123.婚約破棄
●建安十四年(209)十二月 学園にて ◇関興=秦朗
劉舞に連れられてパーティー会場に到着したオレは、そこに一人制服姿でたたずむ甄洛を見つけて、
「甄洛副会長、舞ちゃんに聞いたぞ。どういうことだ?」
「やあねぇ。そんなに大騒ぎするようなことじゃないのよ、本当」
甄洛は照れ隠しするように笑って、
「私、この学園の副生徒会長だし、今日の学園主催ダンスパーティーには司会進行役が必要でしょ?なので、私の方から曹丕殿下のエスコートは必要ありませんとお断りしただけの話で……」
「でもさ、仮に洛の話が本当だとしても、あれっておかしくない?」
劉舞が指差す方向には、甄洛の婚約者である曹丕が、ピンク色の髪をした別の女性をエスコートし、周りに夏侯楙や何晏ら取巻きを侍らせ、パーティー会場の中央に我が物顔で陣取っている姿があった。
(あっ!ヒロインちゃん……それに攻略対象の夏侯楙や何晏も!)
と鴻杏がつぶやく。
その異様な光景に曹麗は、
「丕兄さま!学園の生徒会長であると同時に、丞相の跡継ぎ最有力候補でもある方が、今年一年の感謝と来年に向けての慶びを寿ぐパーティーで、婚約者を無視して得体の知れぬ平民の女を連れ歩くとは、いったいどういう了見ですか?」
と苦言を呈した。曹丕はチラリと一瞥すると、
「何だ、麗?沖を推すおまえが、俺を丞相の跡継ぎ最有力候補などとおだてるとは白々しい!
ちょうど良い。この場にいる者全員に告げる。
甄洛よ、俺はおまえとの婚約を破棄し、ここにいる董桃を妃とすることを宣言する!」
どよめくパーティー会場に対し、こうなることを予見していたせいか、甄洛は取り乱すことなく俯いたまま言葉を発しない。
「何か申し開きがあるか?甄洛よ!」
「……恐れながら申し上げます。唐突にそのようなことを口にされても、曹丞相がお許しになるはずがございません。殿下と私との婚約は、曹家と甄家が取り決めた約定。殿下は後漢を支える丞相家に生まれた義務を放棄されるのですか?」
と問う甄洛。答えに窮した曹丕は激高し、
「俺は知っているんだぞ!おまえが董桃の美貌に嫉妬し、彼女をいじめていたことを!」
「そうですぅ!あたし副会長のいじめのせいで、とても心が傷つきましたぁ!」
とピンク頭の董桃が同調する。甄洛は首を振って否定し、
「そんなはずはありません。殿下の隣に立つそちらの女性にお目にかかるのは今日が初めてですし、まして董桃という名前は今初めて知りました」
「……なるほど。おまえは、そうやって董桃の存在を無視して来たわけだな?誉れ高い帝立九品中正学園の副生徒会長のくせに。これをいじめと言わずして何だと言うのか!」
たとえ副会長でも、生徒全員の名前をいちいち覚えているはずがなかろう。董桃は甄洛とは学年も違うし、授業にも出ず遊び回っているのだ。副会長が会ったことがないのも道理である。
「私はこれまで四年もの間、殿下の正妃となるべく淑女教育を受けております。また生徒会の副会長として、不在がちな会長の殿下に成り代わり、学園の運営に携わって参りました。そちらの董桃さんに、私の代わりが務まるとは思えません」
「どういう意味だ?俺が生徒会長の職務をサボっていたとディスるつもりか?」
甄洛は皮肉をこめて、
「……解釈はご随意に」
「フン。それとも董桃が平民だから覚えが悪いと罵るつもりか?
だが逆に考えて見よ。董桃は平民ながら学園に入学を許された特待生だ。飲み込みも早いに違いない。これから勉強すればよいだけじゃないか!」
しかし特待生であるはずの董桃の成績は、最近では下から数えた方が早い。入学試験の時はカンニングあるいは替え玉受験をしたのではないかと疑われるレベルなのだ。
「それに桃は、すでに俺の子を身籠っている」
「!」
「ごめんなさ~い。甄洛副会長が夜の営みを拒絶するから、あたしが代わりに曹丕殿下を毎晩慰めてさし上げてたの。でもォ、それってあたしが悪いんじゃなくて、もとはと言えば婚約者のくせに殿下と愛し合おうとしない副会長のせいなんじゃないですかぁ~?
