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三国志の関興に転生してしまった  作者: タツノスケ
第五部・学園離騒編
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[幕間]呉範の回想(その1)

●建安十四年(209)六月二十日 牢内にて ◇呉範


どこで間違ったのだろう?

許都の牢に繋がれた呉範は幾度となく自問を繰り返した。


◇◆◇◆◇


とある大学の文学部准教授だった私は、ふとしたはずみでこのVR世界に転移して来た。学生時代からKOEIの歴史シミュレーションゲーム『三國志』に親しんでいた私は喜び勇んで、大ファンだった孫策を担いで天下統一を果たそうと江東に急いだ。


――が、孫策はすでに宿敵・許貢の食客によって暗殺されており、私の野望は当初から挫折した。黒スーツを着たまま城門で悲嘆に暮れる私は、さぞかし怪しい中年の男に見えたに違いない。案の定、門番に捕らえられ厳しく訊問されることになった。


身長は私の方が門番に勝る。しかしがっしり抱えられた腕を払いのけようとしても、びくとも動かない。もとよりひ弱な文学者だった私は、体力に全く自信がない。どうやらこの世界でも、前世の自分のステータスをそのまま反映しているらしい。


だが裏を返せば、三国志に関する前世の知識はそのまま生かせるということだ。


このVR世界の歴史が、史実どおりに時間軸を流れて行くならば、私はこの世界の未来をあらかじめ知っている予言者(クロノス)として活躍できる!

そうして私は、正史『三国志』には伝を立てられているほどの重要人物であるが、歴史シミュレーションゲーム『三國志』にはまったく登場しない占い師・【風気術】を操る孫呉の“呉範”を名乗った。


 -◇-


次善の策として私が取るべき道は、孫策が後事を託した弟の孫権を担いで江東をベースに天下の覇権を狙うことである。だが孫権と組むのは一抹の不安があった。


というのも孫権は、苦難を共にしても安楽を共にすることはできない、俗に長頸烏喙ちょうけいうかいと呼ばれる人相で、越王勾践(こうせん)のごとき残忍で欲深く猜疑心の強い性格を隠し持つのだ。若く未熟なうちは周瑜・魯粛・呂蒙といった英雄に腰を低くして頼ったが、強敵の曹操が死に、自ら皇帝の座に登り詰めるとその本性を剥き出しにした。実際、孫権の毒牙にかかって死に追いやられた人物は少なくない。丞相を務めた顧雍や大軍師の陸遜、それに周瑜の嫡子・周胤もそうである。


私とて、そんな孫権に疎まれて刑死する破目に陥るのはごめんだ。


しかしこの世界の(呉範)には勝算があった。魏晋南北朝時代を研究対象にしていた私は、正史『三国志』全冊をカバンに入れたままこの世界に転移して来たのである。つまり、孫権が敵と争った戦績を年月まで正確に把握できるのだ。


史実で孫呉が敗北した戦いにはあらかじめ不利を予言し、孫呉が勝利を収めた戦いには、いくら群臣の反対が多かろうと開戦を勧めるやり方を続ければ、的中率100%を誇る凄腕の【風気術】師として重用されるだろう。

こうして私は、押しも押されぬ孫呉の軍師としての地位を獲得した。


すると、人間つい欲が出る物らしい。あるいは魔が差したと言うべきかもしれない。


――たとえ武勇に優れ決断力あふれる孫策がいなくとも、私の力で天下統一は成し遂げられるのではないか、と。


試みに、曹操が華北の袁紹軍閥との戦いに全力を傾けている間、孫策将軍の仇を討つと称して、暗殺犯を雇った広陵の陳登を攻めた。奴が病死したこともあって、あっけなく城は陥落した。曹操は二方面作戦を取る愚を避け、孫呉の広陵占領を黙認した。


なんだ、簡単ではないか!

史実と異なる動きを取れば、その反動がどう撥ね返って来るか分からない。それが恐くて二の足を踏んでいたが、チョロい物だ。歴史シミュレーションゲーム『三國志』のセオリーとまったく変わらない。“外交”で有力軍閥の袁紹と同盟を結び、“内政”で商業・開墾の発展度を上げて兵糧を貯え、“人材登用”で有能な武将を招聘し、“計略”で敵を揺さぶる。私の進言どおり命令(コマンド)を実行すれば、孫呉の国力はいよいよ増した。


我が【風気術】の権威は絶頂に達した。


こうなれば、我が孫呉が先頭に立って曹操の悪業を広く天下に訴え、各地に散らばる群雄を糾合し曹操追討の檄を飛ばす。広陵を拠点に淮南を押さえ、さらに淮河を遡上して許都の後漢皇帝を掌中に収める。曹操討滅後は残った群雄に我が孫呉の傘下に入ることを促し、皇帝より禅譲を勝ち獲る――私の考えた最強の天下統一に向けたシナリオの達成も容易かと思われた。


違和感をおぼえたのはそんな時である。


いくら袁紹との死闘を繰り広げているとはいえ、乱世の姦雄・曹操からの反応が薄すぎる。もしや我が軍の油断を誘っているのではないか?と疑った時には、もう手遅れだった。


ある日、臥龍座と称する旅芸人が建業を訪れ、芝居『周武王(しゅうぶおう)冥土旅(めいどのたび)()一里塚(いちりづか)』を催した。これは、殷を滅ぼした周の武王の死に際し、弟の周公に息子の後見を遺言した史実を題材にした芝居だが、その実、孫策将軍の死に際し、弟の孫権が後嗣ぎの座を兄の息子・孫紹に譲らず、騙し奪った疑惑を痛烈に風刺したものであった。


いくらクソ生意気だとはいえ、孫紹役を演じた少年に向かって大人げなく孫権が刀を振り回したのは、芝居の脚本が図星を突いていたせいだと(まこと)しやかに(ささや)かれ、また孫権が芝居公演を無理やり中止に追い込んだことで、群臣・民衆は逆に孫権即位の正統性を疑うようになった。


追い討ちをかけるように、漢の朝廷から孫権のもとに勅使が訪れ、先年孫権に授けられた討虜将軍号と印綬の返還を要求し、代わりに亡き孫策の嫡子・孫紹に討虜将軍号と印綬を授ける旨を詔した。

朝廷の怒りが感じられるこの処置に動揺した群臣も少なくない。この機に乗じて孫権に叛逆した盛憲や嬀覧・戴員らの反乱軍は力でねじ伏せたが、一族の孫翊が戦死した。


内憂を払うには、外征に目を向けさせる他あるまい。

私は孫権の苦境を救うために、多少の無理を承知で曹魏の劉馥(りゅうふく)が守る合肥要塞への攻撃を進言した。


結果は――見るも無残な大敗。

敵の小賢しい謀略に(だま)され、私が要塞に籠る敵兵の数を少なく見積もってしまったことにも原因の一端はあるが、根本的な敗因は軍を指揮した呂範・蒋欽の戦下手のせいだ。そして孫呉軍は兵四万のうち死傷五千、捕虜八千を失った。


これで我が孫呉と曹魏の攻守が逆転した。廬江ろこう郡の(じょ)(かん)両城は奪還され、呂範は淮南最後の拠点・広陵に籠ったまま動けない。孫呉は許都への侵攻どころか合肥攻略すらまったく見通しが立たなくなった。


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