136.届いた報せ
●建安十五年(210)三月 荊州・唐県 ◇関興
許都の帝立九品中正学園を無事卒業した劉舞が荊州に帰って来た。曹魏の太子・曹沖と結婚した親友の甄洛がめでたく懐妊し、「私も平様との子作りに励もう!」と意気込んでいるらしい。ラブラブで羨ましいことだ。
「あっ、そうだ。興ちゃんにお友達から文を預かって来たわよ」
と言って劉舞が文を三通渡してくれた。
一通目は曹魏の太子・曹沖から。
――ごめんね、秦朗。君に損な役目ばかり押しつけちゃって。なんとか君が復学できるように父上(=曹操)を説得しているんだけど、もう少し時間が掛かりそう。
……べつに帝立九品中正学園には興味ないし、鴻杏曰く、オレは乙女ゲームの本編には登場しない隠しキャラ(?)にすぎないから、復学なんてどうでもいいのに。
そんなことより甄洛と末長く幸せに暮らしてもらいたいものだ。
二通目は後漢の献帝に嫁ぐことが決まっている曹麗から。
――いよいよ皇帝陛下の元に入内する日が決まりました。これからはめったに秦朗に会えなくなるかもしれないけど、賢くて勇気あるあなたのことは一生忘れません。太子となった曹沖のこと、よろしく頼むわね。
……曹沖より自分のことを心配しろよ。
入内していきなり皇后か。曹操が伏皇后を誅殺した直後だから、皇帝擁護派の朝廷の木っ端役人から嫌がらせを受けるんだろうなぁ。人殺しの娘とか親の七光りとか成り上がりのくせにとかネチネチ嫌味を言われたり。献帝も優柔不断ですぐ日和るから、庇ってくれないだろうし。心の病にならなきゃいいけど。
三通目はガールフレンドの鴻杏から。
――お元気ですか?仲の良かった曹麗様も秦朗君も学園からいなくなって淋しいです。新たに生徒会長になったプリンス・曹沖様も曹丞相の太子に決まったため、帝王教育でほとんど学園に通えないみたい。
他の攻略対象は、チャラ男の夏侯楙とナルシストの何晏は廃嫡のうえ退学させられたし、メガネ優等生の荀粲様は休学しちゃうし、残ったのは脳筋の夏侯覇様だけです。しかも(勝手に)ライバル認定していた秦朗君がいなくなったせいで抜け殻のようになって、全然イケメンらしくありません。
ヒロインちゃんの董桃もあの事件で投獄されたままだし、乙女ゲーム『@恋の三国志~乙女の野望』はどうなっちゃうのかしら?
……さあ?だいたい、鴻杏ちゃん自身がモブキャラらしいし、ましてや乙女ゲームとやらに登場しないオレに聞かれてもねぇ。もう、攻略失敗のバッドエンドで結末を迎えたってことでいいんじゃないの?
オレに言わせれば、そもそもこの世界が乙女ゲーム『@恋の三国志~乙女の野望』の舞台っていう設定じたいが間違いなんじゃないかと思うんだけど。
まあ、攻略対象とやらの一人・メガネ優等生の荀粲とは学園生活ではほとんど面識なかったが、甄洛副会長へのプロポーズ事件(爆)で間接的に助けてもらったから、追放前にお礼の一言くらい言いたかったんだけど……あれっ、荀粲が休学ってどういうことだろう?
「ねえ、舞ちゃん。荀粲が休学してるらしいんだけど、重い病気にでも罹ったのかな。何か事情を知らない?」
劉舞は困ったような顔で、
「今月に入ってかなぁ、荀粲が学園に来なくなったのは。どうも喪に服しているんじゃないかって。詳しい話は伏せられているようなので、あくまでも私が聞いた噂なんだけどね。
荀粲のお父上の荀彧様が、魏公昇任をめぐって曹丞相と意見が対立し、一月に蟄居謹慎を命じられたって話は興ちゃんも知ってるでしょ。その後、再び厳しい諫言をして曹丞相の勘気を被ったらしく、荀彧様は自殺を命じられたんじゃないかって」
「!!」
ウ、ウソだ!
