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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-107.October 2021
35/249

(5) 開けるべきかは

【お題】屋敷、金庫、依頼

 戸塚が依頼を受けて赴いたのは、とある資産家の邸宅だった。

 当主の意思や趣味か、それとも財力面で維持・管理を続けるコストを疎んだのか、敷地全

体は思いの外コンパクトに纏まっている。少なくとも装飾過多の、いわゆる成金といった感

じではない。

「──本日は遠路遥々、ようこそお越しくださいました。私、当飯山家の執事を任されてお

ります、諸見里と申します」

 鍵師という仕事柄、比較的裕福な客層であることの多い戸塚ではあったが、それでも毎回

初訪問は緊張する。

 屋敷の呼び鈴を鳴らすと出迎えてくれたのは、そう名乗る物腰柔らかな老紳士だった。片

手を胸元に。会釈で頭を垂れるが、元の背筋自体はしゃんとしている。

「ご丁寧ありがとうございます。戸塚工房の戸塚です」

 今回の依頼は、少し前に亡くなった前当主が使っていた金庫の開錠。

 老紳士こと屋敷の執事・諸見里に案内され、戸塚は入ってすぐのホールを潜った。中は左

右のU字階段に挟まれるように吹き抜けとなっており、ちらと軽く見上げるだけでもそれと

分かる、細かな装飾が刻まれた手摺りが整然と並んで各階の区画を作っている。

「到着致しました。こちらが、依頼の金庫が置かれている部屋となります」

 おそらく、今は亡き当主の私室パーソナルスペース

 諸見里に通されたのは、二階の一角にある、個室と執務室に分けられた横長のフロアだっ

た。一目見ただけでも上等な調度品、ベッドなどが配置されている赤絨毯の上で、既に何人

かの人物が待たされていたらしい。

「──やっと来たわね。彼が、手配した鍵師?」

「おいおい、諸見里。本当に大丈夫なんだろうな? こんな、小汚い格好の奴……」

「お、お兄様。いきなりそんな言い方は──」

「貴女は黙ってなさい! 泥棒猫ぬすっとの分際で!」

「まぁまぁ。お前も、そんな初対面で怒鳴っては、鍵師さんが恐がってしまうだろう?」

「……」

 これまでの経験から、何となく予想には含んでいたが……やはりこの家もそうか。戸塚は

開口一番、目の前で繰り広げられる彼・彼女らの言い争いに面食らう。内心どうにも慣れな

くって、げんなりとする。

 室内に集まっていたのは、しめて六人。

 諸見里の紹介によると、前当主の娘で長女の一花いちか。先程こちらを値踏みしてきた、いかに

も気の強そうな女性だ。隣に立つ背丈の高い、人の好さそうな男性は、その夫で婿養子の耕

助氏。同じく息子で長男の一実かずみにも挟まれ、傍から見ても気の毒そうに感じられてしまう。

 更に隣、この三人からはやや距離を置いてそわそわとしているのが、次女で末妹の双葉。

前者二人、姉と兄に比べると一回り以上年格好も背格好も違う。同じく彼女と似た顔立ちを

している──下手をすれば長女・一花より若そうなのが、母親の琴子夫人。最後に、そんな

二人を見守るように佇む、同家顧問弁護士である船越氏が並ぶ。

「……失礼。わたくし達にも色々あるのよ。それよりも鍵師さん、依頼内容は聞いているのかしら?」

「はい。先代のご当主が遺された金庫を開けて欲しい、と……」

 コホンとわざとらしく取り繕い、やや強引に本題へと話を向けようとする一花。戸塚もこ

こで下手に藪を突くことはしたくないため、早々にスルーを決め込んだ。ちらっと諸見里の

方を確認するように一瞥し、自身が事前に聞き及んでいた内容を慎重に口にする。

「そう。親父の奴、遺言を二重構造にしてたんだよ。肝心の本文はそこの、普段使ってた金

