(3) Colonies
【お題】箱、音、時流
その日彼女は、局所属のアナウンサーとして、とある人物へのインタビュー取材に臨んで
いた。マイルズCEO──ここ数年で急成長を遂げた新型SNS『コロニーズ』の生みの親
である。同社オフィスビルの一室に通され、クルー共々待っていると、ややあってアポ通り
時間ぴったりに当の本人が姿を現した。
「どうもお待たせしました。CEOを務めています、イーサン・マイルズです」
「きょ、京極放送の芳野と申します。本日は宜しくお願いします」
他社メディア経由では、何度か顔こそ見てはいたが、実際に一対一では初対面。彼女は目
の前にやって来た彼を見て、先ず内心驚かされた。
短く刈った淡い黒髪に、ややラフな白ワイシャツと紺のズボン姿。アジア系と思われる顔
立ちに加え、何よりその流暢な日本語に一瞬返す言葉を忘れそうになる。体格は比較的小柄
だが、確かまだ三十代後半であった筈だ。
どうぞ、お座りください──。
差し出された手を、こちらも取って握手を。秘書や警備要員と思われる同伴者が数人、少
し離れた位置や壁際に陣取ってから、マイルズは着席を促してきた。芳野も会釈し、大きな
丸テーブルを挟んで対座しつつ、ちらと視界の端でクルー達に合図を。皆、既に収録開始の
準備は整っている。
「日本語、お上手なのですね」
「ええ。よく言われます。母方の祖母が、日本人でしてね。生まれも育ちもアメリカではあ
りますが、両親の仕事の都合上、よく預けられていたのです。その影響で」
「そうだったのですか。私はてっきり……」
もっと通訳を介さなければいけないと思っていた──芳野は若干ネガティブとも取られか
ねない言葉をハッとして呑み込み、微笑でもってこれに代えた。実際、既存メディアに取り
上げられた際の彼の映像は、基本的に英語だ。そもそも本人がこうして直接、取材に応える
という例自体が少ない。
「……その辺りのお話も含めて、聞かせていただければ幸いかと存じます」
かくして本格的な対談方式の収録が始まった。クルー達が収音機やカメラを伸ばして、二
人のアップを画面内に捉える。最初はやはり、件のSNS誕生の経緯から入ってゆくのが良
いだろう。
「では先ずは、御社のSNSサービス『コロニーズ』についてお伺いします。これまでも、
SNSに類するサービスは様々なものが作られてきましたが、特に『コロニーズ』は従来の
それとは一線を画す性質があると言われています。“繋がらなくていいSNS”と……」
「ええ。従来型を踏襲するだけならば、既にネット上には多くのサービスが展開されていま
す。世界中に多くのユーザーを抱え、主要な発信・交流用ツールとしての地位を確立された
ものも少なくない。ただ私は……そういった“前向きな”SNSばかりでは、全ての人々を
幸せには出来ないと強く思ってきた」
「……前向き?」
「はい。貴女がたも既にご存知かと思われますが、我が社の『コロニーズ』はどちらかと言
うと、閉じたコミュニティを指向しています。個々人のアカウントというよりも、ユーザー
チャンネルという“部屋”を作り、そこで好きに活動して貰うというスタンスです。基本は
ライブ配信機能ですが、文章媒体や画像のアップロードなど、コンテンツの掲示場所として
も柔軟に使っていただけるよう設計しております。前向き──動的一辺倒ではなく、そこに
腰を据え、じっくりと交流もできるような、そんなプラットフォームを目指しました」
「なるほど……。だからこそ、この手のサービスには珍しく、視聴する為の“許可制”を採
っておられるのですね」
Colonies、意訳すると「衛星」「居住地」。
この新規参入したネットワークサービス最大の特徴は、他ユーザーのコンテンツを視聴す
る為に、相手のコミュニティに加わることを認めて貰わなければならない点にある。誰某の
チャンネルです、という大雑把な看板自体は検索で引っ掛かっても、肝心の中身は徹底して
ガードされている。一応、部屋主たるユーザーが設定を変更すればその門戸を完全ないし部
分的に開放することも可能だが、現状そうした変更を加えたユーザーは全体でもほんの僅か
だという。フルオープンなコミュニティならば、既に多くの先駆者のそれが在るからだ。
