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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-114.May 2022
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(4) 残狂

【お題】憂鬱、雪、息

 割り振られた番号一つ見つからないだけで、俺の人生は早々にレールから外れ始めた。

 また街のあちこちに雪が残る、キャンパスに入って程ない位置の広場。そこに仮設で掲げ

られた、合格者一覧の横看板を見つめてから、じわじわと現実は遅れてやって来た。ケタケ

タと哂われているような心地がした。

「──」

 だというのに一方で、未だ身体の方半分くらいは、実感って奴を伴わなくて。

 少し見上げたままの体勢が段々辛くなってくる。首の後背、根本辺りからが疲れてくる。

その間にもハッハッと、短くて浅い呼吸は寒空に漏れて白く滲んでいた。自分の中から出て

くるものだから、きっと汚れているのだろうと、そんな今はどうでもいいことばかりが思考

の片隅に過ぎる。十中八九、目を背けたかったからなのだろうけど。

(予想は……してた筈なんだけどな。やっぱ、実際に突き付けられるとキツイか……)

 同じく看板の周りに集まっていた同年代達とは明確に距離を取り、俺は独り足早にその場

を後にしていた。踵を返した。

 キャッキャッと、悲喜こもごも──特に後者な黄色い声ばかり耳に入ってしまうのは、自

分と対照的だとの自覚があったからなのだろう。有り体に言うと、やっかみ以外の何物でも

ない。嗚呼、こいつらには春から、大学生活が待っているんだな……。随分と嬉しそうじゃ

ねえか。そんなにやかましく、人前で泣いたりなんかもして。そうまでして、ここの大学に

通いたかったっていうのか? ちゃんと“理由”があるっていうのかよ……?

 俺のような、街生まれの街育ちにはいまいちピンと来ない感覚だが、親元を離れて田舎か

ら都会に出て来られる。それだけで大きな一歩を踏み出した気になれるのだろうか?

 親元云々という点では同じだが、こちとらその逆──滑り止めで受けたこの大学も、理由

は只々電車で通える圏内という、それに尽きるものだった。だからこそ、ここまで落ちたん

だという現実に、俺は正直大分打ちひしがれていたんだと思う。心の底では尚も認めたくは

なくて、まるで他人事のように“遠い”感覚に浸っていた。いっそ麻痺したままでいられた

らとさえ願った。

「……。もしもし? 母さん?」

『もしもし? 秀則? ど、どうだった!? 受かってた!?』

「駄目だった。一応二回三回、見返してはみたけど」

 キャンパスからの去り際、歩道の途中でスマホを取り出し、家で報告を待っている母に電

話を掛ける。

 殆ど縋るような声色で訊ねられて、苦しくて。

 時間稼ぎや嘘なんてものは無意味だと予め諦めていた分、喉から滑り出た言葉は案外呆気

なかった。『……そっか』でも電話の向こうから、その失意を嗅ぎ取れるぐらいには、母の

反応は分かり易かった。たっぷりの間の後、平静を繕おうとする動きが目に浮かぶ。

『それで……。これから、どうするの?』

「どうするも何も、とりあえずでもいいから仕事を探すしかないだろ。先公にも知らせて、

相談ぐらいはしてみるけどよ……。実際問題、今から新卒枠で就活なんて間に合わねえし」

『う、うん。それは……そうだけど……』

 もごもごと、母がばつが悪そうにしているのが分かった。家計的に浪人をさせられる余裕

は無いと、前々から言われていたし、何より俺自身明確な“目的”なんて無かったからだ。

とりあえず進学して、大卒という肩書きだけは取っておく。後々のキャリアを考えれば、少

なくとも高卒よりはマシだろう──そんな曖昧な理由付けでもって。

 まあ、それも今回の全滅で結局、駄目になってしまったけれど。

「じゃあ、そういうことだから。一旦帰るわ」

 未だまごついている母を振り解くように電話を切り、スマホをズボンのポケットにしまい

込む。中途半端な晴れ間では溶けきれない雪達が、そこかしこで汚く積もり残っている。念

の為薄めのマフラーを巻いては来たが、やっぱり要らなかったなと、半ば自分の意思とは無

関係に吐き出される息に眉を顰めて思う。

(……共通の時に、腹さえ壊してなけりゃあ……)

 元々の第一志望はおろか、第二・第三、今日の地元滑り止めすら軒並み浮かれなかった原

因ならはっきりしている。共通試験の当日、盛大に腸風邪に罹ってしまったからだ。今年は

例年よりも寒波が何度も襲い、暫く空気が冷えに冷えて乾燥していたのも災いした格好なの

だろう。高熱やら下痢やらで、とてもじゃないがまともに問題など解けなかった。流石にこ

れは駄目だと、途中からは科目自体も受けられずに惨敗──当然ながら、各大学の二次試験

と合わせても点数は足りなくなる。

 つい思い出して、俺は内心苛々していた。据わった目になっていたのだろう。途中で何回

か、すれ違う通行人から避けて通られてゆくのが見えた。中には先程のような、合格発表帰

りの学生服姿もちらほらとある。大抵、実際俺自身も、遠方の分はネット経由で合否を確認

したのだが……どうやら彼女らの中には一定数、現地で受かった瞬間を撮りたいが為に遠征

してくる手合いがいるようだ。まあ、そのまま下宿先やら何やらの下見も兼ねていたりする

のだろうが。

(……どうすっかなあ)

