143.関平、優秀な弟に反発する
◇関平の回想
だが、興の懸念は現実の物となった。
父上のめざましい武勲に功を焦った劉備将軍は、許都を陥として漢の天子様を奪還すると大見得を切って、荊州牧の劉表殿に無断で曹魏に攻め入った。
博望坡では初戦こそ勝利したものの、曹魏の謀臣・賈詡の策略に嵌ってぶざまな大敗を喫し、新野で籠城に追い込まれた劉備将軍は、父上に救援を求めて来た。
興は斥候を放ち、新野を囲む敵軍が一万と少数なのを知ると、襄陽にいる劉表殿の兵を動員して数の上で救援軍が曹魏軍を上回れば、不利を覚った敵は撤退すると見越し一計を弄した。
僕と舞の婚約披露パーティーを行うと称して、舞は五千の護衛の兵とともに樊城にやって来た。その実、舞は付録で、五千の兵が漢水を渡って新野の城に向かうと見せかけることこそが、興の狙いであった。
こうして、またしても興は一兵を損ねることなく、曹魏軍を撤退に追い込んだのだった。
戦いに勝利したのは喜ばしいけれど、僕は正直不快だった。政略結婚とはいえ、僕と舞の神聖な婚約をダシに使われたせいもあるが、僕を差し置いて弟の興ばかりが戦功を上げる現実に焦りを隠せなかったのだ。
そしてもう一つ、敵の賈詡から送られた文に捨ておけぬことが記されてあったことも気に入らなかった。
――唐県■関興殿へ
唐県侯と書いたのが分かるように、わざと薄い墨で塗りつぶしてある。荊州牧の劉表殿から唐県の県令に任命された父上とは別個に、興は敵の曹操から唐県侯の爵位を授けられていたのだ。なんたる不遜!
僕は父上にそれを告げた。父上は苦笑して、
「平よ、冷静になれ。これは賈詡の仕組んだ罠だ」
「罠、ですか?」
「そうだ。興と俺たちとの離間を謀る罠。それに、おまえには黙っていたが、許都に行った褒美に唐県侯の爵位を授けられたと、俺は興から報告を受けておる」
なんだ、そういう事情だったのか。
「ですが僕は嫡男。弟の興ばかりが軍功を上げることに気が気ではありません!父上、どうか来年の計吏報告の際は、僕を許都に行かせて下さい!」
と直訴した。
「それは構わんが……計吏報告は面白くも何ともないぞ」
「お任せください!僕も漢寿亭侯・関羽の嫡男として、立派な恩賞を授かって帰って来ます!」
僕は知らなかった。興が唐県侯の爵位を授けられたのは、高幹の謀叛の鎮圧に多大な功績があったためで、許都へ計吏報告に行っただけでは何の恩賞も貰えないことを。それどころか、潘濬と向かった翌年の計吏報告では、僕は散々な目に遭った。
敵国の荊州からやって来たというだけで露骨な差別にあい、(自分で言うのもなんだが)美少年のせいでエロ爺どもからいやらしいセクハラをされる。優しくしてくれた人は、僕が県令という取るに足らない身分であると知ったとたん、手のひらを返したようにぞんざいな扱いに豹変する。僕はすっかり都人に対して人間不信に陥った。
「もう許都は嫌だ。荊州に帰りたい」
「……興坊ちゃんは許都で牢屋に閉じ込められた時だって、泣き言一つ言わなかったそうですよ。御曹司、もう少しの間ご辛抱ください」
興はこんな逆境を耐え忍び、爵位を授かる功績を上げたのか!?
感心したというよりも、僕は逆に、興と己の才能の差に愕然とした。そして嫉妬した。いや、きっと才能の差のせいじゃない。興は曹操とは義理の親子の関係だ。だからエコ贔屓されて、簡単に爵位を授かったんだ。そりゃ曹魏に忠誠を尽くすよな。さぞかし興は得意満面だろう。
荊州に戻って来た僕を、興は憐れむような目で迎え、
「兄上、お帰りなさい。大変だったでしょう?」
と慰めた。どうせ収穫は何もないんでしょ?骨折り損でしたね、とでも言われているような気がした。
「うるさい!放っといてくれ!」
僕の起こした癇癪に戸惑う興。父上が心配して、
「どうした、平?何を苛立っておる?
