(5) 蟲毒たち
【お題】甲虫、終末、正義
『うだうだうだうだ煩ぇなあ。そんなの、気合いで乗り切るモンだろうが。フツー』
『しんどいのは誰だって同じでしょ? こっちも忙しいの。言い訳する暇があるなら先に身
体を動かす! 或いはその気が無いなら、さっさと出て行って』
『要するに……被害者意識が強過ぎて、殻に籠っているだけなのでは? 自業自得でしょう
に。こちらに矛先を向けられても困るんですがね……。筋が通らないでしょう、それは』
苦しくって、ままならなくて、行き辛くて。
だけど僕のそんな思いを口にした所で、理解を示してくれる他人は少ない。基本的には少
数派だろう。且つ、にも拘らずそういう側に類する相手は、別に運良く出会えたなんて理由
なんかじゃない──立場や職業柄、一旦耳を傾けざるを得ないような人達なのだから。僕ら
は、そこの所を自分に都合よく履き違えてはならないと思う。
解決して欲しいよりも、共感して欲しい。
でも、そんなポーズをうっかり見せてしまったら、私はきっと高確率で“厄介者”を見る
ような眼で一瞥される。相手の心の中で、きっと積極的には関わり合いにはなりたくないと
思われている。
男の人は……特にそうなのかな? 勿論個人差はあるんだろうけど、一般的に理屈でどう
こうしようって発想になりがちだから。なのに当の、持ち掛けてきた私の方がその実、問題
の“解決”まで目指していないと考えたとしたら……彼らに言わせれば時間の無駄だから。
判っちゃあいるんだけどな。
誰も彼も、皆“余裕”が無くなってるってことぐらいは。それが別に、ここ最近に始まっ
た話じゃねえってことも。
……順当に考えれば当然の道理なんだ。身内や親友でもない、それこそ接点なんて無いに
等しい他人の心を、逐一想像していたらキリなんてありゃしねえ。ただでさえ手持ちのエネ
ルギーには限りがあるってのに、手当たり次第に注ぎ込むなんてのは馬鹿のやることだもの
なあ。何も、根っこから“悪意”しかない人間ばかりじゃねえんだ。ありふれた自衛行動な
んだよ。自分がパンクしてまで、他人を助けようってのは、その時点で狂ってる──。
『安心したわ。思ったより元気そうで』
『はあ……。気にし過ぎなんじゃないですかね? そんなことばっかり考えてても、何の得
にもならなくないですか? 生きてて楽しいですか?』
性格的な側面もあるし、時勢がそれを後押ししている面もある。こと僕の場合、どうやら
他人から見た際の外面はそこまで悪くないらしい。或いは意を決し、何かしらのタイミング
に打ち明けてみても、そもそも相手には“些細なこと”として捉えられる──そんな経験を
何度が味わった。補修作業が幾度も加わった記憶。皆が皆、ああまで露骨な態度は取らなか
ったとは思うけど、それとなく苦しむ原因は僕に在るんだろう? と、問題は大よそ矮小化
されてきた。
……元気そうに見えるのは、人前だからだ。
他人が見ている、他人と関わらなければならない。予めそんな気を張っている自分がいる
から、基本どうしても、最大限のパフォーマンスを発揮しなければ落ち着かないんだ。自身
が劣っているから、他人よりも出来ることが少なくて遅いから、彼らのレベルに喰らい付く
にはそれぐらいフルスロットルでいないと駄目だと思っている──習性のように思い込んで
しまっている。身体も、そうした学習で半ば反射的に動いている節さえある。疲れていいの
は一通り終わってからだ。経験的にその反動がどれだけ、一人になった後に重く圧し掛かっ
てくるかを知り尽くしていても尚。
“被害者意識が強過ぎて、殻に籠っているだけ”
だからそんな表現を耳にした時、ふと僕の脳裏にイメージされたのは昆虫だ。
一見彼らは艶やかで頑丈そうな外殻を持っているけれど、実際はそこまで耐久力は無い。
人間と昆虫のサイズ差があり過ぎるというのも勿論ではあるものの、やはり肝心の“中身”
にまでその強度が及んでいないという点が大きいのだろう。……僕や僕みたいな弱みを持つ
誰かは、そうした意味で凄く似ている。打ち付けられないよう、必死にガワを固めて整えて
を人知れず繰り返しているものの、いざダメージを貰うとその衝撃は容易く内側へと波及し
て悶え苦しむ。嗚呼まただと、自分のスカスカ具合を恨む。他の誰の所為でもない、僕自身
が巧く立ち向かえないツケで……。
う~ん。パワハラ? って言うには、ちょっと違うような気もするんだけど。
