130.奇貨居くべし
ここから本番。
ここで、司馬懿が呉範を殺して書籍の正史『三国志』を奪った、建安十四年(209)六月に時間を巻き戻してみよう。
「なるほど。今から四十年後に私は軍事と政治の実権を一手に握り、さらにそれから十五年後には孫が禅譲を受けて晋王朝を興すのか」
三国志全8巻に目を通した司馬懿は、満更でもなさそうに独り言ちる。
「だが、四十年も待てぬ」
――そう。四十年もの迂遠な道を辿らずとも、私には難なく天下を掌握可能なはずだ。というのも、私は呉範から正史『三国志』を奪い、これから起こる歴史をあらかじめ【先読み】できる能力を手に入れたのだから。
-◇-
史実の司馬懿は、曹操・曹丕(文帝)・曹叡(明帝)・曹芳(少帝)の四代に仕え、蜀漢の諸葛亮と5度にわたる死闘を繰り広げた知勇兼備の軍司令官として名高い。その一方で、知謀を生かした軍師としての活躍もやはり見逃せない。
建安二十四年(219)、劉備麾下の関羽が荊州から北上して、樊城を守る曹仁を攻撃した。樊城は曹魏南方の国境を守る最後の砦。ここが破られれば、天子のおわす許都までは指呼の距離である。関羽の怒涛の攻勢を前に曹操は狼狽し、曹仁に撤退を命じて一時は北の鄴に遷都しようとさえ考えた。
しかし司馬懿は、許都を失えば洛陽・長安までも蜀漢に奪われ、曹操の覇業は潰えてしまうと主張し、遷都の議に強く反対した。曹仁には樊城死守を命じ、その一方で荊州奪取に野心を抱く孫権を唆して関羽を挟撃する秘密協定を結ぶと、果たして孫権は孫劉同盟を破棄して背後から襲い、ついに関羽を敗死させるに至った。
太和二年(228)、上庸の孟達が蜀漢の諸葛亮と内応して魏に叛いた。司馬懿は甘い言葉で孟達を懐柔しつつ、昼夜兼行して進軍しわずか八日で上庸にたどり着くと、電光石火城を包囲して陥落させ孟達を斬首した。これにより、諸葛亮の北伐計画は頓挫したという。
景初三年(239)の曹叡(明帝)危篤の際には、中書監(皇帝の秘書)の劉放と孫資を買収し、太子の曹芳(少帝)の後見人に立てられていた曹宇と秦朗を左遷して、曹爽と司馬懿に後事を託すよう遺言を書き変えさせた。
やがて権力独占を狙う曹爽の画策により、彼は名誉職の“太傅”に転任させられ、政治の実権を取り上げられてしまう。彼は高齢と病気を理由に引退を表明する。権力闘争に勝利したとの確信を得て曹爽は警戒を緩めたが、これは司馬懿の芝居であった。
嘉平元年(249)正月、曹爽が少帝の供をして都を留守にした機に乗じて、彼はクーデターを起こす。皇太后の郭氏に上奏して曹爽を解任する勅許を得、禁軍を掌握し宮城を制圧した。彼は禁軍の軍事力をバックに曹爽を脅し、命までは取らず罷免するのみとの条件を提示し曹爽を降伏させた。が、その三日後には約束を反故にし、曹爽とその一派を三族皆殺しに処したのである。
こうして政治と軍事の一切の実権を握った司馬懿は、曹氏に忠誠を誓う政敵を次々に葬り、曹魏乗っ取りに向けて基盤を固めた。そして二年後の嘉平三年(251)、息子の司馬師に後事を託して死んだ。
はじめ曹操は、司馬懿を一目見た時から彼の奸智に長けた知謀の才を見抜き、強く警戒したらしい。司馬懿の狼顧の相を訝しんだ曹操は、
「司馬懿は心中に野望を秘めており、一介の家臣で終わるつもりのはずがない。丕よ、奴に気を許してはならぬぞ」
と曹丕に諭したという。
――危ないところであった。私の知らぬ所でそんなエピソードが語られていたとは。やはり曹操は侮れぬ。曹操に猜疑の目で見られるのを避けるべく、今しばらくは己の能力を隠しておく方がよいだろう。だが、天下を狙うには、いずれ目の前にそびえ立つ巨大な曹操という男を否が応でも倒すしかない。
【風気術】師の呉範は、奴を倒そうとして斜陽の後漢朝廷を利用した結果ぶざまに失敗した。
では、私はどう行動を起こすべきか?