 御袋にはああ言ったものの、はてさて打開策はあるのか? 再試験の申請も別段例の感染

症とは無関係──体調管理のミスという雰囲気で認められそうにないし、仮にオーケーが出

ても、俺自身がそこまで大学生活に対するモチベが高い訳ではない。そもそも腹を壊してい

なかったとしても、はたして十分な点数を取れていたものか。一応試験対策云々はやらされ

ていたとはいえ、元から勉強は得意じゃなかった。頭が良い方ではなかった。その辺りの理

由からも、あまり積極的に“ノーカン!”と訴えられなかったという面はあると思う。ざっ

くりと言えば、後ろめたさの類だった。

 ぼりぼりと片手で髪を掻きつつ、悲観と楽観の間をふらふらとする。

 自分という人間本体は、もう既に諦めが勝っている。どうせモチベも糞もない大学生活を

過ごしても、四年そこら延びるだけだ。何とか息子には大学ぐらい、今時大学は出ておいて

貰わないと……母と父の思惑、世間体辺りを思えばもっともがかなきゃ駄目だという認識は

あるものの、すっかり心は折れてしまっていたのだろう。今この場の外気のように、冷め切

っていた。

 問題は親父の方か。全滅したと分かったら、どんな表情かおをするか?

 解ってる。どうせまた、自分の面子が潰されたと、散々俺を罵倒するに決まってる──。

「きゃっ?!」

「!」

 ちょうど、そんな時だった。進行方向左手の路地へ入って行こうとした婆ちゃんが、突然

中から飛び出して来た男に、持っていた鞄を分捕られてすっ転んでしまったのが見えた。冬

の時期なのに野球帽とサングラス、隠す用に持っていたらしい空っぽのリュック──お約束

のようなひったくりの一部始終だった。

「だ、誰か~! ひ、ひったくりよ~!」

「──ッ」

 だからなのか。俺は次の瞬間、この犯人の男に向かって猛然と駆け出していた。向こうも

向こうで、こちらが敵対してくる様子に気付いたのか、チッと舌打ちを見せつつ尚も全力疾

走を止めようとはしない。上手いことかわして、逃げ果せる気でいるらしい。

(舐めるなよ……。この……糞野郎ッ!!)


 とにかく、苛立たしかった。

 こいつが目の前で、白昼堂々と盗みを働いたという事実に対してじゃない。それ以前に俺

自身がもっと、腸風邪を含めた受験やら何やらで、色々とストレスを溜めていたのがそもそ

もの原因りゆうだったのだから。


 許せなかった。こっちは目に見えないトラブルの所為で、もう“普通”のレールから零れ

落ちそうになっているというのに。自己責任論云々で、逆にさも俺のミスだと言わんばかり

に足蹴にされ掛かっているというのに。

 それなのに……それなのにお前は、そうやってさっさと“ズル”をしようってのか? こ

っちがこれだけどやされて、急かされて要求されてきた「努力」を、そんな簡単に投げ棄て

て得だけを獲ろうとしているのか?


 ふ ざ け る な


 お前みたいな奴がいる所為で、真っ当に生きようとしている奴はッ。

 在ろうと頑張らざるを得ないのに、報われない大多数の人間おれたちは……ッ!


「──あんちゃん、兄ちゃん! もう良い、もう良い! 良いんだってば!」

「?!」

 ひったくり男が婆ちゃんへの突進後、そのまま路地を飛び出してこっちに曲がって来た所

までは憶えている。多少の距離があったのもあって、向こうがこっちに気付いた瞬間、押し

通る側と押し止める側になったことも憶えている。

 だから……ややあってその婆ちゃんが、いつの間にか俺の傍にまで駆け寄って来ていて、

血相を変えながら呼び掛けてきているのに気付いてハッと我に返った。気付けば俺はこの男

を組み伏せて、その上から殴り続けていた。何度も何度も、本人が抵抗する力も無くなって

いるにも拘らず、繰り返し拳を叩き付けていた。

「ガッ……! アッ……、アッ……!」

 嗚呼、そうか。こいつに迎撃のタックルをぶちかます直前、婆ちゃんからひったくった鞄

をぶん回し、先手を打たれたんだっけ。それ自体はクリーンヒットするでもなく、俺の頬を

掠めた程度で済んだのだけど──それが“スイッチ”になってしまった。小さな赤筋とは裏

腹に、こいつに“悪”あがきを見て、俺は義憤キレた。こいつはぶちのめしてもいい奴なんだと、

俺自身の色々なものを全部吐き出すのに任せて決め付けたんだ。

「もう良い! 良いんだってば! そんなに殴ったら、この男が死んじまうよ!」

 大慌てで縋ってきていた婆ちゃん。俺は自分のしたことに、殆ど呆然と膝立ちのままにな

っていた。わん、わん……と、辺りから何人もの他人の声が酷く揺らいで聞こえる。怖れを

含んだ視線を向けられているのが判る。目撃者、通り掛かった連中か。それはきっと、ひっ

たくった犯人に対するものじゃない。他でもない俺の、逆に組み伏せてボコボコにしている

現在進行形の姿を見てのそれだったから。

「──」

 ぼた、ぼた。

 只でさえ溶け残り、足元のアスファルトと混じってくすんでいた雪達が、拳から垂れる血で赤く染ま

っている。点々と大判の斑点を落とされ、犯人の傍らに散らばっている。

                                      (了)

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