100.期待はずれ
●建安十四年(209)六月七日 学園にて ◇劉舞
そして、いよいよ荊州からお迎えがやって来た。
学園の応接室で待たせている間に彼に編入試験を受けてもらい、文句なく素晴らしい成績であれば「このような優秀な若者を見逃すのは、国家にとっての損失である」という理屈で学園長に強引に編入を認めさせる――というのが甄洛が描くストーリーだ。入学したばかりの親しい曹丞相のご令嬢に頼み、丞相の許可を得たらしい。
甄洛がパタパタと駆けこんで来て、
「舞の旦那様の関平君って稀に見る逸材だわ!筆記試験は満点よ。武芸の腕前もなかなかのものだと師範代の先生も褒めてらっしゃったもの。これならきっと合格間違いなしね!」
さすが私の愛する関平様!イケメンのうえに強くて頭もいいなんて!
良かったぁ。これで彼と一緒に楽しい学園生活を送れそう。
「えっ?イケメン?!あーうん、よく見れば確かにまあ悪くないかも。へー舞ってああいう母性本能をくすぐるタイプが好みなんだ……」
???
関平様は、侍女の華のお父様の甘寧将軍も惚れ込むほどの美青年だけど。
あっ、なるほど~甄洛は都で素敵な男性をいっぱい見知っているから、彼くらいの顔じゃ驚かないってわけね。面食いは困るわ。
「でもどちらかと言うと、イケメンよりもかわいらしい小動物系よね」
???
困惑したまま甄洛に連れられて応接室に向かうと、中から腹立たし気な様子で、
「もぉーなんだよ?着いた途端に訳の分からない試験を受けさせられるなんて……。合格とか言われても、学園に入学するつもりなんかねえし、オレは舞ちゃんを連れてさっさと荊州に戻りたいんだ!」
「ですが、あなたのような逸材を見逃すのは国家の損失ですし、入学を拒否されるのは学園としても非常に困った事態でして……」
と事務員の途惑う声が漏れ聞こえる。私はノックをして応接室に入り、
「失礼します。呼び出しに応じて参上しました四年生の劉舞です」
と一礼した。私の姿を見たモブ顔の少年が、
「あっ、舞ちゃん!なんとかしてくれよぉ。オレは舞ちゃんを迎えに来ただけなのに、いきなり編入試験を受けさせられて、合格したから入学準備をするようにとか言われちゃって参ってるんだ」
と口を尖らせて不満を述べた。義弟の興ちゃんだった。私はあからさまにがっかりして、
「あ……久しぶりね、興ちゃん。平様は?」
「平兄ちゃんなら江夏で立派に城主を務めているよ。舞ちゃんの帰りを首を長くして待ってるんだ。
あー悪りぃ、オレなんかのお迎えで。がっかりさせてごめんね」
やだ、バレてる!顔に出ちゃったかしら?そう言えば、興ちゃんは昔から勘が鋭かったものね。
「あのね、興ちゃん。実は私、卒業まで残り一年間、学園で過ごしたいなあって……」
「えー駄目だよ!そんな我儘言っちゃ。
平兄ちゃんも待ってるし、なにより鄧艾の奴が、童貞こじらせて魔法使いになりたくないから華さんを是が非でも連れて帰るぞって……
ねえ、もう出発の用意はできた?学園にご挨拶も済んだし、急いで荊州に戻ろう。グズグズしていると、怖い人が来ちゃうよ」
その時、応接室の扉がバーンと開いて、ラベンダー色の髪をした縦ロールの超絶美少女が現れた。
「誰が怖い人ですって?」
「ぎゃああぁーっ!出たー」
「出たーって何よ?人をお化けみたいに」
(お化けの方がまだマシだよ)と呟く興ちゃんの声が私の耳に届いた。
「ねえ秦朗。あんた許都を訪れているくせに、お姉様である私に真っ先に挨拶に訪れないなんて、どういうつもり?」
とラベンダーの美少女――曹丞相の娘・麗様が冷たい眼差しで興ちゃんを問い詰める。
「ひっ…オ、オレ今日は仕事で来ているから、麗様にはまた今度時間があるときに、ゆっくりとご挨拶に伺おうと思って……」
「はあ?あんた最初に会ってから五年間も顔を見せなかったくせに、よくもそんな心にもないことが言えるわね?!そんな不義理な奴は、せっかくできた彼女に愛想尽かされるわよっ!」
えっ、興ちゃんに彼女がいたの?モブ顔なのに。
「ううっ…それは嫌だ」
