140.奇跡
まさか128話が伏線になっていたとは?!
●建安十五年(210)三月 許都 ◇鄧艾
斥候の鼠が箱の底をきれいに抜くと、菓子箱の中身は最初から空っぽだった。鼠は青ざめて「どうします?」と尋ねて来た。
俺は贈り物なのに最初から空っぽというのが気持ち悪くて、とにかく空っぽの箱の中に何か入れなきゃいけないと必死に考えた。そして思い出した。
若が甄洛副会長を助けて曹丞相に許都追放を命じられた時に、若宛てに曹公の丞相印璽が押され、大きく二文字で「追放」と書かれた文が届けられたことを。
あの時、若は腹立ちまぎれに文をくしゃくしゃに丸め、ポイッと屑かごに捨てた。俺はさすがにそれでは不敬に当たると思って、秘かにその文を拾い、皺を伸して保管しておいたのだ。
俺は皺が残る「追放」と書かれた文を懐から取り出すと、菓子箱の底に開けた穴から差し込み、再び穴を塞いで糊付けした。裏返して見ないかぎり、封をしたままの元の菓子箱だ。バレることはあるまい。
仕掛けが終わると旅役者の扮した近衛兵に合図を送り、ようやく使者の乗った馬車は解放された。ブツブツと御者が文句を言いながら、馬車は走り出した。何も知らずぐっすり眠り込んだ夏侯恩は、荀彧様の屋敷に到着すれば御者に叩き起こされるだろう。
あとは夏侯恩がどう動くか?運が味方すれば荀彧様は助かるかもしれない。祈るような気持ちで俺は荀彧様の屋敷の方へ振り帰り、荊州に向かって足を速めた。
◇◆◇◆◇
●建安十五年(210)三月 許都・荀彧の屋敷 ◇荀彧
「……これは?」
僕は使者の夏侯恩に尋ねた。彼も予想外だったのか、「そんなはずは…」とつぶやきながら苦り切った顔で、
「さぁ?長年仕えた貴殿に対する曹公の恩情なのではないですか?」
と答えるのが精いっぱいだった。いや、あの指令書を見れば誰だってそう答えざるを得ない。
「念のため、この指令書は預かりますが、よろしいですね?」
夏侯恩は懐に指令書をしまうと、いそいそと帰って行った。
そう。菓子箱は開けた形跡もなく封が施され、中に収められていた指令書には丞相印璽が押されている以上、使者の夏侯恩は曹公が出した本物の指令と判断せざるを得ない。
だけど「追放」の二文字は僕が書いた筆跡。
つまり、僕が尚書令だった建安十五年(210)一月以前に書いた指令の文を今まで保管しておいて、誰かが菓子箱の中に忍び込ませた、偽造の指令としか考えられない。
そして、僕が大きく「追放」なんてふざけた指令の文を出した人物なんて、一人しかいない。関興君だ。
「……そうか。君は約束どおり、僕が自ら命を断とうとするのを止めてくれたんだね」
僕はフッと笑うと、曹公の追っ手が迫る前に、急いで屋敷を離れた。
◇◆◇◆◇
●建安十五年(210)三月 荊州・唐県 ◇関興
「……ありがとう、鄧艾」
オレはポロポロと涙を流して鄧艾に礼を述べる。鄧艾はポリポリと頭を搔いて、
「よして下さいよ!荀彧様が助かったかどうかも確かめずに逃げ帰って来た、中途半端な役立たずですよ、俺は」
ううんと首を振ったオレは、
「荀彧はきっとどこかで生きてるよ。せっかく救われた命を粗末にするような人じゃない。それにおまえや鼠たちも危ない橋を渡ったんだ。いち早く許都から逃げ出すのは当然だろ」
不思議なものだ。鄧艾のヤツ、箱の中に毒入りの菓子が詰まっていれば空っぽにしようと思っていたのに、最初から空っぽだったから逆に何かを入れようと小細工するなんて……。陳腐な言葉だが、まさに奇跡としか言いようがない。
「それにしても、よくあの「追放」と書かれた文を取っておいたなぁ!?」