何というか、弱みを口にしちゃいけない! みたいな空気がどうしてもあると思う。私は
これだけ苦しい、辛い! と訴えても、そこに“被害者属性”みたいなものをくっ付けてご
り押しちゃうと、味方と同じかそれ以上に敵を作っちゃう状況があるというか……そういう
構図に気付いたら色んな人達が敏感になってきてるっていうか……。
実際に苦しいとか辛いとか、感じたことは事実の筈なのに、ついつい自分も他人もそこに
“レベル差”を持ち出しちゃう。特段対応しなきゃいけないかどうか? どうしたのと心配
するよりも、そうやって分別する作業がどんどん先になってゆくのを、私達は観ているよう
な気がしていて……。
まあ、一部の声の大きい奴が“悪目立ち”したっていうのも事実なんだろうなあ。
そもそもこの手の病気っつーか、感覚の違いは、昔っから多数派と少数派の争いの種にな
ってきたモンだし。それを時代ごとに、時には新しく“発見”して名付けることで、俺達は
それが何もいち個人の“思い違い”ではないだと教えられてきた。俺自身も、見た目こんな
ちゃらんぽらんだけど、診断されてようやく知ったクチだ。それでも結構珍しいっちゃ珍し
いパターンに入るんだけども……。
どいつもこいつも、基本赤の他人に割く余裕なんてねえんだよ。特に義務でも仕事でもな
けりゃあ、そっち方面の“専門家”に任せるのが吉だ。まあ早い話が、割を食う面倒をそう
いう人間に押し付けてるとも云うんだがよ。
……基本、積極的な利益自体がねえのさ。お互いにな。
抱えている本人も、打ち明けた所で好転する保証なんてねえ。結局は自力で何とかしろ、
に落とし込まれるには変わらねえし、却って逃げ場を失うだろう。嫌がらせでも始まれば、
それこそ地獄だ。何より打ち明けられた側も、下手を打ってこいつらにキレ散らかされるな
んてことになればデメリットしかない。気を遣う、時間を使う、金を使う──普段普通に暮
らし続けるのも大変なことのご時世に、善人面出来ること以外は余計な真似なのさ。何なら
何となく分かっているが、確定しないままやり過ごしたい──本音ではそんなことぐらい思
ってる。さっさと、何処かへ転属して欲しいとさえ思ってる。
『一度、落ち着いて話し合いましょう?』
『困ったことがあったら、またいつでも連絡して来なよ? 相談に乗るぜ?』
『頑張ってね? 応援しているから』
──彼・彼女らにきっと悪意はないのだろう。だけどそうした去り際、アポ取りの言葉達
を、僕は基本的に話半分に聞いている。大人の態度だったり、社交辞令に過ぎなかったり。
何にせよ、これらを真に受けた所で事態が丸く収まりはしないからだ。……寧ろ、丸く収ま
らないからこそ、そんな選択肢が思い出されてしまう訳で。
どれだけ自力の狭さ、限界というものを知っていても、人間は恥を避けたいと願う。こと
僕の精神はその性質が激し過ぎるぐらいの強いようだった。言われて、頼って良いと表明さ
れて、でも僕は内心その瞬間にガッツリと距離を取ってしまう──二度三度、また彼・彼女
の手を煩わせたくないという気持ちの方が強かった。次また恥を晒すぐらいなら、いっそ知
られぬまま散った方がマシだとさえ本気で思ってきた。……当て付けじゃない。僕自身がも
う、一部ではあっても、他人の人生を奪いながら生き永らえることを肯定する訳にはいかな
かった。負担になりたくなかった。
経験から知っている。僕、僕たちという存在が、如何に偏った目と心とセカイの中で生き
てきたのかということを。まるで全てのように感じられてしまうこともあるけれど、実際は
酷く狭いんだということを。
話し合う──少なくとも僕は、そこに積極的な意義を見出せない。保身も、少なからずあ
るのだろう。誰だって、好き好んで譲歩をしたくはない。でも話し合い、議論というのは如
何にそれを引き出し合うかということだ。言い換えれば……自分と相手の“減点要素”を可
視化する営みだ。『正しさは一つだけじゃない』つまり自分の、意識無意識を問わずに思っ
ていた価値・考え方が、そこで“違うぞ”と言われるのが確定しているということだ。前提
として、納得する為の理路がハッと解れば問題ないのだろうけど……じゃあ本当に自分のそ
れまでを全部捨てて、そっちに向かえるのか? 少なくとも時間が掛かるだろう。時間をか
けて、己の中の違和感や抵抗力を削ぎ落す他ない。
でも、それは……自他双方の注いだ労力に見合う結末なんだろうか?
