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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-117.August 2022
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(5) 夢は夢で…

【お題】オアシス、幻、残念

 背もたれのある椅子でも、畳敷きの小さな休憩室でもいい。一旦そっと息を潜めて瞼を閉

じれば、そこには“彼女”が待っていた。

「──お帰りなさいませ。あなた様」

 まるで周りの空間ごと作り変えてくれるような、優しくて穏やかな雰囲気。やや銀みがか

った白髪と、同じく純白のエプロンドレスを纏ったその姿は、見る者を心の底からホッとさ

せてくれるだろう。何の違和感もなく、さもずっと近くで過ごしてきたように、彼女はそう

静かな微笑みを彼へと向けてきた。

 椅子に背を預けていた格好が、いつの間にか柔らかな草っぱに寝転んだ仰向けで。

 だけども彼は、もう特に疑問を抱こうということもしなかった。“此処はそういう場所だ

から”と、少なくとも此方へ誘われた際は基本、束の間の癒しを存分に受け取らせて貰おう

と決めている。

「今日も……お疲れですか?」

「うん。まあ、ちょっと休憩時間に」

「左様でございますか。ささ、もう少しこちらへ。私の──シロのお膝へどうぞ」

 ふんわり。近付いてくる彼女・白に言われるがまま少し頭を浮かせ、彼はいつものように

その膝枕の感触に浸った。布越しからも伝わってくる柔らかさと、穏やかな息遣い。身体の

芯に纏わりついていた疲労、重みの一部が、背中から少しずつ剥がれ落ちるようにゆっくり

と軽くなっていく……心地がする。

「ふふ。あなた様、お顔がとろんとし出しましたよ? 私の膝枕、気持ち良いですか?」

「うん……。その為に、此処に来てるって所、あるから……。グッと、濃く短く休んで……

昼からの仕事も、乗り切らないと……」

「……」

 うとうと。彼の瞼は此方に来ても再び重くなり始め、程なくして静かな寝息を立て始めて

いた。膝枕、差し出して身を寄せられるがまま、彼女もじっとこの柔らかな草っぱの一角に

腰を下ろして黙り込んだ。クローバー、白詰、赤や黄色、淡い青などの小さな花々。穏やか

な、春の昼下がりを思わせるような陽気の下で、遠くには点々と集落が見える。山の稜線達

に切り取られた向こう側とこちら側。二人のすぐ後方にも、普段彼女が寝泊まりをしている

と思しきログハウス風の小屋が建っている。

「……あなた様。私は、少し心配でございます」

 もう寝入ってしまったかもしれない。いや、だからこそと見計らい、彼女はぽつりぽつり

と語り出す。穏やかな優しい顔立ちはそのままに、されど浮かべた気色は哀しげ。願う心は

ひとえに奉仕の本能であり、彼女“達”のような者達の存在意義だった。

「あなた様? もうあちら側に戻らずとも、ずっとこちらで暮らされても良いのですよ? 

というより、寧ろ私は……そうしていただきたい。あなた様の“領域テリトリ”を保守し、あなた様

に仕える。それが私達“夢守ゆめもり”の使命であり、存在理由なのですから。あなた様不在の此処

は……たとえ平穏無事でも、やはり寂しいのです」

 そう、此処は夢。数多の者が大なり小なり、意識無意識の内に夢想し、創り出されためい

めいの理想郷。ここは現実の時間も、しがらみもない。領域テリトリ内へは“招かれた者”でない限

り、別領域テリトリの存在は干渉──立ち入ることは出来ない。幾つかの仕様さえ理解していれば、

文字通り永遠に穏やかで理想的な日々を送れるのだ。

 だと言うのに……。彼女は、彼の“夢守”たる白は言う。

 一見すればちょっと気弱で、すぐに折れてしまいそうな比較的小柄な青年。そんな主が実

際、休憩時間など事ある毎に此方へ顔を出してくれるというのに、肝心の“現実”──愛す

る主を蝕み続けるその日々根本を、当の本人は手放そうとしてくれなかったのだ。

 自分を信じてくれていないのだろうか……?

