146.関平、弟にご褒美をあ・げ・る
●建安十五年(210)五月 唐県 ◇関平
そして現在。
興が倒れたと聞いて、心配した仲間が唐県に見舞いにやって来た。さすがに行方を晦ませた荀彧は姿を現さなかったが、劉備軍からは諸葛孔明や趙雲、揚州からは孫紹と沈友、曹魏からは“Bチーム”として一緒に僕らと戦った張遼とあの賈詡が駆けつけた。もっとも賈詡の場合は、
「秦朗がいよいよくたばると聞いて嘲笑いに来ただけですよ」
などと憎まれ口を叩いていたが。
敵味方問わずこれほど慕われる興に、僕が敵うわけがない。荊州刺史となった父上の後釜は、やはり僕なんかより興の方がふさわしい。あいつに詫びを入れて、償いに後継者の座を譲ろうと僕は決断した。
だが、僕は興にひどいことを言って追い出した身だ。今さらどの面下げて興と顔を合わせればいいのだろうか?逡巡している僕に、妹の蘭玉が声を掛けた。
「お兄さま、ドアの前で何やってるんですか?」
「い、いや。興のお見舞いに来たんだけど、入っていいものか迷ってて。……興は僕を許してくれるかな?」
ふぅっと溜め息をついた蘭玉は、
「許すもなにも、兄兄はお兄さまがお見舞いに来てくれるのを楽しみに待ってますよ」
「今までの恨みを倍返しにしてやると待ち構えている、とか?」
「はぁ?何言ってるんですか!?大好き♡なお兄さまに兄兄がそんなことするはずないでしょ」
大好き?いつも澄まし顔で、僕と目を合わせるのを避けていた興が僕を?まさか!
なかなか踏ん切りのつかない僕に、イライラした蘭玉がついにブチッとキレて、
「もぉーお兄さまったらウザい!兄兄がお兄さまにデレてることなんて、一目でバレバレでしょーが!…っていうか、なんで私が恋敵にこんなことまで教えてあげなきゃならないのかしら?謝りたいことがあるのなら、さっさと部屋に入って謝りなさいよ!きっと兄兄は「何のことだか分からない」って顔をするに違いないんだから!」
とまくし立てると、プンプンしながら離れて行った。
……へぇ。いつもお嬢様然としているけど、蘭玉って素はあんなキャラなんだ。ブリッコちゃんだったのか。
-◇-
「……興、具合はどうだ?」
ベッドに横たわる興に思い切って声を掛けたが、興はすぅすぅと寝息を立てて眠っている。興と顔を合わせづらかった僕にとっては、むしろちょうど良かったかもしれない。
僕は興の頭を撫でながら語りかけた。
「今まで興を謀叛人だと疑って散々辛い目に遭わせて来たけど、ごめんよ。僕の誤解だったようだ。実際、荊州の領地と領民の命を守ってくれたのはおまえだもんな。
僕さ、七つも年下なのに小さい頃から何でもできるおまえに嫉妬していたんだ。本当は、強くて賢いおまえのことが大好きだったんだよ。
だけどいつしか、後継者の地位を奪われるかもしれないって恐怖に捕らわれて、おまえを避けるようになってしまった。劣った才能の僕より、興の方が断然後継者にふさわしいのにね。父上だって内心そう思ってるに違いない。だけど僕は認めたくなかった。身の程知らずだよな。
そうして僕は、漢の天子様への忠義こそが重要だと唱える儒学や、実力もないのに曹操との徹底抗戦を叫ぶ劉備将軍の勇ましい英雄論にかぶれた。それこそが荊州の地を曹操の魔の手から守る唯一の道だと信じちゃってさ。
だけど、そんな物は荊州の独立を守るのに何の役にも立たなかった。劉表殿が築いた二十年の平和を支えた忠臣だと信じていた蔡瑁・蒯越ら荊州の重臣たちは、自らの地位の保全と引き換えに、あっさりと劉琮殿を裏切った。偉そうに尊皇攘夷を振りかざしていた家庭教師の士仁先生は、敵の襄陽入城を万歳三唱で迎え入れた。曹操に対して徹底抗戦を唱えていた劉備将軍は、彼を慕って付き従う避難民を盾にして、敵の追撃から一目散に逃げ出した。
瓦版に載っていた識者の意見では、荊州の地を曹魏から救うことに成功したのは、諸葛孔明の仲介で孫劉同盟を結び、協力して敵を破った赤壁の快挙が大きな理由だとあったが、それは違う。
