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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-106.September 2021
30/249

(5) 杭のあるよう

【お題】灰色、悪、終末

 教訓その一。他人の上げる感情に、一々反応していたら身が持たない。

 教訓その二。ヒトは基本、自分のことしか考えていない。だからこそ己の不利益に気が付

けば、大抵の奴は豹変する。

 そして教訓その三。何事も一気にひっくり返そう、返してしまえばと企めば、その歪みは

巡り回って自分自身の下へと返ってくる羽目になる──。


「よっ、せっ……と」

 青年は、その日も枷を打ち込んでいた。右手には無骨な剥き出しの金槌、左手には赤黒く

明滅する“杭”のような何か。彼以外の、人も物も全てが停止した色彩の無い世界で、一人

また一人とその身体に得体のしれないそれを打ち付ける。深く押し込んで固定する。

 汗がじわりと噴き出していた。

 今この場所は、暑さも寒さも無い筈なのに、それでも身体の奥からじわじわと蓄積して悲

鳴を上げる感覚がある──おそらくはただの疲労だけではないのだろう。罪悪感、とでも言

うべきものだろうか?

(……。ふぅ)

 思って、されど青年は内心己を自嘲わらった。今更そんなものを抱いて何になるというのか?

寧ろ自分にまだ、そんな“摩耗する”余地が残っていたというのか? 我ながらそのしぶ

とさに辟易する。

 赤黒い杭の表面に映った自分の顔。

 少なくともそこから確認できる両の眼は、とうの昔に死んだような瞳をしたまま久しいと

いうのに……。

「ほれほれ、ペースが落ちてるぞ~? あたしの結界も、いつまでも続く訳じゃないんだか

らちゃっちゃと済ませないと」

 しかし、そういった小休止がてらの思考も、次の瞬間にはすぐ後ろで“浮かんでいる”相

棒には非効率で無意味だと捉えらえていたようだった。ぱたぱた。背中から生えた気持ち小

振りの黒い翼と頭部の巻き角、赤いジト目の瞳がこちらを監視してみている。

「……分かってるよ。この辺りの奴に打ち終えたら、一旦離れる」

 死んだ目、不気味な目なのはお互い様だ。青年はちらりと、この人物を肩越しに一瞥する

と、再び作業を再開し始めた。金槌を片手に、他の手頃な人間の下へと歩いてゆく。

 人物──と表現したが、それは厳密ではない。何故なら彼女は“悪魔”なのだから。

 桃色のミドルショートの髪と露出の多い、黒い水着のようなコスチューム。青年が数ヶ月

前に出会った彼女は、自らの正体をそう自称して語った。


『あたしの名はリリン。見ての通り、悪魔よ』

『え? マジでそんな願いを叶える気なの? まあ、召喚よびだされちゃったあたしもあたしだけ

どさあ……』

『本当に良いのね? なら“契約”しましょ。成功の暁には……あんたの魂、しっかり貰っ

てあげる』


 青年は人生に、この世界というものに絶望していた。

 何をやっても上手くいかず、足掻けば足掻くほど、却って周囲の反発を招いた。時には直

接恨み事の束を、顔面に叩き込まれたことだってある。

 悔しかった。諦めるしかなかった。自分が凡才だと、不器用だと知っているから、どれだ