オレが感心すると、今まで黙って話を聞いていた甘寧が鄧艾に向かって、
「ケッ。どうせ女にモテない牛飼い野郎が、ひとり寂しくセンズリこいたチ〇ポをきれいに拭き清めるために、ティッシュ代わりにみみっちく取っておいたんだろうがよ!」
と揶揄する。鄧艾はうぐっと返事に詰まって、
「なっ…なんであんたはそんなに下品な発想しかできないんだ?」
「おぅおぅ図星か?顔を赤らめやがって、あいかわらず後生大事に童貞を守ってるのかっつーの!」
「べ、べつにいいだろ!俺は華以外の女には手を出さないと誓ったんだ」
鄧艾の生真面目な弁解を聞いた甘寧は、
「フン。……ま、珍しく牛飼い野郎が手柄を立てたんだ。褒美に華との仲を認めてやらんでもない」
「偉そうに。華の生物学上の父親にすぎないあんたの許可を貰わなくても、俺は華と結婚するつもりなんだ。ただ華が舞様の侍女の仕事で忙しく、タイミングが合わなかっただけで……」
「なんだと?華の父親である俺がせっかく許してやるって言ってんのに、人の厚意を無碍にするとはやっぱり碌でもない牛飼いだな!」
と正直どーでもいい喧嘩を始めた。もーうるさいな!
その時ドアが開いて、
「ほら、華。早く入って!」
と劉舞に促され、白いウエディングドレスを着た華がおずおずと部屋に入って来る。オーッと感嘆の声を上げる男たち。
「お嬢様。私なんかが場違いじゃないかしら」
「いや、とってもきれいだ。よく似合ってるよ」
見つめ合う鄧艾と甘華。
「鄧艾、早くプロポーズしろよ!」
とオレが冷やかすと、あーうーとしどろもどろだった鄧艾は決心し、
「華、俺はおまえのことを愛している。これから先、おまえが俺のそばに一緒にいてくれるなら、きっと俺は強くなれる。生涯かけておまえのことを幸せにするよ。だからどうか、俺と結婚してください」
人生で一番緊張するであろう瞬間なのに、鄧艾は奇跡的に吃音になることもなく、素敵なプロポーズを成し遂げやがった!
だが、ちょっと待て。どこかで聞いたことがあるような気がするんだが……たしか曹沖が甄洛に告げたプロポーズの言葉じゃなかったっけ?
「おいおい!そこはチビちゃんが甄洛副会長に告げた、伝説の「おまえのような美しい才女にとって、俺では頼りなく見えるかもしれないが、おまえさえ良ければ俺の嫁に来ないか?」ってプロポーズの言葉をパクるのがお約束だろ?!」
甘寧のツッコミに皆は大笑い。オレは独り真っ赤になってうつむいた。というか、許都でのあの黒歴史をどうして荊州の皆が知ってるんだ?
「……ごめーん、興ちゃん。私が話しちゃった。テヘッ☆」
ペロッと舌を出す劉舞。ひどいよな、恩を仇で返すんだもん。
ま、にぎやかな荊州の日常が戻ったということで良かった…かな。
史実のとおり荀彧を死なせるべきか、それとも関興の願いどおり生かすべきか。しかも荀彧の儒家としての生きざまを尊重しつつ。
文才のない自分が悩みながら出した結論は、やっぱりこの物語はハッピーエンドにしようでした。この先、きっとどこかで荀彧は再び登場するはずです。
今回の関興はめそめそ泣くだけの役立たずで、真のヒーローは鄧艾でした。
とはいえよく考えてみると、曹操の怒りを買って追放されたせいで自分をかばった荀彧を死に追いやってしまったと悔やむ関興でしたが、逆に追放されたおかげで“本物”と間違う指令書が鄧艾の手に渡り、その結果荀彧が救われたという意味では、関興も命の恩人の一人なのです。たぶん。
次回はいよいよ司馬懿の策謀が牙を剥きます。次回投稿まで、少々お時間をいただきます。
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