113.噂
●建安十四年(209)四月十日 学園にて ◇董桃
翌朝、胸を大きくはだけスカート丈を短くした制服を着たあたしは、登校中のチャラ男・夏侯楙を見つけて、
「おはようございま~す、夏侯楙様☆」
「お、おう。今日もかわいいな、桃」
「えへへ~夏侯楙様に褒められちゃった。うれしい♡」
と腕を組み並んで歩く。あたしの胸元にチラッと目を遣り、鼻の下を伸ばす夏侯楙。
「ねぇ、夏侯楙様。曹沖様ってどう思います?」
「なんだよ、桃。結局おまえも曹沖様狙いなのか?やめとけやめとけ」
「えーどうしてですかぁ?」
「だって顔も知力も武力もパーフェクトなのに、いまだに恋人を作ろうとしないなんて変だろう?絶対モーホーかEDか……」
「やだぁ。女の子の前で卑猥~」
と指で夏侯楙の身体をツンツン突く。
「こめんごめん。まじめな話、あの人さ、丞相のお気に入りで今は後継候補ナンバーワンって持て囃されてるけど、宿将たちに人望がないんだって親父が言ってた」
「ふーん」
「赤壁の敗戦では曹丕殿下がすべての責任を負わされたけど、じゃあライバルの曹沖様が善戦したかって問われると、何もしてないんだよね。あの人を推すBチームの人たちが失地回復に成功しただけで、あの人自身の功績は何もない。それなのに、曹丕殿下を押し除けて後継候補ナンバーワンに祭り上げられたことに、宿将たちの反感を買っているんだ」
けっこう辛辣。それもそのはず、夏侯楙は曹丕殿下を推す派閥の御曹司だもん。曹沖に復讐するために、彼と組むのは“アリ”よね。
あ、いーこと思い付いちゃった☆
「実は、あたしも別の良くない噂を聞いたことがあるわ。
曹沖様って、本当は建安十三年(208)に死ぬ運命にあったそうなの。それなのにいまだ存命なのは、近くに侍る人の魂魄を吸い取って生き長らえているゾンビなんじゃないかって。きゃー怖い」
「ゾンビって……馬鹿馬鹿しい」
「あたしも最初そう思ったわ。でもそんなお告げを下したのは、赤壁の敗戦を予言した有名な占い師らしいの。今は漢の朝廷の侍中をしてる伏完の屋敷にいるんだって。あながち嘘とも言えないんじゃないかしら」
「ほう。今の話本当なのか、桃?」
チャラ男の夏侯楙の目が怪しく光る。
「本当よ!あたし、こないだ曹沖様をデートに誘ってみたら、「桃は僕の恋人になれるわけないし、諦めた方がいいよ」って拒絶されちゃった」
「へー。かわいい桃の誘いを断るなんてもったいない」
「でしょお?!あたし、今の夏侯楙様の話を聞いてピンと来たの。なんで曹沖様がいまだに恋人を作らないのかって。
化け物のゾンビって、アレが勃たないからエッチできないんだって。曹沖様は実はゾンビなので、それが世間にバレちゃうのを恐れて恋人が作れないのよ!」
ふふん。これだけ貶めたら、いくらイケメンでも気持ち悪がって曹沖に近づこうとする女なんて現れないでしょ。あんたなんか、童貞のまんま二十歳を迎えて魔法使いになっちゃえばいいわ。ざまぁ!
だけど、あたしが流した「曹沖はアレが勃たなくてエッチできない」って噂は広まらず、「曹沖は本来はとっくに死ぬ運命にあり、近くに侍る人の魂魄を吸い取って生き長らえているゾンビ」だという作り話の方が独り歩きして、口さがない貴族の間に囁かれるようになった。
えーあたしのせいじゃないわよ!かわいいあたしをフッた曹沖が悪いんだもん。
(……そして時系列的には111話の曹丕を口説く場面に戻る)
◇◆◇◆◇
●建安十四年(209)五月十二日 許都・後漢の朝廷
その頃、後漢の朝廷では。
週に一度、六卿――伏完・楊彪・荀彧・郗慮・趙温・黄奎の六人の侍中――が献帝に召集され、御前会議が催される。その席上、漢の侍中でありながら丞相・曹操のブレーンとしても活躍する荀彧が、
「近ごろ、曹丞相の息子である沖殿下を貶める誹謗中傷が、一部の貴族の間に広まっているそうですな。なんでも沖殿下は本来、建安十三年(208)に死ぬ運命にあったが、いまだ存命なのは他人の魂魄を吸い取って生き長らえているからだ、とか」
「ほう、初耳ですな」
白々しく答える伏完。荀彧は厳しい目で伏完を睨みつけながら、
「曹丞相は、すでに噂の出どころが【風気術】師の呉範であることを掴んでおる。にもかかわらず寛大な心で放置されているのは、奴の予言がまやかしであることをご存じだからだ。
考えてもみよ!
赤壁の戦いで我が曹魏の軍が敗れ壊滅すると予言していながら、実際には曹魏は荊州と揚州に領土を広げた。曹沖殿下は建安十三年(208)に死ぬと予言していながら、何事もなく年を越すと、沖殿下がいまだ存命なのは他人の魂魄を吸い取って生き長らえているゾンビだからと言い訳をする。
かつて奴が孫呉に在籍している時には、今なら淮南を奪い許都に侵攻して天子様を曹丞相の魔の手から解放できると勇ましい予言を発したが、結果は御覧のとおり実現できず。
その責任を負わされて孫呉の首脳に追放されたくせに、それを隠して今は許都のさる貴族の屋敷に囲われているとか。
これが自称“的中率100%”の占い師の正体だ。
奴の予言を真に受け、面白がって火遊びが過ぎると、大やけどを負う破目になりますぞ」
と警告した。警告の対象が誰であるか明らかであった。
恐ろしくなった伏完は帰宅後、呉範に詰め寄る。
「おのれ呉範!わしを誑かして天子様の御前で恥をかかせやがって!」
「お待ちください伏完様!小生には、とんと身に覚えがござらぬ」
「ならば問おう。おまえはとっくの昔にエセ予言者であることが判明し、孫権に愛想を尽かされ追放されていたらしいな」
「……」(チッ、バレたか)
「それが証拠に、おまえがわしに語った予言、曹沖が死ぬとはいまだ実現しておらぬではないか!」
「あ、あれは……熒惑が心宿を犯す十月は、讖緯説によれば宋(豫州)の分野であり、豫州の留守を預かる曹沖が近々死ぬと予言したのであって、十月に必ず死ぬと申したわけではありませぬ」
「そんな言い訳は聞き飽きた。問題はおまえが垂れ流した戯れ言だ。曹沖がいまだ存命なのは、他人の魂魄を吸い取って生き長らえているゾンビだからという噂が貴族の間に真しやかに囁かれ、ついに今日、曹丞相の耳に入った。大そうなご立腹だそうじゃ」
「し、しかし、小生も曹沖がゾンビ?などという妄説は今日聞くのが初めてでござる。小生が噂の発信源というのは誤解ではないかと……」
呉範は伏完の庇護がなければ曹操の手の者に逮捕され、下手すれば不敬罪で死刑の可能性もあるから、必死に弁明する。
「ええい、黙らっしゃい!おまえ以外に誰がそんな世迷い言を吐くか!いいか、わしはおまえとは一切の関係を持っていない。これまでもこれからも。今すぐここを出て行け!」
呉範が伏完の屋敷から追い出されるのを待っていたかのように、門の前には都の治安を司る近衛兵が立ち並び、「世を惑わせる風説を流布した罪」により呉範は逮捕され、牢に入れられた。




