(1) 星の屑
【お題】星、残骸、枝
「──うわぁ~! 綺麗……!」
季節がまだ秋の範囲に収まっている内にと、彼は彼女を連れ出した。
雲の少ない、絶好の天体観測日和だった。いや、時間帯はすっかり夜なのだから、厳密に
は違う表現なのかもしれないが。
「だろう? 他に邪魔の入らない、俺の秘密の場所なんだ」
二人は同じ高校に通う同級生であり、恋人同士だった。特に交際していることを周囲に明
かしている訳でもなかったが、何となく気付かれてはいるのだろう。首元に巻いたマフラー
に口元を埋め、星空を見上げる彼女の瞳が文字通り輝いている。……思い切って誘ってみて
正解だった。
場所は、彼らの住む街から少し離れた小高い丘の上。一応、近隣の町々と繋がる道路も整
備されており、位置付けとしてはちょっとした休憩地点と言った所だろう。切り開かれ、さ
れど時間帯が時間帯だけに人気の無い駐車場の一角で、二人は植え込みを境界線代わりに煌
めく夜空の星々を眺めていた。ずっと遠い場所、街の最も高いビルすらも越えた黒いキャン
バスの上に、激しく自己主張するでもなくそれらは群れを成している。
「……地元で、こんなにしっかり星を観れるなんて思いもしなかったなあ。天体観測って聞
くと、どうしても専門の施設とか、都会以外の場所ってイメージがあったから……」
「街の中に居るとどうしても、ね……。だけどこうやって、ビルとか電線の無い場所から見
上げれば、ちゃんと星は在るんだよ」
暫くの間、彼は彼女の隣で時折言葉を返しながら、その初々しい反応に微笑んでいた。横
顔を見守っていた。事実、彼自身もこうして近場な環境で星を観れるポイントを見つけられ
たのは、比較的最近の出来事である。
いわゆる専門の施設──天文台でも、確かに星々は観測できる。
ただ……彼はかねてから、交際中の彼女にも、このお気に入りの景色を見せてあげたかっ
た。もしかしたら、今時の若者らしく退屈するだけかもしれないとは思ったものの。
ビルや電線、電車やネオンの明かり。
実際自分達が、見上げても星空に届かなかったのは、他でもない自分達自身が築き上げた
建造群の所為であって……。
「良いモンだろ? こうして何も考えずに星を眺めていると、落ち着くんだ。緊張していた
身体と心が、滑ってゆくみたいに解ける心地がしてさ……。時々こうやって、気分転換に観
に来てるんだ」
「へえ、そうだったんだ。趣味だってのは聞いてたけどね~。でも意外。ユウ君って、学校
だと優等生なのに。こんな時間に出歩くなんて、ご両親は何も言わないの?」
「それを言ったら、美鈴だって同じだろ? ……うちはそもそも、顔を合わせる時間自体あ
んまり無いからな。父さんも母さんも、毎日仕事で忙しいし、帰って来てもこっちが寝入っ
ちまった後が殆どだ。間違いなく、気付いてすらいないよ」
だからチョンと小首を傾げつつ、こちらを見遣って訊ねてきた彼女に、彼は努めて何とも
無いと装って答えるしなかった。普段からそういう人達なんだと、自分でも両親を悪しげに
言っているとの自覚がありながらも言葉が溢れてきていた。……言いながら、じわじわと自
己嫌悪に染まるもう一人の自分もまた、認識する。
「別にサボっている訳じゃないし。宿題も済ませたし、成績もちゃんと維持してる」
「それが地味に凄いんだけどなあ……。私は、部活の方で結構一杯一杯だよう」
あはは……。
彼女が苦笑いを浮かべている。特段悪意があるという訳ではない、それは解っていたが、
彼は内心しまったと思った。クラリネットを吹く彼女の姿も、普段のぽやっとした印象とは
また打って変わって魅力的だが、それはそれでおそらく大なり小なり無理をしながらの活動
