93.諸葛孔明、東南の風を祈る
一方、曹魏を迎え撃つ孫呉の陣営では。
三国志演義に登場する十万本の矢の話やら、聚鉄山にある糧倉の焼き討ちの話やら、周瑜と諸葛孔明の知恵比べという名のマウント取り合戦が恙なく行われ、互いの知謀を認めた二人は、曹魏を撃退する計略として掌に「火」の字を書いて見せ合った。
「おお、割符を合わせたようだ」
周瑜と諸葛孔明は高笑して喜び、決して他人には洩らすなかれと秘密を誓い合った。
そんな最中、曹魏軍の陣営に鳳雛と呼ばれる荊州の知恵者・龐統がふらりと現れて連環の計を述べ、船と船を鎖でつないで揺れを抑える策を献じる。
「あたかも水上要塞のごとく、敵を威圧するのです」
実際、試運転の日の天候は、大風が吹き荒れ白々と立つ長江の波浪が暴れ気味で航江には厳しい条件だったが、連環の計によって鎖でがっしりと繋がれた船と船とは、安定して動揺の度が少なかったので、兵の士気は甚だふるうのであった。
ところが。
「丕殿下。不吉なりとお気に障るやも知れませんが、この烈風を見てふと心に引っかかることがありまする」
旧荊州牧・劉表の家臣であった裴潜が首を傾げる。
「何が不安か」
「なるほど隣同士の船の首尾を鎖で相繋げば、こういう荒れた天候の場合でも、船の揺れは少なく水戦に馴れぬ将兵の間に船酔いも出ず、至極名案のようですが、万一敵に火攻めの計を謀られたら、これは一大事ではありますまいか」
裴潜の話を聞いた曹丕は憂えたが、側に侍る程昱が一笑に付し、
「丕殿下、案ずるまでもありません。時いま十一月。西北の風が吹く季節で、東南の風は吹くことはないのです。わが陣は北岸にあり、孫呉は南から攻めて来ます。敵がもし火攻めを行えば、自ら火をかぶるようなものではありませんか!」
と言い、程昱は声を潜めて曹丕の耳もとで、
(それに我らが出陣の目的は、会戦と同時に敵軍の右翼を担う程普を寝返らせ、陣形が崩れたところを挟撃して一気に押し潰す作戦。敵が火計を使う間もなく、勝敗は決しましょう)
とささやく。曹丕は「うむ、程昱の言うとおりだ。周瑜など恐れるまでもない」と嬉しそうに頷いた。
いよいよ十一月二十日甲子決戦の日を迎えようとしていた。
-◇-
昨夜の雨嵐が去り、朝霧が晴れた晩秋の陸口。
「提督!あ、あれを……」
と兵卒が指差す方向を見た周瑜は驚愕した。
対岸の烏林の陣営には一夜のうちに、おびただしい数の楼船が要塞のように連なり、先導には艨衝が水面を隠さんばかり、鎌首をもたげて出撃を今か今かと待ち構えているのだ。
「くっ、さすがは曹操め!千の軍船を並べやがったか、威圧がビシビシ来るわっ。あんな偉容は見たことがない。いかにしてこれを破るべきか」
周瑜が指の爪を噛み思案にふけると、やがてうぐっと呻き声を漏らして血を吐き、その場に昏倒してしまった。
「提督っ!」
「だ、誰か医者を呼べっ!」
周瑜は気を失ってしまったものらしく、体をかかえ上げられ運ばれる途中に目を覚ますことはなかった。
「提督の病は重態に陥ったようだ」
「まさか傷寒病ではあるまいか?」
との噂がまことしやかに囁かれ、全軍の士気は、落莫と沮喪する。
魯粛は慌てて諸葛孔明の乗る船へ出かけ、
「はやお聞き及びでしょうが、周瑜提督がお倒れ申した。どうしたものでしょうか」
と、善後策を相談した。
「魯粛、あなたが水軍の指揮を執ればいいじゃない」
と他人事のように告げる孔明に、魯粛は呆れて、
