(3) 閉街の外
【お題】楽園、禁止、島
この世界は、一体どんな風になっているんだろう?
僕の人生は、一体何の為にあるんだろう……?
そんなことを考えている時、大抵僕は暇だ。朝水を汲みに行く時、薪を割っている時、畑
の土を弄っている時。何かやらなきゃいけない仕事に掛かっている間は、他のことを考える
余裕なんて無いのだし。
(……今日も良い天気だなあ)
だけどそんな時に限って、見上げる空は青く澄んでいて。僕の“邪念”とはまるで正反対
に、クスクスと笑われているみたいに、とても穏やかなんだ。ゆっくりとした時間が変わら
ず流れている。
いや──そう思い込まされているだけだ。
物心付いた頃から、僕らの住む街はぐるりと高い壁に囲まれていて、壁の外には恐ろしい
化け物達がうようよいるんだと教わってきた。実際自分から好き好んで外に出てみようとす
る人はいないし、それが出来るのだろう幾つかの門は固く閉ざされている。少なくとも僕は
生まれてから一度も、あれが開いた所を見たことがない。
『外の景色ぃ~!? 馬っ鹿野郎!! いいか? 冗談でもそんなこと、絶対に口にするん
じゃねえぞ? 余所様に聞かれたらどんな目に遭うか……』
以前、まだ僕がもっと小さかった頃、一度だけ父に訊ねてみたことがあった。
だけどその日に限っては、普段からずっと酔っぱらっているような父が珍しく慌てた様子
で僕を怒鳴りつけてきたことをよく憶えている。
家の中で、酒臭い息がいつも以上に充満していた。僕の発した言葉に興奮して、父自身も
カッカと熱くなっていたんだと思う。
『お前……一体何が不満なんだ? 街の中に居りゃあ、化け物達に食い殺されることもねえ
し、飯も寝床も不自由しねえ。そんな危ねえ橋は、王宮の守備隊連中に任せとけばいい。こ
の街に、此処にさえ居れば、要るモンは全部王宮が用意してくれる』
『? 守備隊って……中の門とかにいる兵士さんのこと?』
『ああ、そうだ。王宮直属の兵隊だよ。お前らみたいなクソガキや、街で悪さをした奴を取
っ捕まえるのが仕事さ』
守備隊や王宮、気付けば昔から街の中心にあって、僕らの王様をやっていた人達のことは
子供心ながらに知っていた。ただそれよりも気になったのは、父や周りの大人達がそこまで
街で暮らすことに拘っている点だった。
『僕、そんな悪い子じゃ……』
『いいや、悪いね。繰り返すが、余所でそんな話絶対にするなよ? もしやったら、いくら
息子でも守ってはやれねえからな?』
『もう……あなたったら。ムキになり過ぎよ。エドガーはまだ子供よ? そんな頭ごなしに
言ったって解る訳ないじゃない』
その意味では、敢えて軽く窘める程度に振る舞った母の方がよっぽど賢かったのだろう。
今振り返れば思う。ギャーギャーと騒ぐ父と僕の二人に、母は苦笑いしながら割って入って
きた。昼食後のお茶を二つ、コトンとテーブルの上に置きながら。
『むう、だがなあ……。こいつだってすぐ大きくなるぜ? そう地頭が良い訳でもねぇのに
余計なことを考えて、行動に移しやがる。一体、誰に似たんだか……』
『……』
思い返せば多分、父も昔は似たようなことを考えていたのかもしれない。その上で、僕に
同じ道を歩ませたくなかったのだろうか? 何が父をそんなに変えたのだろうか? あなた
に似たのよ──母も母で、そう苦笑っているような哀しんでいるような、複雑な表情と視線
を向けていた気がした。
『エド。お前はこの街ができた理由って知ってるか?』
『? ううん。知らない』
『そうか。ならこの機会に教えといてやる。ずっとずっと大昔、俺達のご先祖様は化け物だ
らけの暮らしから身を守る為に、あの馬鹿デカい壁を建てたんだそうだ。で、その中に街を
作って、皆が安心して暮らせるようにした。その時に皆のリーダーをやっていたのが、今の
王宮のご先祖様って訳さ』
『へえ……』
『そういえば、エドガーは王様って見たことないんだっけ?』
『うん。昔から、丘の上の大きなお屋敷に住んでるって話は聞いたことあるけど……。母さ
んはあるの?』
『ないわねえ。普段から、私達の前にお姿を見せることは稀だし……』
『まあ、無理もねえさ。俺は見たことがあるらしいが、まだ今のエドよりも小さなガキの頃
だそうだからな。親父とお袋が、街に出て来た時の行列に連れてったんだとよ。全然、憶え
てねえけど』
大よそ、僕たち庶民の認識というものはそんな程度だった。
もうずっと昔の話、生まれた時から街全体を見下ろす丘の上に王宮があって、此処に暮ら
す人々をいつも監視している──それでも特に深刻な問題が起こっていないのは、王宮側が
必要最低限の生活を保障してくれているからだ。食べ物も住む所も、決して充分だとは言え
ないけれど、仕事や畑もある。何より壁の中にさえ居れば、命を脅かされるような危険には
遭わなかった。
でも……そんな日常はちょっとずつ壊されていたんだ。
いや、本当は皆、ずっと前から知っていたけれど、認めたくはなかったんだ。
「おいおい。一体何だ、この騒ぎは?」
「公開処刑だとよ。王宮が、極悪人を取っ捕まえたとか何とか」
その日僕は、街の人々でごった返す大通りを駆け抜けていた。転がるように、時々弾き返
されそうになりながらも、この騒ぎの中心・罪人の処刑が行われる広場の特等席を目指して
息を切らした。
(んっ……!)
