(2) 面影クライム
【お題】人間、機械、禁止
私の一日は、毎朝決まった時刻に起動する所から始まります。
まだ薄暗い内、朝日もうとうとお眠さんな間に、ぱちりとしっかり目を開いて先ずは何よ
りエプロンドレスのチェック。身だしなみは大事です。私室──給電装置がある控え室から
出たその足で、お屋敷中のカーテンを開けてお日様にご挨拶。
「~~♪」
でも旦那様と奥様のお部屋にはまだ、それはしません。起こす前に本日に、朝食の準備を
しなければ。設定してある時刻も、調理に掛かる時間を逆算した上ですのでご心配なく。
お二人ともお年を召し始めていますので……量よりも質、栄養バランスと食べ易さを最優
先にした献立を。
旦那様はしばしば「何時もので構わないよ」と仰ってくれますが、食のマンネリ化はいち
メイドとして見過ごせません。やはりお二人には、長く元気でいて欲しいですから……。
(うん。美味しい♪)
コトコト煮立てたポタージュスープを一口、味見もばっちり。人形である私が、味覚や嗅
覚といったものを語るのも変かもしれませんが。
気付けば時刻も、ぐるっと一周近くを指そうとしています。
さあさあ。今日もたくさんのお仕事が待っています。お二人のお世話という使命が呼んで
います。食卓に朝食も並べ終わりました。今日もいい天気です。
次は旦那様のお部屋へ。起こしに向かいましょう。
「おはようございま~す、旦那様。朝ですよ~」
「……ああ。おはよう、マリア。今日も元気だね」
お部屋のカーテンを開け、朝日を入れます。あまり大声にならない程度に、優しくを意識
してベッドで眠っている旦那様に呼び掛けます。
白髪交じりの灰髪をした、パジャマ姿の旦那様は、数拍私の姿を見上げてからフッと微笑
まれました。お年を召し始め、かつての精気は褪せてしまったと周囲の方には言われている
ようですが、私はこの落ち着いた物腰の旦那様も大好きです。……もっとお若い頃に、お仕
えし始めていれば、また違ったのかもしれませんが。
「はい。私はいつも万全です♪」
「ささ、旦那様。お着替えをなさってくださいませ。朝食の用意も出来ておりますよ?」
旦那様は若い頃に財を成し、現在のお屋敷に暮らすようになりました。
ただ……此処に暮らしているのは当の旦那様と、奥様の二人。私を含めてもたったの三人
です。いつも食事を摂られる部屋も、広さこそ十二分ですが、やはりぽつんとお独りで召し
上がられている姿は寂しいなと思います。私はメイドという立場上、給仕をしなければなり
ませんし、同じ席で食べることは──そもそも人形であるこの身体は食事という形態を必要
としません。
「──」
往年の習慣が染み付いた、旦那様の上品なナイフ・フォーク捌き。
食事の時間は、決まっていつもこうです。穏やかで静かな、でも正直物寂しそうなお姿を
後ろから眺めながら過ぎてゆきます。
「……ごちそうさま。今日も美味しかったよ」
「ありがとうございます」
「ところで。ユリアは……?」
「奥様でしたら、まだお部屋に。旦那様が来られる前に、お声掛けしたのですが……まだ眠
られていたようなので」
「そうか。なら、今日は私が朝食の介助をしよう。ユリアの分も用意は出来ているね?」
「は、はい。ですが、旦那様のお手を……。お仕事は大丈夫ですか?」
「構わんさ、寧ろやらせてくれ。会社なら心配ない。あちらはもう、後進の者達で十分回る
ようになって久しい。今はただの隠居爺さ」
だからでしょうか? この日、ふとそう自嘲気味に笑った旦那様の言葉は、正直冗談のレ
ベルには聞こえませんでした。一線を退き、お屋敷で見せる姿はやはり弱々しく……。
「……承知致しました」
とはいえ、私はメイド。それが旦那様のご意思なら止めるべくもありません。
奥様はもう随分と長い間、病床に臥しているとお聞きしています。私がお二人にお仕えす
るようになった時点で、既にそんな状態が日常の一部と化しておりましたから、相当なもの
