12.関興、西平の戦いに向けて奮闘する
曹操は、華北の袁譚・袁尚に隙を見せるために、荊州を狙うと見せかけて西平に軍を進駐させただけでなく、騎兵五千に命じて荊州に向かって侵攻を開始させた。
どうやらこの三国志の世界の歴史は、史実と異なる展開に動き始めたらしい。
でも何故だ?
よくある“なろう戦記”では、主人公である転生者が本来死すべき人物を助けたり、あるいは逆に将来禍根となる人物を今のうちに亡き者にした結果、その後の歴史が変わってしまう……というのが定番パターンだ。
だが、あいにくオレには、その後の歴史を変えるような重大な改変を行なった心当たりがまったくない。
そもそもオレを転生させてくれた女神孔明が、数年後に起こる生三顧の礼と生赤壁の戦いのイベントを体験したいらしく、転生者のオレに史実を逸脱するような行動を禁じているのだ。
前世で敢えなく死んでしまった俺を、モブとはいえ関興に転生させてくれた女神には一応感謝しているから、オレは女神の言いつけをちゃんと守り、せいぜい劉備と関羽のおっさんの仲が冷え込むよう煽っているくらいだが、それって特に正史の記述に反しているわけではない。
唐県の水路を開き土地を開墾して米の収穫高を上げたのも、田豫に兵糧を密売して銭をボロ儲けしたのも、将来荊州から落ち延びる際に、正史の記述どおり、関羽のおっさんが漢水を下るための船を買いたかったからだ。
うーむ。分からん。
オレの他に誰か転生者がいるのか?そいつが何か良からぬ入れ知恵をしたとか?
あーもしそうだったら面倒くせえ。
……とか悩んでいると、新野に行ったはずの黄佰長がもう戻って来た。関羽のおっさんも驚いて、
「ずいぶん早かったな。して、劉備将軍の援軍はいかがであった?」
「それが……逆に新野から早馬が来て、関羽隊長に伝えよと。新野県は籠城する。おまえらが唐県を棄てて新野に来るならば受け入れる、と」
劉備の冷たい伝言に兵たちの動揺が走る。
「それって、唐県を守りたければ、俺たちだけで敵と戦えってことかよ?!」
「敵は先鋒の騎兵が五千、後詰が三万もいるのにか?そんなの無理に決まってるじゃん!」
「俺ら三千しか兵隊がいないんだぜ」
馬佰長も不安げに、
「関羽隊長!我々の部隊は、友軍にも見捨てられたのでしょうか?」
と問う。ふうっと溜め息をついた関羽のおっさんは、
「心配するな。おまえらは死なん」
と優しく告げた。慰めか?それとも励ましか?いや、オレの知る関羽のおっさんは口先だけの奴じゃない。
「俺は唐県の県令だ。命を賭けて住民すべてを守る義務がある」
おい!まさかおっさん、くだらないことを考えてるんじゃないだろうな?!黄佰長も同じことを感じとったのか、青ざめて、
「関羽隊長……」
「県城に城壁を築かなかったのは俺のミスだ。籠城することも叶わぬ。唐県の安堵を俺一人の命で贖うことができれば悔いはない。皆の者、短い間だったが世話になったな」
そう言い残すと、関羽のおっさんは単騎で唐県と朗陵県の州境に向かった。
「……」
兵たちは無言で関羽の出陣を見送る。そんな態度にオレは無性に腹が立って、
「おまえら、見損なったよ!父上は、おまえらを含めた唐県の住民が誰一人敵に殺されないように、おまえらが汗水たらして築いた唐県の田畑を敵に蹂躙されないように、これからたった一騎で敵に立ち向かうんだぞ!」
「だ、だってさ……たった三千で敵に当たるとか無謀じゃん?」
「そのとおり、敵は倍の五千騎で攻めて来るんだ。父上一人に戦わせる気か?父上と一緒に、死を賭してこの街を救おうと思う奴はいないのか?」