庫の中。だが開ける為の番号を、親父以外の人間は知らない」

「……番号を控えてあるメモなどは、なかったのですか?」

「見つかってたら、あんたみたいな業者を呼ぶ訳ねえだろ。家中探したさ。それでも手掛か

りすらねえから、諸見里に手配させたんだよ」

「なるほど……」

 断片的な話を繋げる限り、概要はこうだ。どうやらこの屋敷の主は、肝心の金庫の開け方

を家族に伝えぬまま逝ったらしい。遺言──これだけの邸宅となれば、その遺産は相当のも

のだろう。残された子供達が苛立つのも無理はない。正直、当事者間の争いにまで首を突っ

込む気などないが。

「先ずは、見てみないとどうにも言えませんね。勿論、最善は尽くしますが……」

 そうこなくっちゃ。

 戸塚は諸見里や船越、家族らに背後を取られて監視されながら、早速作業に取り掛かるこ

とにした。厚めのパーティションで区切られた、執務スペース側の壁際に置かれた、子供の

背丈ほどの金庫。一花と耕助曰く、普段は即金用の札束や幾つかの換金資産──延べ棒など

が保管されていたそうだ。流石は金持ち……。庶民にはおよそ無縁なその姿を脳味噌の端で

イメージしつつ、ダイヤルを回す指先の感覚はコンマ一ミリの狂いも許さない。

(ふむ……。仕組み自体はそこまで複雑じゃあないな。百までの目盛りが四枚、か)

 総当たりの数だけで言えば、それこそ膨大な組み合わせだろう。確かに素人が、闇雲に正

解の番号を当てるのは至難の業と言える。

 だからこそ、専門業者プロである自分が呼ばれた。開けてみせるさ。

 じっと歯車から聞こえてくる些細な音の変化に耳を澄ませ、戸塚は正解の組み合わせを探

ってゆく。カチカチと暫くの間、緊迫した空気が室内に流れる。

(……本当に、開くんでしょうね?)

(開けてくれるさ。その為に呼んだのだから)

(は~……。親父の奴も、最期の最期に面倒臭え手間を残してくれたモンだよ。こっちはも

う、ただでさえ取り分も糞もないって判ってるのに)

(っ──!)

 あの。ヒソヒソ声の心算なんでしょうが、聞こえてますよ? 戸塚はまたしても繰り広げ

られる、背後のギスギスした空気に思わず眉を顰めていた。厭というか、状況から推察する

にその原因がありありと判ってしまうからだ。

(わ、私達は、ただ……)

(お父様の財産が欲しい、でしょう? 分かり切ってるわよ、最初から。あんたがお父様の

後妻に収まった時点で、私や一実の取り分は半分になるもの。そこから等分してゆくのだか

ら、四分の一。嗚呼、羨ましい。羨ましい……)

(……)

 やはりそうか。随分と年の離れた姉妹だと思っていたが、案の定再婚か。となると、完全

に長女・長男側と、末妹・継母側に分かれてしまっていると考えた方が良い。尤もやり取り

やその声色から察するに、後者二人は殊更争う心算は無いようではあるが……。

(まあ、そうもいかないよなあ。状況的に、疑われて恨まれて当然っちゃあ当然だ)

 カチリカチリ。三枠目の番号が通ったのを確認しながら、戸塚は正直この手の──金持ち

絡みの依頼は、今後抑えてゆこうかな? とすら考え始めていた。鍵師、金庫という職業柄

全く避けては通れないにせよ、明らかに“地雷”と思しき案件に首を突っ込みたくはないと

いうのが自分を含めての人情だからだ。こっちはただ依頼されたから開けたのに、そこから

またあーだこーだと揉める原因にされてしまっては敵わない。巻き込まれたくはない。

「……」

 いや、そもそも。

 何故前当主は、自分以外の人間に、金庫の暗証番号を伝えなかったのだろう? 本当に単

純なミスなのだろうか? 身内でさえ知らなければ、死後彼らが揉めるであろう事は分かり

切っていた筈なのに。

 或いは敢えて、そうなるよう仕向けたのか?