もぞもぞと、大人達の隙間に身体を捻じ込み、顔を出す。
すると確かにそこには、石畳の上で磔にされた男性がぐったりとしていた。周りには守備
隊らしい兵士達が長い槍を持ち、処刑の実行を待っている。
(誰だろう……? この辺りじゃ見ない顔だけど……他の地区の人かな? それにしては、
何だか顔とか服装が独特というか……)
街の外は危ない。知ろうとするんじゃない。タルヲシル、壁の中こそが幸せだ。
僕らはずっとそう教わってきた。余計なことを考えるのは不幸の始まりだと、口酸っぱく
言われてきた。
……だけど僕は、この時痛感することになる。自分の違和感が正しかったことに気付く。
「なあ、聞いたか?」
「ああ……。でも本当なのかねえ?」
“あいつ、壁の外から来たんだって?”
***
今回私の部隊に下された指令は、とある未開の島の調査だった。そこは今も古き因習によ
って支配され、島外との交流を拒絶しているらしい。
尤も……この手の任務は、何も今に始まった事ではなかった。そもそも現在、世界にはこ
のような未開の地が多数確認されており、軍が主となって大規模な探査・開拓事業が行われ
ている。私達に降って湧いた此度の指令も、数あるそんな作戦の一つに過ぎなかった。
『邪教が支配する孤島、ですか……』
『うーん、大丈夫ですかねえ? 制圧するのは造作なくても、長年の洗脳はそう簡単には解
けないでしょ?』
現地への道中、部下達は船の中でそんな話をしていた。確かに名目上、今回の任務はそん
な、未だ残る“蛮族”らを啓蒙するという体である。
しかし軍上層部や政府の本音は、寧ろ思想的優位性といった霞を食うような話ではなく、
もっと実利的──未開ゆえに手付かずな資源の確保にあると見て間違いない。少なくとも私
のような隊長クラスや知恵の回る者達は、既に上のそうした思惑には気付いていた。気付い
ていて、職務と、己が故国に忠実であろうと努めてきたのである。
「サザランドが捕まった。奴らに磔にされ、殺されたらしい」
『──』
だからその報せが来た時、正直私は愕然とした。信じたくはなかった。本侵攻に備え、先
行して壁内に潜入していた部下との連絡が、ぷつりと途絶えた。
代わりに入って来たのは、別の工作員からの内部情報。よりにもよって島の原住民達は、
見せしめ目的で我々の同胞を残忍な方法で殺したのだ。隊長として、私は皆へ努めて冷静に
伝えようとはしたが、当の残された彼らの怒りは沸々と煮え滾っていた。
「くそっ! 蛮族の野郎……!!」
「我々の潜入が、露見していたというのですか?」
「そこまで頭の回る連中とは思えなかったですがね……。やっぱ、見た目が違い過ぎるから
なんでしょうか……?」
基本的に壁内の様子は、件の工作班からの報告が全てだ。資料に同封された写真を見る限
り、彼らの文明水準はお世辞にも高いとは言えない。本国から主戦力さえ到着すれば、攻め
落とす事自体は容易だろう。問題は──末端の部下達への情報統制を含め──如何にそれま
で物質的・精神的損害を減らすか、だ。
「じゃ、じゃあキーファは? キーファはどうしたんです? 時期は少し後ですが、あいつ
もサザランドと同じで、壁内に潜んでいる筈でしょう?」
そう。統制及び消耗の抑制。私は内心、眉間に寄った皺を隠すので精一杯だった。
ただでさえ、そう多いとは言えない隊の人数。その中で二人も、互いに見知った部下・同
胞が消えてしまうとなれば。
「……今回の報告があって以降、連絡が途絶えている。今も情報収集に奔走してくれている
