理解不能な現実 Ⅲ
さっきまでは確かに理解できていなかったよね、何でなんで!?と、おかわりの水を飲むことも忘れてひとり目を白黒させていると、サンタさんがフフフと含み笑いを零して、ひとこと。
「確かに味はよろしくないでしょうが、効能が保証されている気付け薬のようなものです。効果は抜群のようで。」
「あはは…」
ええ確かに、気付け薬としての効果以上の成果が発現していますよ、身を持って実感しております。そして、味に関しても言わずもがなでございます…
舌に残った後味の悪さを思い出し、くぴくぴと水を流し込む。本当にこれはただの水のようで、おいしい。いや、さっきの薬と比べたら雲泥の差だ。水ってこんなに優しい味だったのねなんて感動すら覚える。
おかわりも綺麗サッパリ飲み切ったところで、あの笑顔がかわいいメイドさんが首を僅かに傾げ、水挿しをクイッと軽く持ち上げて、伺っている。
「お水、ありがとうございました。もう結構です。」
そう言ってカップをトレイに返し、お礼の意を込めて彼女に微笑み、軽く会釈をした。なぜだか軽く息を飲み込んでびっくりした様子だったが、さっきと同じくにっこり笑って「とんでもございません」と言われる。何やら声が少し弾んでいるようだ。
ゴホンッ!とその場の空気を区切る音がして、その発生源―厳格なメイドさんを見ると、睨みはしないがキリリとした眼差しで私を見ている。
「お身体にお変わりはございませんか。」
「はい、腰を打った時の痛みがまだありますが、それ以外は…」
「左様でございますか。」
あまり表情を変えることなく、声音が僅かに変化しただけだったが、ちょっぴり心配そうな、そんな感情が伝わってくる。
「ご心配をおかけしました。それで…えっと…」
言葉が通じるとなれば、尋ねたいこと山の如し、である。疑問が一気に雪崩れ込んできて、言葉が詰まっている私に、のんびりと優しいサンタさんが会話を続ける。
「お疲れも溜まっておいででしょう。もうしばらくお休みくだされ。」
「あの、それより…私のスマホ…荷物はどこにありますか?知人に連絡をしたいのですが。」
サンタさんは私の荷物の存在を知らないのか、キョトンとした顔になった。後ろの二人を見遣るが、彼女たちも首を静かに振る。
「ええと…困ったな…あ、では、ここは何処ですか?階段から落ちたと思ったら見たことのない場所にいて、何がどうなっているのか分からなくて…」
またしても残念そうに首を振るサンタさん。
「あなた様の疑問は、我々の口からではお答えできかねます。然るべき御方々から、直に説明がございましょう。」
「えっ、それじゃあ困るんです。早く…」
「申し訳ございません。」
「はぁ…そうですか…」
せっかく会話が出来るようになったのに、期待した回答が得られない。リュック、まさか盗まれたとかは…ないと信じたい。そしてどんな状況になっているんだ、御方々って一体誰だ、などと思いながらも、もう諦めた。だって、オーディションに落ちたついでに階段からも落ちたら、見慣れたコンクリートじゃなくて石畳の上にいて、男の人に怒鳴られたと思ったら意識を失って、気がつくとリュックは迷子になっていて私はフカフカベッドで寝ていて、得体のしれない薬を飲んだら理解できなかった言葉が分かるなんて。理解できる範疇など…自分でどうにかできる範疇など、とうに超えているもの。
こうなったらなるようにしかならないんだからと、頭が振り切れてしまった。でも心の中でサークルのみんなには謝り倒したのだけど。
モゾモゾとベッドに逆戻りして、脳天気なフリをして自分の意志で夢の世界へダイブした。噛み締めた唇が痛い。
「どうしましょう、やっぱりどこか具合が…」
「そうですね、先生にもう一度見て頂いたほうが良さそうですね。」
声をひそめた人の話し声で目が覚めた。知らずしらずのうちに疲れが溜まっていたのか、はたまた不思議な薬の効果なのか、あれから夢を見ることもなくグッスリと眠りこけてしまったようだ。
「おはよう…ございます?」
体を起こして、扉の所でヒソヒソ話している後ろ向きの二人に声をかけるが、今が「おはよう」の時間なのかよく分からなくて語尾が上がってしまう。あぁ、でも目が覚めたばかりだから、あながち挨拶として間違ってはいないか。
離れた所にある窓からも、重厚なカーテンの隙間から明るい日差しが差し込んでいるから、夜ではなさそうだ。
「ああ!よかった、お目覚めになられましたか!」
同時に振り向いた二人は、さっきお世話をしてくれたメイドさんたちだった。思わず安堵の声が出てしまった、と言わんばかりの反応を示したのは、言わずもがな若い彼女。
「おはようございます。お加減はいかがでございますか?」
「お陰様で腰の痛みも引いて、日頃の疲れも取れたように思います。」
「左様でございますか、それはようございました。」
心なしか、キリリとした雰囲気も少し和らいだような口調で、わずかーに、本当に僅かに微笑んでくれたような気がした。
あら、お顔が綻ぶと凄く美人さんな予感だわ、なんて素頓狂なことを思いながら、私も表情を和らげた。
「ああそうだ!ちょうどパンが焼ける頃合いですから、朝食はいかがですか?」
いかにも重要なことを思い出したと言わんばかりに、相変わらず大きな笑顔が咲いている彼女が勧めてくれる。さっきまでの深刻そうな雰囲気はどこかに掃き捨てたように、彼女の周りの空気はカラッと爽やかだ。
「…あ、はい…」
そういえばお腹も減ったような気がするなぁと思ったので、素直に頂くことにした。
私達のちょっぴりトンチンカンなやり取りに、とうとう張り詰めていた気が抜けきったのだろうか、決して表情を崩さなかった彼女もつられて苦笑を漏らしている。思った通り、やっぱり美人さんだった。