「部屋主であるユーザーや既存のメンバー達にとって、あまり歓迎したくない視聴層を予め
絞っておけるという訳ですね」
「加わりたいユーザーが名乗り出て、それをオーナーの判断によって認めるか認めないかを
決める……大人数となればなるほど、作業自体は大変となるでしょうが、そこは開放設定を
段階的に変えて頂ければ対応出来るようにしています。というより……浅く広くというより
は、深く狭い付き合いをする為のプラットフォームとして想定しておりますので」
マイルズ自身も、そのコンセプトに対して賛否が分かれていること自体は把握しているの
だろう。アジア系の混じったこの若き経営者は、多少苦笑いをみせてそう答えた。SNSと
は、交流を深める為のツール──今や“常識”として広まったそんな前提に、彼はかねてか
ら疑問を抱いていたのだという。
「とにかく現在の私達は、可能な限り多くの人と繋がり、その数字を示すことに躍起になっ
てきたように思います。多くの場合、それがイコール自身の才覚・地位を証明してくれるバ
ロメーターとして機能しているからです。でも──」
彼は言った。それではあまりにも“息苦しい”と。
気軽に、繋がることのエネルギーに糸目を付けない人間ならば構わない。だが必ずしもそ
うではない、繋がることに臆病で、リスクをより多く感じてしまう人間達は一体どうすれば
良いのだろうか? 言うなれば“コミュニケーションの弱者”達には、そもそも居場所とし
て選べる空間があまりにも少な過ぎる。選ばないことを、選ばざるを得ない。そうして世の
エネルギッシュな人々に顧みられることなく、ひっそりとその人生を送る以外の選択肢は、
本当に無いのだろうか……?
「──他でもない私自身、あまり他人と話すのは得意ではないんですよ。幼い頃は本当に、
祖母に引っ張られないと外へ遊びに行くことすら満足に出来ないような子供でした。周りの
皆のように、いつも明朗で自信に満ち、チャンスがあれば貪欲に食らい付いてゆく……そん
な“当たり前”の国民性に事欠いていたのです」
「そうは……見えませんが」
「はは。今は、ね。何分こうした地位に就いてしまったもので、そういったスキルを鍛えざ
るを得なかったんですよ。本当はもっと自分のオフィスで、黙々と設計をしていたい。ただ
今回は、いつも取材方面を担当してくれているアンダーソン──広報官のスケジュールがど
うしても合わなかったので、私が出る事になりまして」
「……そうでしたか」
流石に芳野も、いつの間にかそんな“本性”を曝してきた彼に困惑を隠せなかった。テー
ブルより少し離れた位置に立っていた秘書らしき女性も、気持ち眉間に皺を寄せて彼を諫め
ようとしている風にも見える。
おそらくは、本当にこれが彼の地なのだろう。『そこまで話さなくとも良いのでは?』予
め対談の流れは打ち合わせしてあるため、同サービス誕生の経緯と絡めてのエピソードなの
だろうが……如何せん開陳が過ぎる。
「ともあれ」
そうして、コホンと軽く咳払い。彼、マイルズCEOは再び話し始めた。先の告白を含め
て考える限り、彼自身も大分演技を被ってようやくといった所らしい。
「私は比較的早い段階から、そういった“閉じても繋がれる”コミュニティが当たり前にな
る世界を夢見ていました。必ずしも自信に満ち溢れている必要はない、繋がりを維持する為
に日々の労力の少なからずを割かなくても良い、もっと後ろ向きで緩やかな場所……」
「それが『コロニーズ』の、原点……」
『ええ。最初は本当に、私個人の妄想というか、願望に過ぎなかったのですけどね。ある時
ネットを介してやり取りのあった仲間の何人からか、それを実際に作ろうという申し出があ
ったのです。私も当時はエンジニアの端くれでしたし、試しにそういうプラットフォームを
組んでみたいなと、興味をそそられました」
「それが今や、新進気鋭のSNSサービスにまで発展した訳ですね」
「人生、何があるか本当に分からないものです。ここまで私を引っ張り上げてくれた、起業
当初からの友人らに、そして社を回してくれている全てのスタッフには、とにかく感謝の一
言しかありません。私一人では到底、こんな事は出来なかった」
『……』
彼女を含め、同伴していた秘書や警備要員までが、そんな彼の吐露に多かれ少なかれ心を
