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週刊三題 二冊目  作者: 長岡壱月
Train-156.November 2025
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(5) 翼慙

【お題】現世、憂鬱、天使

 緩く丸みを帯びた灰青の塔が、くすんだ空の下で幾つも重なり聳え立っている。

 塔は家屋であり、施設であり、社会コミュニティだ。高い所、低い所、相互が同様の材質で繋がってお

り、人々はこれらを行き来しながら日々を営んでいる。

『おめでとう! おめでとう!』

 そんな塔内のいちフロアで、大人達が一人の少女を囲んでいた。彼らは皆揃って拍手を繰

り返し、貼り付けたような笑顔を浮かべている。一方で取り囲まれている当の少女は、何分

初めてのことで恐縮しっ放し──ぎこちなくはにかんでいるように見えた。


 その背中に、一対の“白い翼”を浮かべて。


「いやあ、めでたいめでたい」

「娘さんがこんなに立派になって、●●●さんも鼻がお高いでしょう?」

「え、ええ……。まあ……」

「しっかしこの子でも一対かあ。俺はてっきり、二対三対はいくモンかと……」

「なぁに、まだ若いんだ。機会チャンスなら幾らでもあるさ」

 賞賛や嫉妬、或いは他人事ゆえの無責任な願望。

 渦中の人物が年頃の女の子ならば、そうした感情の裏側にも敏感だろうに……。ワイワイ

と騒がしい人だかりを遠巻きに、壁際休憩スペースの椅子に腰掛けていた青年はぼうっと、

それでいて冷ややかな眼差しでこの一部始終を観ていた。一抹の憎しみさえ抱いていた。

(チッ。羽が生えてちゃあ、そんなに偉いのかよ? てめらは誰一人、生やしてなんぞいな

い癖に……)

 人は稀に、大きく飛躍することがある。それは精神的な成長だったり、困難な何かを成し

遂げた者に起こることが多く、しばしば当人以外の不特定多数をも勇気付ける。

 言葉のままに、だ。

 彼・彼女はある時、体表のあちこちに殻のような白く半透明の硬質が出来始め、いずれは

身動きもままならぬまま全身が閉じ込められてゆく。この頃にはもう、誰にも隠しておくこ

とは叶わなくなっているため、他人びとはその“羽化”を全力で支えることになる。待ち侘

びることになる。より高みへと昇った存在に。その象徴的姿となるまでを守り抜き、いよい

よもって顕現したあらわれた際には歓喜するのだ。

(……身内やらマブダチならともかく。何でそう、さも自分達の手柄みたいなツラができるか

ねえ?)

 青年の不快の理由は、突き詰めればその一点に在った。

 そもそも羽を持つに至った人間は、コミュニティ全体の約一割から二割。条件次第では一

割にも満たない。それこそ極一部、選ばれし者達だ。なればこそ彼・彼女らと“同胞”であ

ると主張することで、人々は己の卑しい自尊心を慰めるみたすのだろう。

(あのも大変だな。これからずっと、周りの連中にそういう目で見られる訳か)

 くいっと、曇り硝子のコップに注いだ水を煽りつつ、視線を手元に。青年は束の間の休憩

時間を改めて独りでいることに集中させようとした。汚れと痛みの激しい作業着。折角心身

をクールダウンできると中に入って来たのに、途中から新入りの羽持ちを誘って祝うといっ

たイベントが始まってしまった。……正直、気が休まらない。

「あ、ありがとうございます。これからも頑張ります」

 もじもじと少女の声。青年には連中の内一人の、羽が二対三対でなかったことを残念がっ

てみせた男への弁明のように聞こえた。余計に胸糞が悪くなった。

 大体、この羽が生えるといった現象自体、まだまだ解明されていない部分は多い。それこ

そ成長したとか偉業を成したとか、本人の頑張りが先なのか、それとも予め“羽化”へ入れ

る準備が整っていたからこそ大成したのか──言うなれば、卵が先か鶏が先かという話だっ

て、広く皆が管を巻く話題タネだ。我が身に起これば一転、コミュニティ内での待遇は跳ね上が

るものの、自分を含めた大多数の者にとっては基本遠い世界の話に過ぎない。

(……ぼちぼち時間か。ったく、無駄に考えて休まらなかったじゃねえか)