だと察します。お部屋──寝室を二人して訪ねると、ベッドの上に座ったままの奥様はにこ
りと穏やかに微笑んでくださいました。
「あらあら。おはようございます、あなた。リリー。ごめんなさいね? 今朝はついつい寝
入ってしまって……」
「いえいえ。お身体の具合と相談されながらが一番ですから。朝食をお持ちしましたので、
幾らかお召し上がり下さい」
「ユリア……何度も言っているが、マリアはリリーでは……。いや、とにかく食べなさい。
少しでもいいから、体力は維持しておかないとな?」
私が朝食を乗せたワゴンと共に控える傍で、旦那様はそうこれまで何度となく繰り返され
たフレーズを零しながら、それでも奥様の朝食の介助を始められました。「ええ、ええ」当
奥様はコクコクと頷いてはいますが、実際はあまり要領を得ない感じです。夫たる旦那様か
ら直接スプーンで小さい一口をよそって貰い、上品に咀嚼していましたが、やはり長年の病
でやつれた身体は脆そうに感じられます。……旦那様が、御歳に比して白髪が多めなのも、
決して無関係ではないのでしょう。
(……リリー)
しっかりと確認した訳ではありませんが、奥様がこのような状態になられた切欠は、お二
人のご息女が不慮の事故で亡くなられてしまったからだと聞き及んでいます。お屋敷には、
他の血縁の方がお見えなったこともなく、おそらくは一人娘──当時お二人が受けたショッ
クも相当なものだったでしょう。
少なくとも奥様が、私の姿を亡きご息女様と勘違いし続けるほどには。
私達人形には、基本製造時に“名前”が付けられることはありません。製造番号から便宜
的な呼び方がされることこそありますが、多くは受注段階で想定された用途や依頼主──私
の場合は旦那様が後で名付けるといった例が殆どです。おそらくは旦那様自身、奥様の精神
面を気遣って別の呼び名にしたのでしょうが……ご息女の事故前後から記憶が混濁している
らしい奥様の方は、ある意味で頑なでした。今朝のように、私も旦那様もそんな応答をはぐ
らかして受け流しつつ、お食事のお世話をします。お洗濯やお掃除、時には健康状態をス
キャンし、話し相手にもなったり。
……本来、旦那様が用意して下さった名前以外で呼ばれることにも、すっかり慣れてしま
いました。だってこんなにも奥様が、優しくも哀しい眼で在りし日々の思い出と共に語り掛
けてくださるものだから。今では旦那様も、半ば黙認状態となっています。
「それでね? それでね──?」
「はい」
ただ、我が儘を一つ言っても良いのなら、私はこの日々がいつまでも続いて欲しいとすら
願っていました。私の造られた意味、お仕えするべき方達だからというのは勿論の事ではあ
りますが、お互いに慈しみ合い、長く寄り添っているお二人の姿を見ていると……何だか私
も満たされた心地を覚えるからです。
……おかしい、ですよね。
私は人間じゃないだというのに。
***
願わくば、もう少しだけ。そんな日々が、また一日もう一日と続いてゆけばとさえ。
ですが、私達の薄氷の上ながらも穏やかな暮らしは、ある時突如として壊されてしまいま
した。ドカドカと文字通りそれを踏み抜かれて──お屋敷を、ある人物の一団が訪ねて来て
変わってしまって。
「──フレデリック氏ですね? 初めまして。私は連邦捜査局ノイド特別課、マーティン捜
査官です。貴方を、支援人形基本法違反の容疑で逮捕します」
「えっ!?」
「捜査、局……? な、何故私が──」
「解らない、とは言わせませんよ。今し方応対してきたこのメイド型のノイドが動かぬ証拠
だ。こちらも入念に調べはして来ているのでね」
中年手前で長身な、有無を言わせないような威圧感のある男性の方でした。焦茶色のコー
トを引っ掛け、小首を傾けた姿勢のスーツ姿。玄関先で動揺する旦那様と私のことを、あた
かも“異物”を見るかのような目で見下ろしています。
「貴方ほどの資産家ならばご存じの筈だ。人間に似せた支援人形の違法性について」
