107.吐露
語り手は、前半は劉舞、後半は関興(秦朗)でお送りします。
●建安十四年(209)六月八日早朝 アジトにて ◇劉舞
甄洛が泣きながら私のもとに駆け寄って来た。
「舞ーっ!よかったぁ、無事で!」
「ごめんね、甄洛。心配かけて」
「ううん、いいの。私は舞が無事なら。それより舞は大丈夫なの?その、服がボロボロだし、汚れもいっぱい付いてて……」
「あ、うん。興ちゃんと従者の鄧艾が危機一髪、助け出してくれたから」
興ちゃんが甄洛に鄭重にお辞儀をする。
「そうなんだ。やるじゃない、騎士の秦朗君!
ねぇ舞、生徒会の馬車を用意しているわ。寮に戻って、とりあえず身体をきれいにして服も着替えよう?」
「ありがと。でも、ご迷惑をかけてしまった杜妃様の所にお詫びの挨拶がしたいし、昨夜お迎えを寄越してくれた馬車も返さなきゃ。ねえ鄧艾、あなた馬車の御者くらいできるわよね?」
鄧艾は興ちゃんに確認を取り、コクリと頷く。
「甄洛は先に寮に戻ってて!後で謝りたいことがあるから!」
「分かったわ。また後でね!」
と言って、私は鄧艾の操る馬車で杜妃様の屋敷に向かった。
-◇-
●建安十四年(209)六月八日早朝 アジトにて ◇秦朗=関興
「さ、私も帰ろう」
「待て、甄洛副会長。あんたに話がある」
オレは甄洛の帰りをとどめた。
「何かな?勇敢な騎士君」
「昨夜、舞ちゃんが杜妃の屋敷に逃げ出そうとしていると文で教えてくれたのはあんただろ?礼を言う」
「なーんだ。バレちゃってた!?それくらい、感謝しなくてもいいって。あ、でも私が君に秘密を漏らしたこと、絶対言わないでよ!せっかく築いた舞との友情を壊したくないし」
と甄洛は笑みをこぼす。
「フン。だけど、あんたは100%善意のチクリ魔ってわけじゃないよな?」
オレの辛辣な質問に甄洛の顔から笑みが消える。
「……どういう意味?」
「あんたが本当に、舞ちゃんが逃げ出そうとしているとオレに知らせただけの善意の人なら、事件の全貌を知っている甄洛副会長は、舞ちゃんを夜間外出させたりしないはずだもんな!」
「何言ってるの?私が事件の全貌を知っているなんて……」
「とぼけるな!誘拐犯のボスの男、つまりニセの御者は杜妃の屋敷に仕える者じゃない。舞ちゃんの見立てどおり、迎えに来てくれる本物の御者は途中で襲われて、ボスに入れ替わったんだ。
だから、舞ちゃんが夕方に思い付いた身を隠す計画を誘拐犯に知らせたのは、杜妃じゃない。だとすれば、消去法であんたしかいない」
「えー濡れ衣よ!私が誘拐犯の共犯者だなんて!」
「分かってるさ。オレはあんたが誘拐犯の共犯者だとは言ってない。あんたはただ舞ちゃんの誘拐計画を事前に知っていただけだ。違うか?」
じっとオレを睨みつけていた甄洛はやがて、
「あははっ。さすが秦朗君、噂どおりの切れ者ね!
そ。君だけじゃなく、誘拐犯にも今夜舞が杜妃様の屋敷に外出するって教えたのは私。だけど私は舞を害そうとするつもりはなかったわ。絶対君が助けに行ってくれると信じてたもの」
ハァ、やっぱりか。
「曹沖様を推す君は、こちらの派閥の敵。君を潰そうって過激に息巻いてる奴らも大勢いるの。程昱とか董昭とか華歆とかね。そいつらが私の父を脅して圧をかけて来た。
学園内にいる間は、治外法権であいつらは手出しできない。だけど一歩でも外に出れば、悪事を揉み消すくらい、近衛兵を配下に置くあいつらの思うがまま。だから、舞が学園外に出る場合は逐一知らせるようにって。
綺麗事ばっかり唱えるあいつら腐れ儒者は、その実、裏では陰湿な策謀を巡らせ自分の手は汚さず下臣に汚い仕事を処理させる偽善者よ。大っ嫌い。
だけど私は舞の親友だもん。彼女の身を売るなんてできない。けれどもあいつらの命令には屈さざるを得ない。
知ってる、私の経歴?
