(1) 埋装
【お題】砂、物語、人工
『──かくして王朝は、この敗北を切欠に、衰退への道を辿ってゆくことになります。それ
は即ち、黄金都市への度重なる破壊と略奪の始まりでもありました』
スピーカーから流れる解説音声。
ちょうどその日の夜は、とある考古学系の番組が公共放送で組まれていた。いつものよう
に風呂上がりのラフな格好で居間に陣取り、彼はちびちびと晩酌に興じていた。一日の疲れ
から解き放たれる、数少ない楽しみである。
ただそんな弛緩した心持ちも、ある種“ながら”で点けていたその番組内容も、対する妻
からすれば不評であったらしい。
「本当、男の人ってこういうの好きよねえ……。一体何が良いのかしら?」
「ロマンじゃないか? まあ、言って俺も、そこまで筋金入りって訳でもないけど」
お盆に乗せた、追加のアテをテーブルの上に置きながら、そんな嫌味のような一言を。
尤も当の彼自身、そこまで入れ込んで番組を観ていた訳でもない。ただ習慣で、何となく
目に留まったからチャンネルを変えずにそのままにしておいただけだ。もう一方の空グラス
に気持ち少しだけビールを注いでやり、彼女も一旦くいっとこれを飲み干す。
「寧ろ、こいつの方が興味津々って感じだがなあ。な~?」
「~♪」
そんな、まだまだ働き盛りの夫婦の間には、幼い長男が一人。彼が話を振ってやると、胡
坐の中からニコッと顔を上げて微笑みかけてくる──かと思えば、再び首をゆらゆら左右に
揺らしつつ、番組の続きに集中する。
テレビ画面では、かつて遠い砂漠の異国に栄えたという古代都市の姿が3D映像で再現さ
れていた。時折ナレーションを挟みながら、正面から側面、俯瞰へと忙しなく視点が変わり
つつ、文字通りの“黄金都市”と呼ばれたその姿を視聴者に紹介している。
「でも、もう無いんでしょ? 砂の中?」
「らしいな。何十年か前に掘り起こされたって」
映像は更に切り替わり、遺跡が発掘された当時の様子が映し出されていた。頭に日除けの
ターバンを巻いた現地の作業員らが、プロジェクト・リーダーらしき欧米人の学者達に指揮
され、区画のあちこちで大量の土砂を運び出している。或いはブラシで、細かく遺物の全景
を整えようとしている。
「……この手のってさ? そもそも何処からお金が出てるの? 別に何かを作るでも、私達
の生活に役立つ訳でもないのに、結構な人や物が動くじゃない?」
「そりゃあ……そういう大学とか、理解のある金持ちとかだろ。っていうか、お前の基準で
学問を“仕分け”してたら、大半の分野が消えてなくなるぞ」
はははは。
酒の勢いも入ってきたのだろう。夫の方は妻からの疑問にも気分を害さず、寧ろそう可笑
しく笑って応えていた。幼い息子もキョロキョロと、時折テレビ画面と両親の間で視線を往
復させ、それでも映し出される数々の出土品に目を輝かせている。若しくはずらりと並べら
れたその様子自体が格好良いと感じているのだろうか。
「あなた。飲み過ぎてない?」
「大丈夫大丈夫。出して来てる量はいつもと同じだろ~? ほれほれ。ただ今夜は、会話が
ある分弾んでるってだけさ」
ずっとずっと昔、この国とだっておよそ縁もゆかりも無さそうな異国。
そんな場所、砂塗れの不毛の地に、かつて栄華を極めた大都市が在った──それだけで男
は、目には見えない浪漫を見出せるものだが、はたして彼女に関しては無いとみえる。学問
イコール世の実益に資してこそというイメージが、どうしてもいち現代人としてこびり付い
ているようだ。
彼は喉を潤すスピードを若干上げる。嗚呼、語るというのは斯くも気持ち良い。
「今世の中に溢れてる技術やら仕組みやらも、元を辿れば過去の人間があーでもないこーで
もないって試しまくってくれた結果だろ? それがもし記録なり何なりで残ってりゃあ、今
の時代にとってもヒントになるかもしれないし」
「うーん……。随分と確率の低い仕事ねえ。何処かの天才がぽっと思い付くって方が、実際
早い気もするけど……」
「その天才も、昔のあれやこれからアイデアを思い付いてるかもしれないぞ? まあ、俺達
凡人には関係のない話だがなあ。そういうのを抜きにしたって、大昔からこんなのが建って
た・造られてたってのを見るのは壮観なんじゃねえかな? ほら、最近だと女でもこの手の
が好きだ~って身に回ったりするじゃん」
「……レキジョ?」
「そうそう、それ。この前も城好きのアイドルとか出てたろ。ああいうのだって、土に埋ま
ってる訳じゃないけど、れっきとした歴史絡みの物だし」
グラスを傾けつつ、皿に乗ったチーズ海苔をお互いちみちみと摘まみつつ。
街の片隅、畳敷きの借家・リビングをテーブルで囲んで、家族三人は束の間の団欒を過ご
していた。夫及び息子は楽しんでいた。妻の方は……正直怪しい所ではあったが。
