(4) Flame being
【お題】光、時流、雲
始め、全ては黒よりも深い無に覆われていました。何もかもが画一で動かず、清らかな静
寂だけが只々広がっています。真の平穏です。……いえ、先ずもって、その存在すら判りは
しないのでしょう。感じる者など、此処には誰も居ないのですから。
ですがある時、変化が起きました。興ってしまいました。
虚無だった筈の裏側、その一角から、赤く赤く火が灯り始めました。小さな燻りから、燃
え盛る勢いへ。押し並べて黒よりも深かった点が、次第に面へと変えられてゆきます。次々
に暴かれ、其処に数多の“差異”が生まれたのでした。
──照らされた部分と、そうでない部分。光と闇。
──熱された部分と、そうでない部分。熱さと寒さ。
──暴かれた有無と、その度合い。画一的ではない凸と凹、奥行きの概念。
──灯され、移ろう火の揺らぎそのもの。事物の変化。即ち過去と現在、未来。
──そして燃え拡がってゆくセカイの中、これに惹かれた者達。生ある者と、亡き者。
最早其処は、画一的では無くなったのです。
静的ではなく、動的が支配する全て。照らし、照らされなかった差異によってもたらされ
たのは、只々存在の有無だけではなく個。生命一人一人の、いわば自由意思でした。目的は
後付け。意味は与えられない……。
随分と暫くの間、彼らは大いに彷徨い、もがき苦しむことになります。それとも見出した
者達は幸せだったのでしょうか?
揺らぎが在るから得られ、得られるからこそ、一人の個として悦べる。
ですがそれは同時に、在るからこそ失われ、失われるからこそ悲しまざるを得ないことと
表裏一体の関係にあります。それを彼らは──後世「運命」と呼びました。
加えてもたらされた差異は、何も生死の有無だけに留まることはありませんでした。同じ
生者の中、同質の種の中にあっても、その在り様は全くと言っていいほど違ってゆきます。
それは火の揺らぎが大きく振れるようになればなるほど、移ろいが長くなればなるほど、顕
著になってゆくようでした。差異の細分化です。望む望まぬに拘わらず、彼らはめいめいに
変わることを止められませんでした。燃え始めた火は、既に留まる術を失って久しかったの
ですから。
そんな中で……特に目覚ましい変容を遂げた種がいました。小人、或いは単にヒトと呼ば
れた存在です。彼らは他の誰よりも早く、そしてほぼ唯一、セカイに興った火に対しての畏
怖を克服することに成功しました。
全てを創り、司った存在。
他の生ける者達はこれを敬い、故に恐れる習性を本能的に身に付けていましたが、小人達
だけは違いました。本能よりも好奇心が勝り、また未熟が故の物怖じのしなさで以って、火
を“利用”できないかと考えたのです。
向こうはただ、燃えているだけ。こちらはただ、恐れてきただけ。
それでも尚、何も言おうとしないのなら、試しにこちらから手を伸ばしてみてはどうだろ
うか……? 結果は応でした。果たして彼らはその手に、点し運ぶ為の棒を持ち、セカイで
始めて火を操る術を手に入れたのです。
この成功によって、程なくして小人達の時代がやって来ました。差異は益々激しくなり、
只々備えるか備えないかの静的ではなく、支配する・されるの動的なそれへと猛烈な早さで
変貌してゆきました。
小人達は国を建てました。火を自ら熾し、時には威光として掲げました。またある時には
大地を溶かして“武器”を造り、或いはそれそのものを力に換えて突き進みます。おそらく
はずっとずっと古い時代、小さきが故に見下ろしていた者達への意趣返しを含んでいたのか
もしれません。
国は一つ二つでは収まらなくなり、次第に幾つものそれが生まれては滅んでゆきました。
大が小を呑み込んで一つとなり、また大きくなる。だけどもそこからまた分裂し、誰が最
初に大きくなるかを競争する……。
小人達──いえヒトは、そうして競うように自らを磨き続けました。種としては決して巨
大ではない身を補うように、先祖より受け接ぎし好奇心と探求心で。自力では叶わぬ願いを
援けるべく、彼らは様々なものを創り出してゆきました。国は大いに栄えました。
或いはそれも、始まりたる火に憧れ、目指したが故の模倣だったのかもしれません。
……しかしそうした営みは、往々にして他の誰かの灯を弱め、ひいては絶やすことにもな
りかねません。少なくとも自らの邁進に熱を注いできた彼らヒトは、長らくその事実に気付
くことができませんでした。若しくは気付いたとしても、見て見ぬふりを皆が続けてきたの
です。強き個の弊害。自分がやらずとも、他の誰かがやってくれるだろう……。
同時にこの頃、ヒトの国は徐々に疲弊と限界が見え始めていました。
先人達が残した知恵と発明は、存分にその威力を発揮しながらも、全ての個体が新しい何
かを創り出せる訳ではありません。寧ろ仕方なしに“過去”を食い潰し、ひいてはその蓄え
を求めて境界の外へと打って出る──戦いの始まりでした。
こと、元々国が栄えていれば栄えているほど、敵を破壊する術にも長けているのです。必
要に駆られて転じるのです。故に総じて戦いは大規模で、凄惨になりがちでした。同じヒト
という種、集団だけならいざ知らず、その争いにはしばしば他の種・集団も盛大に巻き込ま