今さら奴の幕下に加わり、有能で忠実な臣下として地道に実績を上げても、それでは私が出世するのに四十年を要した史実と変わり映えしない。つまりリスクが低い代わりにリターンも限られている。
では、どうすればハイリターンを勝ち取れるか?
ここで私は、呂不韋の「奇貨居くべし」の故事を思い出す。
――奇貨居くべし。
戦国時代、趙の国に呂不韋という金持ちの商人がいた。趙の都には秦国王の孫にあたる子楚が人質として送られていたが、子楚には後ろ盾がなくたいそう窮乏していた。
秦の昭襄王は老齢でいつ死んでもおかしくない状況。子楚の父親である王太子・安国君には大勢の子がおり、生母の夏氏が既に寵愛を失っていたため、子楚が次次代の王位を継げる可能性は極めて低かった。
呂不韋は子楚を将来の秦王に担ぎ上げ、その功績を以て権力を握り巨利を得ることを狙い、「奇貨居くべし(大穴だ、今のうちに買っておこう)」と述べて子楚に金を与え、趙の有力者達と親交を結ばせ、食客を雇い、子楚の評判を高めてやった。
一方、呂不韋は秦の国にも工作を行った。安国君の愛妾・華陽夫人に賄賂を贈り、趙の国の人質となっている子楚が優秀であること、遠く離れていても華陽夫人を深く敬愛し慕っていることを述べ、安国君が次期秦王になった暁には、子楚が王太子として擁立されるよう図った。
やがて昭襄王が死に、安国君が新たに王様(孝文王)となった。努力の甲斐あって、呂不韋の目論見どおり子楚はみごと立太子される。その二年後、今度は孝文王が死んだ。呂不韋が奇貨として賭けた子楚は、みごと王様(荘襄王)に即位したのだ!
彼は今まで助けてくれたお礼として、呂不韋を秦の国の宰相に任じた。こうして呂不韋は秦の国を実質的に掌中に収めることになった。
この話を聞くたびに、私は呂不韋に失笑を禁じ得ない。
ハイリターンを狙って大穴を選びながら、結局のところたかが秦一国の宰相ごときで満足する欲の浅さに。
私なら、中国全土に跨る帝国の皇帝の座しか眼中にない。
私は【先読み】のスキルによって知っている、曹操の跡継ぎには最終的に曹丕が選ばれ、彼が後漢の献帝に迫り禅譲を受けて帝位に登る未来を。
であれば、セオリー的には曹丕専属の腹心となって出世階段を昇るべきだろう。が、曹操の後継者最有力候補と目される彼には、すでに有象無象の取巻き連中が群がっている。
彼らに比して、己の才能が上であることはもちろん自負している。が、才能の有無と出世のスピードはまったくの別問題だ。
かと言って呂不韋のように、どこにいるとも知れぬ“奇貨”を新たに探し出して、その者を担ぎ上げる気にもなれない。曹丕が皇帝になる未来を正史『三国志』が告げている以上、新たな“奇貨”が皇帝になる可能性は限りなく低いからだ。
私ならどうするか?
いったん曹丕を担ぐことは確定である。
ここからが私のオリジナルだ。
本命(ローリスク・ローリターン)と目される曹丕を“奇貨”に化けさせるために、大穴となる環境を自ら作り出せばよい。
そう、原理は簡単なのだ。
いったん曹丕の価値をどん底まで暴落させ、群がった取巻き連中が皆彼から離れるように仕向ける。そこに私が曹丕を“奇貨”として担ぎ、再び曹操の後継者に立て直せば、私の一人勝ちである。
ここでやめても呂不韋と同じく一国の宰相になれるだろうが、私はそんな所で終わるつもりはない。最終的には私が皇帝となって天下に君臨することが目標なのだ。あくまでも曹丕は頭の軽い御輿、時至れば奴を見限り、返す刀で曹操をも倒す。
そのために立てる作戦は……。
> 狼顧の相
狼が用心深く後ろを振り返るように、警戒心が強く老獪なこと。転じて、首を180度後ろに捻転させることができる身体的特徴をいう。
噂が本当かどうか確かめるために、曹操がいきなり司馬懿の背後から名前を呼んだところ、司馬懿は真後ろに振り向いたらしい。