 白は時折、疑いの念に襲われこそしたが、そこで目の前に膝枕されて安眠している彼を見

ては安堵する。小さな自信を取り戻す。大丈夫だと、傍にいると安らぐからこそ、こうして

無防備な姿を晒してくれている。信頼が無い相手にきっとこんな真似はしない。しばしば遠

回しに癒され、救われていると言ってくれる彼ではあったが、同時にそれは彼女とて同じで

あったからだ。寧ろ彼女ら“夢守”の方が、主たる彼ら無しは生きてゆけないぐらいである

のだから。

(あなた様……)

 そっと寝顔を覗く、前髪を軽く撫でる。

 彼女は、夢守・白は静かに想い煩っていた。そういうもの、システム──たとえこの心が

身体が創りものであったとしても、今こう感じている自分は現実な筈だと。もっと触れて、

もっと求めて欲しいとさえ衝き動かされることもあった。疼きはあった。

 他の“夢守”同士とは、時折任意に結んだネットワークで情報の交換を行っている。それ

らによれば、各領域テリトリ毎にその風景や性質は大分違うようだ。穏やかな“安全基地”という基

本の働き以外のも、それぞれの主が願う世界がそこには創造される。或いは叶う余所へのせつぞく

が現れる。者によっては、自ら積極的にこの際限なき夢の空間を探索して回ることも珍しく

ないらしい。

(それに比べれば、私の主様は……随分と穏健な方ですわよね)

 何も彼に打って出ろ、危険を好んで冒せと言っている訳ではない。ただ周りは──自分達

以外の領域テリトリからの、干渉がいつあるか分からない。その恐れがかねてより胸の内に燻ってき

たというだけだ。基本的にこちらが“招く”ことをしなければ他所の者は此処には来れない

が……何も絶対という保証は無い。

(私も、いずれはあなた様に忘れ去られてしまうのでしょうか? 主を失って、狂い……)

 その例外、というよりも多くの領域テリトリが、誰の者とも決まらず荒れ果ててしまっていると彼

女は聞き及んでいた。本能、自身の機能の一部──成れの果てとしての姿を知識の上では知

っていた。十中八九、自分が一番避けたいと願う最期だった。

 “夢守”はあくまで、主が創り出した夢、領域テリトリを保守する者。ならば帰りを待つべきその

主が現実むこうへ行ったまま、二度と此方へ戻って来なくなったら? 存在理由として待機してい

る、その意味すら失われたと知ってしまったら?

 ……壊れるしかないのだろう。ずっとそのまま、永遠に主のいない“理想郷”のままでは

居られないからだ。少なからぬ領域テリトリ、或いは“夢守”は主との再会が果たせなくなるにつれ、

そうして壊れてゆく。狂ってゆく。やがてはその麗しき姿形すらも維持することが出来なく

なり、異形の怪物へと変わる──世界そのものも一種の魔境へと堕ちる。

 好戦的な主達は、己の領域テリトリを拡張する為に、この“空き”になった空間を手に入れようと

争っているのだという。怪物へと変わっても尚領域テリトリを守り続ける“夢守”を殺し、支配権を

上書きする。そうすれば自身のそれはその分広くなる……という寸法だ。

 正直白は、殺る側にも殺られる側にも回りたくはなかった。

 彼らのような手合いはごく一部だと思いたい。彼らに狙われるような状況には、何として

でもなりたくはない──そうなった時点で自分は既に、壊れてしまった後だろうから。

「……あなた、様。行かないで、下さい……」

 思わず漏れた言葉。涙。きゅっと握り返した彼の手に、当の本人がようやく気付いて目を

覚ましたらしい。何故か泣き出しているその表情かおに、数拍目を瞬かせて驚く。

「どうしたの、白?」

「っ……! い、いえ……。何でもありません」

 なのに当の彼は、無邪気に微笑み返すとその手をこちらからも握り返し、ほのかな熱を彼

女へと伝えた。

 愛しているのは、何も彼女から彼の一方通行だけではなかった。そもそも彼女を“夢守”