れました。ですが誰も文句を言えません。太刀打ちできません。かつて火を恐れた者達と、
克服した者達。その差異は、最早埋められないほどの溝となって両者に横たわっていたから
です。いつしか交わすべき言葉さえも失われて久しくなっていました。二度三度と、繰り返
し、大規模な争いは飽きもせずに続けられます。
即ちそれは──付かぬ決着という泥沼を招きます。ヒト同士、小人達の国同士の知恵と技
術が拮抗していればしているほど、相手への決定的な損害を与えるには及びません。そこへ
至るまでに、激しい抵抗でもって防がれるのです。
断念せざるを得ず、抑止され続ける感情には、やがて理由の乏しい“怒り”が蓄積されて
ゆきました。にも拘らず、彼らは往々にしてそうした感慨に尤もらしい文句を飾り付け、他
人びとを急き立てます。仮に、本当に戦火を交えることまでは望んではいなくとも、そうす
ることで儲けになるからです。他人が寄ってくるからです。一部、志ないし斜に構えた同胞
達が唾棄しましたが、それだけでは彼らの欲望は止められない……。
そうして遂に、彼らはあるものを生み出してしまいます。それはいわば“神の火”による
破壊術でした。今までのように、ただ小手先の目新しさをぶつけても埒が明かない。ならば
相手に、これ以上真似の出来ないような力を先んじて叩き付けるしかない──。
小人の末裔達が目を付けたのは、全ての始まりたる火でした。もしこれを、あの力を、自
分達の手で再現できたら? 全てをひっくり返し、畏れられた熱を敵国の破壊へと換えられ
たら? 反撃もままならずに叩き潰すことができれば……?
好奇心とは、忘却とは恐ろしいものです。いえ、これも火が揺らぐように、彼らの記憶や
実感が移ろって薄らいだ結果なのでしょう。果たしてその計画は形になりました。現実の脅
威となりました。先ずは手始めに、抗戦激しい敵国に、初めて“神”を模した火を再現する
ことに成功した国は解き放ったのでした。
──灼熱と閃光。遥か上空に立ち込めた煙塊。
最初、解き放たれた側のヒト達は、それが何なのかさえよく解ってはいなかった筈です。
ただ確かなのは、その後程なくしてかの国が文字通りの地獄に苛まれたということ。“神の
火”は果たして極致なる破壊をもたらしたのです。……それとも、これはまだまだ序章に過
ぎなかったのでしょうか?
泥沼だった争いは終わりました。一旦、それ所ではないと片方が白旗を上げました。上げ
ざるを得ませんでした。
しかしそれは、必ずしも平穏の訪れとは呼べません。混乱はその後も──小人達の感覚で
は長く続くこととなりました。何よりも最初の一撃によって、彼ら以外の数多の種までもが
犠牲となったのです。溶けて各々に内包し、時間差で侵される。そんな想定を超えた威力・
効能に当人達が気付くことになるのは、もっと先の話になるのですが。
結論から言うと、やはり最初の一撃は序章に過ぎませんでした。彼らはその後も尚、自ら
の力の象徴として“神の火”を探求し続け、破壊力・範囲共にその向上は緩やかを超えて加
速度的に積み上がってゆきました。反撃もままならずに──少なくとも当初の目論見は、失
敗に終わったと結論付けて良かったでしょう。何せその後、最初に解き放った国以外のヒト
の国が、我先にと競うように同じく求めていったのですから。
生み出してしまった以上、仕方ない──取り返しの付かなさを開き直りで覆う。確かにか
の火は一方で、それまでに無かったほどの恩恵ももたらしましたが、同時に蝕んでゆくもの
も多かった。決して「最後」の知恵と技術には落ち着かなかったのです。
問題に、危機に直面した。ならば同じく我々の創意創造で補おう──ヒトに肯定的なヒト
びとはそう考えましたが、根本的な解決には程遠い。邁進し、上書きし続けたその営みの果
てに在ったのは……やはり争いだったからです。
いつしかヒト、小人達の国々は、めいめいに“神の火”や或いはそれすらも凌駕する力を
生み出し、睨み合う姿を日常としていました。既存への追認。それでも自分達が己を律し、
責任と共に向き合うことで解決する筈──言葉は、理想は空虚でした。全ての個体が新しい
何かを創り出せる訳ではない。求められる知恵と技術を修め切る、或いはそもそもの忍耐に
届かない……。
かくして、小人達とその国は歴史から消え去りました。何度目とも分からない争いの中、
遂に“神の火”が敵味方など顧みず全てを焼き払って。彼ら、ヒトだけではありません。そ
の一撃、最期の過ちによって巻き込まれた全ての生ける者達が、その日セカイから失われま
した。長い年月をかけて彩られた、全ての繁栄が塵に還ってゆきました。
──全ては虚ろ。
始め、全ては黒よりも深い無に覆われていました。何もかもが画一で動かず、清らかな静
寂だけが只々広がっています。真の平穏です。……いえ、先ずもって、その存在すら判りは
しないのでしょう。感じる者など、此処には誰も居ないのですから。
ですがある時、変化が起きました。興ってしまいました。
虚無だった筈の裏側、その一角から、赤く赤く火が灯り始めました。小さな燻りから、燃
え盛る勢いへ。押し並べて黒よりも深かった点が、次第に面へと変えられてゆきます。次々
に暴かれ、其処に数多の“差異”が生まれたのでした。
(了)