「そう簡単に事が済まないから、こうして相談に来てるんじゃないか!左提督の周瑜が不能であれば、次の指揮官は右提督の程普が全軍を掌握する。
君も知ってのとおり、奴は秘かに曹魏へ寝返りを考えているんだぞ!このままじゃ孫呉は降伏一直線だ」
やれやれと腰を上げた孔明は、
「だったら、周提督の病を治せばよいのでしょう?」
「もとより回復すれば、なんの問題もござらぬが……」
「この孔明にお任せあれ。周瑜提督の病を全快させましょう」
二人連れだって周瑜を見舞うと、孔明はベッドに臥せる周瑜に向かい、
「曹公を破らんと欲すれば宜しく火攻を用うべし 万事備うも只だ東南の風を欠く」
と呪文を唱えた。
晩秋は北西の風ばかりが吹く季節である。長江北岸の曹魏軍に対して火攻めの計を仕掛けようとすれば、かえって味方の軍船が自ら火をかぶる恐れがある。孔明は、周瑜の病がそこにあるものと図星を示したのである。
周瑜は、がばっと身を起こし、
「こ、孔明!なぜそれを……」
「心配しなくても大丈夫。私は『八門遁甲の天書』を授かっているもの。風伯雨師を祈る秘法を用いれば、周瑜提督のお望みどおり東南の風を吹かすことも可能よ!」
「孔明!おまえは……俺と組めば最強だ。結婚してくれっ!」
と言って、周瑜は美女の孔明を抱擁する。
「きゃー!ちょっと、やめなさいよ変態!セクハラ親父!」
「何を言う?イケメンの俺に抱かれて喜ばぬ女など今までいなかったぞ」
「あーもう!そういうナルシストなところが嫌いなのっ。あんたと結婚するくらいなら、関興と……」
女神孔明は「関興と結婚した方がマシ」と言おうとした続きの言葉を慌てて飲み込んだ。
(やだ、私の推しは劉備玄徳のはずなのに……)
「あ、あんたと結婚したら、下僕の関興に「イケメンに弱い師匠」と腹を抱えて笑われるから、プロポーズは受けられません。残念だけど」
と誤魔化す。周瑜は鼻白んで、
「ふーん。まあ、俺のために東南の風を吹かせてくれるならいいや。で、具体的にどうするんだ?」
「南屏山の上に七星壇を築いてちょうだい。私は巫女となり斎戒沐浴して身を浄めます。
十一月二十日は甲子にあたるから、この日にかけて祭すれば三日三夜の後に必ず東南の風が吹き起こる。孔明の一心をもって、天より風を借らん」
(本当は、【風変】コマンドを唱えれば一発なんだけどね)
と苦笑いする女神孔明。
「まずは手抜かりのないように万端待機することね。もし東南の風が吹けば、時を移さず敵へ攻め襲せられんことを」
「分かっておる。頼んだぞ、孔明」
そして二日経った十九日の夜更け。星は澄んで灰色の雲も動く気配がない。長江の水は眠れるごとく、小波を立てたままである。周瑜は怪しみ、
「決戦は明日ぞ!なのに、孔明の祈りの験は一向に見えないじゃないか。よく考えれば、晩秋に東南の風が吹く気候など起こるはずもない。くそっ、さてはあいつの巧言に騙されたか?」
と舌打ちをしたとたん、暖かな風が周瑜の頬をなぞる。
「やっ?風模様が」
「吹いて来た、東南の風だ」
周瑜も魯粛も思わず叫んで、轅門の外に出た。見まわせば、陣の周囲に立て並べている旗が、ことごとく西北の方に向ってはためいている。
恐るべし孔明とばかり、周瑜が「孔明を斬る!」と叫んで大騒ぎしたのを魯粛が宥め、「曹魏を討つ方が先でしょう」と正論を吐く中、孔明は南屏山からそっと姿を晦ませ、趙雲の迎え船に乗って夏口の劉備の城へ帰って行った。




