(4) 悪友
【お題】悪魔、犠牲、最弱
卵が先か鶏が先か? なんて言葉があるけれど、何もそれは今いる生き物に限った話じゃ
あない。創造されたからいたのか? 想像したからいるのか? そんなパターンだって存在
する。あり得ないなんてことは、あり得ない。
「──」
日没から程なく、バイト先へ近道をしていた恭二は、そのルートである裏道の一角で独り
行き倒れている青年と出くわした。いや、見つけてしまったと形容した方が正確であっただ
ろうか。最早陽も差さず、どんどん冷たくなる一方のコンクリ敷きな地面の上で、その人物
はぐぐっと腹を抱えるように横たわっていた。
(やっべえな。あんまり悠長にしてっと、バイトに遅れちまうってのに……)
改めて周りを見渡したが、元より他に通り掛かる者など望める筈もない。こちらもこちら
で事情があると、露骨に見て見ぬふりをして通り過ぎるには、恭二の性格は“優し過ぎた”
のかもしれない。
(……それにこいつ。まさか)
何より思わず眉根を寄せた理由は、この行き倒れた青年の特徴的な容貌にあった。
今は弱っていて虚ろでこそあるものの、赤い瞳と鋭い犬歯。着古して汚れた服の上からも
ぼんやりと浮かぶ、コウモリのそれのような黒闇色の羽──いわゆる“悪魔族”である。今
やもう片割れの“天使族”と共に、すっかり社会の一員として溶け込んで久しい、かつて伝
承の中にのみ存在した種……。
「──は」
「は?」
「腹、減った……」
『……』
だというのに、ようやく絞り出した青年の第一声は何とも間抜けなものだった。恭二もつ
いつられて語頭を返し、されどそこまで重症ではないのかとジト目になる。
「仕方ねえなあ」
ごそごそ。肩に引っ掛けていたリュックサックから、惣菜パンを一つ差し出す。バイトの
シフトが基本夜なため、小腹が空いた時用に忍ばせていたあんパンだった。青年は数拍ぼう
っとこれを見つめていたが、ようやく重い身体を起こし、緩慢な動きで開封。食べ始める。
「んぐ……。あんた、ありがとなあ。助かったよお」
「礼なんぞいい。流石に道のど真ん中で倒れられてちゃな……」
「あ、でも。オイラ“達”はこういう食べ物より、もっと好いモンがあるんだけども」
「……ほぼ完食間際にそれ言うか。案外図太いなお前」
悪魔族は人間の“悪感情”を、天使族は人間の“信仰”をその力の源としている。
その辺りは伝承時代からテンプレートに語られてきた生態だ。但し彼らが実際、現実の存
在としていつしか人間社会に現れ、共に暮らしてゆくという状況になった今は大分事情が変
わってくる。
即ち前者は、己が食事の為に他人に悪事を唆せたり、快く思っていない相手に悪意を抱く
よう仕向ける実害がまま起こるのである。結局、その過程で生まれた悪感情自体は当の悪魔
族が食べてしまうため、基本的に当の本人は寧ろスッキリしてしまうのだが。人によっては
これが余計に性質が悪いと憤ったりもする。
一方で後者は、そういった悪魔族は勿論、彼らに唆された人間を含めた“悪”を強く排斥
しようとする。種族的に潔癖だからというのもあるが、何よりそうした教えを人々に説くこ
とで、自分達の糧である信仰を得る側面が大きい。当初この二種族は人類を競うように分断
し、対立させたが、現在は表向き大分落ち着いている。少なくとも文字通りの全面戦争など
しようものなら、お互い糧である人類そのものが無くなりかねないと悟ったのであろう。
「初めまして、だな。オイラはグレイ。助けてくれてありがとうなあ。……オイラ、見ての
通り悪魔なんだけども、元から小食で……。かと言って食わなきゃどんどん弱っちまうし、
だけども他の皆みたいに悪巧みをする度胸が無ぐって……」
一般的に知られるイメージとは大分違う悪魔族の青年・グレイ。曰く彼は、種族の性と己
の性分の間で長く悩み、不利を被ってきたらしい。行きずりに食料を恵んでくれた恭二に感
謝の意を示しつつも、一方で人間の物理的な食事では根本的な解決にならないと言う。
「だろうなあ。全然悪魔っぽくないし。じゃあ俺の……悪感情でも食うか?」
「あ。さっきちょっと頂いたんだけども……腹減り過ぎてつい。あ、でも、そんなに美味く