 都市コミュニティを形成する数多の塔は、ほぼ毎日何処かで増改築が執り行われている。青年も下級市

民の例に漏れず、それらの肉体労働に携わる人足に従事していた。素材工場から搬入された

四角い灰青の建材を、周りの面々に交じりながら積んでゆく。

「お前ら、もっとペース上げろ~! 次の“大会”までにうちの受け持ち区画は最低でも済

ませておかなきゃならねんだぞ、分かってるかあ!?」

 現場監督の、半分鬱憤を含んだ叱責が頭上を通ってゆく。彼も、他の人足達の誰も明確に

応答はしなかった。ただ黙々と積み上げを重ねてゆく。建材同士の隙間を、一定段になった

らトントンと軽く押さえて狭め、接着力のある仕上げ剤を挟んで固定してゆく。

(言われなくとも……)

 全員の意見が、概ねそんなところだったのだろう。ちらと大きく頭を垂れるような体勢に

なった互いを時折チラと見遣りながら、それでいて特段言葉は発しない。律義に答えたり、

作業の手を止めれば、それはそれで監督に付け入れられる格好の口実になってしまうことな

ど経験上よくよく知っているからだ。コン、トン、スッ……。微小の土埃がくすんだ空へ昇

ってゆくのも気に留める暇もなく、余裕もなく、彼らは只々宛がわれた役目を果たすことに

手一杯となっていた。それが自分達大多数の市民の、日常だと諦めていた。


『それでは本日のメインイベント! 飛翔レース男子決勝です!』

『今回は予選において、優勝候補の一人を二対の新人選手が制するという波乱の展開があり

ましたが、本戦ではどうなるか? 先の勢いと経験豊富さ。どちらに軍配が上がるか魅力で

すね』

『ええ。ただ選手達も件の予選結果を見て、各々奮起はしている筈です。面白いレースにな

りそうですよ』


 遠く中空、大型の枠と共に表示された画面ディスプレイには、都市コミュニティの一角に設けられた競技場での様子

が中継されていた。幾本もの支柱が高低差込みで不規則に立ち並び、コースを形成している。

三対四対五対──白く大きな翼を背中に浮かべた選手達が、スタート地点で各々に開始の時

を待っていた。

(……呑気なモンだ。ああいうのを建ててる、こっちの苦労も知らないで)

 実況と解説役の男達は、マイク越しに視聴者の興奮を演出するように喋っている。別段彼

らが飛んだり跳ねたりするでもなかろうに。青年は黙々と作業を続けながらも、そう何処か

遠くの別施設で行われている娯楽イベントに、正直忌々しささえ感じていた。彼らは皆ああいった催

しを消費するだけで終わりだが、その為にどれだけの人足が日夜整備や新設の為に汗を流し

ているか。

 ──社会コミュニティは、ある意味徹底された階級社会だった。

 成果を挙げ、他人びとに貢献すればそれだけ高い階級と暮らしが約束されるが、そうでな

い者は基本的にこうして縁の下の力持ちもとい身を粉にした労役ぐらいしかない。だが多く

の場合、中級や上級以上の市民は感謝すらしない。都市コミュニティ内のインフラは整っていて当たり前

だと思っているし、寧ろその従事者である自分達という汗と汚れ塗れの存在を見えないよう

・意識させないよう仕向けられている節さえある。

 尤もそういう意味では、選手として出場している羽持ちかれらもまた、本質的には似通っている

のかもしれないが。

「……」

 いや、と青年は内心首を横に振る。黙々と建材を積み上げて塔の骨組みにしてゆく。暫く

して監督から小休止の時間だと告げられ、皆が一斉に深く深呼吸をして汗を拭った。現場の

階下に纏められていた、各々の水筒を引き上げてきては喉を潤す。

 一対にしろ何対にしろ、その背中に翼を浮かべるようになった人間は、コミュニティから

特別扱いされる。ある者は優れていた身体能力で、ああやって競技の選手として活躍してい

たりするし、ある者はその専門的な知識・技術を武器に様々な研究に携わる。

 羽が生えたからなのか、元々優れていたからなのか? 卵が先か、鶏が先か?