け頑張っても周りに追い付ける時は真に訪れないとも解ってしまっていた。だってそんな段

階に至った所で、彼らは既にもっと遠くに行っている。求めてくる“普通”やら何やらがど

んどん高くなってくるのを、身を以って味わわされてきた。別に自分が求められてはいやし

ないと、痛感してきた……。

 まだ若い彼は、そこで極論に至る。そもそも自分が、自分達がヒトがこの世に生を受けて

きたこと自体、間違っているのではないか? と。

 個々の意思はある。やりたい事や、大切なものだって出来てゆくのだろう。だがそれらも

全て含めて、自分達を縛るものだと考えるようになった。生存することに“義務感”という

重石を乗せる一因だと考えた。何より──各々のそういった拘りが、執着が、攻撃する者と

される者を生む。古今東西、様々な苦しみの元凶となる……。

 そんな折である。彼は曽祖父が遺した土倉の中で、古びた研究ノートを発見したのだ。

 生前から変人として知られ、手当たり次第に曰く付きのものを蒐めていたというこの曽祖

父は、どうやら“悪魔の召喚”という世間一般からすれば極めて眉唾な話にも飛び付いてい

たらしい。ただ紙面の中に書き残されていた、とある文言が、曾孫たる彼の抱いていた思い

と共鳴する結果となる。

『もし見事呼び出せれば、どんな願いでも叶えてくれるだろう。尤もそれ相応の対価を、命

すらも差し出すことになろうが』

 はたしてそれはただの気まぐれか、或いは同じ血筋ゆえ、通じるものがあったのか。

 彼は気が付けば、その研究ノートを基に実際に悪魔の召喚を執り行っていたのだ。己の命

を差し出してでも、叶えたい願い──自分達ヒトが、これ以上この世界にのさばらない事。

要するに破滅願望という奴である。

 どうせ自分なんかには、もうこれ以上何か貢献できる価値も意欲もない。

 ならばいっそ、死なば諸共──全部消し飛ばしてやる。消し飛ばしてやりたい。復讐と偽

善と。綯い交ぜになった本当を“救済”を願って。


「──」

 次の停止したままの標的にんげんの前に立ち、一旦大きく息を吸う。カッと死んだ目を見開いた青

年は、その左手に力を込めた。

 掌の真ん中に、赤黒い紋章が刻まれている。先程の“杭”と同じ色だ。するとそこから、

新たな“杭”が──ヒトの片腕半分ぐらいはあるであろう大きな角錐が、ズズズ……とせり

出してくる。柄の部分には本体と結合した形に、バツ字型の飾り。十字架を意図的にズラし

たような意匠。

 青年はこれをぎゅっと握り締めつつ、標的の胸に切っ先を宛がって、大きく金槌を振るい

始めた。ドスッ、ドスッと肉に捻じ込まれる感触と、微動だにしないこの人間の不気味さが

相乗効果を生む。

 それでも尚、青年は金槌を振るい続けた。鬼気迫る執念で、この人物にもまた赤黒く明滅

する“杭”を打ち込んでゆく。

「……あと、十……二十……」

 悪魔リリンが、周囲数キロ圏内の時間を止め、青年が枷を仕掛ける。“杭”は、打たれた

者に新たな命を育ませなくする楔、呪いだ。これが打ち込まれたままである限り、やがて彼

・彼女は子孫を残せないまま死ぬだろう。常人では目に見えないため、何故? 何故? と

強く疑問を抱くことになりながら。


『お、俺が直接これを打ち込んで回るのか!? もっとこう……核の炎に世界は包まれた!

