(5) 新しいフォルダ
【お題】天、箱、パズル
「皆さん、おはようございます。先週に引き続き、本日も箱庭作りの実習を行ってゆきま
しょう」
小綺麗に整備された室内で、教壇に立つ彼はそう生徒達に呼び掛けました。
目の前にはずらりと、左右二列の複数の円卓に分かれて着く面々に囲まれるように、巨大
なガラス槽のような物が天井までぴったり延びています。更にその根元には、淡い緑や青に
明滅するテキストが刻まれた、巨石のような装置も備わっています。
教師役の彼も、彼の授業を受ける若い生徒達も、その服装は独特──白や金刺繍の貫頭衣
の上から幾つもの房が垂れた、同じく白い上衣を巻き付けた衣装を身に纏っています。
生徒達は、総じて真面目なようでした。「はい!」と元気に応じる者。そこまでではなく
とも小さく頷き、或いは目の前のガラス槽を見つめている者。コポコポと、中には先週まで
“創って”いたと思しき人型の姿が在ります。
「では先ず、軽く前回のおさらいから。箱庭作りは基本的に、大元となる一番外側の領域を
設定。その中へ必要に応じて、新しい別の領域を保存してゆく工程の繰り返しでしたね。そ
れぞれの領域にどのような名前を与えるかは自由ですが、なるべく管理・参照し易いものに、
且つ同じ系統の因子は同じ領域に纏めるようにすると良いでしょう」
生徒達の手元にあるのと似た、横長の石板の上に、彼が指先でなぞって板書──淡い緑や
青に明滅する文字を書いてゆきます。彼らもめいめいに、携行サイズのそれを起動して板面
上に浮かび上がる、似たような画面に既に映し留めた内容を見返していました。或いはちら
ちら、きょろきょろと、隣や斜向かいの仲間の分を覗き込んでいます。未だ整理のついてい
ない部分を、詰め直していました。
「……ああ、そう焦らなくても大丈夫ですよ? 実習はまだ始まったばかりです。そもそも
箱庭作りは、私達でも多くの時間と労力を費やすものです。安易に存在を生み出すべきでは
ないという議論も、確かにありますが、一方で作り上げる経験を積んでゆかなければ完成す
らさせられません。じっくりと、腰を据えて取り組んでゆきましょう」
『はい!』
少なくとも、彼は比較的生徒達に柔和な態度の講師でした。まだ若く、彼らと年齢が近め
である点も大きいのでしょう。一気に“完璧”を目指せば、そう遠くない時点で制作そのも
のを投げてしまう──箱庭作りの先輩として、同時にそんな心構えも彼は彼らに伝えようと
していました。
かくして、実習の続きが始まります。生徒達は領域──淡い金光で囲われた立方体を先ず
ガラス槽の中に生成し、手元の巨石装置に必要な情報を入力・設定することでその内容を満
たしてゆきます。大元の領域、この箱庭の内側に、どんな者達を棲まわせるのか? どんな
性質を持ち、どんなことを思うのか? 或いはヒトではなくモノ、個々の存在よりも先に根
本的な秩序を規定してゆこうと試みる生徒達も少なくはありませんでした。しかしその多く
は作業に困難、詰めるべき内容と密度、齟齬の有無を前にして中々前へと進めません。
「──あれ? こいつ、ピクリとも動かない」
「動けないんですね。ほら、この仮領域、通行設定が初期値のままです。地面部分もちゃん
と敷き詰めないと、真っ暗闇に閉じ込められちゃいますよ」
「──先生。個々のプロフィールってどの辺りまでこっちで決めればいいんでしょうか?
