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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-109.December 2021
43/249

(3) 足元には

【お題】湖、宇宙、穏やか

 宇宙は空に在る。

 だけどずっと見上げてばかりでは、首が疲れて仕方ない。自分があまりに小さな存在でし

かないのだと、嘆きばかりが降ってくる。

 ならば地面はどうだろう? こうべを垂れて下を見る。

 足元はしっとりと湿っていた。多少の凹凸は在っても、辺り一面だだっ広く、全体的に黒

光りを湛えている。トプ、トプ……と足に纏わり付いてくる水の感触。私独りならそれほど

心配は無さそうだが、気を抜いているとうっかり“踏み外し”てしまいそうだ。


 ──そう。踏み外してしまいそうな。


 足元は全部地面なのだというのは、安全だというのは、私達の固定観念なのだろう。ぐね

ぐねと何処までも延びている、濡れそぼった淡黒い岩場のような地面は、万が一そこを外れ

た者を落としてしまうだろう。

 知らぬ間に目を凝らしていた。じっと見つめていると、濃い水面の下に街が視える。或い

は森が、或いは墓地が、或いは鐘楼が。……一体此処が何処なのか、判らなくなってきてし

まう。あれは本当に“地続き”の場所なのだろうか? それともずっと昔の、今はもう朽ち

て消え去った記憶なのか? 浅くて暗い、この水辺の底に沈み、今となっては滅多に気付い

ては貰えない。実際、既にこちらからは全く視えなくなってしまった場所も多いのだろう。

(? 浅い……?)

 いや、そんな事はない。ずっとずっと下に沈んでいるのだから、少なくとも此処からあそ

こまでは相当深い筈だった。あくまで僅かというのは、私の足元を掠めている水量のことで

あって、もしかしなくとも岩場を境とした上下は全く別物だと考えられる。

 トプッ、トプン。

 それから数度、小さく足を持ち上げて、私は改めて空寒さを感じていた。今私はこうして

きちんと足場に──湿った黒い岩場に立てているが、はたしてそれは“当然”の結果だった

のだろうか? 気付いていなかっただけで、別の過程だって有り得た筈だ。ふらっと、自身

の片足が水底へ引っ張られる錯覚に襲われる。慌てて身体を支えようと逆ベクトルの力を込

めて、そこでようやく勘違いであったのだと解釈する。

『…………』

 私は、どうして?