として創り出したのは──当人の意識無意識に拘らず──他でもない彼自身なのだから。

「そりゃあ僕もずっとこっちには居たいけどさあ……。戻れなくなっちゃうよ、色んな意味

で。何事も、程々が一番長続きすると思うんだ。そこそこ疲れた時にひょいっと寄るから、

白のありがたみが何倍にも感じられるんだしさ?」

「?! 聞いて、おられて──」

「聞こえるというか、感じるというか……。ってか、ここは僕の夢なんだろう? 夢の中で

寝るってのもおかしな話だし、成り立ち云々で言えば、そもそも僕らは“繋がって”いる訳

なんだから。哀しそうな表情かおをしていたら、流石に判るよ」

「あなた様……」

 彼女はだからこそ慌てふためいた。羞恥心で顔を赤くしているのもそこそこに、一方で彼

は、名残惜しそうに彼女の膝枕から起き上がると苦笑を一つ。草っぱの上に腰を下ろしたま

ま、彼女と顔を見合わせた。向こう側には、ログハウス風の小屋──二人の拠点が見える。

「まあ、そのあれだ。白からの話じゃあ、僕以外にも色んな人間がこういう場所にトリップ

してるらしいってのは聞いてるけど……僕は僕だよ。君が必要だったから多分、君は生み出

されたんだし、なら僕にもその責任はある。そこだけは、ブレちゃいけないと思ってる」

 最初、初めて此処に来た時は何から何まで驚いたけどねえ……。

 あはははは。それこそ出だしは、真っすぐに彼女を見つめて語っていた彼だったが、やや

あって気恥ずかしくなったのか苦笑いで後は濁した。責任──その辺りのワードと目の前の

美女に、オトコノコとして葛藤の類があったのかもしれない。

(わ、私は、それでもいいのですけど……っ!)

 こちらも喉から衝いて出ようとして、慌てて引っ込める。ぽんぽんとエプロンドレスの膝

枕を叩いて綺麗にしている最中に、彼は立ち上がった。「ん~!!」ぐぐっと左右交互に肩

を伸ばすストレッチをしつつ、リフレッシュの時間は終了とばかりに深く呼吸を整える。

「あ、あなた様」

「行って……しまわれるのですね?」

「うん。そろそろ昼休みも終わりだし」

 故に彼女は哀しくなった。寂しくなった。まだ繋がっているとは、先刻のやり取りで解り

はしたものの、やはり物理的に遮断されるこの瞬間だけは慣れない。今度は何時か? 今度

こそ忘れ去られてしまうのではないか? 化け物に、なってしまうのではないか……?

「……あなた様はどうして、現実あちらがわに拘るのですか? 尚も、戻ろうとするのですか? 先程

も申しましたように、此方に居る限りは安全です。あなた様を蝕む、様々なものから、私は

あなた様を全力でお守りできます。なのに──」

「ありがとう。でも……行かなくちゃ。その、僕も上手くは言えないんだけどさ。どっちか

だけってのは多分駄目なんだよ。ある程度疲れたら白の膝枕が恋しくなるみたいに、人間っ

てのは、そこそこ鞭打たれてなきゃ自分を保てない生き物なんだ。我ながら、面倒臭いなあ

とは思うけどね……。立ち向かわなきゃあ、いけないんだよ」

 彼女は暫し黙り込んでいた。恋しくなると、必要なんだと言ってくれることは嬉しかった

が、さりとて彼を向こう側へ戻ることを止められない。当の本人が、強く望んでいる。或い

は──刷り込まれている。

「私は……」

「うん。大丈夫、戻ってくるから。実際今まで何百回と、疲れた~って度にこっちに来てる

じゃない」

「大丈夫だから。待ってて。もう一回、不自由を浴びに行ってくる」

 優しく笑い、手を振って立ち去る彼。

 彼女は──“夢守”の白は、草っぱの一角に建っている扉から出てゆく彼を、結果努めて

気丈な面持ちで見送っていた。上品な所作を発揮して、小さくお辞儀を。再び向こう側へと

挑んでゆく主が、再び自分を求めて戻って来る、その時まで。

                                      (了)

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