父は元・袁紹軍閥の貴族で、并州の雁門関で対匈奴(騎馬民族)防衛を担当していた。美形を愛でられ、袁煕の妃候補として鄴の宮殿に留め置かれていた幼い私は、曹丞相が鄴を陥落させた時、曹丕殿下に犯され処女を奪われた」
「……」
「袁軍閥滅亡後、曹丞相の恩情で死刑を免れた華北の名門・甄家の一族は、曹氏の家臣の下風に立たされた。譜代の程昱ならまだしも、我々より先に曹丞相に降っていただけの卑賎な華歆や董昭のさらに下によ!屈辱だわ!
奴らごときの命令なんて、オレみたいに断ればいいですって?
曹丕殿下の許婚として私を人質に取られ、敗軍の将である父は甘んじて曹丞相に屈服せざるを得なかった。袁軍閥の滅亡を前に、主君だった袁煕・袁尚の命乞いすら聞き届けられなかった惨めな没落貴族に向かって、それが言える?」
甄洛がポロポロと涙を流す。
「私は、「秦朗君を陰謀に巻き込んでごめんね、でも私も被害者なの」なんて絶対に謝らない!私だけイイ子ぶって、あいつらと同類の偽善者に成り下がるのは嫌だもん。
捕まえて官憲に突き出したければ、そうすれば?覚悟はできてるわ」
涙を拭った両手を前に突き出し、神妙に縛につく意思を示す甄洛。オレはその手をそっと押し返し、
「……しないよ、べつに。あんたを突き出したって、黒幕どもには官憲の手が及ばないんだろ?それなら舞ちゃんの親友のままでいてくれた方が、オレは嬉しい」
「ずいぶんお優しいのね、無敵の秦朗君。哀れな私に同情してるつもり?余計なお世話なんだけど」
甄洛は、彼女が嫌う偽善あるいは同情と捉えたのか、皮肉たっぷりに吐き捨てた。
「……舞ちゃんがね、あんたと似てるんだ。
世が世なら、皇室と繋がる名門貴族のお姫様。天下大乱で祖国が敵に狙われ、関羽のおっさんのような得体の知れない武将に後見を頼まなければならなくなって、その見返りに関平兄ちゃんと結婚させられた。おまけに足手まといだからと、三か月も経たずに平兄ちゃんと別れて許都に一人疎開させられる。戦乱にずっと翻弄され続けて来たんだよ。
だからオレは、舞ちゃんにこれ以上つらい思いをさせたくない。
なのに、やっと平和が戻ったというのに、オレのせいで再び誘拐事件に巻き込まれ、信じていた親友が内密の話を犯人に漏らしていた。
そんな真相をわざわざ明らかにする必要があるのか?
オレとあんたが黙っていれば、誰にもバレやしない。誘拐犯は全員口を封じたんだ。
あんたが本当に悪かったと思うなら、似た者同士、お互い励まし合って強く生きて行けるように、いつまでも舞ちゃんと親友でいてやってくれ」
オレの返事を聞いた甄洛は腹立ちまぎれに、
「バッカじゃないの?!私、あいつらに脅されて、また秦朗君を襲う手引きをするかもしれないのよ?」
「大丈夫だよ。オレ、強いし」
嘘だけど。所詮オレは武力ステータス79のモブだ。
せっかく涙を拭ったのに、再び両瞳から大粒の涙が零れ出た甄洛。
「……君が本当に強いなら、私を救い出してよ!好きでもない人に縛り付けられ、意思に反して脅しに屈せざるを得ない地獄のような世界から……」
と誰にも語ったことがない胸の内を吐露した。
オレはどう慰めてやればいいのか分からず、ただその場に立ち尽くした。こんな時、イケメン勇者なら「オレを頼れ」とか言って、ヒロインの頭をポンポンと撫でてやるんだろーな。モブのオレには到底無理だ。
すると甄洛は、
「ごめん、今の忘れて」
と言ってオレの唇に自分の唇を重ねた。
「ウッ…フゥッ……な、何をする!?」
「お詫びのしるし。それと私の悪事を黙っててくれるお礼。
もしもバラしたら、秦朗君に無理やりキスされちゃったって涙ながらに訴え出るわ。男はね、君なんかの弁明より美人の涙に弱いのよ。嫉妬に狂った曹丕殿下、面倒くさいわよ~」
ニヤリと微笑むと、甄洛はバイバイと手を振り帰って行った。
何なんだよ?さっきまで泣いてたくせに。
くそっ。魔性の女め!
だけど甄洛の唇、柔らかかった~♡
「あっ、ちょっと待って副会長!オレも馬車に乗っけてよー!」
オレは慌てて甄洛を追いかけた。




