105.疑念
●建安十四年(209)六月七日深夜 誘拐犯のアジトにて ◇劉舞
どうしてこんなことになったのだろう?
私が荊州に帰りたくないと我儘を言ったばっかりに。
二、三日身を隠せば、興ちゃんも諦めて一人で荊州に帰ってくれるだろうと浅はかな考えを抱いたばっかりに。
そうよ!もとはと言えば、興ちゃんが私の話も聞かずに「荊州に帰ろう」なんて言い出したのが悪いのよ!興ちゃんの従者の鄧艾と侍女の華をすぐに結婚させるためだって。でもあいつ、さかりの付いた猿なんだから!華が可哀想じゃないの!
というか、犯人が私を誘拐した目的は何?やっぱり身代金かなぁ?
私も二千石の令嬢だからお金持ちの部類に入るのは間違いないけど、うちよりお金持ちの貴族はもっと他にいると思うのよねぇ。
私が後悔の念というかやり場のない怒りに浸っていると、どこかの貴族らしき屋敷の前に馬車が停まった。屋敷の中からチンピラみたいな人相の悪い男たちがわらわらと7,8人現れる。
「おい、着いたぞ。降りろ」
座ったまま抵抗していると、チンピラの一人が乱暴に手を引っ張り、私たちを無理やり降ろした。
「さっさと言うこと聞かねぇと犯すぞ!」
そうして私たちが武器を隠し持っていないか、汚い手で服の上から身体を触る。
「やめなさい!穢らわしい!」
「フン、偉そうに。なあボス、こいつら俺たちにちょっくら味見させてくれませんかねぇ?」
酒臭い息を吐きながら、いやらしい目つきで私と華の身体を舐め回すように見つめるチンピラ達。私は思わず顔を背ける。気持ち悪くて吐き気がしそう。
どうやらニセ御者の男が誘拐犯グループのボスらしい。
「待て。依頼主に作戦の第一段階成功を知らせるのが先だ。
お嬢様、虫けらのように俺たちを軽蔑する、あんたのその目がたまんねぇなぁ。だが、いつまで誇り高い貴族の矜持が保てるかな?」
と言ってニヤニヤと笑う。
「私たちをどうする気?」
「安心しな。あんた達は、ターゲットを誘き寄せる囮だ。明日、事が終わるまであんた達には手を出すなと命じられている。おとなしくしていれば命までは取らないから、黙って小屋に引っ込んでろ」
「誰よ、ターゲットって?」
「秦朗とかいうクソガキだそうだ。笑っちまうよな!たかが10歳のガキ相手に、俺たち暗殺処理班まで駆り出されるとは。おっと、調子に乗ってしゃべり過ぎたようだ。ほら、さっさと歩け!」
「痛いっ!放してよ!」
私と華は無理やり引っ張られ、屋敷のそばの粗末な小屋に放り込まれた。
-◇-
興ちゃんの命が狙われている!
私たちは興ちゃんを誘き出して殺すために誘拐されたらしい。
殺し屋のボスが言っていた、決行は明日だって。
犯人のチンピラ共は合わせて10人もいる。興ちゃんと従者の鄧艾だけで敵うはずがない。
危ないわ!私たちのことは放っておいて逃げてっ!と知らせなきゃ。
でも誘拐犯に捕らえられ、手足を縛られ猿轡を噛まされた私は、この場から逃げ出すこともできないし、合図を送ることもできない。
どうしよう?どうすればいい?