──正解なんて無いんだ。各々に回答はあるけれど。
どう足掻いたって、僕は少数派なんだ。無駄に嗅ぎ取り、消耗してしまうんだ。それは不
利にこそなれど、誇りになどなり得ない。ましてや授かりものなど……自分からすれば、そ
んなものは本質から目を逸らす為の方便に過ぎない。騙し騙された偽物なんだと叫びたい。
少なくとも僕は、そこまで真反対に振り切れる気がしなかった。抱え込んだ苦しみや悩み、
恨みのような感情の矛先を、他人へと終ぞ向けられはしなかったんだ。
『私は●●●です。×××に困難があります。配慮をお願いします』
順当な手段は、それとなく意思表示することぐらいだろう。この時、間違っても押し付け
がましく叫んではならない。お前は弱者だ、弁えろ──世の中は哀しいかなそれが現実の当
たり前として回っている。肩を貸す側にだって都合はある、資格が要る、心が在る。お互い
に自分が“不利”を被っていると強く信じた時、辛うじて保たれてきた体裁はいとも容易く
崩れ去ってしまうのだから。
『おい、今誰か飛び降りなかったか!? 電車、電車を止めろォォーッ!!』
『ひっ……! 何で? 何でよりによってこんな時に? 私が乗ろうとしていた時に!?』
ならばいっそ。早々にこのリアルから離脱してしまおうと考えた者も決して少なくはない
のだろう。事実自らの意思で、何かしらの手段でもって実行してしまった誰かもいる筈だ。
社会のシステムは巧妙にこれらを隠すけれど。
嗚呼……そうだ。“死にたいなら一人で死ね”でしょう? だったら自室で吊れば良かっ
たのか? 後始末は勿論、不動産屋に迷惑が掛かるけれど。海や森? そこにだって持ち主
はいる。或いは観光客や業者など、流動する利害関係者達だっている。何処にも──そもそ
も安心してピリオドを打てる場所自体、用意されていないんだからさ?
『大勢殺して死刑になりたかった。道連れにしてやりたいと思った』
或いは、抱え込んだエネルギーの矛先が他人に向き過ぎた場合、世間一般には凶悪事件と
してその悪名が遺る。そのまま望み通り命をもって償わされる者もいるし、何だかんだと獄
中や社会の底辺で生かされ続けている者もいる。僕は……そこまでする度胸も心算もないけ
れど。大体筋違いでしょう。これは、僕自身の弱さの問題なんだから。
「──」
悶々と、それこそ酷く益体の無い思いを抱え、今日も生きる。朝の日差し、昼の騒がしさ
に身も心もじわじわとダメージを受けながらも、僕は街の中を歩いてゆくしかなかった。或
いは僕ではない誰かも、何処かで同じような後悔を引きずりつつ、今日一日を凌いでいるの
だろうか? 抱え込んだまま命を絶っているのだろうか? 暴走に舵を切った一部同胞が、
ニュースのいち記事を占めるのだろうか?
この国では、二十八秒に一人誰かが生まれ、三十一秒に一人誰かが死んでゆく。
(了)