(2) 灯群(とむら)
【お題】火、目的、見えない
人、或いは生命の根源的なものをイメージする時、どうして僕達は揺らめく火の玉だと決
め付けるのだろう? もっとこう……ガス状の何かだったり、物凄く小さい自身そっくりの
形だったりするかもしれないのに。
ともかく──焔。人魂だ。
普段はなまじ、各々が肉体という器に収まっているからこそ解り辛いが、僕達は誰しもが
己が中枢にこれを灯している。或いは灯っているという状態こそが、つまりは生きていると
いうことなのだろう。
じっと、胸を当てて見つめてみる。肉体という壁を無いものとして、本当の意味で自分の
中心であるその焔を認識してみる。
揺らめく一つの灯火が、思考ないしイメージの中に感じられる。貴方も貴方のそれを、見
出すことができるだろうか?
……決して安泰とは形容できない、危なっかしい焔。何かの拍子で頻繁に揺らめき、やや
もすれば消し飛んでしまいそうな。でも一方で、僕はふいっとその終局が回って来てしまう
ことを、何処かで望んでもいる。
本当に、身体とは紛い物なのだなあ。自分、人の中枢はこんなにも不安定なのに、肉塊の
方だけは年齢に比例してどんどん無駄な厚みを増してゆく。無いもの強請り、と言えばそれ
までなんだろうけれど……寧ろ同じように適度に痩せぎすの方がまだ身の丈に合っているよ
うに感じられた。少なくとも、僕はそんな“大きな”人間じゃないと思った。
それでも──生まれてきてしまったものは仕方ない。只々、いずれやって来る“消灯”の
時まで、思い思いに過ごしてゆくだけだ。僕らはその過程に、結末に、何とか意味や価値を
見出そうとして苦しむ。思い悩む。或いは「そんなもの無いさ」と、斜に構えて考えること
自体をぶつ切りにしてしまう。実際、現象だけが先に起こって、意味や価値なんかは後付け
のものだから。僕も貴方も、他の誰かも、皆が均しく揺らめく一つの焔だから。
……遠い。
物理的にはすぐ近くにいる筈でも、僕達はしばしば、相手との埋めようのない距離を感じ
る。それはある意味、自分とは違うんだという理解への一助とイコールでもあるのだろうけ
ど、多くは失望や絶望を伴う。
揺らめく自分の灯火。しかし、己がそれをそれと区別できる別の焔は、じっと胸に手を当
てて目を閉じた際、凄く遠くに居るように思えないだろうか? 或いは、ざっと見渡しても
見つけられない──無だ。暗闇という、少なくとも何か得体のしれない塗り潰しが為されて
いるというよりも、そこには全く“何も”無いが在る。無いが在ると判る……。
揺らめく自らの焔。
ぽつんと、別に頼んだ訳でもないのに放り出された僕は、一体どうすれば良いんだろう?
只々、いずれやって来る“消灯”の時まで、どう過ごせば良いんだろう?
それこそ一昔前までは、がむしゃらに働いていれば間に合っていたらしい。世の中全体が
上向きで、各々の頑張りが雪だるま式に積み上がり、結果皆がその恩恵に与れた。特に一人
一人が小難しく考えなくても、とりあえず回しておけば回るような、そんな時代もかつては
あったという。
でも……勿論だけど、今はとてもじゃないがそんな状況じゃない。幻想は醒め、気付けば
何の事は無い搾取だった。コストの掛からない奴隷しか欲しくなくて、口煩い人間ほど倦厭
される。面と向かって。或いは大部分が、こっそりとその灯火からフェードアウトしながら。
『貴方は、貴方のやりたいことをやればいいんだ。貴方の人生なんだ』
『合わない人間と無理に付き合うことはない。相手の難癖は相手の問題。こちらが“解決”
なり“議論”しようとするだけ(貴方の)時間の無駄』
『自分と気が合う、好いてくれる人達と付き合おう。貴方がそう在れば、そういう良い人間
関係の方から、自然と寄ってくる』
そもそもに、そういった時代のニーズという奴を、敏感に分析して(かぎとって)叫んで
いる面が大きいのではあるのだろうけど。
夢が破れ、最早皆で共有できる大きな虚構が成立しなくなってきた今だからこそ、何処か
らともなく現れ始めた“アドバイザー気取り”は言う。己の余裕、発揮される結果の最適化
の為に、もっと選り好むべきだと。先ずは何よりも、自分の心身が穏やかであることが大事
なのだから、もっと切り捨てる勇気を持とう! と。温情や「従来通り」を続けて損害を抱
え続けるより、よほど“合理的”なんだからと。
──分かっちゃいるさ。実際それで大なり小なり、僕ら一人一人の焔が消えてしまいそう
なほど揺らめく、理不尽な切欠は減らしてゆくことが出来るのだろう。最適化されることに
は異論は無いだろう。
でも……僕はぼんやりと思う。それは別に、根本的な解決でも何でもないんじゃないか?
って。問題とやらを切り分け、他人に押し付け、自分の精神と肉体を能動的に“縮減”させ
ているに過ぎないんじゃないか? って。
確かに僕らは独りだ。どれだけ素敵な出会いがあろうとも、最悪な相性と出会おうとも、
僕らを僕らたらしめる灯火自体が劇的に変わる訳じゃない。精々「嗚呼、揺らいだ」と。気
落ちする瞬間が増えたか? 減らせたか? 程度の違いぐらいしかないんじゃだろうか?
只でさえ無い──暗闇で塗られていると形容することすら生温い、焔と焔を隔てる距離を、
こういった教えの蔓延は益々広げてゆくように僕には思えてならなかった。
独りで勝手に、独りでダメージを受けて揺らいで。
彼らからすれば、それこそ“合理的”ではないと鼻で笑うような感情論なのだろうけど。
ああ、そうだね。一旦そうやってぶち上げて「言論」してしまえば、たとえ反発する意見
を持った他人も、彼らへ一々「反論」する土俵へ上がる労力を割かなければならない。筋で
はないと撥ねてやることが出来る。実に最適化だ。相容れない奴は、切って捨てて良いんだ
から──。
じっと胸を当てて、見つめた中に在る己の焔。
ぽつぽつと、場合によってはその段階で既に感じ取れるかもしれない、同じく自分以外の
灯火達。近くもなければ遠くもない、正確な距離すらよく判らないままで揺らめく、根本的
に悩むことを運命付けられた者達。
確かに、僕もこの焔は只々終わる時を待っているだけだと言った。いずれ消えて無くなる
までをどう過ごすか? 以外に、意味や価値は付け加えられないとも言った。
それにしたってなあ……。あまりにも“個人主義”的過ぎやしないか? 只自分一人がこ
の意識を凌ぎ切ればそれで良い。その目的に尖り過ぎじゃあなかろうか?
今の僕らも、僕らの後に生まれてきてしまう誰か達も。
めいめいに揺らめき、迷い続けるその焔は、少なくとも自分一人の力だけで完結──回っ
ている訳ではないんだから(或いはそもそも、他人びとを省みる余力すらなく、切ってゆく
前提だし、共に支えてゆこうという義理なんて無い──“割に合わない”とでも?)
(了)