 実際のところは分からない。少なくとも青年かれは、そのような高度な教養は持ち合わせてい

なかったし、性分的にもじっとしているより何かしら身体を動かしていた方が合っているこ

ともあった。但し、それと自分達がまるで奴隷のような、空気のような扱いを受け続けてき

たこととは……決して矛盾しない。

「ここも、随分と高くなったな。街の様子がよく見える」

「ああ」

 顔見知りの人足仲間がそう、ぽつりと呟いてくるのを聞いて、彼は短く応じた。水筒に口

をつけて喉を潤しながら、じっと言われたがままに眼下の風景を見つめる。

 ……塔は次々に建ってゆく。或いは古くなったからと、邪魔になるからと、解体する系の

仕事も珍しくはない。振り返って一体、この営みは何なんだろうと思う。ここまで互いに橋

を繋げて密集させ合って、そこまでして高く高く、複雑に天へと積み上がってゆくことをし

て何を目指すのだろう?

「“下”を意識させない為か……」

 ぼそっと、誰にともなく呟き、先ほどの同僚が若干眉根を上げてこちらを見る。当の彼本

人はさほど気にはしていなかったが、その眼差しはずっと遥か眼下を捉えていた。

 まるで無限に積み上がっては昇ってゆく塔。だがその遥か足元には、今でもそれら全てを

支える地面が、日差しを遮られた影の部分が押し込められている筈で……。

「ヤオト。あんまり覗くな、目が合っても面倒だぞ?」

「……ああ」

 顔見知りの同僚も、流石に考えていることが透けて見えたのだろうか。暫くじっと視線を

固めたままだった彼を数拍見つめた後、そう気持ち窘めるように声を掛けてくる。現場全体

では監督の一声で小休止が終わりつつあり、皆が一人また一人と水筒や汗を拭ったタオルな

どの私物をロープで降ろし、作業を再開しようと動き始めている。

 羽持ちと、上級市民。中級、自分達のような下級。

 だがこれらよりも更に下──社会コミュニティからは、表向き“存在しない者”として扱われている者

達がいる。

 羽持ちだ。だが通常、輝くような白い翼を持つそれとは違って、連中は血色の混じる黒い

翼をしている。そうした状態で“羽化”した人間は、古くから人々に災いをもたらす者とし

て徹底的な隔離政策が取られ、場合によっては都市コミュニティから追放されることもあるという。にも

拘らず、処刑といった更なる強硬手段が採られないのは、自分達の膝元で穢れを撒き散らし

たくない一心からなのだろうという言説を何処かで聞いた。一応の理屈は通っている訳だ。

(……本当、勝手だよ。自分達の都合の良いように持ち上げて、都合の悪いものは端から見

ようともしねえで)

 作業に戻り、灰青の建材を積む。昼下がりの日差しと蓄積する疲労。反面、そのことで内

心昂揚してゆく精神は、彼に日頃抱かせていた鬱憤を再認識させていた。この世界の、羽の

有無で未来すら決まってしまう仕組みに、心は何とか追い付こうではなく激しい反発の念を

燻らせ続けていた。楽して生きたいが、かといって品性まで売り渡そうとも思わない。

 建材を積む。或いは誰かが崩す。

 多くの人々が今の生活を享受できているのは、自分達のような“取るに足らない”下級層

の労働者が、日々汗だくになってそれらを整備し続けているからだ。命令されるがままに造

り続けているからだ。学ゆえに、結局こうした仕事の一つ一つにどのような意味があるか?

