92.関興、孫呉に反撃の狼煙を上げる
オレたち関羽軍と曹魏軍Bチームの連合軍は、曹魏軍Aチームが赤壁の戦いで周瑜に負けることを前提に動く。たぶん【先読みの夢】のとおり、烏林の軍船は周瑜の火計ですべて燃やされ、全滅するだろう。
むしろその方がこれからの作戦上、望ましい。長江の制水権を孫呉が掌握したと考え、曹魏は長江を渡って江東を攻撃するすべはないとみなして、警戒を解くからだ。
まずは賈詡が口火を切った。
「それで秦朗よ。赤壁という局所戦では負けるが、“対孫呉戦”という大きな枠組みで見れば引き分けに持ち込むと言ったが、具体的にどうするのだ?」
「待ってくれ!赤壁の敗戦に巻き込まれ、敵の水軍に追われる曹丞相を烏林の軍営から安全に逃がす手段を考える方が先だ!」
と張遼が制する。オレは事もなげに、
「烏林の軍営から敵軍の包囲を突き破って長江をさかのぼり、軍事拠点の江陵に逃がそうとするから難しく思えるのです。
烏林から北に真っすぐ向かえば、歩いて三日で漢水のほとりに出ます。早馬なら半日でたどり着けるでしょう。どなたか輸送船と水軍兵三千を率いて華容の渡し場で待機し、烏林から逃れて来る曹丞相と将兵らを収容して襄陽に逃げれば、丞相の安全は確保できます。
オレとしては、大敗して茫然自失の曹丞相を慰める役割を兼ねて、この中では一番丞相の覚えがめでたい荀攸殿にお願いしたいのですが……」
「分かった、私が引き受けよう。ただ、私には輸送船を率いる能力はないので、それは史渙殿に頼みたいところだ」
荀攸の依頼に史渙が頷いて応じる。曹操の身を案じる忠臣の張遼もホッと安堵したようだ。
再び最初の議論に戻り、赤壁という局所戦では負けるが引き分けに持ち込む方法について賈詡は、
「例えばの話、失った領土は別の領土を奪うことで相殺できよう。最もリスクが低い、涼州の馬超・韓遂を滅ぼして曹魏に吸収するという策はどうだね?」
あーこれは仁者の荀彧には絶対受け入れられないだろうな。案の定、荀彧は賈詡の意見に反対して、
「それは戦国時代の弱肉強食の論理だ。秦に奪われた領地を補填するために弱国を攻めてこれを脅し取るような、仁徳のカケラもない虎狼の行ないがこの時代に通用するはずがない」
うん、荀彧らしいや。でもオレは賈詡に賛成し、
「失った領土を別の領土から取り返すやり方は、策としては良いと思います。赤壁で孫呉にやられた仇は、孫呉の建業で晴らす。これなら、仁徳のカケラもない虎狼の行ないなんて非難されません」
「理屈はそうかもしれんが……烏林の軍船が壊滅するのを前提に作戦を立てるのだろう?船がない以上、寿春から長江を渡って建業を攻めるのは難儀だぞ」
と張遼が懸念を示す。オレはニヤリと笑って、
「ああ、確かに曹魏軍Aチームの所有する千隻の軍船は燃えちゃうんでしたね。でも心配ご無用。オレは軍船を持ってるんです、唐県に三十二隻」
鄧艾に隠してもらった、江夏から奪って来た軍船の出番だ。
「だが唐県から漢水を南下し長江に出れば、周瑜の水軍の餌食になっちまうぞ」
「大丈夫です。孫呉の者も含め、皆さんきっとそう考えるでしょうが、建業を攻撃するルートは一つだけじゃありません。ここ唐県から桐柏ダムを超えて淮河を下るんですよ」
荀彧が出資し鄧艾が工事を監督して、三年がかりで完成した桐柏ダムの本来の正しい使い道だ。甘寧と徐晃はうんうんと頷く。
「それに、オレは正面からまともに建業は攻めるつもりはありません。搦め手から奇襲します。名づけて屋島作戦」
