(2) 白む街
【お題】冬、現世、残念
朝起きたら、外が一面雪を被っていた。
白くて綺麗だなあって感想は……あたしには持てなかった。寧ろビルのコンクリやらアス
ファルトと混ざって汚いぐらい。それよりも最初に心配したのは、このレベルで電車はどの
くらい止まるだろう? ってコト。
(……う~ん。一応、回り道すれば間に合わない訳じゃない、か……)
部屋のカーテンを開けた体勢のまま、くるっと回れ右してベッドに膝乗り。スマホで遅延
情報を調べてみたけれど、まだ全滅って感じではないみたい。
つまんないなあ。
上手くいけば、このまま学校も休めるって思ったんだけど……。
その癖、寒さはしっかり朝一から自己主張してくるものだから、あたしは思わずぶるっと
身体を縮込ませた。パジャマ姿のままじゃあ風邪を引いてしまいそう。仕方ない。観念して
支度してやるとしますか。
「おはよ~」
制服に袖を通し、セーターに上着に。
鞄を引っ掛けてリビングに顔を出してみたけれど、やっぱり父さんも母さんも、既に出掛
けた後みたいだった。一応、入ってすぐの壁に連絡用のホワイトボードが下げてあったりす
るけど、もう随分と前から『夜まで仕事』とか『残業あり。遅くなります』みたいな内容か
ら変わっていない。あたしも含めて一々書いていたのは最初だけで、後は変わり映えのしな
い毎日だからと更新する習慣も消え失せてしまった。実際ペン字の色も、今はあちこち欠け
が目立つぐらいに古くなっている。
(いない、か……)
うん。何時もの事。朝ご飯は基本食べない日が多いけれど、偶に母さんが昨日の残りがあ
ります云々とメモを残してくれている時がある。今朝は──無さそうだ。適当に冷蔵庫から
紙パックのカフェオレと、惣菜のサンドイッチを引っ張ってきて口に放り込む。
どうせ雪で電車が遅れてるんだから、別に慌ただしくしなくっても良いんだけどさ?
***
一歩マンション(いえ)から出ると、途端に冷えが全身を襲った。いや、襲われたってい
うよりかは、勝手気ままに駆け抜けられたって表現をした方が正確?
部屋の窓から見た街の風景は、やはりというべきか、遠巻きに眺めた時のそれよりは汚く
感じられた。何というか、全部揃って真っ白で綺麗……みたいな感じじゃなく、歩いている
とすぐ、あっちやこっちで黒ずんでいる所を見つけてげんなりしちゃうというか……。とに
かく雪や凍りで足取りが覚束ない他人や車を、あたしは一人横目に進む。普段使っている最
寄の駅へ向かう。
「昨夜からの雪で、一部凍ったままの部分がございます! どうか皆様、足元にご注意して
お進み下さい!」
構内も、階段をどしどし下ってゆけば空調が効いていたけれど、それでもその階段──肝
心の道中やら外と繋がっている部分はまだ、雪の影響が残っているみたいだった。駅員さん
が何人か、行き交う利用者達の中で、そう何度も注意を呼び掛けているのが聞こえる。姿が
見える。こんな邪魔くさい日に大変だなあ……。そうは思えても、あたしに何が出来るでも
ないので素直に足元に視線を向けておく。心の中でありがとう、ご苦労様と言っておく。
──例えば土砂降りになった時もそうだけど、基本的に都会って、急だったり極端な天気
を想定していないよなあって。水浸しになるし、今朝みたいに凍っちゃうし。便利に作ろう、
便利に作ろうとしてこんな大きな塊にまでなってるのに、逆にトラブルに弱くなってしま
っているような……? まあ、知ったこっちゃないにせよ。
あたしはさ? 割と頻繁に思うんだ。ぼ~っと朝とか、帰り道とか、ビルがずっと頭の上
まで伸びてる様子を眺めてて“違和感”? みたいなものに揺さぶられる時がある。どうに
も妙に、ドライにそういった営みがふいっと、酷く馬鹿馬鹿しく思えて仕方なくなる瞬間っ
てのがある。
ここまでして、必死こいて建て増して来なくても良かったんじゃないの?