のか、或いは──」
苦々しくそう返事を絞り出せど、私自身とても“卑怯”なやり口だとの自覚はあった。事
実私が全てを語り切ってしまうよりも早く、残された部下達は憤ったからだ。
「蛮族どもめ、許せねえ!!」
「隊長、何とか出来ないんですか!? 俺達だけでも、壁内へ攻撃を……!!」
「駄目だ。本国から戦闘艇を含めた本軍がこちらに向かって来ている。彼らと合流するまで
は待て。耐えろ」
或いは、壁内の人々との生活に馴染んでしまったのかもしれない──。
部下達は勘違いしているが、私が一番恐れていた事態はそっちだ。潜入工作という任務の
性質上、彼らは現地の暮らしに溶け込む必要がある。普段、本国の軍人として多忙な毎日を
余儀なくされる中で、ふとそのような“非日常”に接した際、堕ちてしまうケースは思いの
外多い。時には潜入工作の目的が、そのような脱走兵を“始末”する為であったりもする。
ただ……正直なことを言うと、私は自身の隊でそのような負の連鎖を起こしたくはなかっ
た。上からの命令が出てしまえばどうしようもないが、討たれた側は勿論、討って戻って来
た側も、大なり小なり心に傷を負う。若しくは歪んだ形でその経験をしまい込んでしまいが
ちだからだ。仮に今回、この一件で“始末”が終わっても、潜在的に第二・第三の脱走兵が
生まれる土壌は維持され続けてしまう。
『──っ!?』
「そん、な……」
「解ります。解ります、けど……」
「あんまりだ……。あんまりですよ、隊長!」
「……」
私は堪えた。所詮は個人的な懸念だと、部下達を惑わすだけだと言い聞かせ、あくまで任
務と指示に忠実であろうと努めた。……私まで流されれば、いずれ隊そのものが瓦解する。
連鎖を止めねばならなかった。その為には、敵は敵のままであった方が都合が良い。
本当に、敵が文字通りの“蛮族”だったならば──どれだけ楽だっただろう。
「総員、攻撃開始ィィ!! 空と地上から、一気にかの邪教徒どもを叩き潰せ!!」
はたして、本国からの部隊が到着して程なく、島及び壁内全域への総攻撃が開始された。
上空からは主力である戦闘艇の空爆が、地上からはそれに先行して工作員が中心となって内
部より侵入経路を作り、敵軍への反撃の隙を極力与えず立ち回る。
当初の予想通り、本侵攻それ自体は比較的容易に終わった。報告にあった時点で、彼らと
私達の技術レベルには大きな開きがあった。銃士や砲兵、戦闘艇を擁するこちら側と、剣や
槍を構えて突撃する密集形態。制圧能力が違う。
「な……何で……?」
「どうして、壁の外から人が!?」
「や、止めてくれーッ!! 助けてくれーッ!!」
「鼠一匹逃がすなよ? 各隊、確実に追い詰めて仕留めろ!」
「戦艇部隊、区域B4まで爆撃完了。地上部隊は、C・D方面から始点Aへと帰還せよ!」
「殺す! 殺す殺す殺すッ!!」
「てめぇらが! てめぇらが、俺達の仲間を……ッ!!」
「チッ……。一体こいつはどうなってんだ? 蛮族って割には、随分俺達と似た顔をしてる
じゃあねえか」
『──』
作戦の主軸が、地上から上空へ。
そんな折、陣形が移り変わって一旦壁外の拠点へと戻る途中、私は目撃したのだった。
あちこちで血飛沫が舞い、遥か頭上から弾頭が降り注いで燃え盛る街並みの中にあって、
妙な苦笑いを浮かべながらこれを見つめている少年を。両の瞳から輝きを失っても尚、悲嘆
以外の何かに浮かされているように見えた、一人の年若い現地住民の姿を。
(了)