(3) 回レ回レ
【お題】窓、洗濯機、憂鬱
ずぶ濡れになりながら、上へ下へ、右へ左へと掻き回される。圧縮された狭さ。体裁も纏
まりも一旦棚上げにした上で、ぐちゃぐちゃに混ぜられていた。そうすれば、結果的に綺麗
になるという──未だにその仕組みは、よくは解っていないのだけれど。
「……」
他に人気の無いコインランドリー内に座り、朋絵は独りぼうっと洗濯が終わるのを待って
いた。二対ほど置かれたテーブルと、三・四脚の椅子の一つにどっかり。早々に体重を預け
て突っ伏したまま、時折壊れているんじゃないか? と思う程、大きく揺れ出す洗濯機の挙
動にビクついてはまた脱力するを繰り返す。
(はあ……。こんな事なら、もっとまめに洗濯するべきだったなあ。いや“普通”は、家の
方で捌けなくなるまで放っておかないか……。はは……)
面倒臭い。彼女は心の底からそう思い、そしてようやくと言うべきか悔いていた。ここ暫
く忙殺されていた所為で洗濯物が溜まり過ぎ、自宅アパートの洗濯機を回すだけでは間に合
わなくなってしまったのだ。だからこそ、別段近くもない最寄りのコインランドリーへ、わ
ざわざ残りの洗濯物をぶち込みに来たという訳だ。加えて、こちらが片付けばすぐに再び自
宅へ戻り、追加で回しつつ干すという工程が待っている。
「……何やってんだろ。私」
折角取れた久々の休日に、やっている事と言えば溜まりに溜まった掃除・洗濯。
実家の母に知られれば、またやれだらしないだの、嫁の貰い手が逃げ出すだのと小言をぶ
つけられるのだろうが……今は想像の中の彼女に、悪態を返すだけの気力も沸いてこなかっ
た。只々どっと疲れ、眠気が瞼を重くする。一応正面出入口の大部分に磨りガラスが入って
いるとはいえ、ランドリーのすぐ外には通りが広がっている。あまり若い女一人の無防備を
曝す訳にはいかなかった。こんなぐーたらに……? 自分で自分をそう貶せど、妙に“被害
者”側前提で思考が過ぎるのは、流石に性なのだろうなあと思った。
うとうと。せめて洗濯機が回り終わるまでの間だけ──。
やがて身体の方は睡魔に負けて完全に眠りに入り、辛うじて思考の一部と薄ら開いた視界
だけが、彼女を浮遊感の先へと連れてゆく。
……思えば、これまで連日がむしゃらに働いてきたけれど、はたしてその成果はどれほど
社内に反映されたのだろう? もっと主語を大きくすれば、世の中の役に立ったのだろう?
正直な話、蚊ほども無いんじゃないか? がむしゃらに叩き込んできた傍から、スン……
と音もなく消えていったんじゃないか? 朋絵は内心疑っていた。だったら別にそこまで糞
真面目にならなくとも、必死にならなくとも、結果は変わっていなかったんじゃないか?