おまけに侍女の華まで誘拐騒動に巻き込んでしまって……申し訳なくて涙が出そう。ボスと格闘した時に怪我しなかったかしら?心配だわ。
心配と言えば、本物の御者はどうなったんだろう?この馬車じしんは杜妃様が私を迎えるために出してくれた物に間違いない。だって家紋が入っているもの。ということは私を迎えに行く途中で誘拐犯に襲われ、馬車を乗っ取られたんじゃないかしら。
そう言えば、この誘拐犯はどうして私が今夜外出すると知っていたのだろう?寮を出て身を隠そうと思いつき、杜妃様に二、三日匿ってくれるよう相談したのは今日の夕方だもん。前々から私を誘拐する計画を立てられるはずがない。
それなのに、御者が誘拐犯に入れ替わった杜妃様の馬車は、ちゃんと事前の打合せどおりの時間と場所に待っていたし、犯人のニセ御者は私が誘拐されるターゲットと判別した上で馬車に乗せた。
つまり、誘拐犯は私の今夜の行動を把握済みだった。
えっ、待って。どういうこと?
その時、頭の奥がズキンと痛む。
(ねぇ舞、本気?寮を出てこっそり身を隠すって……)
(うん。こうでもしないと私、荊州に連れ戻されちゃうもの)
(けど……)
(心配しないで、洛。隠れる場所は確保したし、あなたに迷惑は掛けないわ)
(えーどこに隠れるつもりなの?)
(内緒にしててよ。杜妃様のお屋敷)
(ああ、なるほど)
そうだわ。私はさっき、甄洛に今夜の行動を伝えていた。彼女なら、私の行動を把握している。もしも、彼女が誘拐犯の一味なら?
――ううん。そんなはずがない!
だって彼女は私の親友よ!私を誘拐なんてするはずないじゃない!
私は頭の中に浮かんだ悪い想像を急いで打ち消す。
だけど……あのボスは言っていた、自分たちは依頼主に駆り出された存在だと。つまり、ボスの背後には私の誘拐を謀んだ黒幕がいる。
でも黒幕の本当の目的は興ちゃん。仮に甄洛が依頼主だったとして、甄洛と興ちゃんに何の繋がりが?
あっ!
私は嫌な噂を思い出した。甄洛の許婚である曹丕様は、荊州の領有をめぐって興ちゃんと対立しているとか。
昼間、興ちゃんが私を荊州に連れ戻すために学園に訪れた時、突然曹麗様が応接室を訪問した。あの時は何故やって来たのか分からなかったけど、曹麗様も興ちゃんと甄洛の対立関係を憂慮して、事を荒立てないように慌てて興ちゃんを引き取りに来たのだと思う。
それなのに私は、荊州に帰りたくないという私欲のために夜闇にまぎれて学園を抜け出す無謀を試み、犯人グループの一員の甄洛に無邪気に打ち明け、案の定まんまと誘拐犯の手に落ちてしまった。
興ちゃんが悪いのよと他人のせいにしてたけど、すべて私の身から出た錆じゃない!
そのせいで本当に興ちゃんが殺されちゃったらどうしよう?
寝覚めが悪いし、興ちゃんのお兄さんの関平様に申し訳が立たない。嫌よ!助けて!
その時、閉じ込められている小屋の扉が開いて、誘拐犯のボスが入って来た。
「ほらよお嬢様、晩飯だ。食わせてやる」
野菜の切れ端が浮かんだ粗末なスープにパンが目の前に置かれる。
「いらないわ。敵に恵んでもらうなんて貴族の恥だもの」
「フン。最後の晩餐になるかもしれねえのに強気なことで。だが、そういう態度は嫌いじゃねぇ。おまえさんの顔も俺のストライクゾーンだし」
ボスは舌なめずりして、私の耳元にフッと熱い息を吹きかけると、首筋から耳に舌を這わせ舐め回した。
「や、やめ…ンンッ……」
私は思わず変な声を漏らし、慌てて歯を食いしばる。
「へっ、感じてるくせに我慢しやがって。そそるぜ」
手足を縛られ猿轡を噛まされたまま床に転がされている華は、「ウーッウーッ」と抗議の唸り声を立てる。
「そんな色っぽい声を上げられたら、俺の方が我慢できねえや」
ボスは着衣を脱ぎ捨てると、抵抗してはだけた私の寝衣の衿から荒々しく手を忍び込ませ、乳房を揉みしだく。
「いやーッ、助けて!関平様ぁッ!」
私は泣き叫んだ。




