111.“形見”のブローチ
前半の語り手は、引き続き呉範。後半は董桃に変わります。
●建安十四年(209)一月 許都 ◇呉範
翌日、伏完は私を連れて娘の伏皇后の御前に参内した。
「陛下。ここに連れて参った呉範は、曹操が赤壁の戦いで敗れると予言しみごと的中させた稀代の【風気術】師。例の謀みも「時世に適った善き考え」と成功に太鼓判を押してくれました」
御簾の向こうから「善哉」と甲高い声が聞こえた。
「陛下も何か占っていただいてはどうですかな?」
伏完の戯れに応じるように伏皇后は、
「呉範よ」
「はっ」
「妾の寿命を見てたもれ」
……困った。あなたが謀議をおこした反曹操クーデターが露見し、六年後の建安十九年(214)に三族皆殺しに遭いますと正直に答えられるはずがなかろう。ここは鄭重に断るに限る。
「恐れながら、左様なお戯れは……」
「よい。正直に占ってたもれ」
助けを求めるべく伏完に視線をやると、こちらの気も知らず、興味深そうにニヤニヤと微笑んでおる。やむを得ず私は算木を取り出し適当に弄しながら、
「万歳と唱うべきところ、敢えて【風気術】の予言を申します。皇后陛下の寿命は八十歳でございますが、六年の後いささかご災難が降りかかりましょう。ご自愛下さいますように」
と答えた。伏皇后はカラカラと笑い、
「災難とな?かつて妾は董卓の暴虐に苦しみ、賊に追われ天子様とともに長安から洛陽に逃避する地獄を経験した。また董承の叛逆に連座し、妾の目の前で董妃が斬り刻まれる場に遭遇した。あれに比べれば、いささかの災難などたわいもない」
と述べ満足そうに、
「しかし八十歳なら天寿を全うしたと言えるぞなもし。呉範よ、褒美をとらせる。望みのままに申すがよい」
「されば。陛下は芻狗をご存じですか?芻狗は己が身に変わり厄を受け持ってくれる形代でございます。陛下に成り代わり私が芻狗となって、六年後に起こる災難を肩代わり致しましょう。
願わくば、陛下がかつて地獄を見たとおっしゃる時の品などを小生に賜りたく……」
としおらしく言うと、伏皇后はよよと感動の涙を流し、
「斯くも呉範が忠誠心に溢れる義士であったとは!
あの頃のことは思い出したくもない不快な出来事であったが、そなたのおかげですっかり浄化されたぞよ。みすぼらしい物ではありますが、当時、天子様にいただいたブローチを下賜しましょう」
ふふっ、私はツイている。董桃に見栄を張って承諾した、献帝から架空の董母にプレゼントされた証拠となるブローチを、易々と手に入れることができたんだからな。
-◇-
●建安十四年(209)三月 許都 ◇呉範
「ええーっ、桃のために本当に手に入れてくれたの?!嬉し~い♡おっさん、ありがと☆」
董桃は“亡き母の形見”となるブローチを喜び、私に抱きついて頬にキスしてくれた。この世界に転移する前に離婚した元妻と交わしたのが最後だから、キスは二十年ぶりか。
「これでついに、あたしも乙女ゲーム『恋の三国志~乙女の野望』のヒロインちゃんになれるのね!」
「そのことなのだが、小生の【風気術】の占いでは“攻略対象”とやらの曹沖は間もなく死ぬ。彼を狙うのは避けるべきだ」
「嘘っ!あたしは信じないわ」
「証拠ならある。君も日本人なら、小学生の授業で邪馬台国の女王・卑弥呼が魏に朝貢したという歴史を習っただろう?あれは魏志倭人伝に記された史実だが、同じ書物に魏の歴史が詳しく述べられている。この本を見てくれ」
私はカバンから正史『三国志』を取り出し、魏志鄧哀王曹沖伝を示した。
――建安十三年(208)、曹沖は病気にかかった。曹操は彼のために自ら命乞いの祈祷を行なったが、甲斐なくそのまま亡くなった。ひどく悲しむ曹操を曹丕が慰めると、曹操は言った「これはわしの不幸じゃが、おまえにとっては幸いじゃ」。
「……どういうこと?」
「つまり、桃ちゃんが信じている乙女ゲームのとおりには歴史は進まないってことさ」
「そんな……嘘よっ!だって曹沖様は、年が明けて建安十四年(209)になっても生きてるじゃない!」
「嘘じゃない。この時代の暦(太陰暦)が現代の太陽暦と違いがあることくらい、桃ちゃんだって知ってるだろ。私の【風気術】の予言が実現する時期に多少の誤差があるのは仕方がないんだ。
