(3) 喪いうものと
【お題】戦争、死神、運命
僕達は、死ぬ為に生まれてきた。
極論と言えば極論になるのだろうが、詰まる所そう捉えなければ“辻褄”が合わない。
この世に生を受けた瞬間から、僕達一人一人の背後には、その終わりを待つ何者かがじっ
と控えている──付き纏う影が存在しているが如きイメージ。潰えた、その瞬間を刈り取る
べく、暗くて黒い大鎌を肩に担いだイメージ。
音も無く気配も無い。或いは居るのだと知らなければ幸せだったのかもしれない。要らぬ
思考になど囚われず、もっと違った人生もあったのだろう。
ただ……主観で幸せか、そうでないかの違いこそあっても、僕達は皆死ぬ。
その現実に違いはないのだから、結局“ごまかし”じゃないかと思えてならなかった。厄
介な事に、僕という人間は、起伏の少ない「偽物」よりも苛烈に掻き乱される「本物」を選
んだ。性分なのかどうかは未だもって判らないが、選び続けてしまった。好んでしまった。
もっと言えば、縋って離さなくなった──。
『おい! 何ぼ~っとしてんだ! 手ぇ動かせ、手を! 納期は待ってくれねえぞ!』
『あ~……、はいはい。アンタ、そういう面倒臭い系ね? ムズカシイことは良く分かんな
いけどさ、考え込むだけ損でしょ? だから何時まで経っても童●なのよ』
『ま、気持ちは分からんでもないがな……。ただ、辛気臭い表情はなるべく他人に見せん方
が良い。そういうのは、大抵誰も幸せにはせんものだ。お互い、な……』
もっと早く気付いていれば──綺麗さっぱり捨て去れていれば、もっと違う歩みで在れた
のだろうか? 感じ方を手に入れられていたのだろうか?
日々、社会の荒波に揉まれて生活費を稼ぐ。
日々、騒々しい世間の“流行”とコミュ力偏重の空気に晒される。
日々、今日も何処かで似たようなことを考えている誰かがいる。或いは既に諦めている。
……歳月はこんなにも疾くて、こちらの都合など一顧だにしてくれないというのに、この
肌感覚から伝う“緩慢さ”は一体何なのだろう? ヒトの波に揉まれ、ヒトの只中に僕達は
居るというのに、彼・彼女からはまるで共感を感じない。別種の生き物、灰色のうねりの中
に放り込まれてこそいれど、どうしようもなく拭い切れない違和感がある。ざわざわ……、
ざわわ。只々耳を、身体の芯に響いてくるのはそういった雑音で、彼らが向けてくる苛立ち
や疎んじも、正直僕の中では噛み合わなかった。言葉を、態度や雰囲気を交わしている筈な
のに、お互い違った場所を見ている。かのような。
『追い詰めたぞ! 覚悟しろ、魔王!』
『クックックッ……。よくぞここまで辿り着いたものだな、勇者よ』
それは例えるならば、よくあるRPGゲームなどに似ている。
多くの苦難を経て、旅の果てに巨悪と相対する主人公。決戦の舞台。晴れてこれを倒せば
全て解決、ハッピエンド──というのが一昔・二昔前ならすんなり受け容れられた筋書だっ
たが、今ではその後もやれ裏ボスだの追加要素だのが続き、単純明快にエンドマークで結ば
れ難くなったように思う。幾つもの試練を乗り越え、偉業を成し遂げても、後日談として報
われない主人公も当時から少なくはない。時には発狂──いわゆる“悪堕ち”し、後発タイ
トルの敵役となってしまう例だってある。
『だが……無意味だ。絶望しろ。圧倒的な力の差というものを思い知れぃ!』
無駄だとは思わないだろうか?
