99.溜め息
語り手は、荊州の戦火を避けて許都に疎開している劉舞ちゃんです。
劉舞ちゃんは関平君の嫁で、今は亡き荊州牧・劉表の娘なのです。
●建安十四年(209)六月一日 学園にて ◇劉舞
愛しい舞へ
もう荊州に帰って来ても大丈夫だよ。
早く君の素敵な笑顔が見たいな!
平より
「はあ……帰りたくない」
私は故郷より届けられた文を見て、思わず溜め息をついた。いや、決して関平様に会いたくないわけではない。むしろ愛しい関平様と一緒に、この学園生活をエンジョイできたらもっと素敵だろうな、と秘かに願っているだけなの。
-◇-
昨年、曹丞相の軍隊が天下統一を目指して、私の祖国の荊州に攻め込んだ。か弱い女性陣が戦乱に巻き込まれることを恐れた義理のお父様・関羽将軍が、昔の誼みを頼ったらしく、私と義妹の蘭玉ちゃん,それに甘寧さんの娘の華さんを許昌に疎開させてくれた。
いくらお義父様の知り合いの家とはいえ敵国に預けられるわけだから、きっと不自由な生活を強いられるんだろうなあ……と悲しくなった。
だけど私だって貴族の端くれ、覚悟はできているつもり。蘭玉ちゃんと華さんは私が守りますっ!
そうして曹魏の都・許昌に着いた私たちは、さらに奥にあるキラキラした立派な建物に連れて行かれた。出会う人が女性ばかりで、建物の造りや調度を見ればここが後宮だってことぐらい、田舎出身の私にも分かる。
やだ、もしかして曹丞相の側室として召し上げられちゃったの?こう見えて私、人妻だし、もう関平様と一緒の夜を過ごしちゃったし。
どうしよう?処女じゃないのがバレたら、お咎めを受けちゃうかも。
私が不安に感じていると、パタパタと足音がしてノックもなく扉が開かれ、
「まあ♡なんて可愛らしい娘さんたち!秦朗もなかなかヤるわね。ささ、遠い所お疲れでしょう?楽に休んでもらって全然かまわないからね☆」
と美女が私たちを優しくねぎらってくれた。私たちはびっくり呆けて、
「あの、えっと……誰?」
「あ、ごめんなさい。自己紹介がまだだったわね。私は曹丞相の側室の杜妃よ☆秦朗の実のお母さん。関羽君とは昔いろいろありまして」
と杜妃様が先にご挨拶してくれた。私は驚愕して、
「も、申し訳ありません!曹丞相のお妃様とはつゆ知らず、無礼をはたらいてしまいました。私は荊州牧・劉表の娘、舞と申します。こちらは関羽将軍のご息女の蘭玉、その隣が私の侍女を務める甘華でございます」
「ああ、そんなに畏まらないで。聞いてるわよー秦朗の義理のお姉さんに、実の妹さん。きゃー☆なんて可愛いのかしら!私の生んだ子は男の子ばかりだから、女の子って新鮮」
「あ、あの…秦朗って?」
私の問いに、杜妃様はコテンと首を傾げて、
「えーと。あの子、なんて名乗ってるんだっけ?たしか関興だったかしら」
ああ、興ちゃんの――お、お母さん?!杜妃様が?それって、関羽のお義父様と杜妃様が夫婦だったってことで……
「あーまあ、その辺の事情は深く詮索しないで。とにかく、舞ちゃんと蘭玉ちゃん・華さんの面倒は依頼主から私が一任されたので、安心して過ごして下さいね☆」
「こ、こちらの方こそ、どうぞよろしくお願いします」
「そうと決まれば、早速入学手続きを取らなくちゃ」
「入学手続き?」
驚いたことに、曹魏の高位貴族や上級将校の令息・令嬢は、15歳になると許昌の都に設立された学園とやらに入学するしきたりだそうだ。そこで貴族としての心得や教養を学び、加えて男子は政治家や将軍になるための兵法・武芸などの基礎訓練、女子は花嫁修業(←古っ)をするらしい。
「舞ちゃんは17歳だから3年生に編入されるわ」
「はあ……」
今さら花嫁修業って言われてもねえ。私、すでに関平様と結婚しちゃってるし。それに私は敵国の姫だから、目の敵にされてイジメられちゃうかもしれない。
