112.ゲームオーバー
●建安十四年(209)四月十五日 学園寮にて ◇董桃
なーんてね。
こんなリップサービスで良ければ、いくらでもやってあげるわ!
誰だってブタみたいに太った曹丕よりも、爽やかなイケメンの曹沖の方が好みのタイプに決まってるじゃない!
あの呉範とかいうおっさんは、この世界の歴史は乙女ゲーム『恋の三国志~乙女の野望』のとおりには進まないと言ってたけど、あたしはそんなの信じない。
だって、どうして転生者のあたしがヒロインちゃんと同じ“董桃”って名前なのよ?そんな偶然なんてあるわけないじゃない!
そう思ってたんだけど、あたしの考えはもろくも崩れ去った。
………………
…………
……
【回想】
●建安十四年(209)四月一日 学園にて ◇董桃
入学式の朝。あたしは乙女ゲームのシナリオどおり早めに学園に登校して、フンフンと鼻歌を歌いながら花壇のお花に水をあげるの。これだけで大抵の男は「いいコだな☆」と思ってくれるはずなんだけど、あっ。ちょうどいい所に、攻略対象のチャラ男・夏侯楙とワイルド脳筋・夏侯覇が連れ立ってやって来た。よーし。
「キャッ!」
わざと二人にぶつかって、じょうろの水があたしにかかる。ブラウスが濡れてブラが透けて見えてしまい、
「あーん、びしょびしょ。どうしよう……」(チラッと上目遣い)
「す、すまぬ。うっかりよそ見してて。着替え持ってるわけないよな。とりあえず、これで隠してろ」
女の子のあられもない姿を見てしまった夏侯覇は、慌てて着ていたブレザーを脱いでふぁさっとあたしに掛けてくれる。
「ありがとう。優しいんですね」
笑顔でお礼を言うと、顔を真っ赤にして照れた。
「お、おう。君、名前は?」
「董桃ですッ☆」
「んー知らないな。お父さんの階級は?」
「……あたし、庶民生まれで特待生として入学したから、そんなの分かりません。それに父も母もいなくて天涯孤独の身なんです」
と悲しそうにうつむくと、
「す、すまぬ。そういう事情とは知らず、不躾なことを聞いてしまった。悪く思わないでくれ。それにしても、特待生として入学するなんて、董桃は優秀なんだな」
「いえ、それほどでも…」
「俺の名は夏侯覇。こっちは従兄弟の夏侯楙。後で従者に新品のブラウスを届けさせるよ。俺たちは生徒会に呼ばれているから先に行くけど、何か困ったことがあったらいつでも俺たちを頼ってくれ」
「ハイッ!ありがとうございます」
ほら!シナリオどおり、攻略対象といい感じに接触できたじゃない!たぶん好感度Bランクに上がってると思うわ。
やっぱりあの呉範とかいうおっさん、あたしの気を引こうと思って、適当な嘘を言ったんじゃないかしら?
けど本命のプリンス・曹沖とは出会えなかった。
シナリオでは、入学式の後、あたしは桜の木に登って「すっご~い。素敵な景色!」と遠くを眺めていると、その木の下を通っていた曹沖が、
(おーい、君!そんな所に登っていると危ないぞ)
「えっ?!やだっ、あたしパンツ丸見え!」
慌ててスカートを手で押さえて隠そうとしたせいでバランスを崩し、きゃああーっと落ちた所を曹沖がお姫様抱っこで受け止めてくれる。
(ほら、言わんこっちゃない。お転婆が過ぎるぞ)
「あ、ありがとうございます」
(……言っとくけど、僕は見てないからね。君のかわいいピンク色のパンツなんて)
「やぁ~ん、見てるじゃない!恥ずかしい♡」
ってベタベタの展開のはずなのに、桜の木の上でいくら待っていても曹沖は現れない。
それもそのはず、悪役令嬢の曹麗があたしとプリンスの運命的な出会いを回避するため、曹沖を誘って今日は別の門から帰ったらしい。
ぐぬぬ、悪役令嬢の曹麗めっ!出会いイベントを意図的に避けるなんて、まさか転生者なんじゃないでしょうね?
-◇-
●建安十四年(209)四月九日 学園にて ◇董桃
けど、いいもん。
前世、乙女ゲーム『恋の三国志~乙女の野望』を毎日のようにプレイしていたあたしは、“攻略対象”のことならなんだって知っている。丞相の後継者となるべくブレーンの荀彧と武術師範の夏侯惇に英才教育を施されるプリンスの曹沖が、あまりの辛さに一人隠れて涙を流しにやって来るこの場所のことも。
そう。これは曹丞相という偉大な父親の息子に生まれたプレッシャーに苦しむ曹沖を、ヒロインちゃんが「自分らしく生きればいい☆」と励ます重要なイベント!
