれに当たります。
もう一つは「次の皇帝は誰彼を立てる」と次期皇位を指名する場合。
例えば、巡幸に出掛けた秦の始皇帝が死を前に「次の皇帝には扶蘇を立てる」と書いた密勅がそれに当たります。ちなみに、その密勅は宦官の趙高が「次の皇帝は胡亥を立てる」と書き変え、その偽勅どおり無能の胡亥が二世皇帝となったため、あれほど栄華を誇った秦はたちまち瓦解しました。天子様の密勅は、使いようによっては王朝を滅亡に導く破壊力を秘めていることがお分かりでしょう。
わしが考えるに、天子様から劉和様に授けられそして大殿に託された密勅は、広い意味で後者に当たるのではないか。この場合、「後継に誰彼を立てる」という威厳に満ちた内容ではなく、董卓の傀儡であった献帝が「帝位を誰彼に譲って朕は自由になりたい」という意図が近かったように思われる。
なれど密勅は密勅。もしそれを再び手に入れることができれば、それを根拠に漢の天子様へ禅譲を迫ることが可能ではないでしょうか?」
「いやしかし、逆賊の董卓に長安へ連れ去られた献帝は、その暴虐を憎んでおられた。王允が呂布と組んで董卓に天誅を加えた時に「逆賊の董卓を討て」との密勅を手にしていたという。とすれば、劉和様に授けた密勅も同じく「逆賊の董卓を討て」だったと考える方が自然だ。
それに俺が劉和様に聞いた限りでは、献帝は長安から旧都の洛陽への還幸を望んでおられたとか」
と関羽が首を傾げるが、龐統は、
「それは表向きの建前論。密勅の中味が「董卓を討て」あるいは「朕が長安から脱出するのを援護せよ」という誰もが容易に思い至る内容であれば、劉和様が謀叛人の袁術に拘束され、宛で無念の横死を遂げられた時に、あれほど抵抗する必要はなかったはず」
とあっさりと却下する。
「確かに……」
「わしがそう考えるに至った理由は三つ。一つ目は、かつて袁術が皇帝を僭称した時に、
《朕は侍中の劉和から密勅を手渡された。漢の主上は天子の座を譲りたい、つまり朕に禅譲する――と書かれた密勅を》
と告げたそうではありませんか?
すなわち、少なくとも袁術は、劉和殿が天子様から預かった密勅には「帝位を誰彼に譲りたい」と書かれていたに違いないと信じていた、ということになる」
「うむ……」
「二つ目は、関羽の大殿が劉虞殿の元へ密勅を届けた時の劉虞様の態度。すなわち、
《袁紹や韓馥がおまえに接触を図ったことはあるか?》
《彼らが秘かに主上への反逆を謀り、口に出すのも穢らわしい恥ずべき行いをこの私に要請したことを知っておるか?》
と大殿を問い詰めた上で、
《私の所に遠路はるばる届けてくれたことには感謝するが、この密勅は受け取れぬ》
と言って、結局、劉和様から託された密勅を大殿に返した件。
仮に「逆賊の董卓を討て」という密勅であれば、董卓との関係が良好であった劉虞殿が董卓の討伐を拒否したのだ、と一応の理屈は通るが、それなら劉虞殿がしつこく訊ねた袁紹や韓馥の話が何を意味するのか、理由が立たないのではありませんか?」
「待ってくれ!俺はあの当時から、どうして劉虞殿が袁紹や韓馥のことを俺に訊ねるのか、ピンと来ていなかったんだ。まずはそこから教えてくれないか?」
と関羽が龐統に頼むと、甘寧・鄧艾も同感だとばかり頷く。
「いいでしょう。実は、献帝は即位当初、逆賊の董卓に担がれた傀儡のニセ天子と忌避されており、董卓打倒を目指す袁紹や韓馥は、献帝を廃して新たに劉虞殿を立てようと画策しておったのです。だが、劉虞殿はその動きを嫌い、彼らの要請を断りました。
とすれば、劉虞殿が述べた《袁紹や韓馥が秘かに主上への反逆を謀り、口に出すのも穢らわしい恥ずべき行い》とは天子廃立を指し、最初、大殿がもたらした密勅を劉虞殿は偽物と疑い、大殿が袁紹や韓馥と繋がりはないか確かめるために問い質した、というのが真相でしょう」
