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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-111.February 2022
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(1) 底夢(ボトム)

【お題】十字架、光、魅惑的

 眩しい輝きに包まれたようで、ついおもむろに手を伸ばした。だけどもその距離は現実に

は遠く、掴めたものは虚空だけ。まるで違う冷たい空気感と、暗がりが自分を包んでいるの

だと改めて理解する。


 ──此処は、ずっと“下”だ。自分は“下”なんだ。


 当たり前過ぎる、それでもずっと、心の何処かで「違う」と信じたかった現実を前に眉を

顰める。途端に足元は一面塗りたくったような闇色を強め、前後左右・上下の把握すらも覚

束なくなる。尤もふわりと、軽やかなそれという訳ではない。立っていること、それ自体が

不確かに思えて、身体と心のバランスが崩れそうになる……そんな感触。

 もう一度頭上を見上げる。眩しい輝き、ずっと“上”に居る人々の姿こそが、光の正体だ

った。別に自分がそうだという訳じゃあないのに、その漏れた明かりを勘違いして、先程は

手を伸ばしてしまった。不相応にも若干、頬を緩めてしまった。


 彼ら、彼女達とは違うのだから。文字通り、住んでいるセカイが違うのだから。


 ……いや、解っている。知っている。彼らとて皆が皆、始めからああやって輝きを纏って

いた訳ではなかろう。それぞれの紆余曲折、苦労した時代なり経験を積み重ねたからこそ、

今ああやって光を放って上空へと浮かんでいる。彼らの間でも、彼らなりに抱える苦悩や不

安というものは在るのだろう、とも。

 それでも──彼ら・彼女達がいわゆる“成功”を掴んだ客観的事実には違いはない。一見

すればポッと出の類でそこへ登り詰めた者達とて、それまでの道のりを思えば大きな収穫で

ある。たとえ一時の栄華であっても、富める時に富み、蓄えることが賢明だろう。


 ただ、勘違いしてはいけない。


 彼らの“成功”はあくまで彼らの“成功”であって、自分達、己の“成功”とはイコール

ではない。決して同視してはいけない。

 あんな(ふざけた)奴でも──束の間の慰みにこそなり得るかもしれないが、忘れるべき

ではない。見落としては醜態を曝すだけだ。繰り返すように、一見ポッと出の“成功”を果

たした者達ですら、間違いなく“成功者”なのだ。名も知らぬこちら側、他人に知られるよ

うな存在となった時点で、少なくとも自分あなたとは訳が違う。おどけて誤魔化して、そう見せて

いるだけのことだ。負けている。比較して笑い飛ばす時点で、物事を正確にすら測れていな

い。

 彼らは“上”だ。

 自分達は“下”だ。

 解らないのか? 手を伸ばしても絶望的に届いていないのに。歴然とした距離が、其処に

は横たわっているというのに……。


 何者かになりたい。ならなければならない。

 そう願うようになったのは一体いつの頃からだったろう? 思い込むようになったのは、

なれなければ価値が無いと“価値を付ける”ようになったのは、一体何が切欠だったのだろ

う? ナンバーワンよりオンリーワン。いつか何処かの綺麗事は、結局後者レベルになった

時点で前者を兼ねると知った。知られて久しくなった。自分達われわれはランク付けから逃れられな

い。登り詰める悦びと野心を知った先駆者らは、こぞってその序列を崩させまいと腐心する。

或いは──後続が追い付いて来ては都合が悪いからと、逆にこれらを否定するようなこと

を言う。もっと“自由”にやって良いんだと言う。

 真に受けたカモもの達への責任など、端から取る気など無い癖に。

 教えてくれと言わなかったから──。それもある意味、自己責任の類ではあろうが。


 何者かになりたい。ならなければならない。

 そして自分達あなたとわたしの間には、明確な差が在る。言わずもがな、天を仰いだ輝く“成功者”達だ

けではなく。こちら側の互いにも。……“下”にも差異は在る。誰が、何処が一番の「底」

であるかは判らない。競い合うように、しばしば上を見上げることさえ疲れ、忘れてしまっ

た者達は叫ぶ。罵り合う。


『そんな……。私なんか……』

『何でお前なんかが、上に……!?』

『てめぇの居場所はっ、こっちだ! てめぇは俺の……“下”だッ!!』


 伸ばした手は、一体何度虚空を掠めただろう? いや、それ以前に足元すら不確実で覚束

なく、油断をすればすぐに崩れ落ちて吸い込まれてしまいそうで。耳を澄ませば、疑い始め

てしまえば、そこから放たれている無数の感情こえに押し負けてしまいそうで。


 最初、気付いた時に自身が立っていた場所が、必ずしも底の底とは限らないだろう。寧ろ

現実とは、自分が未だ如何に恵まれているか──もっと苦悶という闇の中に呑まれて生きて

いる者達の存在を知り、自らに喝を入れざるを得ないシーンの繰り返しとも言える。“上”

