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三国志の関興に転生してしまった  作者: タツノスケ
第四部・赤壁炎上編
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98.建安十四年

ここで、オレたちを取り巻く建安十四年(209)の概況を整理してみよう。


まず荊州。

赤壁の戦い後、曹魏の江陵を陥落させた周瑜がオレの居座る建業に攻め込んだ隙を突いて、名目上()()()の鄧艾が江陵を再び奪回した。鄧艾は関羽のおっさんに江陵の城を委譲し、江陵は孫権と同盟を結ぶ劉備の相棒・関羽が領有することとなった。


案の定孫権は「江陵を返還して欲しい」と要求したが、関羽のおっさんは、


「貴公と同盟を結んだのは劉備将軍であって、俺は劉備将軍の配下ではない。それに俺は、いったん()()()に占領された江陵を奪い返して改めて領有したのだ。貴公に返さなければならない理由など存在しない」


と突っ撥ねた。詐欺師のようなヘリクツに怒り心頭の孫権だが、周瑜率いる無敵艦隊をこれまた名目上()()()のオレに壊滅され、戦力が大幅ダウンした今となっては反撃のしようもない。

やむなく魯粛が関羽のおっさんのもとを訪れ、外交の席で、


「今日のように、貴公が荊州を領有できるようになったのは、孫権将軍が赤壁の戦いで曹魏軍を退けてくれたおかげではないか!恩を仇で返せば、いずれその報いが身に降りかかりますぞ!」


と脅し文句を述べた。裏では「劉備将軍との同盟を進言した僕の顔を立てると思って、なんとか頼むよぉ~」とひたすら平身低頭で懇願する魯粛であったが。


孫権が抱く怨嗟の矛先を、関羽から劉備にすり替えるべきだと主張する軍師・龐統の勧めに従い、飛び地のようになっている荊州南部の長沙を、江陵の代わりに孫権に譲ることにした。


まあ、傷寒病の癒えた元・曹魏の兵を吸収したものの、六万の兵で割拠するには荊州全土は広すぎる。長江北部の唐県・襄陽・江夏・江陵くらいがちょうどいいのは確かだ。


この時、魏延・蒋琬が孫権ではなくオレたちの配下になることを願い、江陵に移って来た。有能な人材が増えて助かるなあ。なお、黄忠は関羽のおっさんと相性が悪く、長沙を出奔して劉備に仕えた模様。


そして、江夏で療養中の劉琦が死んだ。

史実ではあまりにも劉備に都合の良すぎるタイミングでの劉琦の死に、前世の俺は劉備の陰謀を感じないでもなかったが、病弱だった劉琦がこの年に命を落としたのは本当に偶然だったと、今のオレならそう言える。


ところが、赤壁後のどさくさに紛れて荊州南部の桂陽・零陵・武陵の三郡を押さえることに成功した劉備が、あろうことか江夏の領有権を主張して来やがった。


「俺は亡き江夏太守・劉琦殿に後見を頼まれていたのだ。劉琦殿が死んだ今、俺が江夏を獲るのは当然の権利だろう」


アホか!孫権が黄祖を滅ぼした際に放棄した夏口の城を、最初に占領したのは関羽のおっさん。ボロボロになった夏口城に資金を提供して整備したのはオレだ。そして今、現に夏口城に駐屯しているのもオレたちなのだ。どう考えたってオレ達が江夏を領有するのが当たり前だ。


「馬鹿馬鹿しい。亡き荊州牧の劉表殿の遺児は舞姫のみ。子のいない劉琦殿の遺産は妹君の舞姫に相続されるのが道理。その舞姫は我が兄・関平の妻となっているのですが」


うぐっと言葉に詰まる劉備。


「それに亡き荊州牧の劉表殿が、後を嗣がせた劉琮殿の後見に選んだのは我が父の関羽です。失礼ながら劉琦殿には劉表殿から何の権限も与えられなかった……」


「いや、劉琦殿が江夏太守に任命されたのは事実。彼に江夏太守を勧めたのは我が劉備軍の軍師・諸葛孔明だ」


「それで?孫呉の来襲を恐れて夏口城に入らず、1万の兵とともに安陸で震えていた劉琦殿をようやく夏口城に迎え入れたのは、諸葛孔明でも貴殿でもなく、父の関羽ではありませんか?」


「ぬ、盗っ人猛々しい奴めっ!どうしても江夏を返さぬなら、おまえらと一戦を交えてもよいのだぞ!