そこまでして、何かある度に復旧に焦ることもないんじゃないの? 壊れてもう駄目にな
るっていうんなら、そこまでで。
だけどまあ、モヤモヤとそんな事を妄想してみた所で、現実は一切変わらないんだとも解
っている。変えようとか、明らかに注ぐべきエネルギーの先を間違っているような癇癪を起
してみた所で、徒党を組んでみたって──変わりやしないと知っている。だったらまだ、現
状何とかやっていける方で……。当たり前だよ。その方が“便利”なんだから。そういう風
に街を、あたし達を作ってきたんだから。
「……」
本数が絞られているからか、普段より割り増しで混んでいる気がする駅のホームに立ち、
あたしはその他大勢の中に紛れて電車が来るのを待っていた。運休やら遅れで、最短距離の
方じゃないにも拘らず、だ。
嗚呼、面倒臭……。
こんな人ごみだっていうんなら、クソ真面目に迂回ルート調べなきゃ良かったかなあ?
いや、うちの先公なら、各自調べて柔軟に~って言いそう。やらずにいたらいたで説教確定
コース。今はスマホが当たり前にあって、使いこなせる前提だからなあ……実際無かったら
何をしてりゃあいいの? ってレベルだし。あたし達より一つ二つ上の世代だと、そもそも
ネット自体無かったって聞くけど……どうやって生きてたの? 昔過ぎて分からん。
(お……。来た来た)
そうこうしている内に、ようやく目当ての電車が来て、周りの人達と揉みくちゃに競い合
いながら乗る。流石に落ち着いて座れるような空きはなかったけれど、吊り革で一休みする
ぐらいはできた。一旦ホッと一息。ほこほこ暖房の効いた車内で、暫くの移動時間だ。
(普段見ないような人達もいるなあ。やっぱあちこちで、遅れは出てるっぽいかな……?)
何時もの通学時間であれば、そこそこの割合で中学や高校の制服姿、時には公立辺りの小
学生っぽい子達と居合わせるのだけど、今朝はそういったバランスが大きく変わってしまっ
ているようだ。スーツ姿、会社へと急ぐ大人達も少なくない。
『──』
だからふいっと、悪意というか異質な視線は気になる。バレてるぞ? おっさん。
気が付けば、少し離れた位置から、一人の中年のオジサンがあたしの方を見つめていた。
いや、あたしの方というか……あたしの脚か。気持ち悪いなあ。そういうフェチか。
言っておくけど、別にアンタに見せる為に履いている訳じゃあないからな? これだけ寒
いと、生足じゃあ冷え過ぎなんだよ。タイツぐらい許してよ。学校のジーパンもそりゃあ、
選択肢にはあったけど……何ていうか、どうしてもダサくなるじゃん?
まあ中には、それでも絶対足を出す! みたいな気概の子も、ちらほら居なくはないんだ
けども。お洒落は、女子にとっちゃあ死活問題なのよ……。
***
じろじろ見ていたおっさんを駅員に突き出す──なんて面倒事、下手したら逆恨みされる
だけのリスクは取る訳もなく、特に何事も起きずに電車は二度乗り継いで目的の駅へ。あた
しの通う高校も、昨日から今朝にかけての雪の影響が少なくなく、各クラスも時間通りに来
ている生徒はばらばらだった。
「え~。既にニュースになっている通り、今朝はあちこちで交通機関に遅れが出ている。そ
こで今回は学校側へ、事前に連絡を済ませた者に限り、遅刻扱いにならないことになった」
『ええ~!?』
「マジかよ」
「じゃあ、今来てる奴急ぎ損じゃん」
「うっわ~、最悪……。休めば良かった……」
「いや、欠席は流石に欠席扱いじゃない?」
「先生~! そういう話はもっと早くにしてくださいよ~!」
「正直者が馬鹿をみるだと思いま~す!」
「……本当に真面目で実直な生徒なら、そんな苦情を奥目もなく口にはせんと思うがな?」
クラス教室に入り暫くして、担任の初老教師が姿を見せた。どうやら職員会議辺りが長引
いていたらしい。メモを片手に先生がそう告げると、クラスのあちこちで半分冗談めかした
ブーイングが起こる。でも先生も慣れたもので、皆のそれを淡々と流して、すぐに現状での
出席を取り始めた。
「相澤」「はい」
「麻生」「うい~ッス」
「井ノ上」「まだ来てませ~ん」
「稲村」「は、はい」
「上杉」「はい!」
(……それでもうちのクラスは、まだ比較的来てる方か。真面目だなあ、皆)
一方であたしはと言えば、自分の席でぺたんと頬を半分くっつけ、耳に入ってくる担任の
声を何処かぼんやり遠くで聞いていた。外は相変わらず、一概に綺麗でもない雪化粧──こ
の辺りでは珍しい天気だというのに、教室内は何時もと変わらないスケジュールで動き出そ
うとしている。“日常”を、回復させようとしている。
「帰りのことも考え、授業時間に関しては特に変更なく行う。ずる休みでない限り、欠席扱
いとはならない。出られなかった内容は、適宜各担当の教師か他の者のノートを借りるなど
して対応してくれ。以上だ」
「うえ~……」
「結構ごり押しッスねえ」
「授業のノートはこっちで、か……。割と丸投げじゃね?」
うん。それはあたしも思った。
コミュ障的な──貸し借り出来るような友達がいない奴は、どうすりゃいいの? そんな
奴は当校には居ませんってスタンス?