興と比べておまえが敵うはずもないことくらい百も承知。だがおまえは嫡男、心配せずとも俺の跡継ぎはおまえだと決めておる。
興は天より授かった不思議な子、もしかしたら劉和様の生まれ変わりやもしれぬ。
そもそも興は、小っぽけな唐県に収まる器ではない。天下万民を救うために、俺たち家族が一丸となって 興が天下に飛躍するのを助けてやらねばならぬ。おまえも兄として興を応援してやれ」
「……父上は興ばかり可愛がって、どうして僕の気持ちを分かってくれないんだ?!」
僕は悔し涙を流しながら部屋に閉じこもった。
士仁先生に言われずとも、弟の興に後継者の地位を奪われるかもしれないとの恐怖がひしひしと頭によぎる。僕は曹魏への憎しみと興への不信感が強まった。
-◇-
翌日。
僕はなんとか興をやり込めてやろうと、意地悪く訊ねた。
「興。おまえは以前、荊州はいずれ北から曹操,南から孫権に攻められると危ぶみ、このまま黙って座視できないと言い放った。具体的にはどうするか、すでに策を練っているんだろうな?」
興は驚いたように一瞬大きく目を見開いたかと思うと、すぐに元の冷ややかな表情に戻り、
「曹操と孫権、二方面から同時に攻撃されるのを防ぐ必要があります。そのためには、現実的な案として、
(1)曹操に和を乞い、孫権と対決する
(2)孫権に和を乞い、曹操と対決する
の二者択一しかありません。オレは孫権が信用ならないので(1)案を推しますが」
と抑揚のない冷めた口調で答えた。思ったとおり、曹操と義理の親子関係にある興は、曹操に内通しようとしている。とうとう馬脚を現したな。
「とは言え、ええカッコしいの荊州牧・劉表殿は、自分から袁軍閥との同盟破棄を申し出ることができず、ずるずると決断を先送りにし、結局曹操に和を乞うことはないでしょう。曹操の目が全力で袁軍閥の残党狩りに向いている今が最後のチャンスなのですがね。
だからと言って(2)案もあり得ない。孫権にとって劉表殿と江夏を守る黄祖は、父・孫堅を射殺した不倶戴天の仇敵。それに漢水と長江の水運は荊州の生命線です。孫権に和を乞うことは、その利権を手放すことを意味する。劉表殿は絶対に首を縦に振らないでしょう。
いずれにしろ、優柔不断な劉表殿の元では、何一つ現状の危機を打開できそうにないのです」
「それはどうかな。
おまえの知謀と父上の武勇のおかげで、西平の戦い・博望坡の戦いではみごと曹魏に勝利したじゃないか!敵は「荊州侮りがたし」と見ているはずだ」
と僕は反論した。興は顔を真っ赤にして目を逸らしつつ、(いやいや、兄上のくせにこんな簡単なことも分からないのか?)と呆れるかのように首を振り、
「西平・博望坡の戦いでは、いずれも曹魏軍が本気ではなかったため、容易に追い払うことができただけ。あの成功体験を勝利にカウントしてはなりません。
それに今、唐県が有する兵力はわずか1万。いくら一騎当千の父上であろうと、おそらく20万の大軍で侵攻する曹魏には到底太刀打ちできないことは明白でしょう」
「……」
「ただし、オレには曹操や孫権に対抗できる第三の腹案があります」
「何だい、それは?」
「(3)劉表殿を排して、我らが父上・関羽が荊州牧の地位を乗っ取るのです。
さすれば、一騎当千の勇将と名高い父上が荊州十万の兵を率いることが可能となり、たとえ曹操でも孫権でも互角に戦うことができます。あるいは手に入れたその兵力を背景に、曹操と対等の立場で和睦を結ぶ選択肢もあり得る。そうなれば、荊州は戦乱に巻き込まれることなく、領民たちは平和で安寧な暮らしを続けることが……」
「ふ、ふざけるなっ!
僕は劉表殿の娘婿だぞ!そんな乗っ取りを図るような卑劣な謀略に荷担できるかっ?!
……そうか、分かったぞ。興、おまえは荊州を曹操に献上しようと謀む埋伏の毒。いや、獅子身中の虫なのだな?」
>興は顔を真っ赤にして目を逸らしつつ、(いやいや、兄上のくせにこんな簡単なことも分からないのか?)と呆れるかのように首を振り、
***興の脳内にいる秦朗***
あああー関平君が「おまえの知謀のおかげ」ってオレのことを褒めてくれた!うっわ、照れるなぁ!あ、いかんいかん。これじゃ“男性アイドルに熱を上げる腐男子”みたいで、オレは完全に変態だ。冷静を装わなければ。
……って感じじゃないんですかね?!