どれだけ人生という長い時間を費やし、金を稼いでも、在るかどうかも分からないがあの
世には持ってゆけない。寧ろ多過ぎるそれは、遺った者達にとって対立の火種にもなりかね
ない。故人の死を悲しむよりも先に、ゴリゴリにそういった数字の計算に気を取られる。或
いはやれ額が少ないと、逝くタイミングが悪かっただのと、その終焉にすら陰で文句を言わ
れる始末では馬鹿みたいではないか。
他にもある。どれだけ人生の中で、他人との付き合いやら何かしらの経験やら──物作り
などが最たる例の特化させた技術を培っても、同じくまたあの世には持ってゆけない。有し
ていた頃は得意げになれたかもしれないが、死になれば全て無に帰すのだ。他人に伝えても、
その誰かもまた同じ道を辿る。失うと判り切っているのに、維持しなければと必死になる
のだ。代が続くほど──俗に“伝統”などと呼ばれるようになれば尚更に。
遠くを見過ぎている? 近く、足元を先ず見やがれと詰る?
僕達には解らなかった。何故そこまでして、汲々と突き詰めなければならないのだろう?
もっともっとと、他人と競うように急けなければならないのだろう?
“現実”的に応えるならば、大よそ世のそれがゼロサム・ゲームだからだ。特段規制やら
干渉がガッツリ掛けられていない限り、彼らは最大限己の利益を手に入れようとする。たと
えその手段が、誰かの持っていたパイを奪い取る格好になるとしても。
僕達は常に戦っている。戦わない日々、歴史など無かった。
古くは狩猟──腹を満たす為に。
次いで、どうしても不安定なそれを解消に導く為に取った行動は、略奪──持っていない
のなら、持っている奴から手に入れれば良い。殺してでも奪い取る。
食べ物だけじゃない。他人も、土地も。ひいては国という、地図上の椅子取りゲームに思
想を重ねては一喜一憂し、何年も何回も殺し合った。壊し合って奪い合って、いい加減そん
なやり方一辺倒ではお互い滅びるだけだよね? と申し合わせ、だけど出来上がったのは経
済という名の戦争。現代ではすっかり手段と目的はひっくり返り、こっちを梃子に色んな人
間達がいがみ合う。競い合って、しばしば脅しの道具に使ったりもする。
『だからって、働かない訳にもいかねえだろ……』
『ごちゃごちゃ言ってるんじゃない! 皆苦労してる。そういうモンだろうが!』
そういうものか?
苛立ちだったり、やっかみだったり。或いはそう僕の側が斜に構えて捉え過ぎているのか
もしれない。僕らなりの闘争──精一杯の抵抗として抱いてきた“違和感”なのだろうか。
だったら……別に良いじゃないか、と思う。色々デメリット、個人の不便やら総人口に対
する云々かんぬんといった理屈はあるのだろうけど、競争から降りたって。そこそこの日々
の為に、毎日必死こいて生きてくれている他人びとにただ乗りしてゆくのが後ろめたいとい
うのなら、いっそサクッと退場してしまえば未だ誠実というものだ。勿論、誰も彼もがそう
なられると困るから、世間だの常識だのといったものは全力で阻止したがるのだけど。
『一人で抱え込まないで 命のダイヤル ××××‐××‐××××』
スマホの画面に、ネガティブなキーワードを検索すると出てくるクソデカテンプレート。
機械的に表示されるようになっているとは解っているものの、僕は毎度正直殺意が湧く。何
も解っちゃいないというか、無遠慮に過ぎるというか。
大体、何故“生きる事が当たり前”なんだろう? 一体誰が“明るく元気に振る舞”った
り、外に出て他人と遊ぶことが正義、みたいな価値観が罷り通っているのだろう?