ではあるのだろう。本人が好きでやっている事だとはいえ。
『……』
つい悪態を吐いてしまっていた自分を戒めつつ、彼は一旦視線を夜空に向けた。キュッと
密かに唇を結ぶ。傍らの彼女も、フッと優しく微笑んだ後、そんな動作に倣う。二人して数
拍の間、満天に鏤められた星々を目に焼き付けようとする。
「時々思うんだ。自分は、何て小さなことで悩んでいるんだろうって。普段はずっと机に齧
り付いて、下ばかり向いているから気付かないけど、こうして空を見上げればこんなに広い
世界が広がってる。綺麗なものに満ちてる」
「うん……」
「俺が星を観るのが好きになったのは、多分そういう理由もあるんだろうなあって思うよ。
余裕ってものを持てなかった。もしあの頃のままだったら、こうして美鈴と一緒に──付き
合うことも、無かっただろうし……」
もじもじ。彼が段々と言葉を選び、迷い始めているのを、彼女は敏感に察知していた。ち
らっと横目にさりげなく。良い雰囲気になってきたと思ったら、こうして自分から冷やして
しまうのだから。でもそんな“真面目”な所も、正直嫌いじゃあない。
(ユウ君も、色々と悩んでるんだなあ……。それに比べて、私は……)
そうして自己嫌悪を彼女の側も。
尤も、当の対する彼は、そんな恋人の内心など知る由もない。寧ろ自分とは違って緩い感
じの、しがらみ少なく青春を楽しんでいるように見える彼女が眩しかった。それでいて、何
となしにこちらに気を遣ってくれている瞬間も見出せて、報いなければとも思った。
(……解ってるんだ。何時までも、ずっとこんな時間は続かない。来年からは、いよいよ俺
達も三年生だ)
受験勉強の本格化が近付いてきている。つまり進路選択だ。うちの学校は半数以上が進学
組だが、だからと言って自分と彼女が同じ志望校だとは限らない。寧ろこれまでの成績を考
えても、受験可能な先は大きく違ってしまう筈だ。
「美鈴」
だから。彼はスッと、彼女に向き直り、言った。彼女も彼女で何かを察したのか、少し目
を丸くしつつこちらを見上げている。
満天の星々。古くヒトはこれらを線で結び、多くの姿形を見出した。多くの名前が付けら
れた。英雄譚から悲劇まで、多くの物語が創られた。
だからと言っては何だが……自分はその力を借りたいと思う。ただ無数の点が輝いている
のではない。そんな、自らは語らない、数多ある星々が自分を見守ってくれていると信じた
かった。勇気を与えて欲しかった。
青春の終わりは迫っている。
せめてその前に伝えたい。きちんと、答えを貰っておきたい。
「君の、志望先は何処か教えて欲しいんだ。お、俺は君と──!」
だがそんな彼の言葉は、文字通り途中で盛大に遮られてしまうことになる。想いの丈を、
彼女に決意を伝えようとした次の瞬間、自分達の上空・側方から猛烈な光が辺りを呑み込ん
で轟音を撒き散らしたのである。
「きゃあ……ッ?!」
「美鈴っ!」
最初、こちらにまで及んだ強風に煽られ、彼女が吹き飛ばされそうになった。彼は慌てて
その手を取っ手引き寄せ、植え込みの陰に屈んで隠れる。轟々と、数十秒それが続いたかと
思うと、今度は一転して辺りはしんと静かになった。……まだ目がチカチカする。
腕の中の彼女が無事らしいと確認すると、彼は彼女と一緒に、おずおずと植え込みから向
かい側を覗き込んだ。ちょうどこの丘、駐車場から見下ろす地元の街。夜の姿。
『──』
その形が、豹変していた。
どれほどの高熱が在ったというのだろう? 街の大部分が、巨大なクレーターらしき大穴
によって抉られているのが此処からでも見て取れた。二人は、どちらからともなく思わず絶
句する。何が起きた? 一体、何が……?