だって荀彧が曹操に自殺を命じられるのは、史実では建安十七年(212)でまだ二年先のはずだ。
曹操の魏公昇任をめぐる董昭の建議に批判的な荀彧は、
《乱世の中、曹丞相が起ち上がったのは、朝廷を助け国を安定させ天子様に忠義を尽くすためであって、爵位を求めるためにしたことではない!》
と反対した。ひそかに皇帝位の禅譲を望んでいた曹操は、このことを聞いて荀彧の排除を決断した。
やがて曹操は、慰問と称して荀彧にお菓子を送った。届けられた箱を開けると中は空っぽだった。空の箱=用済みという曹操の悪意を察した荀彧は、毒を仰いで死んだ――。
三国志に語られたそんな流れを知るオレは、昨夏、荀彧に向かって、
《……本当は気づいているんでしょ?遠くない将来、曹丞相から疎んじられる日が来ることを。あなたは、オレたちBチームの他メンバーに矛先が向かないよう、自らを犠牲にして曹丞相の猜疑を一身に引き受けるおつもりだ!》
と警告した。
《……》
ポーカーフェイスを崩さず、微笑を浮かべたままの荀彧。
《曹丞相がもはや儒学の“仁徳”で天下を治める気がないのは明らかです。そんな人に今さら“仁徳”を説いたって、善に教化することも、より良い方向に政治を誘導することも叶うはずがない。
荀彧様はこれからも、自らの信念に基づいて曹丞相の非を諌め続けるのでしょう。このままでは主君の怒りを買って、伍子胥の運命を辿るのは目に見えている。
オレはそんな結末は嫌なんです。
あなたは最期まで儒者の道を貫きたいと言った。「自らの志を曲げ、言葉を諂うならば、儒者の道は尽きてしまう」(『荀子』子道篇)と。
ならばオレは、「義を見てせざるは勇無きなり」(『論語』為政篇)と説く。名誉を重んじたい荀彧様が仮に自ら命を断とうとしたって、オレは全力でそれを止めてみせる!》
そんなオレの決意を聞いた荀彧は、大仰に笑い出し、
《あっはっは。傑作だ!いやぁ、君は若いね。そんな青臭い話を面と向かってぶつけられるなんて、久しぶりに涙が出るほど笑わせてもらったよ》
と両目から溢れる涙をハンカチで拭きながら、
《関興君の気持ちはありがたいけどね。曹丞相相手にそんな下手を打つほど、僕に政治センスがないはずがないだろ。僕はもうすぐ五十歳。曹丞相より先に寿命が尽きることになるかもしれないけれど、終わりは全うしてみせるさ》
覚悟の説得を軽くいなされたオレは、プイッと横を向いて、
《そうですか。いらぬお世話だったと反省します》
と、それ以上何も言えなかった――。
そうだ。あの時、荀彧は「曹丞相相手にそんな下手を打つほど、僕に政治センスがないはずがないだろ」って自信満々に語ってたじゃないか!
「許都に行って事実かどうか確かめないと!」
「待て、興!」
関羽のおっさんが屋敷を飛び出そうとするオレを止めに入る。
「放して下さい、父上。オレは荀彧の自死を止めなければならないんです!」
「駄目だ。おまえは曹丞相から許都追放を命じられた身。許可なく命令に違反すれば、今度こそ死罪を命じられる。そんな真似をさせるわけにはいかん!」
「いやだっ!オレは約束したんだ。荀彧が曹操に自殺を命じられても絶対に止めてみせるって」
「だが、舞殿の話ではもはやすべて終わった後ではないのか?いまさらおまえが駆けつけた所で、荀彧殿を生き返らせることなど……」
「それでもオレは行かなければ!」
やむを得ぬとばかり、関羽のおっさんはオレの鳩尾に強烈な当て身を喰らわせ、気絶したオレを抱えて部屋に連れて行った。