「分かったら、こんな所で油を売ってないで、今から鴻杏の所に向かうわよ!」
と言って、麗様は興ちゃんの耳を引っ張る。
「痛テテ……ま、待って下さい麗様!オレは義姉上を連れて荊州に戻らないといけなくて」
「知らないわよ!あんた、義理の姉と本当の姉、どっちの方が大事なわけ?あっ、甄洛副会長、失礼しましたー」
と有無を言わさず興ちゃんを連れ去った。嵐のような出来事に私と甄洛がポカンと見送る中、ドア越しに興ちゃんが、
「舞ちゃん!明日の朝、門前に迎えに行くから!逃げようとか変なこと考えちゃ駄目だよ!明日、絶対荊州に戻るんだからねー」
と叫ぶ声が聞こえた。
-◇-
私はあと一年、許都に残って学園生活を送りたい。
そう興ちゃんを説得するためには、あと一日しか時間がない。
困った私はその日の夕方、杜妃様に相談した。
「もう、秦朗ったら融通が利かないわねぇ。女の子の我儘は何でも聞いてやるのが男の甲斐性ってものでしょうに。いったい誰に似たのかしら?やっぱりあの子の実の父親って秦宜禄なのかなあ」
と聞いてはいけない秘密を杜妃様はあっさり口にする。
「あのう。失礼ですが、興ちゃんと杜妃様の仲って、昔からこんな感じなのですか?」
「ん?こんな感じって?」
「えっと……学園で興ちゃんに会った時、私はこれから一緒に杜妃様の屋敷にご挨拶に行こうって誘ったんです。そしたら興ちゃん、
――いやぁ、オレだって直接母上に会って疎開の御礼が言いたいんですけどねー。あそこは男子禁制だから無理なんです。オレは10歳のガキとはいえ、れっきとした男ですので。
と断られたんです。確かに文句のつけようがない理由なんですけど、まるであらかじめ模範回答を用意していたかのようじゃないですか。
お義父様をはじめ、兄の平様や妹の蘭玉ちゃんとの兄弟仲はとても良く、興ちゃんは家族をとても大切にしてるなーと思っていたので、お母様との面会を断ったことにすごく違和感があるというか……」
杜妃様はふうっと大きく息を吐くと、
「そりゃあ、お腹を痛めて産んだ子だもの。私は秦朗を大切に思ってるわ。けど、秦朗の方は私をどう思ってるかしらね」
「えっ?」
「捨てたのよ、秦朗を。もちろん邪魔で憎くて手放したんじゃなく、生きて欲しかったから手放したんだけど、あの子にとって母親に“捨てられた”って事実は変わらない。だから、私は秦朗に恨まれたってしかたない。
母上って呼ばれるようになったのも、つい最近。疎開したあなたたちを預かる代わりに、交換条件としてあの子に母と呼ばせるように私が強制したの」
「……」
「たぶんだけどね、秦朗がすぐに許都を離れて荊州に帰りたがるのも私のせい。許都にいれば、儒学の“孝”の教えに則って憎い私に礼を尽くさなければならなくなるから。
それに、家族のように愛するあなたたちが私と仲良く暮らす姿を見るのは、秦朗にとっては私に家族を“盗られた”と感じ、耐えられないんじゃないのかしら」
そんな……興ちゃんと杜妃様が憎み合うなんて駄目!だって本当は二人とも心の優しい人だもの。
疎開して来た敵国出身の私を温かく迎え入れてくれた杜妃様。父・劉表の死んだ後、私や弟の琮の身の安全を真っ先に図ってくれた興ちゃん。
彼らがなんとか和解できるように、二人の優しさを知る私が一肌脱がなければ!
とか考えていたら杜妃様が、
「なーんて辛気臭い話はさておいて、舞ちゃんが許都に残って学園を卒業できるように、頭の固い秦朗を説得する方法を考えましょう」
「でも……」
「時間ならまだ一晩あるじゃない。諦めたらそこで終わりよ」
と励ましてくれる。
「はい。ありがとうございます」
「それにしても秦朗ったら生意気よねえ。まだアソコの毛も生えそろってないツルッツルのくせに、一端の男を気取るなんて!
舞ちゃんも“一肌脱ぐ”って言ってたし、アイツに色仕掛けで迫るのも手よね。
あ、そうだ!いいこと思い付いちゃった☆ふふっ、そうと決まれば作戦開始よっ!」
……私、きっと変なことに巻き込まれるんじゃないかしら。
やっぱりこっそり逃げた方がいいかも。