四国の屋島に水軍を率いて布陣する平家を攻撃するために、源義経は瀬戸内海側から直接攻めず、秘かに摂津から阿波に渡海して背後に回り、少数の騎兵で敵本陣を急襲した作戦に倣うのだ。
さすがに荀彧・荀攸・賈詡らの謀臣も首を傾げ、
「どういうことだ?」
「この日のために、オレは甘寧と江東を探索しました。呉郡の南に裏さびれた砂州があります。そこなら人目につかず上陸が可能です。
荊州の攻略に全力を注ぐ孫呉は、領内の守備に回す兵はほとんど残されておりません。オレの分析では、一郡に二千程度しか守兵はいないはずです。よって、上陸後は無人の野を行くように建業に到達できるでしょう」
オレの説明に荀攸が納得して、
「なるほど。前漢の韓信が蜀の桟道を修理する様子を敵に見せておき、密かに秦嶺山脈を大きく迂回して長安を奇襲した故事にちなむ、明修桟道の計の応用だな。
近年ではたしか、孫策が会稽太守だった王朗を滅ぼすのに、正面から船で城を攻撃せず銭塘江の南岸に上陸し、山を迂回して守備兵が全く警戒していなかった背後から城を陥とした作戦があったと記憶している」
この時、荀彧が良い考えを思いついて膝を打ち、
「あ。そういうことなら、関興君が連れて来た孫紹を旗印に立てて孫呉に攻め込みましょう。彼は会稽の上虞にいたし、従者の沈友は呉郡に実家がある。孫権に謀叛の罪で追われ行方を晦ませた孫紹に同情する声も強い。江東の領民たちは、孫紹を歓迎しこぞって反旗を翻すはずです。
また、漢の朝廷に正式に任命された会稽太守の孫紹が、孫権に簒奪された地位を取り戻すために、曹魏はその手助けをしているとの大義名分も立つ」
さすが荀彧、政治力を使って敵をじりじりと追い詰める策略を立てさせたら天下一だ。徐晃が身を乗り出して、
「面白ぇ!俺も作戦に加えろ」
と迫る。オレは一応荀彧をチラリと見て確認を取り、
「では、曹魏軍は徐晃殿が大将となり、孫紹を奉じて、オレと甘寧が楼船三十隻・兵七千・馬三百を率い、屋島作戦で搦め手から建業を攻略します。
張遼殿は劉馥殿と連携して、寿春の兵一万五千を率い、淮南に残る孫呉の拠点・広陵を牽制しつつ、北方から建業を攻める構えを見せて下さい。敵の目は必然的に長江に向き、背後の警戒が疎かになるでしょう」
「承知した」
と張遼が快諾する。
すると、それまで黙って作戦を聞いていた関羽のおっさんが、
「興、待て。それでは俺たちは、曹魏のためにタダ働きをしてやるようなものではないか?!」
と不満を口にする。ここまでの話を聞けば、当然そう思うだろうな。
「いえ、父上。そうではありません。建業が陥とされたと知れば、赤壁に続いて江陵を攻める周瑜は、必ずや建業奪還に動くはず。奴らが建業に向けて出兵した後、もぬけの殻となった江陵を、父上が難なく頂戴するという寸法です」
というオレの悪どい作戦に、関平君が真っ青になって、
「興、いつからおまえはそんな悪い子になったんだ!
父上は先日まで周瑜と反曹操で結束していたんだぞ。それなのに、手のひら返しで周瑜の江陵を奪ったら、さすがに信義にもとるんじゃないのか!?」
と叱る。賈詡が鼻で笑って、
「さすが正義感の強い関羽殿の坊ちゃまですな。そんな甘い考えでは乱世を生き抜くことはできませんよ」
「なんだと?馬鹿にするな!」
今度は顔を真っ赤にして賈詡を睨む関平君。元服してお婿さんになってもかわいいな……って、いかん。オレも甘寧の変態が伝染ってしまったじゃないか!
