(5) 樹の下の攻防
【お題】可能性、ヒロイン、プロポーズ
それは、秋もそろそろ鳴りを潜めようとしていた頃。次の長休みが明ければ、もれなく皆
が三年生に進級してしまう直前のタイミングだった。いつにも増して物寂しげな校舎裏を、
新太は一人そわそわとした足取りで進む。
(き、緊張するなあ……。本当に大丈夫だろうか……?)
理由は至極単純で、だからこそ難しい。
この日彼は、とあるクラスメートの女子を呼び出し、一世一代の大勝負──愛の告白を行
おうとしていたからだ。尤も当の彼女が、こちらの指定した場所と時刻に来てくれるとは限
らない。
(あの時は何とかメモを渡せたけど……気味悪がられてたらアウトだもんなあ。草壁さんの
性格からして、仲間内に言いふらして馬鹿にしてってことは、ないと思うんだけど)
意中の相手は、クラスの中でも大分控え目な──大人しいタイプの少女だった。だけども
新太は、そんな楚々としていながら何処か憂いを帯びた彼女の横顔に、気付けば強く惹かれ
ていた。一年・二年と同じクラスで互いに面識こそあったが、それほど数多くの言葉を交わ
してきた訳ではない。少なくとも“親しい間柄”ではないだろう。
それでも……今回意を決して告白に踏み切ったのは、彼自身の焦りだった。
既に二年の夏も過ぎ去り、基本進学を選ぶ者が多い中、周りはとうに受験勉強を本格化さ
せている。なのに自分はといえば、彼女のことを想って頭から離れない。いまいち集中でき
ずにずるずると今に至る。
……けじめをつけなければと思った。玉砕してもいい。ただ、このまま本人に伝えること
もなく卒業したとしても、悔いが残る。ならばせめてと、今朝挨拶をした際、こっそりメモ
を渡して呼び出そうと試みた。『大事な話があります。放課後、裏庭のリンゴの樹の下に来
てください。待っています』そんな内容を直筆して。
足取りに緊張、上がってゆく心拍数に急かされながら、新太はフッと思い返すように自嘲
の半笑いを浮かべた。自覚はあったのだ。……全部が全部、相手のことを顧みない、こっち
の手前勝手じゃないか。
タイミングは既に、周りが粗方受験モードに入って久しい最中。
もし他の誰かが──告白の正否を問わず今日のことを知れば、何を現を抜かしているんだ
と眉を顰めるかもしれない。やるにしたって、遅い。
それに何より、動機があまりにも一方的だと言わざるを得なかった。貴女に好意を抱いて
いるから。それは少なくとも間違いではないのだけど、今日この遅まきなタイミングで伝え
る──知って意識に上るであろう点は、彼女にとってデメリットの方が大きいと思われるか
らだ。なのに自分は……ごり押そうとしている。たとえ相手に“傷跡”を残してでも、この
想いを知って欲しい。伝えるだけ伝えて、スッキリしたいと願った。
普段の彼女からして、そこまで激しく拒むような反応は見せないだろう。綺麗サッパリ嫌
悪され、終わりにまではならないだろうと、卑怯にも脳裏に想像を巡らせた上で。
(うん……?)
だが新太のそんな見切り発車と内心の自己嫌悪は、次の瞬間半ば強制的に棚上げさせられ
ることになる。時刻は放課後、グラウンド方面とは対照的に人気のほぼ無い筈の裏庭へと続
く途中に、誰かが立っているのが見えた。立ち塞がるように、こちらを向いている。
「やっぱり来たか……。悪いが、ここを通す訳にはいかないな」
「──ッ!? お、俺がもう一人……? いや、それよりどういう意味だよ!?」
誰だと思わず目を細め、彼が驚いたのも無理はない。目の前に居たのは、格好や背丈こそ
変わっていたものの、紛れもなく自分自身だったからだ。まるで頭をぶん殴られたような衝
撃を受け、混乱するが、それ以上に気になったのは当のもう一人の台詞。
「そのままの意味だよ。お前は草壁に告白するべきじゃない。止めに来たんだ。俺は──未
来のお前だよ。あいつに散々搾り取られて、人生を滅茶苦茶にされた……な」
「えっ……」
未来の新太(仮)曰く、かつてこの日告白に成功してめでたく交際を始めた自分だったの
だが、如何せん自己主張の薄い彼女を繋ぎ止めるべく、色々とプレゼントをしたり遊びに連
れて行ったりを繰り返したらしい。当初はこちらもそれで満足していたし、事実彼女も恋人