確かに赤壁の勝利で曹操の侵攻を食い止めることには成功したが、その後荊州の領有をめぐって曹魏・孫呉・劉備軍の三つ巴で、血みどろの会戦が始まろうとしていた。あのままでは、戦場となる荊州は、ボロボロに破壊されて荒廃していたはずだ。
降伏した荊州の地を敵から奪い返し領民たちを救ったのは、実際のところ、僕に裏切者だと罵られ我が軍から追放されたはずの興、おまえだった。父上に秘策を授けて荊州の領有を曹操に認めさせ、いずれ脅威となり得る孫権の野望を叩き潰し、劉備将軍は舌先三寸で丸め込んで江夏から手を引かせた。
興、僕はおまえの知謀を誇りに思うよ。
それに引き換え、僕は、裏切者の汚名をかぶってでも僕ら家族や荊州の領民たちの命を守ろうと考え秘かに行動していたおまえを信じてやれなかった。僕の目は曇っていたとしか思えない。それだけでも、僕は父上の後継者として失格だな。
興、将来おまえに荊州刺史を譲るよ。役立たずの僕は、どこか遠くへ……」
「行っちゃ駄目だ!」
いつの間にか興が目覚めていて、僕の手をぎゅっと握っている。
「興……」
「平兄ちゃんは役立たずなんかじゃない!オレは平兄ちゃんがいたからここまで頑張って来られたんだ。それにオレは、まだ二人に恩返しができていない」
「恩返し?」
コクリと頷いた興は、
「曹林の双子の弟として生まれたオレは、不吉な子として忌み嫌われ殺されるところだった。当時、曹操に嫁いでいた生みの母の杜妃は不憫に思い、昔誼みの関羽のおっさんにオレを預け逃がしてくれた。だから、オレが今生きているのは関羽のおっさんのおかげ。
でもそのせいで、曹魏の将軍職に就任していた関羽のおっさんは、地位も名誉も財産もすべてを捨てて逃げ出さざるを得なかった。平兄ちゃんだって、本来なら曹魏に仕える勇将の嫡男として安泰な人生を送れるはずだったのに、オレを関家の次男に迎え入れたばっかりに、荊州の唐県を守る田舎侍の息子というチンケな身分に落ちぶれた。
オレは兄上に申し訳なくて、少しでも恩返ししたいと思って、武術を鍛え知恵を磨いて、ようやくここまで来たんだ。頑張ったでしょ、オレ」
「興……」
「それに、いったん降伏した荊州を再び敵から奪い返すことができたのは、確かに父上の武勇とオレの作戦が当たったおかげかもしれないけど、荊州の領民たちが何より我が軍に安心して従ってくれたのは、先の荊州牧・劉表殿の娘の舞ちゃんとその婿である兄上を慕ったからじゃないんですか?
もちろん、その後の兄上の統治が素晴らしかったことも理由の一つでしょうけど。
だから、オレに荊州刺史の座を譲るなんてとんでもない。兄上こそ、荊州刺史にふさわしいんですよ!」
興が僕のことをこれほど大事に思っていてくれることを知った僕は、嬉しさのあまり涙がポロポロとあふれ出た。
「それに、魅力のステータスが60のオレなんかに比べて、79の兄上の方が断然上なんだし」
「魅力のステータスが60?なんだそれ?」
「いえ、こちらの話。とにかく、兄上のことを役立たずなんて言う奴がいたら、オレがぶっ飛ばしてやります!」
「……興、ありがとう。僕、頑張るよ!」
改めて決意を新たにする僕。
「兄上。褒めてくれたついでに、その……オレにご褒美を」
「ご褒美?うん、いいよ。何が欲しいんだい?」
興は顔を真っ赤にしてモジモジしながら、
「さっきオレが寝ている時に言ってくれた一言をもう一度……」
「えっ?なんだっけ?」
「その……強くて賢いオレのことがゴニョゴニョ」
「ああ!」
僕はベッドに腰かけると、横たわった興に顔を近づけて、
「僕は強くて賢い興のことが大好きだよ」
とささやいた。その時、部屋のドアが開いて、
「お兄さま、兄兄との仲直りは済みまして?あら?」
蘭玉は、興の上に覆いかぶさる僕と、真っ赤な顔で悶えつつ昇天した表情の興の姿に、あらぬことを想像したのか、
「不潔。」
と冷たい一言を残して去って行った。
誤解だ。




