115.真実の愛
秦朗とは(一応)恋人である鴻杏は、何故か曹沖と秦朗が禁断の恋に陥ちていると勘違いし、陰ながら二人を応援しようとしています。
一方、曹沖と鴻杏の断片的な会話を盗み聞きしてしまった秦朗は、二人が恋仲なんじゃないかと気が気でなりません。
そして曹沖の本当の胸中は……。
三人の恋心を知る曹麗は、面白がって傍観を決め込んでいるみたい。
●建安十四年(209)七月 学園にて ◇秦朗=関興
皇帝陛下のお妃となる曹麗の従者兼ご学友という名目で帝立九品中正学園に通うことになったオレは、その実、曹丞相の後嗣ぎ候補の曹沖を身辺警護するよう曹麗に命令されている。そんなわけで、お妃教育に出掛ける曹麗様を見送り、曹沖・鴻杏と一緒に帰り道を歩いているのだが……。
オレの姿を見つけた義姉の劉舞と副生徒会長の甄洛が、手を振りながら駆けて来た。
「興ちゃん、制服似合ってるじゃない!」
と劉舞が褒めてくれる。入学後一か月近く経って、ようやく学園の制服が仕上がったのだ。
「そう?ありがと」
「モブ顔だけど、ずいぶんカッコ良く見えるわよ。興ちゃん」
などと甄洛が揶揄するものだから、オレは顔をしかめて、
「うげっ。あんたに“興ちゃん”とか言われたら鳥肌が立ちそう」
「ひっどーい(笑)。一緒にお風呂に入った仲なのに……むぐぅ」
オレは慌てて甄洛の口を押さえた。
「い、いきなり何言い出すんだよ!あんた、オレと鴻杏ちゃんの仲を壊す気か?!誤解を招くような発言はやめてくれっ」
「あははー。ごめんね、興ちゃん。背伸びしたい年頃だもんねぇ。おねーさん、ちょっと配慮が足りなかった。テヘッ☆」
「うっざ。もう帰れよ!」
シッシッと追い払う仕草をすると、劉舞と甄洛はクスクス笑って「またね~バイバイ」と言ってようやく帰って行った。
曹沖は後ろを振り返って二人の後ろ姿を見ながら、
「ねえ秦朗。いつの間に副会長と仲良くなったの?」
「え?あれが仲良いように見えますか?」
曹沖はぷうっと頬っぺたを膨らませ、
「ずるいなあ、秦朗ばっかりモテて。僕は今、初めて秦朗に殺意を覚えたよ」
何言ってるんだ?学園の令嬢たちは皆、イケメン王子様のハートを射止めようと必死なのに。
何か気の利いた言い訳をしようと考えていたその時、突如木立から現れた人影。オレはとっさに剣を抜いて身構えた…が、それがクラスメートの夏侯覇と分かって拍子抜けした。
「おいチビ!俺と勝負しろっ!」
「……」
オレはヤツの挑戦に聞こえないフリをする。
「おい、無視するなよ!卑怯な手を使って勝ち逃げする気か?!」
勝ち逃げって。
夏侯覇は、曹操旗揚げ当初から付き従う古参の猛将・夏侯淵の息子で、剣の腕は(同年代なら)誰にも負けないと自負するワイルドな脳筋。実際、ヤツの武力ステータスはオレより高い80だったりする。
それなのに先日行われた弓術大会で、1位曹沖・2位オレに継ぐ3位となったものだから、結果を認めたくない夏侯覇はオレに剣術勝負を申し込んで来るのだ。
オレが断ると怒りの鉾先が曹沖に向かうのも困るので、一度目はしかたなく受けて立ったが、タダで負けるのも癪だし、つい暗器の袖箭を放って、ヤツが怯んだところに面を打ち込んで返り討ちにしたことが気に入らなかったらしい。本日はお日柄も良く、二度目の挑戦を申し込んで来たのである。
「というか、5歳も年下のオレにハンディもくれず勝負しろとか、そっちの方がどうかと思いますが」
「う、うるさいっ!つべこべ言わず俺と勝負しろっ!」
面倒くさくなったオレは、さっき見つけて懐に隠し持っていたカエルを投げつける。都会っ子のヤツはカエルが大の苦手だったようで、ゲロォ~と鳴きながら飛んで来たカエルに「ヒイッ」とたじろいで背を向けた。すかさずオレが夏侯覇のケツに指でカンチョーすると、
「はぅんっ♡」
「あら、攻略対象のくせにかわいい鳴き声」
思わず鴻杏が口走り、慌てて両手で口を閉じる。
ワイルドなイケメンと定評のあった夏侯覇は、オレに苦手な物がバレた上に、女子に「かわいい」と言われた屈辱でワナワナと震え、
「く、くっそぉー。次こそ俺が勝ってやる!覚えてろよっ!」
と逃げ帰った。結局ヤツは何がしたかったんだ?