はなくって……」
「食ったのかよ!? っていうか、その癖遠回しに不味いだの何だの──」
いや、でも。それはつまり悪魔的にはハズレという意味で、悪感情なるものが自分には少
なかった、誉め言葉と取るべきか? 恭二は突っ込みかけてふいっと思考が止まり、寧ろ好
いことなのではと思い直したが、それはそれとしても何だか気に障る。
「ご、ごめんよお。人間のあんたには判らないかもだけど、やっぱりこの辺は元々そうした
“素質”がある相手を探さないと難しいんだよ。でもそういう人間って大体、怖いしなあ」
「……悪魔にビビられる人間ってのも、大概だとは思うがなあ」
気付けば恭二は、バイトの時間が迫るのも構わずにグレイの身の上話にガッツリと耳を傾
けてしまっていた。
悪魔族でありながら、その性質・本能と反りが合わない者。
まだ学生の身分でありながら、その家族と反りが合わない者。
もしかしたら殆ど無意識の内に、彼と自分との間に似通ったものを感じ取っていたのかも
しれない。自身のそれと重ねていたのかもしれない。
「まあ、別に今に始まったことでもないさ。ありがとな。え~っと」
「恭二だ。矢野恭二。それよりグレイ、お前らが悪感情を食う時って、別に自分で唆さなく
てもいいんだろ?」
「? ああ。あれはあくまで、量とか質を高める為のモンだから……」
キョ、キョージ。何を……? グレイがそう、急に妙な質問をしてきた恭二に対して思わ
ず不安げな眼差しと問いを返す。しかし彼は既に、このひょんな事から知り合った悪魔族に
対して、一つの策を思い付いていた。彼の為に、いや何よりも自分の為に。
次の瞬間、恭二は小さく口角を上げながら、彼を見返して提案する。
「──俺に考えがある。お前もその空きっ腹、満腹にしたくはねえか?」
詰まる所はwin-win。片や飢えからの脱出であり、片や日頃単身では絶対に叶わな
かった、自身と世に対する鬱憤晴らしである。
期せずして出会った二人は、連絡先を交換するほどの友となった。講義のコマ同士の空き
時間、終業後の日没をメインに、二人は以来しばしば夜の繁華街へと足を運んでゆくことに
なる。目的はその環境──要は相対的に“治安”の悪い場所に赴けば、必然的に悪魔族たる
彼が空腹を満たせるほどの“悪”達が闊歩している筈と踏んだのだ。
「もっと力のある悪魔なら違うんだろうけど……。少なくともオイラの場合は、大分近くま
で寄らなきゃ食えないんだよお。どの悪感情を選ぶか、狙いを絞るにも手間が要るし……」
最初の数回は、それこそ人通りの中からいかにもといった人物を見つけ、そのすれ違いざ
まにグレイに食って貰うというやり方を採っていた。彼曰く、自身の能力が決して高くない
のと小食故、根こそぎ丸々という選択肢は採れない。気弱な性分からしてもそこまで──他
人一人を最悪廃人にしかねない暴食は恐ろしかった。
ただ同行、道案内するようになった恭二からしてみれば……やっていることは十二分に文
字通り人外の業である。自分の時は本当に大したエネルギーにはならなかったのか、それと
も能動的にグレイに協力するようになったからか、彼が狙いをつけた人間からモワワンと、
濃い紫の煙のようなものが吸い込まれていった時には正直目を丸くしたものだ。
「んぐ、んぐ……。うん、結構濃いね。オイラとしては、もう少ししこつくない方が好みな
のだけど」
「言うようになったじゃねえか。いや、最初からそんなのか……。相手や周りに気付かれた
ら面倒になりかねねえ。感想とかは一旦路地に避難してから、な?」
人ごみに隠れ、ちょこちょこっとつまみ食いするようにして空きっ腹を満たす。
さて、あの男は少しは“マシな人間”に生まれ変わっただろうか? グレイの小食程度で
は焼き石に水だろうか? 見てくれからしてイカつく、多分ヤのつく自営業やらその関連の
住人と思われる。……自分から言い出した作戦でこそあったが、やはり何度もすれ違うのは
心臓に悪い。どうしてあんな連中が、居るだけで他人を荒ませる人格が、こうも世の中には
大手を振るいながら歩けるのだろう……?