そう言ってオレは兵たちを見回す。皆、目を伏せたまま返事をしない。
オレはチッと舌打ちして、
「もうおまえらには頼まねぇよ!臆病者を相手にしても時間の無駄だってことが、よーく分かったぜ。オレ一人だけでも助太刀に行く。四歳児が戦いの役に立つかどうかは知らねえけどな。オレの弓で一騎でも多く敵を倒してやる」
と言い残して斥候の鼠に馬に乗せてもらい、州境まで駆けて行った。
後から聞いた話によると、オレの叱咤に知らん顔をしてしまい、バツの悪そうな兵たちに向かって、美少年の関平兄ちゃんが目を潤ませながら、
「皆さん、どうかお願いします。父上を助けて下さい」
と訴えたらしい。その姿に胸キュンしたのかどうか知らないが、兵たちは、
「ちぇっ。分かったよ!世話になった隊長を見捨てたりしたら寝覚めが悪いしな。あーあ。死にたくねえなあ」
「俺さ、唐県が好きなんだよ。守りたい妻と子供もできたしな。俺たちが逃げたら敵に蹂躙されるかもしれないんだろ?嫌だぜ、そんなの」
「軍隊に入るのは正直嫌で仕方なかったけど、隊長と一緒でちょっとは楽しい思いもできたしね」
と口々に言って、三千の兵は皆、鎧を着け槍を手にして整列した。
関平君は涙を流して兵たちに「皆さん、ありがとう」と感謝し、先頭に立って彼らを率い、州境に向かったのだった。
言っておくが、オレはこいつらがきっと来てくれるって信じてたぜ!
◇◆◇◆◇
赤兎馬に跨り青龍偃月刀を片手に携えた関羽のおっさんの姿は、武者絵のように凛々しかった。ただ一騎で唐県と朗陵県の州境の峠に佇み、曹操軍の来襲を待ち構える。
「父上。助太刀に来ました!配下に加えて下さい」
オレは関羽のおっさんの背後から声を掛ける。チラリとオレを一瞥した関羽は一瞬微笑み、そしてすぐに厳しい表情に改めて、
「興、おまえのようなチビなんか足手まといだ。今すぐ逃げろ。
そうだ、田豫を頼れ。あいつも不可侵の約定が破られてしまって心苦しく思っているはずだ。きっとおまえを受け容れてくれるだろう」
フン、おっさんなら絶対そう言うと思ったぜ。だがお断りだ。オレも足掻いて足掻いて最後まで戦ってやる。
オレは峠のそばに立つイチョウの木に登り、弓を握りしめて敵の来襲を待った。枝葉がちょうどいい具合にオレの姿を隠してくれる。得意の弓術スキルで、死角から敵将目がけて矢を放てば、文字どおり一矢報いることができるはずだ。
しかし――よく考えると、オレはなんでこんなに一生懸命になってるんだろう?
オレは本来、女神孔明の下僕として転生させられたモブで、シナリオの開始は章武三年(223)。あと二十年後のことだ。女神からはそれまでの期間は自由行動を許されたが、まさかこんなにも早く、死ぬかもしれないピンチに陥るなんてな。
だけど、その答えはすでに分かっている。
オレは、関羽のおっさんの息子として四年間生きているあいだに、関羽のおっさんに情が湧いてしまったのだ。最初はただ強いだけの脳筋野郎かと思っていたが、ちょっぴりお茶目で優しくて部下思いで素直で責任感のある、本当にいい男なんだ。
こんないい奴を一人で逝かせたくない。どうせ一度死んだ身だ、モブのオレも一緒に殉じてやったっていいじゃないか。
そんな気になったとしても不思議じゃあるまい。
次回。曹操軍の来攻を待つ関羽は、走馬灯のように塩賊だった自分の過去を振り返ります。官憲に追われる関羽を救ってくれた劉和。そして董卓の乱。お楽しみに!




