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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-108.November 2021
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(2) 窮済

【お題】犠牲、先例、地獄

『これまで私は、沢山の人達に助けられてきました。だからこそ今度は……私が彼や、彼女

を助ける番なのだと思っています。元当事者の一人として、少しでも恩返しが出来ればいい

なと、そう願っています』

 予めざっくりと言い切ってしまうのならば、酷い勘違いであった。ある種の陶酔に身を任

せ、結局叶わぬ理想で周りを騙してしまったのだから。振り回したのだから。

 あれを“偽善”と呼ばずして、何と呼べば良かったのか?

 助ける──口ではそうのたまっておきながら、本心では他でもない自分自身が“助かりたかっ

た”だけではなかったか? 自分だけが勇み足で“いち抜け”を果たし、もう大丈夫なのだ

と言い聞かせたくて、何処かで彼らを下に見ていたのではないか?


 今となっては只の結果論に過ぎない。だがもしも、あの時の私に会えるなら、私は全力で

奴を止めるだろう。止めなければならない。あんな薄っぺらな──覚悟のかの字も足りなか

った寒い演説など、ぶん殴ってでも撤回させるべきだった。浮かされたまま進んで行ったそ

の道は間違いだったと、叶うのならば糾したかった。翻ってそれが「今」の私を好転させて

くれればと、あの頃と同じく夢物語に魘されて。


『本当に大丈夫? 他人と関わる仕事ってキツいと思うんだけど』

『それも、文字通り相手の“人生”すら背負いかねない仕事だよ?』

 どの口が言うか──。

 いや、はたして、当初投げ掛けられた心配はばっちり的中してしまった訳だ。こっちはす

っかり撤退し、あたかも反動のように極端な振れ幅で縮こまり、自分独りに窮々と暮らす他

無いのだと戒め続けて。

 ……そもそも、自分が未だ“助かって”いないのに誰かを助けようとしたことが愚かだっ

たのだ。例えるならば、自身が溺れている最中にも拘らず、他人の手を取ったがために一緒

になって溺れ死んでしまうようなもの──寄り掛かり、寄り掛かられ、結局は共倒れという

パターンに陥ってしまえば元も子もない。最悪だ。何を置いても先ずは、私自身が本当の意

味で助からなければならなかったのに。

 かつて私は、そこを履き違えてしまった。そして誤った選択をした、その現実に気が付い

た時にはもう……死に体となっていた。後は押し寄せる後悔と、酷く遅行性の痛みに壊され

ながら、歩んできた道を引き返されるだけ……。


 そうだ。あれは沼だ。

 自分は“善い”ことをしている、ただそんな漠然とした陶酔感に惑わされて、自ら陸へと

上がり切れたかもしれない可能性を潰す行為。彼らに引き摺り込まれ、或いは己の意思で飛

び込み、溺死させてくる底なしの沼。ほんの数センチの段差が、酷く高くて険しいもののよ

うに感じられて、生来──又は途中から転がり落ちた彼らはめいめいに、仲間を増やそうと

手招きをし続ける。

 否、殆どはその自覚すらない。出来ることなら脱したいとすら願っているのに、やはり視

界の向こうにある段差が酷く大きいものに映るのだ。駄目だ。自分なんかではどうしたって

越えられない──ずぶずぶ、じわじわと、その身が不可逆の域へ沈んでゆくさま自体はなま

じ解っているものだから、半ば本能的に手を伸ばしてはいる。ただそれらは、はたして真に

そこから抜け出したいが故の意思表示か? と訊かれると怪しいのかもしれない。幸か不幸

か、そんな彼らを目の当たりにし、伸ばし返した相手らを、掴んだ手達は離さない──沈み

たくない筈なのに、結末としては自他共にそれを招く。何て救われないんだろう。


『彼らは被害者だ! 我々は、彼らを救わなければならない!』

『彼らを、このまま見捨てて良いと思っているのか!? 切り捨て続けた先に、一体何があ

るというのか!?』

『五月蠅ぇなあ……俺達に関わるな。何でお前達に“説教”されなきゃいけないんだ!?』

『やりたけりゃあ勝手にやってろ。こっちを──こっちを、チラチラ見るんじゃあない! 