を目指してがむしゃらに邁進するよりも、時折そこより“下”に何が広がっているかに目を

凝らし、立ち止まりつつ迷うものだ。行く先を決めあぐねたまま、時間切れにすらなってし

まうことも珍しくもない旅のようなものだ。

 覚束ない足元。

 何かの拍子次第で、すぐにでも崩れてしまう、己が寄って立つ感触。

 それらはなべて眩しい輝きではなく、得体の知れない暗闇であってきた。尚且つ後者に絡

め取られまいとする攻防が、およそ持ち時間の多くを占めるのだろう。見出したその足元の

深みに対し、内省ふんばり侮蔑なぐさみ忌避いぶつなどの何と捉えるかは自分あなた次第ではあるが……。


 ──自分達は夢を見ている。何者かにならなければならないと、なれなければ存在してい

る価値など無いと、必死になってそれらを担保してくれる何かを探している。自分のものに

してみせると、血走って足掻き、執着している。即ち各々が背負う、罪の形そのものだと言

っていい。そう呼ぶべきなのかもしれない。


 バックパック。誰に頼まれたでもなく荷物を背負い、ずっとずっと“上”へ、光り輝く方

へ登らんとする強制力。ただ大半の者達はそうした目的も、意識すらも気付けば喪失して久

しく、大なり小なり暗がりの中に安住する。頭上から注ぎ込む──或いは自分よりもまだ明

るいと思い込む、他の光源を頼りに身を屈めて。

 夢を見ていた。

 ただ眩しかったから、綺麗だと思ったから。無根拠に、自分もああいう風になれる筈だと

子供心に信じて……諦めて。

 憧れは、理解に対する対極の位置。大きく振れていれば振れていたほど、その揺り戻しは

大きかった。努力や時間、物心つく以前からの環境。言い訳だけなら幾らでも挙げられるの

に、成果は終ぞ上げられなかった。その事実達がまた、気付けば気付くだけ、己を暗がりの

中に固定してゆく。まるでそうした“罪”の報いを受けるように、重苦しい思いだけが積み

重なってゆく。成果ではないものが、自身の得たものとして定着してゆく。即ちずっとずっ

と“上”に在る成功かがやき達とは、似ても似つかない距離が拡がってゆく……。


 ──眩しい輝きに惹かれて、手を伸ばした。その先が斯くも茨の道とは、何も知らなかっ

た自分は考えもしなかった。

 ──おもむろに伸ばした手は、何度となく虚空ばかりを掴み、冷たい空気感と現実を一層

強めるだけで。憧れたものは、目指したものはあまりにも遠くて。


 次々に落ちていった。あなたも私も、名も知らぬ誰かも。暗がりは、自分達が視えていた

以上に深く長く、何より気が遠くなるほど重層的だった。

 僅かな明かり──目くらましに騙されて、一体どれだけの時間を浪費しただろう? それ

が判っただけ、まだマシだったのだろうか? 儲け物だったのだろうか? それでも結局、

各々の持ち時間が無くなれば、またゼロからの再スタートになる。持ち越せない限りは意味

が無い。もがいて彷徨って、辿り着けずじまいの何処かで、その荷物を置き去りにすること

になるのなら。


(此処はずっと“下”だ。自分は“下”なんだ)


 それでも手を伸ばしたくなる。届かないと判っていても……尚。

 あのずっと“上”、眩しく輝いているセカイは、自分よりもずっとずっと歩み続けて勝ち

取った誰か達のものだ。無数の自分達、暗がりの底へ底へと沈んで行った者らの上に立ち続

けることで成立する、華々しいと同時に苛烈なセカイだ。


 人は彼らを絶賛するだろう。さも万人が目指すべき、輝かしい目標とその対価であると宣

伝するのだろう。各々それが半分事実で、半分偽りだとは知っている。とうにポーズだとは

解っている。だけども止められない。清濁の濁を大っぴらに認めてしまったら、今ある重層

構造は脆くも崩れかねないだろう。

 改革を叫ぶのは、あくまでメリットを享受できるポジションに在るからだ。それらを上回

るデメリットが避けられない時、人は口を噤む。知らなかったと言い、もっと自分よりも他

に適切な人材──責務を負う者がいるだろうと嘯く。全員主役の舞台など、観る側からすれ

ば興覚めの一言に尽きるのだから。


 輝きを見つめる。共に咲いた、素晴らしい一輪の華を、大切に掬い上げる。


 だけどもその地面の下には、何百・何千倍もの泥がびっしりと詰まっている。黒くて汚く

て、何よりも中途半端で、どうしようもなく(今は、今も)視るに堪えないもの達だ。

 忘れてくれるな。せめて意識の後背、認識の片隅に。

 どうか……どうか……夢をみた成れの果てを。

                                      (了)

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