僕らは……そういう空気、世界観にほとほと疲れ果てているんだ。少なからず彼らの中に
も、そう振る舞わざるを得ずに苦しんでいる人はいるだろうに、そこを掬い上げるようなこ
とはしない。もう厭だ、全部ぶち壊してぶん投げて、終わりにしたい──往々にして深刻な
レベルにまで落ち込んだ頃になって、そんな浅はかさを返答する始末。
死なれたら悲しい? 生きていて欲しい? そう「他人」に断言してしまえる貴方の認識
が僕は悲しい。
こちらはとっくに、無力感やら絶望といったものに幾度となく苛まれてきたんだ。通って
来た道なんだ。その上で望んでいる。簡単に、手放そうと願った価値観で引き戻せるだのと
思うな。現実から、目を逸らすな──。
『確かに、一時の儚い命だからこそ、輝く瞬間というものはある。その身を賭して取った行
為が尊くも映ろう』
『だがな……それは決して、安易に望まれてはならない在り方だ! 傍目で眺め、消費する
分には傷まない、間違った“英雄像”だ!』
『その為に、古今東西一体どれだけの者が命を落とした!? 一つの悲劇を一つの希望に変
える為に、どれだけの名もなき者達が犠牲になった!? そんな歪なバランスでしか成り立
たないような世界など……無くさねばならぬ! 悲しみや苦しみに苛まれる人々を、これ以
上増やさない為には、それしかない!』
『エゴだよ、それは!』
『人がどう生きるか、そしてどう死ぬかは、皆がそれぞれの意思で決めるべきものだ! 少
なくともお前の……癇癪一つで切り揃えていいものじゃない!』
まさか、今日び厨●病を拗らせたような破滅イコール救済理論で、世の中を丸々っと変え
られるだなんて思っちゃいない。大体自分が一人サクッと逝けば終わる話だし、他人の意思
を無視してやるのはただの殺人だ。この国では昔から、本人が“腹を切って”もその行為自
体はあまり咎められてこなかったように思う。ほら、今でも良く言うじゃない。『迷惑を掛
けずに一人で死ねよ!』って。
僕達は、死ぬ為に生きている。死ぬまでの暇潰し──楽観的な表現をすると大分耳からの
印象は変わるけれど、結局は時間の使い方って奴なのだろう。サクッと手ずから引導を渡す
か、ずるずると引き摺って寿命ないし事故等を待つか。
どうせ“迷惑”を掛けるというのなら、僕は前者を選びたい。選べるようになれば、どれ
だけ楽だろう? もっと社会のリソースを、有益で優秀な他人びとに回せる方が、生きてい
たい現世の皆の為にもなる。競争からあぶれ、半ば自ら降りざるを得なかった落伍者が最期
に採れる、せめてもの筋ってモンだろう。
そもそもを言えば……人間なんて生まれて来なきゃ良かったんだ。なまじ知恵があるから、
技術を持ち合わせてしまったから、色んな恩恵と同時に苦しみを背負わざるを得ない人生
が待っている。勿論個人差、いや自分は幸せだよ? 人生は良いものだよ? と仰る方もい
るのだろうけど……それはそれ、これはこれ。嫌味を返して構わないのなら、貴方のそれも
いずれ壊れますよ? 無に帰すだけですよ? と。それが、そういう諸々が基本もう厭だか
ら、せめて自分だけは……と終止符を打ちたい。連綿も、伝統も、僕の代で断ち切らなきゃ
という、ある種の使命感だけが気付けば長らく燻り続けている。
──ただ僕の、僕達の願いは叶わないのだよなあとも、一方では解っていて。そこは元よ
り、万人にこう在って欲しいなど烏滸がましいという前提に立っているとはいえ、正直もど
かしいなとは思っていて。
だって、結局現世に残る“結果”は生きている人達だから。これから彼・彼女らによって
生まれ落ちてくる者達そのものだから。仮に後へ伝染していたとしても、個別の断絶には変
わらないから。
僕達はここで終わる。でもここ以降、ずっとあそこには新しく生まれた、生まれてしまっ
た命が占めてゆく。きっと彼らも一人一人が、楽しかったり苦しかったり悲しかったりする
んだろうなあ。足らぬ、足らぬと嘆いて死んでゆくんだろうなあ……。勿論想像、当人個々
人がどう感じるかなんて解らないけれど、少なくとも“存在しなかった”ことによる救済は
望めないのだから。あくまで効果は、僕達単体に対する一過性のもので、よほどの大破壊的
な何かが無い限り延々と続いてゆくのだろう。それが、世界というものだ。
『──』
僕達は、死ぬ為に生まれてきた。死ぬまでは生きている。僕達一人一人の背後に居る、影
のような使者が、その大鎌の刃をぐんと振り抜いてくる次の瞬間まで。
Goodbye, world.
今日も世界は動いていますか? 貴方は中心ですか? 或いはそういうものなんだと、上
手に割り切れていますか?
(了)