とか……』

『あんたが望んでるのは、人間の絶滅なんでしょう? 他の種までまとめて滅ぼしてどうす

んのよ。大体、そういう物理的な手段を採っても、何だかんだで生き延びる奴は出ちゃうか

らねえ……。ならもっと確実な策を講じないと』

 リリン曰く、自分レベルの悪魔では、指先一つで人類消滅という荒業は出来ないという。

高位の者なら可能かもしれないが、それでもそんなあからさまな改変は、この世界の“抑止

力”側にすぐ見つかって邪魔されるらしい。自他のレベル、環境などの理由で、結局他でも

ない青年自身が手を下すべきなのだと。

『大丈夫大丈夫。時が止まってる間の事は、誰も憶えていないからね。寧ろ現実の方では何

一つ進んでない訳だし……。アンタとあたしは、その隙間に入り込んで仕込みをするの』

 かくして青年は、それまでの日常を全て棄ててまで旅に出た。

 街から街へ。リリンの力を借りながら、この世界全ての人間に“杭”を打ち込み、緩やか

だが確実な終焉おわりをもたらす為に──。


「っ、こいつは……妊婦か」

 一人また一人、周辺を行き交っていた人間を、片っ端から“杭”打ち済みにしてゆく。

 そうして残る数人になった段階で、青年はふと次の標的にんげんの前に移動すると立ち止まった。

若い女性だ。隣の夫らしき男性と歩いている姿のまま停止しており、そのお腹は明らかに膨

れている。

 青年は数拍、左手から“杭”を出す動作を止めていた。すると背後から、リリンがさして

興味も無さそうな様子で訊ねてくる。

「ん~、どうした~? まさか、今更躊躇ってるんじゃないでしょうね? 今まで散々他の

人間達にしてきたことでしょうが。その子ごとぶっ刺せば良いのよ。ぶっ刺せば」

 淡々と促してくるリリン。青年は再び数拍、密かに目を瞑って深呼吸をしたが、沸々と生

じる自分の悪感情に昂揚すら覚えていた。

 そうだ。俺達の目的は、新しく命を生まれさせないこと。もうこれ以上、新しい誰かが絶

望せずに済むように。ならばこのお腹の子は、一番生かしておいちゃあいけない存在じゃな

いか。

 カッと目を見開き、大きく金槌を振り上げる。死んだ目、輝きを失った瞳のまま、彼女の

膨らんだお腹に“杭”の切っ先を当てつつ、振り下ろす──。


「じゃ、そろそろ結界切るよ~? 離れて離れて~」

 この若夫婦を始め、残りの標的にんげんに粗方“杭”を打ち終えたのを確認して、リリンが合図を

する。青年は疲労する身体に鞭打ち、少し遠巻きの物陰、路地の中へと小走りで駆け込んで

行った。リリンも後を追い、パチンと指を一鳴らし。それまで辺り一帯に漂っていた空気が

一変し、色彩を伴った世界が戻ってくる。時間を止められていた彼らからすれば、何の違和

感もなく日常が再開される筈だ。

「──っ!? おえぇぇぇ……ッ!!」

 但し、先の“杭”を打たれた妊婦を除いては。

 結界が解かれた直後、彼女は弾かれたように腹に手を当て、その場に蹲った。激しく嘔吐

し、すぐ隣を歩いていた筈の夫も突然の事に慌て出す。

「おい! どうした!? 大丈夫か!?」

「拙いぞ……。これってまさか、産気付いてるとかじゃねえか?」

「でも、それにしては様子が……」

「いいから救急車! 誰か、救急車呼べ! 急げ!」

 周囲も流石に、放ってはおけなかったらしい。何人かの通りがかりが同じく駆け寄り、め

いめいに焦っている。怒号のように叫び声がこだまし、出来始めた人だかりが面倒な事に巻

き込まれたとざわめき出す。

「……死んだな」

「でしょうね。そういう呪いだもの」

 行きましょ? 青年とリリンは、そのまま密かに次の人口密集地へと向かうべく踵を返そ

うとしたのだが──。

『!?』

 再び、世界が停止した。辺りは色彩を失ってモノクロになり、混乱する妊婦夫妻と周囲の

人だかりが、その直前の姿のまま固まっている。

 青年は驚愕したように顔を上げた。リリンの方も、珍しく神妙な面持ちになって唇を結ん

でおり、じっと最小限の動きで辺りの気配を探っている。

「一体何が──」

 鋭く絞られた銃声が聞こえたのは、ちょうど次の瞬間だった。

 耳をつんざく、視認もろくに出来なかった風圧。気付けばその筋は先程の妊婦へと真っ直

ぐに伸び、お腹に刺さっていた“杭”を破壊したのだ。

 “杭”が撃たれた? 青年がようやく状況を理解したのは、その風圧がやって来た先、二

人の視線の向こうにとある者達の姿を認めたからである。

『──』

 こちらに銃口を向けたまま立つ少女と、輝く翼を生やした鎧騎士……のような姿形をした

奇妙な組み合わせの一人と一体だった。

 何だ? 青年が尚もポカンと、唖然と立ち尽くしてこれを見ていると、リリンがチッと粗

雑に舌打ちをした。この棒立ちの相方に、掻い摘んで発破を掛ける。

「ぼ~っとしてんじゃないわよ! あれは天使、前にも言った“抑止力”側の先兵よ。大方

あのを依り代に、下界こっちに降りて来たんでしょうね」

「……」

 まだ頭が状況に追い付いてくれない。青年は捲し立てる彼女の声に、只々衝撃を受けるば

かりだった。少なくともあの銃口が、次には自分達に向けられるであろうことぐらいは素人

にも理解できる。

 “抑止力”側? 依り代?

 まだ硝煙漂う、銀色の拳銃を握る少女の瞳は、遠目からでも輝きを失っているように見え

た。リリンの話からして、おそらくあの全身鎧の化け物──天使とやらに操られているのだ

ろう。随分とゴツそうである。強そうである。遭遇したくなどなかった。

「…………」

 いや、この時彼にとって絶望的だったのは、何も“敵”に見つかってしまったことではな

かったのだ。それより以上にもっと重要な、深刻な事実・可能性──これまであちこちの街

や集落を回り、片っ端からそこの住人達に打ち込んできた“杭”が、方々で破壊されてしま

っているのでは? という疑問。文字通り、これまで心身を捧げて続けてきた旅が、その根

本から台無しにされてしまっているのでは? という懸念である。

 今までの苦労が、二度も死んできた精神こころが、全くの無意味……。

「とにかく逃げるわよ! アンタにとっても、あたしにとっても、あいつらは“天敵”なん

だからね!?」

                                      (了)

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