134.曹操、魏公に昇進する
わなわなと震える曹操は、
「だがおまえの諫言に従い董昭のロジックを捨てたならば、天下統一を果たさぬ限り、わしは一生皇帝にはなれぬではないか!」
「ご自分が蒔いた種です。やむを得ないでしょう……と言いたいところですが、心優しい関興君によれば、まだ望みはあるようですよ」
荀彧は、かつて関興が述べた理想論を交えて曹操に説く。
「孔子が「遠人が服さなければ文徳を修めてこれを招くように」(『論語』季子篇)と述べておるように、現時点で曹丞相の威令に服していない涼州の馬超・益州の劉璋を、武によらず仁徳で帰順させよ。そうすれば、荊南の劉備・揚南の孫権は抵抗する術を失って降伏せざるを得ないだろう。
もとより荊州の関羽・江東の孫紹は、曹丞相擁する漢の天子様から形式的に刺史や太守の称号を拝命しておる以上、曹丞相にこのまま従うことにやぶさかではないと言っている。
すなわち、平和裡に天下を統一できるチャンスはまだ残っているのです。その上、漢の天子様から禅譲を受けるにふさわしい仁者だとの世評も得られるだろう、と。
良かったですね。我々が赤壁で負けた孫権を、関興君率いるBチームが叩き潰してくれたおかげです。彼は曹丞相の手で天下が統一され、泰平の世が訪れる未来を拒んでいない。貴公はそんな功労者の彼を敵視して、許都から追放してしまいましたが」
「……」
「一方、曹丞相が武力によって事を決しようとすれば、残りの群雄は「次は自分たちの番だ」と警戒し、彼らは同盟を結んで曹魏に対抗するでしょう。結果、曹魏は多方面からの攻撃に晒されて常時防衛体制を整えざるを得ず、天下は統一されぬまま膠着状態が続く。
関興君も「もしそうなったら、他の群雄と同盟を結んでいつでも受けて立つ覚悟だ」と述べておりました。
以上、仁徳による帰順と武力による征圧の是非を比較するまでもなく、私も荊・揚・益・涼に割拠した群雄は恩詔を以って帰順させるのが適当であり、兵をもって攻め滅ぼすべきではないと考えます」
「そ…そんな絵空事、誰が信じられる?!あいつは【先読みの夢】を駆使してわしから荊州を奪い、無敵の水軍を有する孫権をねじ伏せて揚南に追いやったんだぞ!
わしは秦朗が怖い。たかが十歳の子供と以前は歯牙にもかけなんだが、すべてあいつを利するように事が進んでおる。あいつは【先読みの夢】は五つしか見えないと語っていたが、あれは嘘だ。本当はわしの曹魏を乗っ取り、天下統一までの道程がすべて見えておるのだ。わしではなく、秦朗を主人公とする天下獲りの方策が、な。
あいつにとって、わしは主役登場までの前座、利用価値の高いただの駒にすぎぬ。あいつの進言は疑ってかかれとわしの本能が告げておる。
これは罠だっ!将来同盟者となり得る江東の孫紹が成長するまでの時間稼ぎをするために、秦朗が仕掛けた罠に違いない!」
「まだお分かりになられませんか!?関興君の望みは富貴でも、貴公の地位を乗っ取ることでも、帝位簒奪でもない。民が平和で安寧に暮らせる天下泰平の世の実現なのです。それが荀子の説く正道なのだ、と」
曹操は思う。おそらく荀彧の言うとおり、秦朗の進言は八割が善意・二割が(同盟者を育てるための)時間稼ぎなのだろう。
しかし、赤壁の戦いで敗北し天下再統一の可能性が遠のいた今、改めて仁徳を修め残りの群雄を帰順させるにはこの先五年、いや十年は掛かる。曹操も齢五十代の後半、そろそろ死の影が頭をよぎる。自身が皇帝に即位するためには、そんな悠長に待っていられないのだ。ならば速戦即決で事を決しなければならない。
「わしは董昭が進言した魏公昇進のロジックに賭けておる。仁や文徳で遠人を招くなど戯言にすぎぬ」
「……貴公の人生です。貴公のお好きなようになさるがよい。ただし、仁徳や正道を軽視すれば、最後に手痛いしっぺ返しを喰らいましょう。