であり続けていたのだが……いざ同じ大学に進学後、コロッと別の男に乗り換えられた。し
かも長らくそのことを隠し続け、自分から金の無心だけは続けていたと。
「悪いことは言わない。あの女は止めとけ。あいつは今のお前が思っているほど、清楚可憐
じゃねえんだよ」
「……」
そんな。新太は正直、信じられなかった。いや、未来の自分がそうわざわざ伝えに来たと
しても、信じたくはなかったのか。
思わずショックで足元が揺らめき、ゆっくりと首を横に振る。大体、そんな「未来」とや
らもそうだが、未来の自分がわざわざ過去にやって来る──いわゆるタイムスリップなんて
出来事が、本当にある訳が──。
「いんや! 告白すべきだ。それにその話が事実だとしても、お前にだって多かれ少なかれ
非はあるだろうが!」
にも拘らず、また“自分が一人増えた”。気付くと今度は、現在の自分とそれほど見た目
の違わない新太が現れ、ずんずんと近付いてくる。未来の新太(仮)の方も、他に将来の自
分がいるとは思わなかったのか、随分と驚いているようだ。目が真ん丸になり、且つ出合い
頭に否定されたその言葉にカッとなる。
「何だとぉ!?」
「お前はOKを貰えて、舞い上がってたんじゃないのか? 告白する前は、自分勝手なやり
方だって解ってたのによ……。それをやれ乗り換えられただの、搾り取られただの……。彼
氏なら早く気付いて、何とか出来たかもしれねえだろ!」
「ッ! 俺より若い癖しやがって、解ったような口を……! 大体、お前は何なんだ!?」
「ここから少し先のお前だよ! お前の所為で結局告白できなかったから、ずーっと後悔し
てきたんだ!」
「…………」
ややこしい。つまりは未来の自分が、二人も一気に出てきたという訳か? 新太は言い争
いをする、未来の自分(仮)と少し未来の自分(仮)を見比べつつ思う。
こっちはまだ、突拍子が無さ過ぎて話にもついてゆけていないのに……。
というより、二人の話からすると、告白した未来とできなかった未来が既に存在している
のか? 一体どうなっているんだ……?
「──止めておけ。お前らが争っても、俺達はどのみち別の女にいい様に利用される。そう
いう星の下にでも生まれちまったんだろうよ」
だというのに、だというのにだ。更に今度は新太の背後から、もっと年齢を重ねた自分ら
しい男が現れたかと思うと、口を挟んでくる。着古したスーツとコート姿の壮年だ。ぱっと
見は四十手前ぐらいのようだが、その顔に刻まれた無数の皺は、言葉通り多くの苦労を重ね
てきたことを示唆している。
「──お前も含めて、な。そもそもこうやって我先に出張ってきたから、俺達の人生は狂っ
ちまったんだろうがよ」
加えてもう一人、また別の壮年の新太(仮)が、壁際に気付けば背を預けて。燻って短く
なった煙草を口に咥えたまま、この三人目を含めた自分達に向かって嘆息を漏らす。
「……あんたも出張って来てる時点で、俺達とさして変わらんだろ」
「そうだそうだ!」
「っていうか、未来の俺ってどんだけ女運無いんだよ……」
すかさずツッコミを入れる三人目と、少し未来の新太(仮)、そして青年新太(仮)。
どうやら前者は、どのみち他の女に引っ掛かるからと先の二人を止めに。意見としては告
白すべきでない──否定的な側に。後者の方は、そもそも自分達が割ってやって来ることそ
れ自体を止めに来たらしい。「結局……ズレ合って間に合わなかったみたいだが」携帯灰皿
に吸殻を押し込め、嘆息する。こっちも泣きたかった。
「そんなこと言われたって……。じゃあ俺は一体、どうすりゃいいんだよ……??」
この時間の、現在の新太はたっぷりと沈黙・吸引を経てから、そう盛大にぼやいた。誰に
ともなくごちた。タイムスリップ云々は──この際考えても頭が痛くなるから脇に置いてお
くとしても、時間は刻一刻と迫っている。約束の樹の下に、もう彼女が来ている可能性だっ
てあるのだから。
それは……。
四人の自称・未来の新太達は、牽制するように互いの顔を見合わせると、再びこの現在の
自分の困惑を目の当たりにして迷う。
(い、いけない。遅くなっちゃった……。小此木君、もう来てるかなあ……?)