まるで自分一人が、馬鹿のまま舞台の上で演じ回っていたんじゃないかと、一抹の怒りを消
せずにいた。燻ったまま、ずっと違和感──のような何かが横たわっていた。
“私はなんて小さいんだ”
ずっとずっと、気付かないように努力し続けた無力感。それが薄らとした視界、意識の端
で明確になってしまう。コインランドリーの向こう、街の大通りにはそれこそ自分の何百・
何千倍もの他人びとがいる。中にはそれこそ文字通り、自分の何百・何千倍もの価値──大
仕事をやってのける人材もいるのだろう。……だったら別に、そういう人達だけでいいじゃ
ないか。自分達が、こっち側の人間がえっせらほっせら動き回るのを監視しているより、ず
っと早いしスマートだと思うのに。
「……」
ゴゥンゴゥン。そういう意味では、自分も後ろで振動している洗濯機に似ている。
厚みのあるプラスチック蓋。覗き穴付きの中で掻き回される、皺くちゃでぐちゃぐちゃに
他と絡まっているであろう洗濯物。外から見ている他人には多分、そんな姿自体は気にも留
められていないのだろう。精々早く終わらないかなあ? と、そこまで本意ではない待ち時
間の方にこそ拘束されていて──。
***
(まっずいなあ。流石に、少しのんびりし過ぎたか……)
スーツの上着と鞄を脇に挟んだまま、小林は昼過ぎの通りを駆け足で進んでいた。いや、
戻ろうとしていた。外で昼食を摂っていた彼だったが、思いの外長居をし過ぎて昼休みの時
間を超えそうになっていたのである。
急げ急げ。
とはいえ本心は、少なくとも身体は“満腹”で充たされている。足取りはふわっとしてい
るというか、気だるい。やはりお気に入りの店、馴染みの味に舌鼓を打った後というのは、
別枠の高揚感にスイッチが入るものなのか。
(それだけ、会社が嫌なんだろうな……。まあ、また仕事捌いてる内に忘れるんだろうが)
駅前へと続く比較的大きめな通りの一つ。小奇麗なコインランドリーの前を通り過ぎ、小
林は向かいの横断歩道が青信号になったのを見計らって、たたんっと小走りでカーブを曲が
っていった。同じく昼休憩終わりか、時間差でこれからかのサラリーマン達、或いは主婦な
り学生なりの往来ともすれ違う。暇なら俺と代わってくれよ──頭の片隅に過ぎった台詞を
実際に口に出せる筈もなく、横目でちらっと“隣の芝は青い”。これから仕事、午後の部に
拘束される自身を性懲りもなく呪ってみる。
……こっちは毎日、こうも安月給でこき使われてでも食らい付いてるってのに、お前らは
気楽そうでいいよなあ。まあそっちはそっちで、苦労もあるんだろうけどよ……。若いのは
寧ろ、これからが地獄の日々だ──って言っちまうのは性悪かねえ? 必死こいて、そこそ
こバレない程度に肩の力を抜いて凌いでるにしても、何か馬鹿みてぇなんだよなあ……。俺
は俺のことしか分からない。他人も大体似たようなモンなんだろう。でも、それでも、周り
の奴らがことごとくのほほんとしてるように見える。時々腹立たしくなる……。
「──やってくれたな。これはかなり大事になるぞ?」
眼下に無数の人々が行き交っている。昼間のオフィス街、中心部となれば、そのごみごみ
とした密度は視覚的にも顕著だ。
少なくとも、この窓の内側から見下ろせば──。そのとあるオフィスビルのいちフロアに
て、支倉は数名の部下を自身のデスクの前に呼び寄せ、詳細な報告と注意を下していた。彼
らが先日、自社と大口の契約を結んでいる先方相手に連絡ミスをし、進行中のプロジェクト
が下手をすれば空中分解しかねない事態に陥ったと判明したからだ。
「も、申し訳ございません」
「先方には、既に説明の連絡を入れてアポイントを……」
「うむ……」
だが支倉は、ここで頭ごなしにこの年若い部下達を怒鳴りつけることはすべきではないと
思っていた。自他の経験・伝聞からそれが“報連相”を含めた事態を悪化させかねないと、
内心不本意ながらも知っていたからだ。
「それなら良い。折り返しの連絡が来たら、私も一緒に頭を下げに行こう。何より先ずは、
相手側に“誠意”を見せる。その手のプロセスをすっ飛ばせば、解し直せるものも解し直せ
ない」
「っ……。はい!」
「ありがとう、ございます……!」
そこは重ねて申し訳ございませんとも言うべきだろう──? 支倉は密かに唇を結んでい
たが、ぐっと堪えた。自分は年長者、自分は年長者。たとえ彼らが、自分に掛かる責任が少
