出会い Ⅰ
食事の前に着替えを、ということで案内されただだっ広いクローゼットには、見慣れた服は一着も無かった。お姫様が着ていそうな可愛らしいドレスたちが整然と前ならえしている。呆気にとられていると、こちらはいかが、とメイドさんが出してくれた。フリルやリボンがたっぷりあしらわれた水色のドレスだった。さすがにコレは着られない…こんなのは慣れていないし可愛すぎるし、何より動きにくそうだし、確実に裾を引っ掛けてしまいそうだ。せっかく用意してくださったのに申し訳ないが、その旨をメイドさんにお伝えする。
「…そうですか…ではこちらは?」
「それもちょっと…」
今度はピンク、次は赤、その次は…
椀子蕎麦よろしくいろんなドレスが次々と出てくる。こちらはきっとお似合いですよ、とか、お顔が映えて美しいですよ、とか褒めてくれるが、我儘なお姫様になったようにどんどん却下していった。しょうがないじゃない、ドレスは着れないって。
メイドさんとの攻防の末、無理に用意して貰った服―少しだけ胸元にフリルがある白いブラウスに優しい若葉色のシンプルなロングスカートに着替えて、ベッドルームの隣…これまた豪勢な部屋にしつらえられたテーブルに着席する。今回は病み上がり…というのだろうか、特別にここで軽食をとれるように手配してくれたみたい。
「えぇえ!?あれから2日も経っていたんですか!?」
久々の食事とあって、メニューは消化に優しい野菜スープとパンだけにさせてもらった。
バターとベリージャムをたっぷり塗った、こんがり焼き立ての香ばしいパンを頬張ったときだった。朝食のお世話をしてくれている彼女から聞かされた衝撃の事実に喉が詰まりかけ、オマケに目が飛び出そうになった。アングリと開きそうな口を、なんとか思いとどまらせる。
口の中が片付いてから飛び出たのがさっきのセリフ。出てきたのがシェフ自慢のパンじゃなくてよかったと心底思ったが、いやいや気にするところはそれじゃないだろうと思い直す。
「はい、ですから私共はもう気が気じゃなくて…」
「それは本当に…ご心配とご迷惑をおかけしました…」
「いえいえ。何事もなくお元気そうで、よかったです。」
なんてご迷惑を!と、しょんぼりしてしまった私に、なんてことはないと紅茶を注いでくれた。相変わらず美しい絵柄のカップに注がれたそれは、寝起きの体だけではなく心も温めてくれる。
「本日はどのようにお過ごしなさいますか?」
「あ…えと…」
今ここでもう一度、どんな状況なんだという疑問はぶつけてもよいのだろうか?でもサンタさんは、然る御方々とやらから説明がとか言っていた気がするし…
「お身体の調子もよろしい様子ですし、この後のご予定がないようでしたら、庭園の散策などはいかがでしょう?今日はお天気も最高ですし、気分転換にはもってこいですよ。」
「…では…そうします…」
そもそも状況が分からないから、選択肢はあってないようなものなのだが…
そんな私の想いは露知らず、隣からは天気にも負けない陽気な鼻歌が聞こえてきそうだった。
気分転換の散歩は最高だった。そして、最悪だった。
何から何まで私の世話を担当してくれた、笑顔が眩しい彼女はアンナと言うらしい。お仕事も忙しいだろうに私の散歩にも付き合ってくれるというし、なんとなく、このままお世話にならざるを得ない状況がやってくるような気がして、名前を聴いたのだ。
「アンナさんですね」と確認したら「どうぞアンナとお呼びください!」とアタフタしながら顔を青くされてしまった。まだ未熟なメイドの身で「アンナさん」とは呼ばれるわけにいかないと、見たことのない顔つきになって力説されてしまったので、素直に従うことにした。私もサラッと自己紹介をしたら、「カナデさまと仰るのですね!お優しそうな響きのお名前で、とても素敵です!」と、褒められた。今までに無い、不思議な観点からのお褒めの言葉だったのでお礼を言うのに吃ってしまったが、アンナは気に留めることなく太陽を顔に咲かせている。もちろん、私も「さま」を取って気楽に呼んで欲しいと進言したけれど、機械仕掛けのロボットが壊れたかのようにブンブン首を振りながら、一瞬で却下された。
気分転換の散歩が最高だった点といえば、なんと言っても見事すぎる庭園に乱れ咲く色とりどりな花たちの美しい姿と香りだ。
完全に左右対称となるように作られた庭園は、キッチリ切り揃えられた大理石で作られた浅めの円状の池が中央にあって、甘い香りのする花たちと馬や女神の石像が周囲を取り囲んでいた。どうしてこれが左右対称だと分かったかと言うと、庭園に出る前にアンナから聞いていたからだ。実際にこの場所に立って見てみると、確かに対になるように同じポーズとなる石像が置かれていて、そのポーズもキッチリ対称になっていた。
石像は本当にリアルに作られていて、前足を上げて今にも駆け出しそうな馬は、天に轟きそうな鳴き声が聞こえてきそうだ。実は美術が好きで、大学も美術系の学部へ進学していたから、石像を見るのは楽しかった。
少し歩くと、幾重にも重なる花弁を見事に咲き誇らせたバラのような花たちが待っていた。その華やかな姿だけではなく、バニラのような甘い香りも私を楽しませてくれる。朝ごはんはさっき食べたから、この香りで食後のデザートまで頂いたような気分だ。花がこんなにいい香りを放つだなんて、このとき初めて知ったのだった。
そして、最悪だった点は…ここがどうやら本当に、私の見知った国…日本ではなく、どこかヨーロッパを思わせる外国のお城だったということ。庭園に降りてくるまでに肖像画や風景画、高価そうな壺などが飾られた豪華絢爛な廊下や階段を通ってきたのだが、その雰囲気は昔行ったことがある、お城を美術館として利用していた場所とそっくりだと思っていた。外に出て、石造りの重厚な外壁にしっかりした扉を見たとき、本当にお城のような建物だな、なんてのんびりしたことを思っていた。そのことを芳しい花の道を歩く途中でポロリとアンナに溢すと、紛うことなくここはお城だと答えを得た。
曰く、ここは王宮で、国民と自然を大切にする素晴らしい女王がこの城にいて、ウンヌンカンヌン。
色々なことを熱弁していたが「女王が暮らす王宮」だと言われた時点で、ここは本当に日本じゃない、私の暮らしていたあの街ではないという事実を、何よりも解りやすく言葉で突きつけられた。コロコロと鈴の鳴るようなアンナの声も、風に遊ぶ植物の葉の囁きも、漂う花の香りも…さっきまで素敵に思えた一切の感覚に対して、すっかり興味を失ってしまった。
それでもゆったりした歩みは止まることなく、のんびりした足取りで、植物でできた巨大迷路を進み続けた。