一方その頃、彼に呼び出されていた当の彼女は、彼とは逆方向のルートから一人裏庭へと
急いでいた。放課後になって化学の先生に呼び止められ、荷物運びを手伝っていたのだ。掌
に朝渡されたメモを握り締め、気持ち息を切らせながら辺りを時折見渡す。
(やっぱりあれって、そういうことだよね? 私、そこまで仲良くなった覚えはないんだけ
ど……。う、ううん! 仲良くなりたいから、ああしてきたんだよね……?)
彼女は既に、己の顔が赤くなり始めているのを自覚していた。
基本どんくさい自分ではあるが、流石にこのシチュエーションが意図している所ぐらいは
解る。というかベタ過ぎる。意外だったのと、困惑しているのは事実だが……。
少なくとも約束通り、リンゴの樹の下に行こうとは思っていた。何はともあれ、本人の口
から直接聞いてみないことには進まない。聞かされて、その時自分がどう思い、感じるかは
分からない。
「──待って!」
だがちょうど、そんな時だったのだ。裏庭へと続く渡り廊下を横切ろうとした刹那、不意
にこちらの進路を遮るように叫び、飛び出してくる者の姿があったのだ。「ひゃ……!?」
つい反射的に急ブレーキを掛け、顔を上げると──思わず彼女は予想外の相手に慄く。
「えっ? も、もしかして、わた……し?」
「そうよ。私は未来の貴女・草壁華。今日は貴女を止めに来たの。彼からの告白を受けちゃ
駄目。この先きっと、大変な目に遭うから」
今よりも多少垢ぬけたファッションと伸びた黒髪になっていたが、その顔立ちや声色は、
間違いなく自分自身だった。そんな彼女が、努めて淡々と、だけど必死に今向かおうとして
いる場所へ赴くべきではないと忠告する。
「小此木君が……? そんなに悪い人には思えないんだけど……」
「そうかもね。でも世の中には、自分一人の善意だけでどうにもならないことがあるのよ」
正直、にわかには信じられないが……。彼女、現在の華はそう語る未来の自分(仮)に、
言いようもない信憑性を感じた。だからこそ、あっという間に不安になった。おずおずと確
かめるように問うてみるが、その大変な目とやらを思い出してか、当の彼女から返ってくる
答えは多くを語らない。複雑な事情があるのだろうか……? 何となくだが、華は言外の雰
囲気からそんな理由を読み取っていた。
「──いいえ。告白はきちんと聞くべきよ。逃げたら、貴女はきっと後悔する」
しかしそうしていると、今度は“また別の自分”の声が聞こえてきた。未来の自分(仮)
と一緒になり、ハッとなって振り向くと、そこには年格好の近いもう一人の自分が姿を現し
てきていた。渡り廊下の一角、柱の影から、スッと音も無く割って入ってくる。こちらへと
近付いてくる。
「えっ? でも……」
「未来に何があったのかは知らないけど……。少なくとも私は、あの時──今日この時間に
怖くなって逃げ出した所為で、ずっと彼を避けて生きてきたわ。お互い別々の進路に決まっ
た今でも、時々思い出してどうしようもないの」
「……なら忘れることね。こっちに来ちゃったら、もっと後悔することになるわよ? 自分
の弱さについて、否が応でも向き合わなきゃならない……」
結局華は、そうして互いに主張して譲らない未来の二人(仮)を、おろおろと困ったよう
に繰り返し見比べるしかなかった。よく分からないが、多分どちらも別の未来からやって来
た自分なのだろう。どうやってそんな──タイムスリップみたいな真似事をしたのかは分か
らないが、少なくとも今の自分を止めようとしたり、或いは背中を押す目的であることは間
違いない。
「──何をしているの? 急いで!」
「──無駄だよ。誰を選んだって、私達は……」
「──そんなことない、諦めちゃ駄目! 今度こそ私は、彼と……!」
しかもそうして迷っている間にも、一人また一人と別の自分が新たに現れ、待ち合わせを
急かしてきたり反論をぶつけてきたりする。彼女は益々訳が分からなくなった。何が正しい
選択なのか判断がつかなかった。
ぶつぶつ。中には何か思い詰めたように、じっと“今回の自分”の決断を見つめ、祈って
いるような者さえいる。ぐるぐると、彼女の頭の中で情報が揉みくちゃになる。
(あう……。ど、どうすれば? どうすれば!?)
(くそっ! 一体どの“俺”が正しいんだ!? 俺は一体、どうしたら……?!)
華も華で、新太も新太で、頭を抱えて悶えていた。突然わんさかと出てきた“未来”とや
らに惑わされて、約束の場所へと向かう足すらも止まっていた。
リンゴの樹の下には、未だ誰も辿り着かない。待つ人影も──見られない。
(了)