打たれていたのだろう。照れ隠しのようにじんわりと、或いはぱちくりと目を瞬けど直立不
動に、言葉無き感情の吐き出し先を探している。ただ一介の、社交的パフォーマンスに不向
きだと自覚していた若者が、かつて妄想の中でのみ願った世界が実現しつつある。
「まあ、それとプラットフォームとして存続させ続けることとは、また全く別の問題なんで
すがねえ……。私がぼんやりとコンセプトだけで語るものだから、財務担当の皆にはいつも
どやされていますよ。ははは」
彼は苦笑っていた。仮にもCEOの肩書きを持つ創業者は、何も世間から驚かれるスーパー
マンではなかった。彼女も釣られて苦笑いを零す。インタビューは、いよいよ次の段階に
進んでゆく。
「……貴重なお話、ありがとうございます。『コロニーズ』誕生の経緯は、CEOご自身の
経験が深く根差していたのですね。そして今は、そんな夢と現実の狭間で新たな課題に向き
合っている、と」
報道に関わる者の一人として、寧ろそれこそが今回聞きたい話でもあった。訊き出さねば
ならぬ“獲物”であった。
美談も良い。確かに数字にはなる。
しかしそれ以上に、人々が知りたいのは負の側面だ。賛否両論──従来とは違った性格を
持つ件のSNSが拡がってゆこうとする今、彼らの抱く懸案・批判をぶつける事が出来なけ
れば、こうして対談形式を採った意味さえも無くなる。
「有料会員、ですね」
マイルズCEOも、彼女の言わんとすることはすぐに理解したようだ。温厚だった表情に
緊張が見え、ちらと視界の端で秘書の首肯を確認している。思い出話、美談の時間は終わり
だ。次からはいよいよ“粗探し”が始まる。
「はい。『コロニーズ』では、各コミュニティのオーナーが、任意に自身の発信するコンテ
ンツを有料化できます。閲覧するには、許可されたメンバーであると同時に、設定された価
格を支払わなければなりません」
「ええ」
「それ自体は何も、今に始まった仕組みではありませんが……。しかし昨今、いわゆるオン
ラインサロンと呼ばれる形態──会員制の“閉じた”コミュニティ群において、悪質な集金
行為の横行が問題視されています。自身に出資・賛同するメンバーだけを囲い込み、そこか
ら生まれる暴利を貪る。こと『コロニーズ』の仕組みは、二重三重にユーザーを“厳選”可
能なため、こうした活動の温床になるのではないかと当初より指摘されています。CEOは
この点について、どうお考えでしょうか?」
彼が語ってくれた話からも、同サービスはおそらくユーザー間のトラブルを可能な限り回
避する為に、各コミュニティへの参加を許可制としたのだろう。だがそもそも、オーナー自
身が悪意をもってその場を開いていたならば、どれだけ“外側”の守りを固めた所で意味は
無い。寧ろ第三者からの、是正の手が届かなくなる危険性すらある。
「……非常に難しい問題です。当然我が社としても、ガイドラインや法律に違反するような
行為は発見次第対応しておりますが、各ユーザーがどのような意図をもってサービスを利用
しているかまでは判りません。それこそ、内心の自由に関わる事ですので」
対してマイルズCEOは、たっぷりと間を置いてから口を開き始めた。曰く、他人と話す
のが得意な方ではない一人の人間として。同SNSを展開する企業の責任者として。迂闊な
事は少なくとも言えないといった所だろうか。じっと目を細めて真剣に、しかしその瞳の奥
には何処か、一抹の哀しさが垣間見える。
「これはあくまで、私個人の考えであることをご理解ください。組織として、運営側の実務
としてのそれとはやはり、どうしても違いは出てきてしまうものなので……」
「私はコミュニティ──人と人が交わる場を作る、交わることそれ自体に、画一的な善や悪
を貼り付けたくはないのですよ。仰るように、オーナーであるかないかに拘らず、人は様々
な思惑を持っている。価値観がある。そうした違いが時に、相手を“許せない”存在へと変
えてしまうのはどうしようもない現実だと、私は考えます」
彼は言った。だからこそ一律に“開く”べきだとか、逆に完全に“閉じて”しまうべきだ
という発想に至るのは危険だと。『コロニーズ』はあくまで、ネットを介して行う交流に、