「もぉー秦朗君!曹沖様がいるのに浮気したらダメですよ!」
鴻杏が不機嫌そうに腰に手をあててオレに注意する。
???
どういう意味だ、曹沖がいるのに浮気したらダメとは?
たぶん私という恋人がいるのに、曹沖のような純朴な人がいる目の前で別の女性(例えば甄洛とか)と親しげに話さないでって嫉妬しているんだよな!?うん、きっとそうに違いない。(震え声)
けどあれは、甄洛副会長が話を大げさに膨らませただけで、全然そんなんじゃないんだけど。まあ、一応謝っておくか。
「ごめん、鴻杏ちゃん。あれは誤解で……」
「えっ、私?私じゃなくて曹沖様にちゃんと謝らなきゃダメよ!きっと傷ついてると思うもの」
???
えっと。オレ、何か曹沖に悪いことしたっけ?
「そうだよ!僕、すっごい傷ついたんだからね!」
曹沖様もニヤニヤ笑いながら便乗する。あ、これ確信犯だ。もしやオレが二人の仲を気づいてないとでも思って、二人してオレを精神的に痛ぶる作戦なのでは?
「ほら~曹沖様怒ってるじゃない。秦朗君、いくら夏侯覇さんがイケメンだからって、恋人の前で別の人のお尻を愛撫するなんて冗談でもやめた方がいいわよ」
「「えっ?なんで夏侯覇?」」(ハモる曹沖とオレ)
「え?」(鴻杏)
???
なんだか曹沖が傷ついてる理由とやらが、微妙に食い違っているような……。
オレが鴻杏に真意を訊いてみようとしたその時、校庭の一角で騒ぎが起こった。
「よーく聞け!車騎将軍夏侯惇が嫡男・夏侯楙は、本日、海陽姫・曹寿との婚約を破棄することをここに宣言する!」
どうやらクラスメートの夏侯楙が突然訳の分からんことを言い出したようだ。一方、お相手の海陽姫・曹寿(曹操の姪にあたる女性)はうんざりした顔で、
「また浮気ですか?今度の相手は誰です?」
とか聞いている。鴻杏が、
「入学して三か月しか経っていないのに、夏侯楙ったらこれで婚約破棄騒動はもう三回目よ。確か将来、ハニートラップに引っ掛かって廃嫡されるんだっけ?いくらイケメンで大金持ちの攻略対象でも、女グセの悪いチャラ男なんて絶対お断りだわ」
とつぶやく声が聞こえた。
んんん?
確かに将来、夏侯楙がハニートラップに引っ掛かって、嫁と実弟らに訴えられて断罪される騒動が起こるのは史実だけど、どうしてそのことを鴻杏が知ってるんだろう?何か引っ掛かる。
「うるさい!俺はついに“真実の愛”を見つけたんだ!」
「ハイハイ。どうぞ父君の夏侯惇殿に相談して、婚約破棄でも何でもやって下さい。できるものならね。あー馬鹿馬鹿しい!」
海陽姫・曹寿は逞しいなあ。夏侯楙のヤツ、てんで相手にされてないじゃないか。
彼らのくだらない騒動を見ていた曹沖がふと、
「真実の愛を見つけたなんて言ってるけど、“真実の愛”っていったい何だろう?」
「さあ?お子ちゃまのオレにはさっぱり分かりませんね」
オレのそっけない返事に鴻杏がドヤ顔で、
「“真実の愛”って、家の都合で定められた婚約じゃなく、自分の意志で見つけた好きな人と育む愛のことよ!でも、二人はもうとっくに見つけてるんじゃ……」
ど、どういうこと?オレにはそんな女性いないし。
まさか、“二人”とはオレと曹沖への呼びかけじゃなくて、曹沖と鴻杏ちゃん自身を指してるの?つまり――
――ねえ、曹沖様。こないだ秦朗君に隠れて私、あなたと二人きりで接吻を交わしましたよね?あれって、もちろん“真実の愛”を誓った証しなんでしょ?私、本気にしちゃいますよ!