 俯いていた顔を上げ、未だ少しふらついた身体を正し。

 地平線と水面が混じり合うような視界、茫洋とした遠くの地面を眺めながら、私は衝かれ

るように振り返るしかなかった。顔は殆ど動かさず、右に左にと眼球を滑らせることで周囲

を確かめてみる。

 恐ろしかったからだ。

 私はどうして、此処に居る? 此処にどうやって立った? 何故周りには誰も居なくて、

こんなにも静まり返っているのだろう? 足元もそらも──あんなに昏く埋もれ、或いは瞬い

ているのに。


 相変わらず辺りはしんと無駄な音一つしない。強いて言えば私の心音ぐらいだろうか。た

だそんな見当すらも、次の瞬間には自信すらなく霧散している。希薄と呼べば希薄なのだろ

うが、一方でそう思考する私自身は実に明瞭クリアだったのかもしれない。つい先刻まで凝らして

いた目を、今度はもう一度空へと向ける。

 宇宙が在った。変わらずそこに浮かんでいた。星々の瞬き。ずっとずっと遠い、私などで

はきっと届くことは叶わぬ領域──。

『……?』

 いや、何か在る。目を凝らしていた感覚が、ようやくピントが合ったぞと言わんばかりに

私の全身へと信号を送って。点々と微かに煌めていた星々が、実際には文字通りのそれでは

なかったらしいと報せてくれる。理解する。

 街が在った。水底に視えた、古典的ゴシック建築なそれとは対照的に、随分と無機質で均一性が取

れ過ぎた金属の塊──四方八方に延びる箱型だったり、多重の円筒を組み合わせた形だった

り。その周囲を、熱に摩耗させられながら、無数の岩礫達が飛び回っている。

 近未来。

 先の事なんて判りはしない筈なのに、私にはそういった表現が一番しっくりときた。それ

とも他に、形容するだけの語彙を持ち合わせていなかっただけか。

 こちらもこちらで黒光りする、その色合いの中に埋もれた建造物達に、私は暫く釘付けに

なっていたようだ。

 ある種の物珍しさ? 否、予感。

 誰が語り掛けてくるという訳でもないのに、実際眼に捉えたという訳でもないのに、誰か

がそこに潜んでいるような気がして。


 ……何を期待しているのだろう?

 私達が“独りではない保証”など、何処にも在りはしないのに。


 見上げていた視線を再び地面に、もう一度空に。そうしてからやや俯き気味で、正面の仄

暗い水面とその延長上に広がる景色を。

 ずっとずっと地面の下にも街が在った、自然が在った、歴史らしい物が遺されていた。姿

形は違うけれど、空にも同じように点々と。遥か遠くから煌めきを放って音も無く。

 だったら──今私が立っている此処は、何なのだ? 水底が過去なら、上空に浮かぶのは

いつか来る未来なのか? それとも前者のように、あくまで可能性として、いずれ視えなく

なってしまう類の姿だとでも?

 並びを考えれば、残っている選択肢は、現在。

 だけども、そうだとしたら……あまりにも空っぽではないか。或いは私という個人がそう

であるだけで、私にはこのように視えているとでも言うのか。私とは……何だ? 私はどう

して、此処に居る? 誰も居ない、他に何も無い水面に足を浸け、恐ろしくなってくるばか

りの凪に曝されねばならないのだろう?

 そもそも……水底に沈む古風な街も、森も、鐘楼も。そらに浮かぶ金属の街も、大小細々に

燃えてゆく岩礫も。全て私という者の経験に備わっていた情報なのか? “存在しない記憶”

から生み出されている姿形、そんな可能性はないだろうか? 空寒さ、じわじわと寄せて

は返す恐ろしさの理由はそこだ。私は……誰だ? 何故私は此処に居る? 何の為に此処に

来て、立っている?

 いや……。

 今、私がこうして「私」と思っている輪郭自体、本当に私なのだろうか? 最初に自分で

言っていたではないか。自分はあまりにも、小さな存在でしかないのだと。

 個よりも総体の一部としての、便宜的な代表と呼ぶ意識。

 私とはそもそも偽りではなかったか? 存在しないのではなかったか? 水底より這い出

てきた何か。そらより滴り落ちた──振り落とされた何か。私は独りではないかと恐れていた

のではない。私は“私達”であるからこそ、そう在ること自体を前提としていないだけなの

である。逆だ。誰かが声を掛けてくれる、潜んでいるのではなく。引き離された客体は「私」

の側ではなく、彼ら全体の側だったのだ。「私」こそが変化を加えた側、主体に他ならな

かったのだ。

『──』

 思い出して、指先の一本、魂とでも形容すべき己の芯までもが震える。

 否、そもそも「私」を含めて、そんなものは存在しない筈だった。そう在って欲しいと誰

かが願い、信じ込ませた幻影で。

 だからだというのか、気付いてしまったからなのか、不思議と次の瞬間にはスッと恐れは

引いていった。寧ろ入れ替わるように、生温く湿っている、安堵感すらあった。


 往こう。

 元々在ったものに戻るだけ。在った、在るべき場所に還るだけ──。


 相変わらず辺りは不自然なほどに静かだった。地平線と水面が混ざり合い、遠くを見れば

見るほど、その黒光りするくねったあしばは薄らいでゆく。視えなくなってゆく。

 サァッ……と、僅かな風の吹く余韻すら許容されなかった。

 私か誰か、それとも貴方か。視線が動いた次の瞬間、戻った時にはもう、其処に「私」は

居なくなっていた。水底はそらに、或いはそらは水底に。落ちては融けて、昇っては還って。意

味など答える猶予や必要性すらも無く、観測者は巡る。

                                      (了)

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