大よそ“雑音”だと解釈したのだろう。この初老の先公は、特にそんな二度目のブーイン
グには答えないまま、淡々と申し送りだけを終わらせて教室を後にしていった。ざわざわと
束の間の休息にクラスメート達が動き出す。実際、そこまでノート云々の心配をしている手
合いはそう多くはないからだ。本当にこういったアクシデントで、もろに影響を受けるよう
な人間は、そもそも指示があっても自発的に口に出さない。独りで震えている。密かに悶々
としたり、苛々を溜め込んでいる。
(本当に……何も変わんない)
あたしも正直、今朝の雪で学校自体が休みにでもならないかな? と思った。途端に面倒
臭くなって、色々なことをすっぱり止めてしまいたくなった。流石に完全なストップ──も
う二度とというレベルまでにはいかないにしても、心の何処かで現状の日々に不満があるの
は、やっぱり迷いなく否定はできない。
変わらない毎日が億劫だった。未来に希望が持てなかった。
特段、何か大きな問題を抱えていた訳じゃない。大小は決められないし、決めようとする
だけでも泥沼だっていうのは判ってる。それだけは何となく、ある程度知恵がついた頃には
いつの間にか心得ていた。
辺り一面が雪で、真っ白に覆われていて。
そんな様子を“綺麗”だと表現出来なかったのも……もしかしたら、その辺りに理由があ
るんじゃないか? そんなことを考えた。このままたくさんの雪、異常な天気に押し潰され
て、街ごとあたし達が破綻してしまえばいいのに。そんな願望が自分の内側で、一際ノック
をしてきていた。自己主張を強めていた。
本当に──可笑しな話。
変わろうとしても変わらないし、変えようとしても、却って頑なになられて変わらない。
世の中って奴を今まで散々見せられてきたのに。自身にも“当たり前”となって染み込んで
久しいぐらい、判り切っている事実なのに。
「……」
日常が良い、平穏無事が良い。そんなのは判り切っている。
だけどそれ以上に救われると思うのは、もっと大多数が解放されると思うのは、そもそも
こんな毎日自体が存在しないこと。子供も学生も、大人もお年寄りも。海の向こうの見知ら
ぬ誰かさんも。
何を身勝手なことを。言っていることは重々承知している。
それでもやっぱり……ぼやっと考えずにはいられなかったから。意識がずっと何処か遠く
へ飛び去ってしまう瞬間瞬間がままあったから。
小休止が終わる。チャイムが鳴る、一時限目の授業が始まる。
数学担当の女教師が教室に入ってきた。気だるい皆の雰囲気に、持ち前の気の強さで睨み
を利かせている風に見える。内心、追加でげんなりした。
今は訳の分からない授業──色んな教科の押し付け。自分達が将来、取り得る選択肢を増
やす為の土台。そう理屈の上では判っていても、そうした選択肢を選択すること自体の自由
に関しては、やっぱり許されていないらしくって。
(雪、止んじゃうのかな……?)
机の下で、スマホの天気予報を見る。
アプリを開いた時点で変動するにせよ、昼過ぎには晴れマークとあった。ぼうっと、握っ
た指先で画面をスワイプしてみても、ニュース一覧には大雪の記事すら段々と過去に追い遣
られ始めている。
(了)