ア・リ・得・ル。
ぎゃーっ!哀れオレは鴻杏ちゃんに捨てられてしまうかも……とバッドエンドを想像するオレ。
「秦朗君。私はもう覚悟してるから、いつ婚約破棄してもOKだよ」
「ひいいっ!急にそんなこと言われても、オレはまだ心の準備ができてないよっ!」
とオレは悲鳴を上げる。追い討ちをかけるように鴻杏は、
「だったら先に婚約破棄の練習をしておいた方がいいかも」
とか真顔で言う。トホホ。オレに練習を勧めるなんて、オレが婚約破棄されちゃうのは決定事項なのね。
曹沖は曹沖で、
「相手がいない僕は、婚約破棄の練習なんかより先に、告白の練習しなければならないんだ。あっ、そうだ!秦朗、付き合ってよ」
オレが別れた後、すぐさま鴻杏に告白して正式に略奪する気なんだろう。もうどーにでもなーれ☆オレは諦めモードに入って、
「べつにいいですけど……」
と返事した。やっぱり二人してオレの精神を削ろうとしてるんだな?!
一方、鴻杏は、
「はわわぁ……爽やかイケメン×ツンデレショタも尊いわぁ♡ しかも、“秦朗、付き合ってよ” “べ、べつにいいけど”なんて、カップル成立の瞬間を目撃してしまった。ついに私のサポートが実を結んだのね!よかったぁ~」
などと意味不明なことを言い始めた。
もう駄目だ。オレはこれ以上耐えられない。オレは覚悟を決めて、
「あ、あのさ、鴻杏ちゃん。今さら謝っても遅いのかもしれないけど、ごめんね。本当は迷惑だったんだろ、オレとの婚約なんて。五年間も縛り付けちゃった上に、ずっと放ったらかしにしてたもんな。
オレ気づいちゃったんだ。鴻杏ちゃんが曹沖様のこと好きなんだって。だからもうオレを捨てて、曹沖様と二人仲良く幸せになってくれれば……」
鴻杏はキョトンとして、
「え?曹沖様と二人仲良く幸せになりたいのは、秦朗君の方なんじゃないの?」
「え?」
オレも鴻杏もお互い訳が分からず、そろって曹沖の方を見る。曹沖は困惑した顔で、
「いや、僕を見られても。だいたい、二人ともなんで僕が相手なの?恋人同士なんだから、秦朗と杏ちゃんが仲良くして幸せになればいいだけじゃない」
「だって、曹沖様は秦朗君との叶わぬ恋に苦しんでて、私はそれを応援しようと……」
「?」
「オレは学園に来た初日に、曹沖様と鴻杏ちゃんがキスしてるのをドア越しに目撃しちゃって、二人が愛の言葉を囁いてるのを聞いちゃったから、鴻杏ちゃんはオレと婚約破棄して曹沖様と一緒になるのかと……」
「僕、杏ちゃんにキスなんかしたっけ?」
鴻杏は真っ赤になって、ううんと首を振る。
「ってことだよ。そもそも、僕は杏ちゃんが秦朗の彼女であることは知ってるし、横取りするなんて卑劣な真似はしないよ。それに僕が好きな人は別にいるし。……まあ、叶わぬ片想いなんだけどね」
「「な、なんだーそうだったんだ、ハハハ」」
……って笑い事じゃない!
イケメンプリンスの想いに気づかない鈍感な女って誰なんだ?!すっげー気になる。曹麗様は知っているのかな?
というわけで再開しました。婚約破棄と”ざまぁ”展開まで突っ走るつもりです。