「人間に……? た、確かに、私はそのような造形をしておりますが……。それは私が、メ
イド用途を念頭に造られたからで──」
「ああ。そこは知っている。というか問題じゃない。まあ俺個人から言わせりゃあ──」
何故? どうして旦那様が断罪されるのか分からない。
ですがこの捜査官・マーティンさんは言いました。くいっと右手の親指をご自身の後ろ、
玄関の外に控えていた他数名の仲間に示して姿を見せさせ、尚もある種の“敵意”を向けて
こられます。
「別に顔立ちまで人間に似せる必要はねえ。機能さえ備わってれば十分だ」
その中には、私と同じ人形──無骨な二足歩行の骨格と、銃を抱えた戦闘用途の仲間達も
いて……。
「介護、医療。勿論用途によっては、こいつらみたいな如何にもロボですみたいな姿より、
人間のガワを被った機体である方が好まれる場合もある」
「だがな……。そいつらも含めて、ノイドは基本“実在した人物をモデル”にしてはいけな
いっていう法律があるんだよ。過去の偉人、歴史的事件を起こした悪党。或いは……死んで
しまった最愛の娘」
「え?」
「──ッ」
どういうこと? 私はマーティンさんの発言の最後に引っ掛かり、思わず旦那様の方へ視
線を遣っていました。旦那様はそんな私からの訴えにも応えることなく、余裕自体がなく、
脂汗を掻きながらこの捜査官さん達を見つめています。強く歯噛みしています。
「メイド型。おかしいとは思わなかったのか? いくら奥方が娘を失ったショックで精神を
病んで久しいとはいえ、ただの勘違いだけでお前を自分の娘と勘違いし続けるか?」
「それは……」
「逆だ。そもそもこの男は、始めからお前を死んだ娘とそっくりな姿で発注したんだよ!
それが違法である事実も知っていてだ! そうでなきゃあ、わざわざ元々住んでいた州から
こんな田舎の州へと引っ越しはしねえよ。格段に不便になってでも、未だ人型ノイドの規制
が進んでいないこっちにな!」
『──』
もしかしたら、私も何処かでその可能性は考えていたのかもしれません。ですが旦那様や
奥様から得られる情報が断片的なこともあって、それらを今までシャットアウトしてきたの
ではないか? と。
正義感、或いは彼も彼なりに何かの私怨があって。
くわっと叫び始めるマーティンさん、及び他の捜査官さん達が近付いてくるその胸元へ、
旦那様は必死で縋り付きます。
「ま、待ってくれ! この子と、マリアと暮らすようになってから、妻の病状は少しずつだ
が良くなってきているんだ! 今私や彼女がいなくなったら、妻は……!」
「違法は違法、お前の撒いた種だろう。大体そんな“偽物”を宛がわれた奥方に、罪悪感は
なかったのか? 何より亡き娘さんの──故人への冒涜に他ならないんだぞ!?」
マーティンさん曰く、それこそ生前の記憶などを予めデータ化しておけば、実在した人間
すらも“複製”出来てしまうというノイド技術。私達自身、後発の機体はそんな過去の変遷
を記録から読み取ることしかできませんが、突き詰めれば極論“人間が人間である必要すら
ない”時代もあり得たのでしょう。……いえ、あり得るのかもしれません。
「確保ォ!」
「ま、待ってくれ! 妻は、マリアは──」
「抵抗するな! 両手を挙げて、頭の後ろで組め! 膝をつけ!」
「くれぐれも油断するなよ? まだ他にも、対策用の機体を買い付けているかもしれない」
「分かってますって。殺したら、入手経路も判らなくなりますし」
「そこのメイド型はどうする?」
「一先ず別働で連れてゆくしかないだろう。奥方も、専門医の到着を待つ必要がある」
今は、個々の事情は不要。聞く耳は取り調べ後ということなのか、彼らは次の瞬間寄って
集って旦那様を取り押さえてしまいました。あまりのことに、私の機体はエラーが乱発され
て全く動けませんでした。
「……」
旦那様、奥様。穏やかな毎日が壊されてゆくことよりも。
私は──生まれてきてはいけなかったのでしょうか?
(了)