それにぃ、降将の娘の分際で、貴い身分の殿下に口答えするなんて何様のつもり?いったいどんな教育を受けて来たのかしらぁ?」
と言って董桃はこれ見よがしに、馴れ馴れしく曹丕の胸に顔を埋める姿を見せつける。
なんだ、こいつ?イラッと来るな。
曹丕はそんな董桃の頭を愛おしそうに撫でながら、
「つまりおまえは、俺の大事な後嗣となるべき嫡子の母親である董桃を侮辱したのだ。甄洛よ、覚悟はできておろうな?」
と脅し文句を述べる。言外に、俺がおまえを婚約者にしてやったおかげで降将の甄逸の命は助かったのだ。おまえが用無しになれば、俺の命令一つでおまえだけでなく一族郎党すべて処刑できるんだぞ。そんな俺に対して、おまえは敬意の念と感謝が足りぬのではないか?と甄洛を嬲っているのだ。
「お、お待ちください、曹丕殿下!私との婚約破棄だけならともかく、父や一族の者にまで累が及ぶのは、なにとぞご容赦くださいませ」
と言って、甄洛は深々と頭を下げた。
「最初から殊勝にそういう態度を取っておればよかったのだ。甄洛よ、おまえが非を認めて董桃に詫びを入れ、降格して側妃にでも置いて欲しいと申し出るのであれば、許してやらんこともない」
「くっ……」
あまりに屈辱的な曹丕の提案に、堪え切れぬ涙が甄洛の眼から滴り落ちる。
「しかし、董桃さんをいじめたという嫌疑に関しては、私は無実です。非もないのに謝罪するわけにはいきません。
可愛げのない私がお気に召さず、仮にそのことが罪だと咎められたとしても、殿下お一人で処罰を決めてよいわけではありません。曹丞相を交えて、しかるべき場所で改めてご審議いただくことを……」
「うるさい!おまえはいつもそうだ!優等生ぶって内心俺を小馬鹿にし、事が起これば俺を無視して父上にばかり伺いを立てる。俺のプライドはズタズタだ。そういう所が気に食わないんだっ!」
会場がシーンと静まり返る。
甄洛が冤罪で、明らかに曹丕が無茶を言っていることは皆分かっていた。しかし、学園の生徒会長にして後漢の最高権力者・曹丞相の跡継ぎ候補でもある曹丕の威を恐れ、表立ってそのことを諫めようとする学園生は誰もいない。
(おい。誰か甄洛副会長をお助けしろ)
(いやだよ。おまえが行けよ)
(やめておけ。曹丕殿下のお怒りを買うぞ)
そういうささやきに学園生の事なかれ主義が表れている。
いつの間にかオレの隣に立っていた鴻杏が「どうしよう、どうしよう……」とつぶやきながらガタガタと震えている。オレは鴻杏の手を握り、
「大丈夫、オレがついてるから心配いらないよ。女の子にはちょっと刺激が強すぎて、怖いよね」
と慰めた。鴻杏は首を振り、
「違うの。私のせいで、私が自分勝手にシナリオを改変したせいで、甄洛副会長が断罪されちゃう!」
「……どういうこと?」
「お願い、秦朗君!甄洛副会長を助けてあげて!このままじゃ、副会長はよくて尼寺送り、悪くすれば国外追放か処刑されてしまうかもしれない。そうなったら、私……私……」
と言って、すすり泣きながらオレに縋りつく。
前世の日本とは違って、ここは一夫多妻が認められる三国志の世界。何を隠そう、史実では関興だって正妻と愛人がいたんだからな。オレは、曹丕が愛妾を作ろうが誰を正妻に選ぼうが、甄洛を含めた当事者どうしの話し合いで決めればよい――と、曹丕と董桃が仕組んだ茶番劇を冷めた目で見ていたが、事情が変わった。
オレの大切な彼女を泣かせるなら捨て置けん!