こちらには一騎当千の張飛・趙雲、それに黄忠がおる。天才軍師の諸葛孔明や徐庶も控えておるのを忘れるなよ」


劉備の空威張りにオレは思わずプッと吹き出し、


「戦下手と噂の劉備将軍は、戦のことが全然分かっておられぬ。決闘じゃあるまいし、武将どうしの一騎討ちや知能だけで勝敗が決まるものではありません。

 できるものなら、どうぞお好きに攻めて来なさい。

 我が荊州軍は兵六万に周瑜提督を叩きのめした軍船三十隻を擁しております。いくら天才軍師の諸葛孔明とはいえ、輸送船しか持たぬたった一万ぽっちの弱兵で何ができましょうか?

 しかも長沙には孫権軍が領土拡張を狙って、虎視眈々と劉備将軍の隙を窺っているとか。自分の領地を空にして我が夏口城に攻め込めば、確実にその留守を孫権に襲われましょう。再び寄る辺を失った貴殿は、今度はどこに落ち延びるつもりですか?

 ああ、父上を頼らないでくださいね。たとえ父上が許しても、一度刃を向けた敵に(すが)ろうなどという甘い考えは、オレが認めませんから。

 その時、古い付き合いの張飛と簡雍くらいは貴殿について来てくれるでしょうが、同じ過ちを何度も繰り返す貴殿にいよいよ愛想を尽かして、他の者は放浪を拒絶するでしょうね」


実際、オレは劉備軍のある武将から内密に鞍替えを打診されているのだ。今は時機が悪い、しばらく待つようにと返事を出しておいたが。

沈黙したままオレを睨みつける劉備将軍に、龐統が横から口を挟んで、


「劉備将軍。江夏なんて小っぽけな領地など捨て置き、今こそ諸葛孔明の「天下三分の計」を実行する時ではありませんか?

 益州の四方は山に囲まれ外敵の侵略を阻み、内は沃野が広がる天賦の地。ここを己が領土に組み入れることができれば、漢室の復興を志す劉備将軍の英雄譚の確実な一歩となりましょう。

 我が友軍である劉備将軍が益州を押さえてくれれば、我々は西からの脅威に備える必要がなくなり、全力で曹操に当たることができます。そのための援助なら惜しみません。

 いかがですかな?……あの凡暗の劉璋が刺史を務める益州を乗っ取るのは、百戦錬磨の劉備将軍にとっては難しいことではありますまい」


龐統がニヤリと悪い笑みを漏らす。

劉備もその気になったのか、


「益州か……それも手だな。

 おい、クソガキの関興!おまえの軍師が先に提案したとかヘリクツを()ねて、益州の領有権を主張するのはナシだぞ!いいか?益州のプライオリティは俺にあるんだからなっ!」


しねーよ!そもそもヘリクツを()ねて、江夏の領有権を主張しやがったのはおまえの方だろーが。


手ごたえを感じた龐統は、とどめに懐から一通の(ふみ)を取り出し、


「実は先日、劉璋の侍人である張松という者から関羽殿宛てに内応の(ふみ)が届きましてな。これを劉備将軍に譲りますゆえ、上手に活用するとよいでしょう」


と劉備に差し出した。受け取った劉備はつらつらと読み、満足げに頷くと、


「なるほど。龐統殿、有益なアドバイスを感謝いたす」


と言って、浮かれるように屯所の公安に戻って行った。さすが鳳雛、あの劉備のクソ野郎を舌先三寸で転がしやがった。

だがまあ、裏切りが常の劉備と欲深い孫権の急襲に備えるためにも、しばらくの間オレたちは夏口城を拠点とするしかあるまい。

というか、女神孔明は姿も見せずに何をやってるんだ?