いずれにしろ、曹沖が近々死ぬ運命にあることは間違いない。
そして本当の歴史はこうなるのだよ」
続いて私は正史『三国志』から文帝紀を示した。
――文皇帝は諱を丕、字を子桓といい、曹操の太子である。建安二十二年(217)、魏の太子に立てられ、曹操が崩御すると位を継いで丞相・魏王となった。
呆然とする董桃に向かって、私はアドバイスした。
「だから桃ちゃんがお金持ちの王妃になりたいのなら、狙う相手は“攻略対象”の曹沖ではなく、乙女ゲームには登場しなかった曹丕に乗り換えるべきだ」
◇◆◇◆◇
●建安十四年(209)四月十五日 学園寮にて ◇董桃
「アッ……アアン……だめっ!」
荒々しくあたしの中に分け入って来る彼。四つん這いの恥ずかしい恰好にさせられたあたしの後ろから、遮二無二腰を突き動かして来る。
「すっげぇ。奥までぐいぐい吸い込まれるよ」
「ハァン……キ、キスしてっ」
ピンク色の髪を振り乱しながら唇を求めるあたしに、覆いかぶさるようにして応じてくれる。あたしは舌をねっとりとからませ、その唾液の甘い味を堪能する。
「ああ、俺もうイッちゃいそうだ。イッていいか?」
「あたしも、一緒に……」
リズミカルな腰の動きが、あたしを征服しようとさらに早くなる。
「あっ……イクッ!」
「ああん、曹丕殿下ぁ~!!」
曹丕殿下はあたしの中に胤を注ぎ込み、絶頂を迎えたあたしも同時に果てた。
あたしはべつに、あの呉範とかいうおっさんの言うことを最初から信じたわけじゃない。
だけど、学園に入学して三日目の夜、あたしは男子寮にこっそり忍び込んだ。
赤壁の戦いに敗れ、曹丞相の後継者の地位を剥奪された失意のせいか、生徒会長の曹丕殿下は部屋に引き籠りがちでずっと学園にも登校していないらしい。そう言えば入学式のスピーチも、副生徒会長の甄洛とかいう(あたしよりも)美人な女性が代行していた。ぐぬぬ……で、でもかわいい系のあたしは、ああいう清楚系な美人を目指しているわけじゃないからいいんだもん!
誰もいないのを見計らって、3階の曹丕殿下の部屋をノックしてみると、
「夏侯楙か?開いてるぞ」
と中から声がした。これって入っていいってことよね?あたし、攻略対象の1人・夏侯楙様じゃないけど。
「こんばんは☆曹丕殿下」
「だ、誰だおまえは?」
「1年の董桃で~す♡入学式の時に生徒会長の曹丕殿下にお目にかかれなかったので、挨拶に来ました☆やだー、お部屋散らかってる!きれいに片付けないと」
酒と煙草のにおいが籠った部屋の窓を開け、皺くちゃになったベッドのシーツをきちんと整え、散乱した酒瓶や吸い終わったヤニが山のように積まれた灰皿をごみ箱に捨て、てきぱきと掃除をするあたし。
「ほら、大分きれいになった!」
目が点になった曹丕殿下は、しかし淋しかったせいもあるのだろう、「面白い奴だ」と言ってあたしの誘惑に簡単に陥ちた。もちろん、あたしだって乙女ゲームのヒロインちゃん。かわいい顔だし巨乳だし、好感度さえ上がればあたしの魅力にイチコロよっ。
それから毎晩、あたしは曹丕殿下とベッドを共にした。
きょう二度目の絶頂を迎え、生まれたままの姿で曹丕殿下に腕枕されるあたし。裸の殿下の膨よかな胸を指でなぞっていると、
「桃は1年生なのに、沖ではなくどうして俺なんか……」
「えっ?人の好みなんて、人それぞれじゃないですかぁ。曹沖様も素敵ですけど、曹丕殿下の方がもっと素敵と思ったら変ですかぁ?」
「!!」
「こんな風にぷよぷよしたお肉で柔らかく包んで抱き締めてもらうのって、桃大好き♡暖かくて気持ちいいんですよね~心が落ち着くっていうか」
「そ、そうか」
「だからぁ、曹丕殿下も自信持って下さいよ~自信に満ち溢れてる人って、とっても魅力的ですぅ」
「……桃、おまえが好きだ。愛おしくてたまらない」
曹丕殿下はあたしの頭を撫でながらおでこにチュッと口づけると、甘い蜜の滴る秘密の門を再び丁寧に愛撫し始めた。
「アッ……アアン……あたしも曹丕殿下が好き!」
あたしは再び押し寄せる快感に溺れた。