今は良くても、数が増えてゆくと、とてもじゃないけど捌き切れないような……?」
「そういう時に便利なのが、乱数化と自動生成アルゴリズムです。講義で紹介するのは、も
う少し先になりますので割愛しますが……今の内にどんな項目を幾つ用意しておくか? ぐ
らいは構想しておくと良いかもしれませんね」
「──秩序かあ。別に俺達が使ってるのと似たようなものでいいんですよね?」
「ええ。ゼロから新しく作り出すのは中々に上級者向けですよ? 先ずは私達のそれを下地
にして、少しずつ改変を加えてゆく方法をお勧めします。後は整合性の為に、貴方の創ろう
としている箱庭の世界観と並行して進めてゆきましょう」
「──中領域って結局、どれぐらいの項目の数があれば足りるんでしょうか……?」
「そうですねえ。予め数量の想定をしておくのは悪いことではありませんが、あまり最初か
らギチギチに詰めてしまうと、後々の拡張がやり難くなります。最初は大雑把な分類で構わ
ないと思います。位相さえ揃えていれば、基本動作はしますからね。必要に応じて最初の分
類や個々の設定を細かくしてゆくイメージで進めると良いでしょう」
講師たる彼は、暫く各円卓を回り、箱庭作りを続ける生徒達の質問に答えることに集中し
ました。迷い、時には“真面目”に思い詰める彼・彼女に、肩の力を抜くよう、アドバイス
も授けてゆきます。
「……」
にこにこ。
微笑を貼り付けて、彼はこの未来の管理者候補達を眺めつつ、思っていました。
少なくとも私は、始めから「型」を押し付けたくはない。押し付けるべきではないと考え
ている。過去・既存の例を参考にすること自体は大いに結構ではあるけれど、そんな他社の
在り方・創りように引っ張られていては、箱庭達はどうしても似たり寄ったりになってしま
う。それではわざわざ、何人もの管理者を養成する必要が無い……。
「せ、先生! 大変です! わ、私の箱庭が……住人達が、壊し合いを!」
ちょうどそんな最中の出来事でした。自身の経験とも重ね、この実習室の教え子達を見守
っていると、内一人の少女が悲鳴を上げるようにして助けを求めてきました。周りの他の生
徒達も、何事だとざわついています。ガラス槽の中を見上げています。
「ちょっと失礼。貴女の入力値、読ませて貰いますよ」
動揺する教え子らを掻き分け、彼はこの助けを求める女子生徒の下へと駆け寄ってゆきま
した。当人が不安そうに訴え掛けるのもそこそこに、先ずは手元で操作されていた巨石装置
と、ガラス槽に浮かぶ輝く立方体の中を覗き込みます。
──其処には確かに、彼女に創られた者達が、罵声を浴びせながら互いに殴る蹴るの大立
ち回りを繰り広げていました。或いは鈍器、或いは鋭く削いだ枝先を武器として振るい、相
手が死ぬまで攻撃し続けています。
「ふむふむ……。なるほど……」
現象としてはありふれた、しばしば見られる不具合。
ですがまだまだ駆け出しの生徒達には、それが分かりません。ずっとずっと小さい、自分
達の掌の中で起きたトラブルとはいえ、誰も好き好んで流血沙汰を見ようとは思いません。
必要以上に不安に──何か取り返しが付かないことでもしてしまったのではないか? と、
恐れるのも無理はなかったのです。
彼は暫く、この女子生徒の設定内容を検めた後、ふっと振り向いて言いました。
「もしかしなくとも君は、この箱庭に“思想”を入れたんじゃないかい?」
「……? シソウ?」
「私達管理者が一般にそう呼ぶものです。一つの箱庭を組み立てる際、これこれこういうセ
カイを創りたい、こういうセカイにしたいと指向が強過ぎると、しばしば実際の挙動として
は真逆の反応が頻発します。今回の場合……何処もかしこも“綺麗過ぎた”ことが原因の暴
発でしょう」
この女子生徒は勿論の事、周りの生徒達も思わず互いの顔を見合わせていました。彼が何