次に揚州。

周瑜の名声を慕ってか、呉郡の四大名族である陸遜・顧雍・朱然らが曹魏の会稽太守である孫紹に仕官した。オレも狙っていたのに。だが欲張ってはいけない。徳治、徳治。


名臣らの活躍で、三年後には孫紹の治める領地は見違えるほど栄えているだろう。

それに孫紹と同盟を結んだおかげで、会稽から産出される銅と錫を安く手に入れることができるのだ。これらを原料に我が領内で五銖銭を私鋳することによって、いくらでもニセ金を作れるようになった。ウヒヒ。



その一方、揚州で最も栄えていた江東三郡を失い、豫章・廬陵の二郡と、魯粛の顔を立てて譲ってやった長沙、および歩隲(ほしつ)が遠征して獲得した交州の一部を領有する孫権は前途多難のようだ。


もともと山越族の居住地を漢族が蚕食したせいで、山越との折り合いが悪く反乱もしばしば起こっている土地柄の上に、孫権が力でねじ伏せようとするものだから、兵はいくらあっても足りない。三万の兵はほぼ城の防衛と治安維持に回しているそうだ。

山越が孫権領をたびたび襲撃し、まともに耕せなくなった土地はやせ衰え、思うように穀物が収穫できず、民は重税で疲弊するありさま。


オレなら長沙と交州は損切りして、豫章・廬陵の二郡に軍備と資本を集中投下し、全力で開発するけどな。足元が安定し余力が生じれば、徐々に長沙そして交州へと駒を進める。十年後には、確実に赤壁前夜の国力にまで回復できるだろうに。


まあ、かつて揚州全域を支配していた孫権のプライドが、そんな迂遠な復興計画を許さないのだろう。


外交においても失策続きだ。穏健で誠実な魯粛のおかげでなんとか均衡を保っているものの、四方を取り巻く劉備・関羽・孫紹それに交州の士燮(ししょう)は、みな孫権を信用していない。


本来なら、斯くも孫呉の国力を削がれる原因となったオレを不倶戴天の敵とみなすべきだろうが、魯粛の顔を立てて長沙を譲渡してやったおかげか、関羽軍への敵意はそれほどでもない。むしろ同族ながら曹魏に亡命した上、丹陽・呉郡・会稽の三郡を奪った孫紹を憎み、国境付近で領界侵犯を繰り返している。と言っても、孫紹が曹魏に降ったのは孫権の猜疑心が招いた自業自得だと言うのが、世間のもっぱらの評価だ。


その孫紹とオレ(つまり関羽軍)は、いずれも()()()()曹魏に仕えていることもあって、協力関係を築いている。ならば孫権は劉備と同盟を結ぶ一択だろうが、我が龐統の離間策にまんまと嵌り、益州の主権をめぐって劉備軍とは一触即発のようだ。


豫章に潜む斥候の報せでは、近ごろ対劉備強硬派の呂蒙の勢力が台頭し、融和派の魯粛は孫権に疎んじられ、家に引き籠りがちだとか。うーむ、魯粛の亡命もあり得るかもな。こっそり誘ってみるか。



そして曹魏。

史実と同様に、天下統一が目前に迫って目が眩んだのか、曹操は江東の孫権に対して持久戦ではなく苦手な水軍による即戦に挑んだため、孫権・劉備の連合軍に赤壁で大敗してしまった。これで曹操の野望は潰えた……かに見えたが、関興・徐晃・張遼らBチームによる“屋島作戦”の成功で孫呉の江東三郡を獲得し、曹魏は赤壁の大敗のダメージをおおかた払拭できた。

その結果、曹操の手による天下統一の可能性が再び高まった。


とは言っても、曹操の政治体制は、赤壁の戦い前後で一変した。


袁紹と劉表を滅ぼして天下九州を手にし得意の絶頂にあった曹操が、戦わずして孫権を降す荀彧の策を退けたことが、赤壁の敗戦の原因であることは明らかであった。曹操は「君の意見が正しかった」と荀彧に謝罪し、表面的には二人の仲は修復された。が、荀彧は曹操に失望し、逆に曹操の腹の中では荀彧を疎む気持ちが芽生え始めていた。


また史実とは異なり、新たに荊州と揚州に曹魏の領土を広げたが、荊州を平定した関羽やオレが内心では荊州の割拠・独立を企んでいると分かっていても、戦いの論功行賞では関羽に荊州刺史・鎮南将軍の称号を与えざるを得なかった。会稽太守にはオレの協力者たる孫紹が任命された。


つまり、新しく獲得した領土は名目上は曹魏に属しているが、実質的には関羽とオレが実権を握り、曹魏から半独立しているような形態となったのだ。(たと)えれば、唐における安史の乱後の「河北の三藩鎮」のような勢力、日本でいえば幕末における薩摩藩のような勢力だと捉えるのが分かりやすいか?