貴公は最後まで周の文王のように天下の三分の二を有しながらも漢王朝に仕えざるを得ず、皇帝即位の禅譲の議は次代の曹沖様に先送りする――くらいのペナルティでは済まないでしょうな」
「もうよい!荀彧、そなたは秦朗めに誑かされておるのじゃ!そなたの顔など見たくもない!下がれっ!」
と言って曹操は背を向けた。
その日。曹操から蟄居謹慎を命じられた荀彧は、丞相府の尚書令の職を辞した。家臣一同騒然とする中、屋敷門外には曹操が派遣した近衛兵が物々しく立ち並び、荀彧が一切外出できないよう厳しく監視された。
曹操の狙いは明らかだった。荀彧が欠席のまま開催された朝廷の御前会議には、董昭が発案した曹操の魏公昇進の議が上申された。侍中六卿のうち伏完・郗慮の反対はあったものの、賛成三・反対二で可決され、即日漢の天子の勅許が下りた。
劉姓ではない曹操は、後漢の臣下史上初めて魏公に就任し、百官から万歳をもって迎えられた。曹操は、公→王→皇帝へと階段を昇る一歩を踏み出した…かに見えた。
-◇-
二月。曹操が魏公に就任したとの噂を聞きつけた、孔子二十世の子孫にあたる孔融は曹操に面会を求め、
「なぁに、世は諸行無常。我が祖先の大聖・孔子ですら宋に滅ぼされてしまったのだ。ならば今の天子様の劉氏の世が終わりを告げるのも必然の理。魏公よ、何をぐずぐすしておられる?さっさと王、そして皇帝の位をねだってみては?」
と、曹操の帝位簒奪の野望をあてこすった。
激怒した曹操は孔融に死刑を宣告した。
後漢の典範を破ったうえに、大聖・孔子の子孫を死に追いやった曹操に対し、清流派の知識人たちは一様に非難を浴びせた。その先頭に立つのは漢の侍中・伏完だった。
まもなく曹操の放った斥候は、宦官の穆順の手から、侍中の伏完と伏皇后の間で交わされた文を奪い取った。
そこには曹操の魏公就任に対する怨み言が、つらつらと書かれてあった。曹操は、この文を反曹操クーデターを企んだ証拠として伏完を弾劾し、逮捕のうえ死罪を求刑した。続いて連座にあった伏皇后から璽綬を奪い、廃位して連行するよう命を下す。
腐れ儒者の華歆に率いられた近衛兵は、鎧をまとったまま禁裏の中にまで無遠慮になだれ込んで来た。
「何事ぞ?」
と問う献帝に華歆は冷たく言い放つ。
「侍中の伏完に謀叛の疑いがあります。小間使いの宦官・穆順を取り調べた結果、皇后の伏寿が伏完に曹丞相の暗殺を指示していたことが発覚致しました。天子様におかれましては、もし「朕はさような謀議に関与せず」と仰せならば、伏寿に皇后廃位の詔勅を賜らんことを」
献帝の側に同席していた侍中の郗慮は、伏皇后の命乞いをして、
「皇后は玉体ですぞ。庶人に落として命だけでも助けてやるわけには参りませんか?」
近衛兵を従え帝を威圧する華歆は黙って首を振る。事ここに至り諦めたのか、献帝は静かに筆を取った。
帝の詔勅を得た華歆は伏皇后の髪をつかんで玉座から引きずり下ろし、后から璽綬を取り上げると、罪人であるかのように縛り上げ連行して行った。
献帝は震えながら郗慮の方を振り返り、
「郗公よ、こんなことがあってよいものか」
とつぶやく。郗慮は首を振って、
「もはやどうにもなりませぬ。荀彧殿も曹丞相の元から去ったとか。御前会議で曹公の魏公昇進に反対したのは、私と伏完殿のみ。次は私の番であることは疑いありますまい」
と泣きながら平伏した。郗慮は侍中の職を辞した。
三月。曹操は伏完・郗慮を罷免し空席となった侍中の職に、鍾繇・華歆を据えた。そして曹麗を入内させるべく意気揚々と献帝に拝謁し、曹麗をただちに皇后に立てるよう勧めた。いや、勧めたというよりは強要であった。六卿を曹操のイエスマンばかりで固められた献帝に拒めるはずもない。ついに曹操は、帝の外戚という地位を得た。