それからだ。二人は何度も何度も最寄り近所、時には少し遠方まで足を伸ばし、夜の街に
潜む“悪”どもから少しずつその悪感情を拝借し続けた。少なくともこれでグレイという友
は、行き倒れてしまうほどの空腹を避けられる筈だ。
調子に乗って、一晩で何人も食べ過ぎた時もあった。小食のグレイが盛大にゲロった。
運悪く、食った直後に睨み返され、大慌てで逃げた事もあった。寿命が縮むかと思った。
時期次第では人間の警察が、或いは天使族の布教活動ともかち合った。そんな日は素直に
中止せざるを得ない。こっちはあくまで食事に来ているのであって、国家権力やら片割れの
異種と大上段に事を構える為ではない。棲み分けというのは、何よりも優先して意識してき
た心算だ。
尤も一番多かったトラブルのは、同じ悪魔族との“先約”絡みだった。既に当の人間を唆
し、食べ頃になるのを待っている最中とは知らず、今宵のターゲットにしてつまみ食い──
ブチ切れられて散々に追い回されたことも度々あった。恭二とグレイは、二人して涙目にな
りながら逃げ回った。ペコペコと後に頭を下げ、一層同様のダブルブッキングが無いように
気を遣いに遣うことになる。……それも含め、良い思い出になっていった面もあるが。
『~~♪ ~~♪♪ ~~♪♪♪♪』
「ああ、もう! 五月蠅ぇ!」
だというのに、歳月は世界は二人のそんなささやかな交友も許してはくれない。何かにつ
けて難癖を見つけては、自由気ままを目指そうとする誰かを鎖で縛り上げようとする。
下宿先のアパートで寝そべっていた恭二は、しつこいほど繰り返し鳴らされるスマホの着
信音に、暫くして遂に我慢し切れなくなって出てしまった。
別途設定した、画面に表示されたメロディーと相手方の名前で判り切っている。
なのにどうして……。こちらはこうも離れたがっているのに、どうして向こうは却って、
そうはさせまいとするのだろう?
「……もしもし」
『あ~、もう! やっと出た! 居るんならちゃんと出なさいよ。何の為の電話だと思って
るの?』
「……別にお袋一人の為にあるモンじゃねえだろ。こっちだって都合があんだよ。馬鹿みた
いに何度も何度も鳴らすな」
電話の相手は、実家の母だった。恭二は心底げんなりした表情と声色で、早速チクリと口
撃し、さっさとこの通話を終わらせるべく舵を取り始める。
『馬鹿って何よ! 馬鹿って! ……それよりも。恭二、あんた、聞いたわよ? 最近大学
の方で、悪魔族の子と付き合ってるんですって?』
「ああ? 誰から聞いた、その話? そりゃあまあ、ダチに一人いるけど……。別に今時珍
しくはねえだろ。キャンパスにも、ちらほらいるぜ? 悪魔族も天使族も」
『友達、ねえ……。どうせ付き合いを持つんなら、悪魔族じゃなくって天使“様”にしとき
なさいよ。こっちに話が伝わってきて、ご近所さんの目もあるんだから。大学に行ってまで
迷惑を掛けないでちょうだい』
「そうやって一々連絡してくる方が、何百倍も迷惑だって思わねえのかよ。手前だけが善人
面してんじゃねえよ」
恭二! 何て言い方をするの! 電話の向こうで母がカッと感情的になるのが、ガンガン
とスマホ越しに耳に響いた。あ~あ、また始まったよ……。内心恭二は、実際に小さく密か
に舌打ちをし、相手の怒声を八割九割聞き流しながらモヤモヤを募らす。
……だから嫌なんだ。わざわざ遠い大学を選んだのも、実家から離れる為という意味合い
が大きい。だというのに、事ある毎に向こうはしつこく連絡を取ろうとしてくる。こっちの
あれやこれやに文句を付け、従えようとする言動を止めない。着信を無視し続けても、延々
と鳴らされるし、メールも飛び続ける。最早嫌がらせとしか思えない。
『大体ね! 進学に必要なお金を出してあげたのは誰だと思ってるの!? あんたはあんた
で悠々自適な生活の心算かもしれないけど、大金を溝に捨てて遊んでただけなんて絶対駄目
だからね!? なのに今度は、悪魔の子と──』
「あんたの金じゃねえだろうが。親父のだ。それに他の分は、バイト掛け持ちして賄ってる
の知ってるだろ。勝手に手柄みたいな言うな」
何より……。恭二は心底苛々していた。彼女と話すといつもこうだ。お互いがお互いを快
く思ってないと判り切っているから、どうしたって“関わらない”ことが最適解になる。そ
れが中長期的に見れば、事態を一層拗らせて膠着化させると知っていても。
「あいつは、グレイは……良い奴だよ。確かに悪魔族って割にはなよっとしてるし、頼りな
いかもしれねえけどさ。ダチってのは……損得じゃねえだろ」