「なるほど……」
「さて。ここから導かれる推論は、劉虞殿が目を通した密勅は「逆賊の董卓を討て」ではなく、やはり「帝位を誰彼に譲りたい」という内容だったに違いない」
そう結論した龐統の推理に関羽は疑問を呈し、
「いやぁ。軍師殿の推理は確かに面白いが、仮にそうだったとしても、“誰彼”とは曖昧にすぎる。常識的に考えれば、「帝位を劉虞殿に譲りたい」と書いてあったと見る方が筋が通るのではないか?」
(僕も父上の言う方が説得力があると思う)
あ、いかん。僕は「興を皇帝に祭り上げる会」のメンバーとは無関係だけど、つい話が面白くて聞き耳を立ててしまった。
「ところが、そうでもないんですよね」
僕の顔を見てニッコリ笑った龐統は話を続け、
「三つ目。これが決定的なのだが、関羽の大殿が劉和様に、
《董卓を討つために虎牢関に集まった関東の諸豪族にこの密勅を披露し、天子様を救い出してもらう方が早いような気が……》
としごく尤もな提案をした時に、
《駄目だ!密勅は決して劉虞以外の者に渡してはならぬ!それだけは約束してくれ》
と劉和様が強い口調で禁止したこと。
仮に密勅が「帝位を劉虞殿に譲りたい」と書かれているのであれば、たとえ袁術や袁紹に渡ったところで、その密勅を悪用することはできない。むしろ、劉虞殿を担いで皇帝の座に据えようとしていた袁紹などは、願ったり叶ったりの内容だ。
ところが劉和様は、決して劉虞殿以外の誰にも渡してはならぬと厳命した。劉虞殿以外の邪悪な人物に密勅が渡れば、悪用されると分かっていたからだ。
すなわち、献帝が劉和様に預け、さらに大殿に託されて劉虞殿の元に届けられた密勅には、「帝位をこの密勅を受け取った人物に譲りたい」と記されていたに違いない」
「「!!」」
その場にいた皆は驚いて息を呑む。もちろん、僕もだ。
甘寧がゴクリと唾を飲み込み、
「なら、俺がもしその密勅を手に入れたら、皇帝の座を俺に禅譲してくれるのか?」
「さぁて……その辺はわしの口からは何とも。天命と同じで、密勅を手に入れた人物が皇帝にふさわしいと輿論が認めれば、天子様になれるかもな」
「なんだよ、つまんねぇな!結局、空手形じゃんか」
と甘寧は口を尖らせる。
「その空手形を生かすも殺すも、興坊ちゃんと天子様の関係次第、ということになりましょうな。わし自身は、興坊ちゃんには十分にその資格が備わっていると思っておる。だからこそ関羽軍にこの身を投じたわけですし。
……もし密勅がわしの推理どおりであれば、の話ですが」
「おお……」
皆が龐統の鮮やかな推理に感嘆する。
「じゃあ早速、その密勅を取りに行こうぜ!」
と能天気に甘寧が口にする。
「待て。その密勅は、劉家の本貫である徐州の東海郡の墓に、俺が昔いっしょに埋葬してしまったと言っただろう?徐州は今、曹丞相が支配する地。関係が冷え込んでいる俺たちがノコノコと出掛けて行って墓荒らしをすれば、強盗や敵襲と間違えられるは必定。最悪、全面戦争に発展するやもしれぬ」
「そうなんですよね……」
龐統が出したせっかくの名案も、壁にぶつかったと思われた時、
「えっ?そんなの簡単じゃない!」
と劉舞が言い出した。
「だって、興ちゃんのガールフレンドになった鴻杏ちゃんのお父様は、徐州の広陵郡の太守なんでしょ?婚約の挨拶と称して関羽お義父様と興ちゃんが一緒に出掛けて行き、その途中で「昔世話になった方の墓参りがしたい」とでも言えば、誰も怪しまないわ」
「舞殿、ナイスアイデアだ!」
実際、徐州の広陵郡と東海郡はお隣です。劉虞・劉和父子の本貫が東海郡というのも事実です。