しでも分散したとの安堵を見せたのが明らかでも、今はそこを責め立てる時じゃない。優先
順位はそこじゃない。寧ろ早い内に正直に、こうして説明に出てくれたことから逐一褒めて
やらねばならない。その程度のレベルなのだから。
(……柔いな。私が若手の頃は、とっくに雷の十や二十が落ちていたものだが……。それを
今やると彼らはサクッと会社自体を辞めてしまう。本当、面倒な時代になったものだな)
普段の、内々でのやり取りならいざ知らず。事業というのは元来、多くの組織外の人々と
関わりながら展開してゆくものだ。それを一度や二度の不備、何よりそれを真正面から指摘
されて否定されただけで折れる──嘆かわしい。支倉は、個人的にこそそう思っていたが、
昨今の時勢を受けての上からの方針だ。徒に突っ撥ねて彼らを叱責するのも“仕事”ではな
い。元より上司とは、何かあった時の為に「責任」を取る存在、と言えば確かにそうだが。
(……私だって、そこまで望んで今の地位に居る訳じゃあない)
それでも、世代・年代が繰り上がってゆく中で、自分だけが都合良くスルーする・される
訳にもいかなかった。少なくとも一昔は、その責任──危うさに比例して、妻子を養える程
の収入は保証されていたものだ。受け容れる土壌があったものだ。
それが……今やどうだ。
「課長! ●●商事営業部からお電話です!」
「ん、来たか……。回してくれ」
眼下の往来に囲まれたビルの中、窓ガラス、幾つもの柱に仕切られたフロアの中。
ちょうどそんな最中、先方からの連絡に応じた別の女性社員から呼び掛けられ、彼はキッ
と改めて心と面持ちを引き絞る。
『──これは前代未聞の事態ですよ? 総理! このまま詳しい説明も無しに、我々は審議
を継続することなど出来ない!』
『──如何でしょう? ××さん? 今回のこの問題、かなり根深いようですね。今後も議
論を呼びそうですが……』
『──これは我々国家の、民族の存続を守る為の戦いだ。貴方の言うような懸念には当たら
ない。一方的なレッテル張りには、我々は断固として対処する。対処し続ける』
『──この惑星はもう、汚染され尽くしていると言っているんです! 未来の子供達に、若
い世代に、これ以上ツケを払わせてはいけないんだ! 恥を知りなさい!』
四角い映像装置の向こう、テレビの向こうでは、大人達が延々と罵り合いを続けていた。
相手に非があるとみれば、何を言っても許されると思っていた。或いはそれらを“外野”か
らハイライトでつまみ食いし、形式上中立を装ってはその火に油を注ぐ──遠く向こう側の
世界を、引っ掻き回すことを己が使命とさえ捉えている節さえあった。
各々の視界の外、窓の向こう側。何処までも自分にとっては“他人事”であるかのように
錯覚し、或いは“観察”している自分達の側こそが「上」だと驕り、彼らは無茶の要求を突
きつける。当たり前の権利だとすら思っている。嚙み合わない。少なくとも互いが同じ位相
の窓枠に在ると考えない。向こう側の連中、誰か等はずっと無遠慮で、性悪な“敵”なのだ
と思い込んでいる……。
***
『◎? ◆▲××?(お? どうした?)』
『●●.□▽☆☆.◇△〇×■×(ああ。ほら、例の惑星。今の様子)』
『●●…….▲△◎◆▽★●●□~.××▼(ああ……。まだこのレベルかあ。変わらんね
え、相変わらず)』
『▼▲××□□.××○◇▲■◎◎(所詮、辺境だからなあ。何で上はあんな場所に拘って
るんだか)』
『▲▲~△.××☆□□●●?(ば~か。その程度だからこそ、落とすのも楽なんだよ)』
枠の外。窓の外。
或いは──もっともっと或いは、重力も無い暗がりの外側から、そんな人々を“観察”し
ている存在だって居る。居るのかもしれない。緑のひょろ長、黒い皿のような眼。中空に浮
かんだ、ホログラム式のディスプレイ越しに、地球人の愚かしさを純粋侮蔑の悪意で哂って
いる。
『……zzz』
いいや、もっと上。外側の外側の、もっと内包して緩慢に循環する境界線。
辺境の野蛮星人を哂う侵略者、更には彼らとしのぎを削る星雲間の存在の姿すらも、その
夢見心地の中の断片に過ぎず──微睡みの中に閉じ込めて、何重にも蓋をされて、いずれ忘
れ去られてゆく。消えて無くなってしまう。無くなってしまったことにも、大して気をも留
められない。
そん な 主 の 存在 が
(了)