「じ、地震?」
「いや、それだとさっきの風の説明が付かないぞ。寧ろさっきの光といい、あの馬鹿デカい
クレーターといい、地面からというよりはまるで……」
困惑に混乱に。だが素直に怯えてる彼女の姿が横にあったお陰か、彼は比較的早く普段の
思考を取り戻しつつあった。少なくとも異変が起こった。一瞬にして街が、俺達の故郷がへ
しゃげて滅茶苦茶になってしまった。
「!? まさか──!」
はたっと理解し、彼は思わず走り出す。彼女も慌てて、その後ろを追ってくる。
まさか……隕石? 光じゃなくて摩擦の熱か!? でもあれだけの衝撃、街の大部分を抉
ってしまうほどの質量だ。皆は無事なのか? 父さんは、母さんは? 美鈴のご両親は?
何時もつるんでいた友人達は……?
はたして、大急ぎで丘を降りた二人が見たのは、地獄絵図だった。
未だ大量の熱を帯びた巨大な陥没跡は、街の大部分を激突した瞬間に押し潰して破壊の限
りを尽くしていた。周囲の建物はほぼ原形なく吹き飛び、おそらく巻き込まれた人々は即死
だろう。甚大な被害がそこには広がっていた。怒号や救急車、警察車両などの声・機械音が
飛び交い、外縁付近各所は物々しい雰囲気に包まれている。
恐る恐る一人また一人と、辛うじて直撃を免れた人々は、突如として自分達を襲ったこの
異変の正体を知るべく集まって来ていた。一体何が落ちてきたのかと、覗き込む。
『──▲×▽…….×◎,▲◆◇◇,?
(あ~、痛ってえ……。転送のエネルギー、調整ミスってるだろ。これ)』
『Β,×▽■■.×○“□”┓◇◇.
(大体よ、着地からしてデカ過ぎなんだよ。始める前から“的”減らしてどうすんだよ)』
そんな折だ。赤い陥没跡の中央付近から、はたっと大きな金属音が響いて面々の注意を引
きつけた。慌てて丘から駆け下りて来た、彼と彼女も人々の中に混じってこれに目を凝らし
ている。ガコンと、卵型のポッドらしき扉が開き、中から全身見た事も無いパワードスーツ
姿の人物が独り姿を現す。
『◇◎×,×Я×.×〇▲◆Β,●×┛×◎▲.Β,Β◎×◆■┣Ъ.
(おうおう……いるいる。スタート地点がランダムとはいえ、随分辺鄙な惑星まで飛ばされ
たなあ。ま、そのぶん数を殺るには都合が良いが)』
何やら向こうもこちらに気付き、何やらぶつぶつと喋っているようだったが、その内容は
全くと言っていいほど理解出来なかった。
互いに顔を見合わせ、やはりそうだよな? と確認し合う。少なくともがっしりめの体格
やスーツ越しから聞こえてくる声色からして、男性ではあるようだが……。
暫くの間、人々とこのパワードスーツの男は、全く別の意図で以ってこの場から動かず睨
み合っていた。一方はいきなり船(?)ごと降って来て街を滅茶苦茶にした相手への敵意。
もう一方はそんなことも──陥没跡表面に所々、細かに遺る犠牲者らしき人型の焦げ跡にさ
えも興味を示さず、左腕に取り付けられた装置をチェックしている。こちらからは全く読み
取れないが、定期的に図形の組み合わせが変わっている所から、時計の類と思われる。
『▽◎,×○? ▲●Π,ЯΛК×▼.
(さてっと……始めますか。ここで巻き返さないと、ランク下がっちまうしなあ……)』
しかしである。
結局、好奇心に駆られるべきではなかったのだ。実際の起こった異変、圧倒的な破壊を前
に、彼らは先ず何よりも必死に逃げ去るべきだったのだ。
暫くぶつぶつと呟いていたパワードスーツの男が、不意に顔を上げてこちらを確かに見据
えてきた。全体的に幾つもの、記号のような表記がパネル部分に表示され、細かな配管状の
パーツにその光源が延長されているかの如きデザイン。『アッ、アッ~』とわざとらしく喉
元に指先を当てて声を整え、腰に下げていた得物──人々からも銃器と解ったその光線銃を
向けると、さも気軽に挨拶するかのように言う。
『ウウン! あ~、あ~……。これで言語設定は大丈夫かな……? チャオ~、辺境の先住
種諸君!』
『突然なんだけどさ。お前ら──死んでくれや』
(了)