切欠は確かに偶然ではあった。半ば状況に流されて、決して打算が無かったとは胸を張っ
て言えないけれど、彼とはあれからすっかり親しくなった。彼の“食事”の傍ら、二人で遊
びに行くことも珍しくなかった。
「いいから、俺に、構うな。あんたや親父の面倒は、優秀な兄貴が見てくれるだろ? 自慢
の息子がさ」
『伸一は今関係ないでしょ!? あんたはまたそうやって──』
電話の向こう、母の感情的な声は止まらない。だがそれ以上に、恭二は自身もまたどんど
ん相手に対して逆張り一辺倒になっていると自覚し、故に次の瞬間一方的に通話を切った。
追撃が来ないように、スマホの電源自体も落とす。まあ大方、再起動した後にごまんと履歴
が母の表示名で埋め尽くされるのだろうが。
「…………」
ベッドの上に仰向けになったまま、静かに片腕で視界を塞ぐ。
最悪な気分だった。どれだけ逃げようとも、いつだってこうだ。
だからだというのか、悪い事は往々にして連鎖的にやって来ると云う。
はたしてこの日もそうだった。いつものように、講義終わりとバイトの無い日で示し合わ
せて、夜の繁華街へ。だというのに、この日だけはどれだけ待っても友はやって来ない。姿
を見せない。連絡を入れてみても……一向に反応がない。
まさか! 恭二は段々と、しかしある種予感のように確信していた。彼の身に何かがあっ
たのだ。自分の中で待っても無駄だと断じた瞬間、彼は独り弾かれたように走り出す。行き
交う人々と、夜の街特有の危うい雰囲気すら脇に放り投げておいて、只々普段ならとっくに
待ち合わせ先に到着している筈の友を捜す。
「──っ! グレイ!」
故にその姿、最初に出会った頃と同じ、冷たいコンクリートの上でぐったり横たわってい
るさまを認めた時、恭二は殆ど悲鳴のような声を上げて駆け寄っていた。対する当のグレイ
もグレイで、ふらふらと緩慢な動きでこちらに視線を向けてから、力なく苦笑ってみせる。
「あ、はは……。ごめん、キョージ。しくじっちまった」
「何で謝る? それにしくじったって──」
すぐ傍で受け答えし始めて、ようやく気付いた。彼の腹からぼたぼたと赤黒い血が流れて
溜まりを作っている。大きさはそれほどでもなかった。何かがあって時間はそれほど経って
いないのかもしれない。しかしそのダメージ、衰弱っぷりは明らかに異常である。
「お前、撃たれたのか? それも銀の、悪魔狩りの弾丸……」
社会の裏で続いてきた天使対悪魔、血みどろの抗争。恭二自身はいち学生であり、その辺
はまるで素人だ。それでも友の、倒れていた傍に転がっていた幾つかの薬莢が普通ではない
ことぐらいは判別できる。
文字通りの銀色且つ、緻密な呪文のようなものが彫り込まれたそれ。
悪魔族を目の敵にする天使族、或いはその過激な信者達が使っているという悪魔狩りの武
器であろう。
「……オイラ達は、やり過ぎたんだ。同族とも時々ブッキングしてたし、天使族が嗅ぎ付け
ないなんて保証は無かったんだよ。オイラが小食だろうが、人間に直接悪事を働かせてなか
ろうが、連中にとっては全部ひっくるめて“敵”だもんなあ……」
「グレイ……」
はは。酷く悲しげな自嘲み。グレイは思い返すように語った。
悪魔として致命的な攻撃を受け、息も絶え絶えな筈なのに。自分を襲った相手への恨み節
くらい、吐いたって罰など当たりはしないだろうに。
『──』
だからこそ許せなかった。恭二は愕然としてこの友を見下ろし、されど次の瞬間、物陰の
遠巻きにこっそりこちらを覗いている、何者かの姿を認めたのだった。
おそらくは自分がグレイを見つけ、駆け付けて来た時にはまだ、犯行からそう間が無かっ
たのだろう。退却か? それとも“仲間”をまとめて始末するか? どちらにせよ、まだ息
が残っている以上、こちらの正体を喋られる危険もある。
こちらの視線に気付き、慌ててひょいっと隠れた姿。
その特徴的な蒼白刺繡の帽子を、恭二は見落とさなかった。確か天使族を信奉する一派、
通称“聖歌隊”の制服──。
「……グレイ、ちょっと待ってな」
だから。許せなかった。
よ、止すんだ、キョージ……。途中何度もつっかえ、息を切らしながら手を伸ばしてこよ
うとする友の傍らを通り抜け、恭二はすっくと立ち上がっていた。数歩前へ進んでゆき、壁
際の金缶に突っ込んであった古びた金属の棒を引き抜くと、この物陰で尚も退かぬ天使派の
犯人を睨み付けたまま言う。血管が浮き出るほど握り締めて言う。
「今お前の、仇を取ってやるからよ──」
はたしてその表情は気配は、あたかも鬼の形相の如く赤黒い怒りを纏っていた。
(了)