その後どうなったのか? などは大よそ判らずじまいではあるが。

(もっと俺達は、評価されてもいい筈だ。認知されたっていい筈だ。それを連中は、頑なな

までに下に置きやがる。せめて感謝の一つ、労いの言葉一つくれりゃあいいのに……それす

らもなしに漫然と……)

 沸々。彼は内心怒りが湧いてきていた。

 それ自体はもう、過去幾度となくあったもの。だが押し寄せて来る度、既視感で冷め遣っ

てしまうことが難しいもの。

 建材を積む。或いは誰かが崩す。仕事とはいえ、こんな営みの繰り返しに一体何の意味が

あるというのだろう?

 食料やエネルギー、諸々の材料も。もし工場プラント内の者達が仕事を放棄すれば、街全体の供給

は大きく滞る。橋一つ取っても、もし自分達が意図的に緩く留めるなどし、渡っている内に

誰かを落下死させることだって不可能じゃない。散々足蹴にしておいて、対立が起きて。お

偉方や上級市民様がたは、そんな状況に陥った時のリスクを考えてすらいないのか? 想像

だにしていないというのか?

(いやいっそ。此処も連中も、滅んじまった方が──)


「お~い、ヤオトー! 帰ってるか~? 返事しろ~!」

 青年かれが現場を休みがちになるようになったのは、暫くしてからだった。最初はまだ、多少

の遅刻や体調不良で済んでいたものの、やがてそれらは繰り返される無断欠勤へと変わって

ゆくことになる。

 とうとうある日、現場監督に命じられて親交のある件の同僚が彼の住処へやって来た。他

の下級市民と同様の、辛うじて四方の壁と寝床などがあるだけの粗末な空間である。唯一の

出入口である扉の前に立ち、同僚は何度か中にいる筈である彼へと呼び掛けた。だが一向に

変じは帰って来ず、同僚は小首を傾げる。傾げて、一歩踏み出して扉に手を掛けてみると。

「あれ? 空いてる……」

 本人には悪いと思ったが、こちらも監督にせっつかれているので仕方ない。内心そんな言

い訳をしつつ、同僚は恐る恐ると家の中へと入って行った。

 年季の入って痛んだ灰青の壁。思いの外生活力は低いのか、生活ゴミを纏めた袋が壁際に

幾つか積まれたままになっていて──。

「ヤオト、お前何して──」

 そしてようやく彼を、部屋の隅で縮こまっている姿を見つけて声を掛けようとした刹那、

同僚は思わず言葉を詰まらせた。絶句し、目の前で起きているその事実に最初、脳が理解を

拒んでしまっていたのだ。

「……来る、な。お前は何も見てねえ。帰、れ」

 青年かれは冒されていた。腕から脇腹、頬にかけて硬質の殻が──“羽化”の為の前段階を発

症していたのである。

 但しその色味は、白ではなかった。黒だった。

 血色の混じった、半透明の赤黒い結晶。同僚は目を丸くしていたが、光の加減などの見間

違いなどではない。そもそも明かり取りの窓も、碌な大きさが無いのだ。今見えているのは

主に、同僚が開けた背後唯一の出入口の扉であったりする。

 黒い羽──言葉にするのも躊躇われた。幸いにも未だ完全には閉じ込められておらず、意

識もこちらの存在もちゃんと認めているだけ、冷静を保つ材料にはなった。だが一体どうす

る? 本人も自身の状況は極めて不味いと知ったからこそ現場にも出ず、出られず、こうし

てわざわざ訪ねてきたこちらを追い払おうとしている。巻き込むまいとしている。

「ひっ……!? 黒……?!」

「い、忌み子じゃあ! 災いの子の兆しが出ておるぞ!」

 だがしかし、迷っている猶予など周りが与えてくれる筈も無かったのだ。次の瞬間、開け

た扉の向こうから近隣の下級住民らが不躾にも覗き、その姿を目の当たりにしてしまったが

ために、隠そうとした不都合は破られた。ギョッとする同僚と、当の本人。扉の前で酷く怯

えた壮年の男と、迷信を声高に、ボロ布の老婆が狂ったかのように叫ぶ。

                                      (了)

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