当然、曹操が目論んでいた天下統一の形とは大きく異なる。

いずれ関羽・関興から己が手に荊州・揚州を奪い返さなければならない。

が、その妙手が思い浮かばない曹操の苛立ちは募るばかりであった。


そうした中、曹丕に内定していた丞相・曹操の後嗣ぎの件は白紙に戻った。

最有力候補であった曹丕は、赤壁の戦いで大敗の原因となった失策の責任を負わされ、いわば自滅したのだ。

史実と大きく異なる展開だが、大丈夫か?曹沖も()()生きているし。

シナリオ強制力が働いて、何か良からぬ事態に陥らなければよいのだが……。


***********************************************


関羽【荊州刺史・鎮南将軍】

支配領域:荊州(長江北部)/府:唐県

兵数:六万

主な武将:関羽・甘寧・鄧艾・龐統・関平・魏延・蒋琬・劉靖・潘濬・張仲景・劉巴・関興

※名目上、曹操から荊州刺史の地位を授けられているが、実質的に半独立。


孫紹【会稽太守・討虜将軍】

支配領域:揚州の丹陽・呉郡・会稽の三郡/府:建業

兵数:三万五千

主な武将:孫紹・周瑜・沈友・張紘・陸遜・顧雍・朱然

※曹魏の傘下で将来的に割拠を企む。関羽軍と同盟を結ぶ。陸遜・顧雍・朱燃は呉郡の四大名族。周瑜の求めに応じ、孫紹に出仕した。


劉備【旧左将軍・豫州牧と自称】

支配領域:(荊州南部)の武陵・零陵・桂陽の三郡/府:公安

兵数:一万八千

主な武将:劉備・諸葛孔明・張飛・徐庶・趙雲・孫乾・麋竺・黄忠・簡雍・伊籍・陳到・馬良

※おおむね史実どおり、赤壁の戦いで漁夫の利を得た劉備であった。次は益州への進出を虎視眈々と狙っている。


孫権【称号なし。揚州牧と自称】

支配領域:揚州の豫章・廬陵の二郡と長沙・交州の一部/府:柴桑

兵数:三万三千

主な武将:孫権・魯粛・呂蒙・張昭・薛綜・諸葛瑾・徐盛・潘璋・歩隲・賀斉

※赤壁の戦いでは程普と黄蓋の二老将が周瑜に誅殺され、関興との牛渚の戦いでは董襲・周泰・朱桓ら多くの将軍が討ち死にし、戦力が大幅ダウン。また、広陵で包囲されていた呂範は兵1万とともに曹魏軍に投降した模様。

史実と異なり、最も敗戦の痛手を受けたのが孫権と言えよう。


曹操【丞相・大将軍】

支配領域:幽・并・冀・青・徐・兗・豫・司隷・(荊)・(揚)の十州/府:鄴

兵数:五十万

主な武将:曹操・曹丕・曹沖・荀彧・荀攸・程昱・賈詡・夏侯惇・夏侯淵・曹仁・于禁・張遼・徐晃・董昭・桓楷・田豫ら

※許昌に後漢の天子を擁する、天下統一に最も近い曹操。赤壁の戦いでは曹丕の失態により、周瑜に軍船を壊滅させられ兵数万を死なせたが、関興・徐晃・張遼らBチームの活躍で江東三郡を獲得することができ、大敗のダメージを挽回できた。が、実質的に荊州は関羽が半独立、江東三郡も孫紹が割拠を目論んでいる不穏な空気。


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[一言] 朱然にすら寝返られる孫権哀れ…… むしろ虞翻や張昭が孫紹の所に逃げてもおかしくないのに この劉備と孫権の性格上、劉備は趙雲と孔明、孫権は魯粛と諸葛瑾を失うと暴走しそうだなと個人的に思いまし…
[気になる点] そういや太史慈はどっち?それとも戦死?
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