を言っているのか、いまいち理解が追い付かず、頭に盛大な疑問符を浮かべています。
ですが当の彼はというと、寧ろフッと微笑っていました。そんなに怯えることはないんだ
よと、伝える意図が含まれていました。
「……大丈夫。この手の不具合は、誰しも箱庭作りをする中で通る道ですから。これを経験
に、次はもっと上手くやればいい」
「で、でも……」
「大丈夫。気に病むことはありませんよ。確かに今回の住人達は塵に還ってゆくでしょうが、
見方を変えればそれだけ彼らに自我が芽生えた、そんなダイナミズムを貴女が再現できた
という証左でもあります。必ずしも“思想”がイコール悪いという訳じゃない。大事なのは、
如何に貴方達一人一人がそれを制御するか──或いは制御しないか、です」
ぽんぽんと。
自らが創った者達が、自らのミスで絶えてゆくさまに罪悪感を抱いていたのでしょう。こ
の女子生徒は尚も悲しそうな、悔しそうな瞳を潤ませましたが、彼はその頭に軽く手を置い
て優しく撫でてやることで、静かに宥めてあげていました。あくまで今回の失敗は今回の失
敗。イコール彼女自身、管理者候補生としての失格とまで拡大すべきではないと彼は伝えた
かったのです。
『……??』
時折、ふいっと混ざる矛盾した言葉。小首を傾げる幾人かの生徒達。
それは彼なりの優しさであり、既に管理者の一人として活動する自身の、これまでの経験
を踏まえた上での持論でもありました。
箱庭は無数に在る。その中、一つ一つに棲まう者達もまた、捉えようによっては無尽蔵に
存在し得る。
だから“思想”を──己の熱量を注いで理想のセカイを構築すること、それ自体までを否
定しようとはせずとも、やっていることは危うい。やろうとし続ければ、内側ではなく、外
側にいるこちらの方がもたない。
彼・彼女らに自我すら芽生える綿密な創り込み。
ただそこに、他でもない自分自身の情念が入り込んでしまえば、管理者としての責務や重
圧には遅かれ早かれ耐えられなくなる。“別物”だと切り捨てなければ立ち行かなくなるタ
イミングが、絶対にやってくる──。
「さあ。彼女が一つ、実践例を見せてくれましたね? このように、箱庭作りには、絶妙な
バランス感覚がしばしば必要となります。どういったセカイ、どういった命を定義するかは
皆さん次第ではありますが、それでもある程度の“型”が──先輩達が積み上げてきてくれ
た、円滑に機能し易い配分パターンというものもまた存在します。オリジナリティを追求し
てゆく為にも、先ずは土台をしっかりと整えましょう。焦らず、じっくりと、です」
『はい!』
最初こそ大きくざわついていた生徒達でしたが、やがて教壇に戻っていった彼からの注釈
を受け、めいめいに落ち着きを取り戻してゆきました。件の女子生徒も、一旦停止させた自
身の立方光を見つめていましたが、次の瞬間彼からの呼び掛けで再び修行・実践の日々へと
邁進します。
「君のそれも、数ターム毎に予備は取っていますね? 一からまた、ガラッと創り直すのも
手ですが、原因が判った上で同じ環境から派生させてゆくというのも良い勉強になります。
皆さんも、試しにやってみましょうか」
話題を切り替えるかのように、彼が軽くそう手を叩いて皆に呼び掛けました。また少し、
今度は別の意味で実習室内がざわめき出します。
それはどちらかと言うと、ただでさえ持て余している箱庭を、複数同時に捌けるのだろう
か? といった不安からくるものでした。ですが当の提案した彼はニコニコ。一部の生徒達
も、仲間の実例を見て、寧ろやる気に火が点いてさえいます。
「先生……」
「大丈夫ですよ。今度は私も、少しお手伝いしましょう」
躊躇いがあるのは良い事です。
その“優しさ”はきっと、被造物達に付け入られる隙になってはしまうのでしょうが……
一方で振るい方次第では、より良い管理者としての素質に昇華させることも、不可能ではな
いのですから。
(了)