「まあまあ、兄上も落ち着いて。父上の名声に傷がつくようなことはしません。それを避けるために、鄧艾を大将に据えるのです。
秦朗が曹魏の武将であることは諸葛孔明も承知。だから、オレの従者の鄧艾も自動的に曹魏軍に属すると認識されます。
その鄧艾が、父上を率いて孫呉領となっている江陵を占拠する。その後、鄧艾が指揮権を父上に譲れば、関羽将軍が曹魏軍から江陵を再び奪回したことになります。実際には、名義変更されて領有権が我々に移るだけなんですけどね」
オレの作戦に納得した関羽のおっさんは、
「なるほど。つまり、赤壁の戦いで曹魏は孫呉に敗れて軍船をすべて燃やされ、江陵を失う代わりに、孫呉からは丹陽・呉郡・会稽と広陵を奪う。
俺たちは曹丞相を救い、曹魏軍大敗のピンチを引き分けに持ち込む手助けをする褒美として、江陵と漢水以東の荊州をもらい、所領を安堵される。そういうことだな?」
オレは頷いて、
「はい。兄上は兵一万で唐県の防衛を担当して下さい。念のため、荀彧様が後見となっていただけると助かります。父上と鄧艾は、参謀の賈詡殿を連れて兵一万を率い、江陵攻略に向かって下さい」
「うむ、分かった。賈詡殿も頼むぞ」
「面倒ですけど、やむを得ませんね。というか、私の参謀って必要ですか?」
賈詡が挑発的に問いかける。
「ええ。オレにも予測できないのが劉備軍一万の動きです。なにしろ、天才軍師の諸葛孔明がいますので。領地を持たない彼らは、たぶん(史実どおり)荊州南部を占拠しに向かうと思いますが、江陵に色気を出して攻めて来た時は、遠慮なく賈詡殿の知謀で追い払って下さい」
「ふーん。そういうことね」
賈詡は不敵に笑みを見せる。鄧艾がブルッと震えた。心配するな、今は味方だよ。
一連の策を聞いた荀彧は、
「ねえ、関興君。君はこの壮大な作戦をいつ思いついたんだい?
江夏から軍船を奪ったり、桐柏ダムを造ったり、古の上海に探索に出かけて上陸地点を調べたり、孫紹と沈友の亡命を後押ししたり……もしかして、四年前に【先読みの夢】を見た時から、すでにこの構想を描いていたとか?」
(あっ、やべえ。さすが荀彧、見破られている)
オレはへらっと笑って誤魔化す。
そもそも、他国を攻めるには長い準備が必要だ。金・兵糧・武器および兵の訓練・士気、それに外交・謀略……etc。思いつきで戦争を起こせば必ず失敗する、曹操がしくじった赤壁の戦いのようにな。
だが、オレがこの構想を描いたのは四年前ではない。前世、俺が曹操ならば、赤壁の水軍を陽動作戦にして、こうやって孫呉を攻めると温めていた作戦なのだ。
荀彧もそれ以上はオレを問い詰めなかった。
あとは史実どおり、周瑜が赤壁で曹魏の水軍を大破するのを待つのみ。それがオレたちの作戦開始の合図だから。
◆関興の描く作戦◆
関羽軍:関羽のおっさん・甘寧・鄧艾・関平兄ちゃん・オレ
唐県に兵三万(うち水軍兵一万四千)。馬三百騎、強弩千張に矢二十万本、楼船三十二隻、艨衝百二十隻。
曹魏軍Bチーム:張遼・徐晃・史渙・荀彧・荀攸・賈詡
Special thanks: 劉馥・孫紹・沈友
寿春に兵二万五千。
孫呉軍:周瑜・魯粛・程普・黄蓋・呂蒙
陸口に兵三万。楼船百隻、艨衝四百隻。
ただし、程普・黄蓋は周瑜を裏切って曹魏軍に降伏しようとしている。
他に、孫権が兵一万で柴桑に大本営を構える。呂範が兵一万で広陵に籠城。賀斉・歩隲がそれぞれ兵一万で山越らを討伐。
残り兵一万で丹陽・呉郡・会稽・豫章・廬陵・江夏の六郡を守備。
劉備軍:劉備・諸葛孔明(女神様)・張飛・趙雲・劉琦
夏口に兵一万。
曹魏軍Aチーム:曹操・曹丕・程昱・于禁・蔡瑁・毛玠
烏林に兵十万。楼船・艨衝合わせて千隻。
ただし、曹操と兵数万は傷寒病で隔離中。また楼船数百隻は、疫病感染源のウ〇コ貯留で使用不可。
他に、江陵(曹仁)・襄陽(曹洪)・樊城(満寵)に兵十万が分散待機。