 遺言が、取り分が曖昧なままでは誰も納得は出来ず、確実にこの場へ集まってくるだろう

から。どれだけお互いに、一方的に敵愾心を持たれていても、事実こうして同じ時間・同じ

場所で一堂に会させることに成功している──。

「開きました」

 それでも戸塚は、努めて自分の、鍵師としての職務を全うする事に集中しようとした。作

業の最中、背後から聞こえる当事者達にやり取りに色々と思う点はあったが、それらは自分

の領分外だからだ。

 もしかすると、自分はこの金庫を開けるべきではなかったのかもしれない……。上っ面の

下に潜む思考はそう可能性を弾き出していたが、職人の五感は既に仕事を終えていた。一際

大きく鳴った金属音と動いた扉に、一花や一実が「おおっ!」と歓喜の声を上げる。

「やったわ! これでようやく──」

「これで俺の取り分が──」

 だがそんな喜びの表情は、次の瞬間一転して戸惑いや落胆に変わったのである。いや、寧

ろ、亡き父の遺した意図をすぐには汲み取れず、二人は沸々と怒りにすら駆られてゆく。

「無い!?」

「嘘だろ、何で空っぽなんだよ!?」

 金庫の中には……何も無かった。いや、厳密には綺麗にしまわれた書面が一通置かれてあ

っただけで、普段そこに保管されていた筈の現金や延べ棒は一切無くなっていたのだ。

「……どういう、ことでしょう?」

「分からんな。既に現金化して、口座に戻してくださっていたのか」

「いいえ。お父様名義の口座は全部調べたでしょう? 取引以外での出入金は無かったわ」

 ざわざわと、憤り或いは困惑の声が室内に木霊する。妻の機嫌がどんどん悪くなるのを何

とか抑えようとする耕助と、更に居心地が悪くなった琴子と双葉母子おやこが、ぎゅっと互いの袖

を取り合って縮こまっている。

「皆様、お静かに。少なくとも目的の遺言状は、在るようですよ」

 結局巻き込まれるこうなるのか……。金庫の扉を開けたまま、ばつが悪くその場に屈んでいた戸塚

の横を、顧問弁護士の船越が通り過ぎて中へ手を伸ばす。

 取り出されたのは、唯一残っていた白便箋だった。皆が緊張して見つめる中、彼は慎重に

その包みを剥がし、書かれていた文言を読み上げる。

「──私、飯山泰三は、所有する以下の財産を、全額下記団体へ寄付するものとする」

『?!』

「何だってぇぇぇーッ!?」

 それは戸塚自身も、予想だにしていないものだった。亡き前当主は、そもそも自身の成し

た財産を我が子達に分け与える気など無かったのだ。

 文面に曰く、一代で事業を成功させ、資産家となった自分だが、将来子供達はその分け前

を巡って争うであろうことは予想していた。だからこそ、これまで世話になってきた社会に

対して還元する形で、自分の“後始末”をしたいとの遺志がそこには綴られていた。

「……御父上は、生前我々に嘆いておられたのですよ。自分は菜々緒様も琴子様も、同じく

愛していると。だが娘と息子には、理解しては貰えなかった。自分という後ろ盾が無くなれ

ば、琴子様も双葉様も追い出されかねない。それだけは、姉妹で争うことだけは、して欲し

くなかったと」

 唖然とする一花と一実、及び耕助。そんな彼女らに、船橋と諸見里はゆっくりと亡き主と

の思い出を語っていた。同じく愛している──琴子・双葉母子おやこも、じわりと目に涙を浮かべ

ていた。

「だからって、俺達から遺産を取り上げたってのか!? 喧嘩するぐらいなら余所に遣っち

まうって!?」

「何を考えてるのよ、お父様は……! 飯山グループの経営は? 運用の元手は? 大体、

諸見里も船橋も、最初から知っていたの!? 知っていて、今日まで私達が揉めている姿を

観ていたというの!?」

「……申し訳ございません。それも、旦那様からのご命令でしたので」

「遺言状の立会人は私達です。当然ながら、その意図はお聞きしていました」

『っ~~!!』

 戸塚は努めて気配を殺し、目の前の様子を渋い表情かおで眺める。

 鍵は開いたというのに、まだまだ彼らの問題は山積みのようだった。前当主はおそらく、

我が子らの軋轢を何とかしたくて、自身の半生を振り返った上の“善意”でこのような決断

をしたのであろうが……傍目からも事態が好転するとは思えない。結局火に油を注ぐだけの

ように思えた。何よりそんな面倒事に、仕事とはいえ自分が首を突っ込んでしまった事に、

内心言いようもない徒労感を覚える。

(……はあ)

 やっぱりと言うべきか、何と言うべきか。

 他人の事情ひみつは、抉じ開けるモンじゃない。

                                      (了)

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