歴史には浪漫がある。勝って繁栄した側と、負けてその後記録の中から消えていった側が
ある。それでも両者の関係は、いつまでも固定化している訳じゃない。何かの切欠、ボタン
の掛け違い一つで不意に逆転してゆくことだって珍しくない──全てに無数の、数え切れな
い誰かの物語が詰まっている。移ろうと解っていても、その時代時代をその人間なりに駆け
抜けるしかなかった。
浪漫の正体とは、おそらくそういった掌握不能の不確実性なのだろう。勿論お国柄によっ
て重きを置く所、感性は違うのだろうが、自分ではない彼・彼女らの生きた証を五感に引き
受けられるからこそ面白い。それこそ、人によっては抜け出せない程に。
「……私は嫌だなあ。何十年か何百年か知らないけど、私が何をやっていたかとか、何を考
えていたかとかを全部掘り起こされちゃう訳でしょ? こっちの許可も無しにさ? そんな
の公開処刑じゃない? 子孫とかいたら私の所為で迷惑掛かりそうだし……」
ただ尤も、目の前の妻に関しては、真逆のようだったが。
「あ~。それはまあ、否定できないなあ。文豪とか音楽家とか、有名になった人間って、後
から色々引っ張り出されがちだし」
「でしょう? 未発表の作品! とかならまだしも、書き損じのラブレターとかこっそり書
いていた日記とかバラされるのよ? ……恥ずかしくて死んじゃう」
「いや、死んでるからな? というか、そんなの書いてるの?」
「書いてない~! ものの例え! 話の流れで分かるでしょ~、普通……」
言われてみればと苦笑いし、酒の勢いも借りてツッコミも忘れない。彼も彼として、妻の
そんな感想を否定する気はなかった。自分で言っておいて何だが、性別の差関係なく物好き
である必要はないのだから。色々であるからこそ面白い。今も昔も、少なくともそこだけは
変わらないのだろう。少なくともそこだけは、許せる余裕を持ち続けたいと願う。
「パパ、ママ。ケンカはだめだよ……?」
「うん? あははは! 大丈夫大丈夫。別に喧嘩じゃないよ」
「そうそう。すぐにお腹が膨れるか、膨れないか? それだけの話」
「??」
お互い声量が大きくなって、不意に不安がった息子が止めに入ってくる。
二人は笑いを堪え切れずに表情を緩めた。笑って頭をわしゃわしゃと撫で、或いはそっと
抱き寄せ、尚もキョトンとしている我が子とテレビの向こう側を見遣る。
『──』
時を前後して、事件はその夜の最中に起こっていた。最初は小さな、およそ世の中の波音
に揉まれて気付かれもしなかったであろう、些末な物語だった。
日の落ち切った高架下、整備された感よりも却って猥雑さが勝る囲いの内側で、寝泊まり
用のプレハブ小屋に集まった彼らは一様に険しい表情をしていた。一日土方仕事で汚れた作
業着姿のまま、机の上に置かれたとある代物──土器らしき何かの破片を見つめて重苦しい
空気が流れている。
「……これ、本物だと思うか?」
「どうでしょう。自分達には、専門外も専門外ですし」
「かと言って、正直に届け出るのもなあ……」
「やっぱ、お前もそう思うよな? もしこれで工事が中止にでもなったら……」
頭を抱えていた原因。それは今日の昼間、仲間の一人が掘削中に見つけてしまった、明ら
かに現代のそれではない壺の一部。
実際に遭遇したことは無かったが、すぐに察した。だからこそ慌てて回収し、現場監督を
兼ねる社長にも報告したのだった。
「可能性は高いだろうな。これが本物かどうか、価値が高いか低いかに拘らず、一旦この辺
りを調べてみようって流れにはなる筈だ。そうなったら、工期は間違いなく狂う。延びれば
延びるほど、仕事としては完全にお釈迦になっちまう……」
皆と同じく作業着姿に身を包む社長は、だからこそ激しく頭を抱えていた。目に見えて露
骨な感情表現こそ出しはしないものの、状況の拙さはこの場の誰よりも理解していた心算だ
ったからだ。すっかり黙り込んでしまった部下達、数少ない自社の社員達を見渡し、暫くし
て彼は決心する。
「……この話、余所の人間には?」
「してないッス! 出来る訳、ないじゃないですか……!」
「だったら良い。……無かった事にするぞ。こんな訳の分からん破片一つで、ようやくうち
単独で採れた仕事をふいになんぞして堪るか」
即ち、隠蔽。部下もとい社員達はハッと一斉に顔を上げ、しかし誰もその決断に異を唱え
る者はいなかった。ゴクリとめいめいに息を呑み込み、浮かされたように頷く。
幸い自分達は小さな業者。今回の発注で任されたのも、大通りからは外れた路地の数区画
のみだ。しかしだからこそ、皆で隠し通せばこのまま工事を続けられる──予定通り再舗装
と部分的な幅員拡張を済ませて、当面の収益を確保できる。
「これも含めて、明日朝一で全部埋め直すんだ。奥の方へ念入りにな。舗装さえ終わっちま
えば、誰も気付きやしない。絶対に……口外するんじゃねえぞ?」
(了)