(ありがとう、僕の気持ちを分かってくれるのは君だけだ)
と、心を閉ざしていた曹沖がヒロインちゃんの優しさに触れ、にっこり微笑んで初めて心を開く大事な場面。
いい?失敗は許されないわよ、董桃!
「あの、曹沖様。大丈夫ですか?」
あたしが声をかけると、曹沖は慌ててゴシゴシと涙を拭って、
「えっと君は……特待生の董桃さんだっけ。アハハ。みっともない姿を見せてしまったね」
キュン。やだ、泣き笑いのイケメンの破壊力ってすごい!
「そんな……あたし知ってます!曹沖様がいつも頑張っていること。みんな曹沖様に過度に期待を寄せすぎなんです!
曹沖様だって丞相の後嗣ぎである前に、一人の人間なのに。
荀彧さんや夏侯惇さんは教師だからって、そんなに叱ってばかりじゃなくてもいいと思います。あれじゃパワハラじゃないですか!
まして悪役令嬢の曹麗なんて何様のつもり?!これ見よがしに溜め息をついて「あなたには失望したわ」なんてひどい!褒められて伸びる子だって、いっぱいいるんだし。
そんな罵倒にも負けず、前に進もうとしている曹沖様を見ていたら、あたし……」
と言って、あたしはホロリと涙をこぼす。
どう?一言一句間違えず、完璧にこの場面を演じてやったわ!あたしの優しさに絆されたでしょう?
だけど曹沖は冷ややかな目つきで、
「……君は僕の気持ちを何もかも知っている風に言うけれど、実は何にも分かっていないんだね。
今、僕が欲しいのは慰めの言葉なんかじゃない。
僕さ、自分ではもっとできる子だと慢心してたんだよね。でもいざ実践となると全然ダメで、思うようにできない自分に愕然とし、あまりの不甲斐なさに涙してるんだ。
父上は、僕に漢の丞相という重い大役を継がせようと時に冷たくつき放し、荀彧には「こんな常識も知らないんですか」と鼻で笑われ、夏侯惇には武術の特訓で身体がボロボロになるまで鍛えられ、逃げ出したくなるような毎日。それは確かだ。
だけど僕は、それだけ父上に期待されている証しだと思うし、僕自身、父上の期待に応えたいと思っている。もちろん、まだまだ力不足なのは否めないけどね。
それに、辛い経験を積んでいるのは僕だけじゃない。
麗姉さまだって、曹家の地位を盤石にすべく皇帝陛下の正妃にさせられることが決まっている。日々、皇家特有の儀礼やマナーの教育を受けながらも、空いた時間で僕に寄り添い、弱音を吐く僕を厳しい言葉で叱咤激励してくれているんだ。
僕より年下で血の繋がりのない弟の秦朗は、四方を敵に囲まれた小さな県令から実力で荊州刺史の地位を勝ち取り、その統治を任されている。僕の窮地を何度も救ってくれた秦朗という目標がある限り、僕の進むべき道に迷いはない。
僕が心から尊敬する姉弟に追いつくために、僕には泣き言を言ってる暇はないんだよ。
「自分らしく生きればいい」
なんて生ぬるい言葉に絆されるほど、僕は柔じゃない。もし君の眼には僕の姿が辛そうに映っているのなら、僕の努力がまだまだ足らないのか、君の眼が曇っているのか、どちらかだろうね。
それに、僕の敬愛する麗姉さまを誹る言葉を軽々しく吐くような人と、僕は友人になりたいなんて思うはずがないだろ」
しまった!曹沖を怒らせてしまった。どこで間違えたのかしら?
「あ、あの、曹沖様!あたしそんなつもりじゃ……」
慌てて取り繕おうとするあたしに、(まだ分からないのか?)とばかり呆れたように曹沖は、
「いずれにしろ、君が僕と付き合いたいと思っても、僕が振り向く可能性は皆無だ。悪いけど、さっさと諦めた方がいいよ。じゃ」
と最後通告を放ち、背を向けてどこかに行ってしまった。
攻略失敗。ゲームオーバー。
呉範のおっさんが言ったとおりの結末。
だけどあたしはギブアップなんかしない。絶対成り上がって、こんなにかわいいあたしをフッた曹沖に復讐してやる!
あたしは“亡き母の形見”のブローチをぎゅっと握りしめた。
>ぐぬぬ、悪役令嬢の曹麗め!出会いイベントを意図的に避けるなんて、まさか転生者なんじゃないでしょうね?
↑ブッブー。はずれ!
出会いイベントを意図的に避けるよう悪役令嬢の曹麗に進言したのは、もちろん転生者の鴻杏ちゃんです。