よりリスクや恐れを感じる人々の為のツール。規定値は許可制であり、より身内のみで回す
コミュニティを想定しているものであっても、より広く多くの人々に開陳したいならばそう
設定を各々で変えればいい──それが自由というものだし、そもそもそういった“コミュニ
ケーションの強者”たる自負があるならば、既存の大手サービスを使うのが筋だろうと。選
択肢が色々在る。その環境こそが、自分達が当初から目指してきたスタイルなのだから、と
も。
「随分と……思い切った発言ですね」
「よく言われます。それでは顧客が増えないでしょう!? と、その度に財務担当の皆には
どやされてしまうんですがね……」
はははは。
再び彼は、苦笑いを零しつつ言った。開放しているから善、していないから悪といった硬
直的な括りを好まないと言いながらも、彼自身がそもそものコンセプトとして“強者”以外
をメインターゲットに据えていると公言しているのだ。周囲の部下達も、若干複雑な顔をし
てはいるが、そこまで強く諫めない。少なくとも起業時の理念は、中枢の者達には身に染み
て共有されているらしい。
「我が社の『コロニーズ』は、そうした意味でも、各ユーザーを上から支配する存在として
はなるべく振る舞わないことを運営方針の一つとしています。権力ある側の、匙加減一つで
居心地がガラリと変わってしまう苦しさは、貴女がたも大なり小なり覚えはあるでしょう?
私は『コロニーズ』自体も、一つの“閉じ”気味なコミュニティだと考えています。今日の
乱立するSNSサービス群において、そこからあぶれた・所属し切れなかった人々を掬い上
げる、その選択肢の一つとして在りたいのです」
「……なるほど」
言って彼、マイルズCEOは結んだ。おそらくは今回、いつもの担当者たる広報官が同席
できないということで、予め幾つかのQ&Aについては叩き込まれていたのだろう。今回取
材に臨んだ芳野は、結局『コロニーズ』側の“宣伝”に上手く乗せられてしまったのでは?
と思った。取材の申し出はこちら側からだったが、受けると回答を決めた時点で、こちら側
が例示した──現状世に漂う批判的な向きに一石を投じる心算だったのだろう。
『権力ある側の、匙加減一つで居心地がガラリと変わってしまう苦しさは、貴女がたも大な
り小なり覚えはあるでしょう?』
取材を試みた彼女の、取材クルーらめいめいの内心に、チクリと咎が刺さる。彼らの脳裏
に、別個の記憶が再生される。
おそらくは、ある程度意図されたカウンターだった。見聞きし、やれ“不快”だの許され
ない“悪徳”だのと断ずる外圧。いわんや直接“実害”が及ぶのならば。マイルズCEOや
起業最初期に関わったメンバーは、その恐ろしさを知っている。弾き出す者の恐ろしさも、
弾き出された者達の憎しみも。何より……それらを遠巻きに観てきた大多数が抱えざるを得
なかった、胸糞の悪さも。
「ですので、我が社では違反行為や通報の対応に関しましては、原則専門のチームによる確
認を逐一行っております。ご心配なく」
「逐一? AIによる判定ではなく、ですか?」
「それも併せてはいますよ。ただその上で、実際の最終判断には生身の人間が必ず関わるよ
う徹底させています」
「なるほど……。ただそうなると、他社に比べコストが掛かりそうですが」
「それであっても、です」
何となしに衝いて出た彼女の言葉。彼は言う。
「どれだけ機材や技術が進歩しても、交流することそれ自体は、今も昔も人間同士のぶつか
り合いに変わりはありません。伝えたい思いだったり、同じ時間を共有したいという目的、
欲求が成せる業です」
「我々は最大限、労力を割いてゆきます。ユーザーとなってくれた彼・彼女らの代わりに。少
しでもそこに居る人々に、気持ち良く過ごして貰う為に」
少なくとも彼にとっては、それが全てだった。どれだけ組織が大きくなろうとも、その志
だけは曲げる訳にはいかなかった。環境の開放度・閉鎖性が問題なのではない。どれだけそ
の場で行われている営みが、傍目から無意味で、愚かでも。一つに圧縮しようとする試み、
そこに与してしまえば、自分達が今までやってきたことを巡り回って否定する結果となって
しまう。
「コミュニケーションとは本来……労力を割くものなのでしょう?」
(了)