だけど私たちの疎開を受け容れてくれた杜妃様の意向には逆らえないわ。
編入試験もそれなりの成績でパスし、いよいよ転入初日。
一番前の席に腰かけていたら、不良っぽい男子数人に早速からまれてしまった。
「へーい、カワイ子ちゃんよぉ。見ない顔だな」
「初めまして。今日から学園に編入する劉舞と言います」
「げっ!劉姓って皇族かよ?」
「いえ、確かに遠い先祖は皇族でしたが、私自身はその……荊州出身でして」
「はあっ、劉表の?!敵国の姫さんが何でここにいるんだ?」
「あれだよ、人質として側室に入れられちゃって」
「ってことは、殿様にもうエロいことされちゃってるわけ?」
「俺たちにもエロいご奉仕してくれないかなーフヒヒ」
私は男子の卑猥な話に耐えられなくなって、真っ赤な顔で俯いていると、
「やめなさーい!あんた達みたいな猿が転入生をいじめるなんて、この私が許さないわよ!」
と勇気ある女生徒が駆けつけて来てくれた。
「うへぇっ、堅物の副会長様だ!」
「やべ、逃げろ!」
慌てて私の周りから散って逃げて行く不良たち。副生徒会長は私の背中を優しく撫でて、
「もう大丈夫よ。ごめんなさいね、不愉快だったでしょう?」
「いえ。敵国の姫である私は、あの人たちの言うとおり、ある意味人質みたいなものですので」
「そんなに卑下しなくても大丈夫。私だってあなたと同じような立場だもの」
「えっ、副生徒会長が?」
彼女の名前は甄洛。もとは袁紹の息子・袁煕の側室だった御方。曹丞相が鄴を陥落させた時に召し出され、曹丕殿下によって慰み者にされた過去を持つ。
「敵国だった敗者の姫だからって、勝者にそんな真似をされていいはずがない!私のような目に遭う女性は、私で最後にして欲しいわ」
「か、かっこいい!」
私は甄洛の凛とした生き方に感動した。
「あ、あの……私と友達になってくれませんか?」
「もちろんよ」
こうして、私は生涯の親友・甄洛と出会ったのだった。
◇◆◇◆◇
「はあ……帰りたくない」
授業が終わり、私は溜め息をついた。聞きとがめた隣の席の甄洛が、
「なあに舞、溜め息なんかついて?幸せが逃げて行くわよ」
「実は、実家の荊州からお迎えが来ちゃうのよ」
そう。建安十三年(208)、曹丞相率いる大軍に攻め込まれた荊州は弟の劉琮が降伏し、滅んだ。その後、お義父様の関羽将軍や義弟の興ちゃんの活躍により、関羽将軍が荊州刺史に任命される形で、再び荊州に平和が戻った。そうである以上、私が許昌に疎開している理由がない。
確かに、学園に通うイケメン揃いの令息に劣らぬ美青年の夫・関平様とは今すぐにでも会いたい。
だけど、親友もできて楽しい学園生活にも慣れ、煌びやかな都での優雅な生活を今さら手放すのはちょっと惜しい。
「なるほどね……そうだ!舞のお迎えに来てくれる愛しい関平様を、学園に入学させちゃえばいいんじゃない?」
と副生徒会長の甄洛が提案した。私は首を傾げて、
「それが一番いい解決法なんだろうけど……大丈夫かな?」
「平気、平気。だって学園卒業まであと一年じゃない!関羽将軍と言えば、泣く子も黙る一騎当千の猛将でしょ?跡取り息子が一年くらいいなくたって、余裕で州内を治められるわよ。関平様だって、学園卒業となれば箔が付くんだし」
「いえ、そういうことじゃなくて、彼の中途編入は可能なの?って意味で……」
「大丈夫、私に任せなさい!親友の幸せは私の幸せ。荊州刺史だって立派な二千石の貴族。副生徒会長の権限をフルに使って捩じ込んで見せるわ!」
と言って、甄洛はウインクした。
多くの三国志を題材にした小説では、赤壁後は劉備の国盗り物語に移行しますが、筆者は劉備の成功譚にはまったく興味がないので、しばらく歴史から離れた学園モノ+乙女ゲーム展開になります。