集られたって何も出ねえよ! そいつらに回す余裕なんて無いっつってんだろ!』


 沼の中と、沼から離れた陸地の間に、事実高さが在るかどうかは重要ではない。現実とし

て問題だと思われるのは、互いが互いに“距離”を感じて暮らしていることだと私は思う。

厳密な表現をしてみるならば、沼の中からは鬱屈を、陸地からは忌避の意識を。

 勿論、互いが実際に恨み節諸々をぶつけるといったシーンは稀ではあるのだろう。多少頭

が回る者ならば、或いは抑え付けられてきた経験を色濃く持つ者であればあるほどに、一度

でも「それ」を爆発させてしまったら最後、取り返しのつかない事態になることぐらいは容

易に想像できるからだ。理解しているからだ。いや──理解“させられている”のか。

 誰もが笑顔で暮らしゆける。それは確かに理想的だと思う。

 ただ反面、理想とは“そこには無い”からこそ掲げられるものでもある。現実には常識の

枠に嵌らない誰かは倦厭されるし、無知しらないとは重大なミスに繋がる。仮にその場で咎める者が

現れなかったとしても……そう遠くない将来、やらかし続けた当人は集団より弾かれるだろ

う。不適格だと、切り捨てなければもたないと、彼の者を沼の中へと追い落とすだろう。そ

れが「大人」の「正しさ」なのだと言外に認めている。尤も昨今は、その真逆をお題目にす

るからこそ、いよいよ混迷を極めつつあるのだが。


『皆で仲良く、笑って過ごせる場所にしたいんだ』

『共に生きる。その初心だけは、ブレさせる訳にはいかない』


 嗚呼、そうでしたね。貴方の志は確かに素晴らしかった。今となっては私自身、そこから

すらも脱落した身であることを踏まえると、ある種白々しさすら覚えるのだけれど。正しい

とか正しくないとか、善いとか悪いとか、理想を語らせれば誰にだって一家言がある。持っ

ているのだと、自負したい欲求に突き動かされる。

 誰が云ったか。“憧れは、理解から最も遠い感情だよ”──歳月を経て、私の個人的挫折

を経て、その意味する所が解ったように思う。何事も、体験しなければ実感として定着しな

いものなのだなあと、馬鹿馬鹿しくなって自嘲わらいたくなる。勇み足を踏んだ私もそう、かつ

て理想を掲げて人を集めた貴方もそう。……はたしてその行いは、当人達にとっての救いと

なり得たのだろうか?


 密かに自嘲わらう。静かに自嘲わらう。

 もしなり得たのなら、幸いだと、少しだけ私自身も救われても構わないのだろうか? そ

れともやはり思い上がりに過ぎなかったのだと、束の間の夢だと忘れるべきか。

 ──あの挫折以来、私は何度か居場所を転々としている。自ら手順を踏んで去っていった

場所もあれば、歳月の流れと共に自然に解消されていった関係性もある。私だけでなく、他

の誰かだって当然変わるものであって。移ろいゆくのが必然で。それを惜しむのは無理難題

と言うべきなのかもしれないが、時々虚しいなとさえ振り返ることもある。……都合の良い

考えなのだろう。自分にとって好いた環境、他人との繋がりであれば、より長く不滅のそれ

を願う。逆に不快な存在、者達の集団カテゴリーが在れば、たとえ能動的に関わる訳でなくともその消

滅を願ってしまう。無くなったって何とも思わないし、時にはそれが正しいことだとすら錯

覚する……。


「ああ? また通り魔かよ~」

「物騒だなあ。前の事件を真似してるんだろうけど……」

「全くいい迷惑よねえ。死にたければ、一人で勝手に死ねばいいのに」

「──」

 現実に引き戻されるように、私の耳にはたとそんなやり取りが飛び込んで来た。記憶の奥

底から悲鳴が上がり、饂飩を啜っていた箸の動きが止まる。ちらと見れば、後ろのテーブル

の中年男女数名が、そう店内のテレビが報じるニュースに管を巻いている所のようだった。

(聞こえてるんだよ……糞が)

 嗚呼、やっぱり現実の世の中ってのはこんなものか。途端に感じる麺の感触も、汁の旨味

も色褪せてしまっていた。大方自分達の発した言葉、呪詛に、まるで頓着も責任の欠片も抱

いていないのだろう。そうやって気晴らしに消費する癖に、彼・彼女らを苦しめる闇をどう

にかしようなどとは微塵も考えていない。自分には関わりの無いことだと決め込んでいる。


“だったら今、私がここで死んでみようか?”

犯人そいつにだって家族や友人がいるし、迷惑が掛からない死なんて無いんだよ”

“あんたらも私も、助けなかったんだ。ああやって暴走するまで、ずっと居ない者扱いをし

続けて来たんじゃないのか?”

“何も知らねえ奴が、分かった風に大口叩いてるんじゃねえよ……。ぶち殺すぞ”


 必死になって衝動を抑える。食う所ではない。頭の中でぐるぐると叫びたがる、そんな彼

らへの反撃パターンを何とかして現実のものとしないように努める。このままホカホカの饂

飩を、奴らにぶちまけて。これもいい機会だと“実演”がてら、私自身を終わらせてみるの

も……?

 十中八九馬鹿馬鹿しいと思われるのだろうが、あの日以来ずっと、この心身は折につけて

音を上げ続けてきた。少なくとも、限界点は年々狭まり、いつか私という人間が私でなくな

る日を待ち構えようとしている。ピリオドに向かっている。過去には戻れない。誰かを助け

よう、寄り添おうとすることは、己の人生全体のエネルギーすらも遥かに超える消耗を要す

る営みにもなり得る。私は迂闊過ぎた。覚悟が足りなかった。未だ自身が救われてもいない

癖に、その目的の為に誰かを救おうとした。偽善と呼ばずして何と呼ぶというのだろう? 

夢に描いた先駆者にはなれなかった。手を伸ばし、導く器量など備えていなかった。結局私

が現実為したものとは、裏切りだった。その誰かの心に、新たな傷跡を残しただけだ。

「──」

 つまり誰も救えない。救えなくていいとすら、今では自分に言い聞かせている。

 せめてこんな事は……連鎖だけはさせないようにと。同じ失敗だけはしないようにと。理

解に苦しむと、役立たずだと責め立てる側だけに留まらず、私達当人の側も、変わろうとす

る意識がおそらくは必要だった。正しい改革さえ為せば、少しは違ったのだろうか?

 自分を誰かを、己が経験則という名目の人柱にして、私は今日ここまで生き延びてしまっ

た。己の浅はかさを棚に上げておいて、またもや見も知らぬ客達たにんに憤る。


 焦れる内での苦しみ。意図の外から来る衝動。

 夢想する。たとえ暴力でも良い。全て壊してしまえば、いっそ──。

 否。それもこれも、全て含めた上での、私が受けるべき報いだとでも謂うのだろうか?

                                      (了)

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